13 バターケーキを焼こう
ヴェルネリがいなくなった蒸留室で、早速ライラは備品の点検を始める。
ヴェルネリは掃除だけはまめにしていたらしく、使用感こそないが埃などは積もっていないし、多くの道具はきれいに磨かれていた。
(うーん……さすが別邸とはいえ、名門の屋敷。素材の質が違う……)
ひびの入っているガラスボウルや皿などは危険なのでさすがに処分対象だが、ほとんどのものは質がいいだけあり、そのまま問題なく使えそうだ。
菓子作りに必要なものはおおかた揃っているし、中にはライラが見たことがないような道具もあった。
「ライラ様?」
「あっ、ヘルカ」
書類仕事を一旦切り上げたらしいヘルカが蒸留室に顔を覗かせ、調理器具を積み上げているライラを見て目を丸くした。
「……こちらにいらっしゃるとヴェルネリから聞きましたが、お菓子作りをなさるのですか?」
「ええ、ユリウス様の許可を得られたら、だけど」
「なるほど。……もうお察しかもしれませんが、ヴェルネリは料理は得意なのですが、菓子作りはてんでだめなのです」
入ってきたヘルカが言ったので、ああやっぱり、とライラは苦笑した。
「お菓子が市販のものばかりだと聞いていたから、そんな感じはしていたわ。……焦がしてしまうとか?」
「本人曰く、オーブンで肉は焼けてもクッキーは焼けないそうです。どうやっても生焼けか消し炭になるので、匙を投げたようですね」
「そ、そうなんだ……」
それは火加減の問題だと思うし、こうなるともうヴェルネリは菓子作りの神に見放されていると思った方がよさそうだ。そんな神がいるのかどうかは知らないが。
ヘルカの手も借りて一通り道具の確認をし、ユリウスからの使用許可も下りたところで、早速菓子を作ってみることにした。
「何になさいますか?」
「ひとまずバターケーキを焼こうかな。材料は、食糧倉庫かな……?」
「必要なものと分量さえ教えてくだされば、わたくしが持って参ります」
ヘルカが言ったので、ライラはありがたく彼女におつかいを頼んだ。
そうしてボウルや秤、泡立て器などを洗って準備していると、思いの外早く背後のドアが開いた。
「ヘル――」
「残念、私です」
ヴェルネリだった。
布巾を手にしたまま振り返ったライラを、ヴェルネリは少し不満そうな顔で見ている。
「……ユリウス様から伝言です。ライラがお菓子を作るなら、僕も食べたい、とのことです」
「えっ」
ぽかんとするライラを見、ヴェルネリは深いため息をついて前髪をくしゃっと握った。
「……そのお言葉をとても嬉しそうな顔で言われるものですから、文句も言えず……。ということで、今から何を作るのかは知りませんが、ユリウス様のお口に入るということを念頭に置いていてください」
「そ、その……いいの?」
「いいも何も、ユリウス様のご命令です。……まあ、あなたがユリウス様の召し上がるものに毒を入れるとは思っていませんし、事前の毒味もしてもらいますが。製作途中も……」
「わたくしが見ているわ、ヴェルネリ」
ヴェルネリの肩がとんっと揺れ、ライラのおつかいをしてきたヘルカが入ってくる。
彼女は食材が入っているらしい布袋を作業台に置き、怪訝な顔をしているヴェルネリを振り返り見た。
「あなたは忙しいでしょうから、わたくしがここにいる。ライラ様に限って滅多なことはないでしょうけど……ご了承ください、ライラ様」
「えっ、そんなのちっとも構わないわよ。疑われても仕方ないのは、分かっているし」
ライラは微笑んだ。ヴェルネリやヘルカからしたら、ライラがユリウスの食べるものに変なものを投入しないか、心配するのも当然だろう。
「こっちこそ、ヘルカも仕事があるのに振り回してごめんなさい」
「いえ、わたくしは側で見守るだけですので」
「ライラ様。そこにいるヘルカに調理を任せてはなりません。全てが『無』の味となります」
「あらら……ヴェルネリったら、新人時代の失敗談をライラ様に聞かれたいのかしら?」
「私は事実を言っただけだ!」
早速ヘルカとヴェルネリが仲よく喧嘩をし始めた。
「無」の味がどんなものなのか気にはなるが、今ばかりはヴェルネリの忠言に従った方がよさそうである。
ヘルカによってヴェルネリが追い払われた後、ライラはヘルカが持ってきてくれた食材を確認する。
「バター、小麦粉、砂糖と、卵……うん、全部あるね。ありがとう、ヘルカ」
「……わたくしには、これくらいしかできませんので」
遠い眼差しになって言うヘルカに突っ込む気になれず、誤魔化し笑いを返したライラは彼女が差し出したエプロンを身につけ、菓子作りに取りかかった。
小麦粉はふるい、卵は卵黄と卵白に分ける。バターは常温で溶かすのだが、ここですかさずヘルカが名乗り出て、バターの入ったボウルを手に持って魔法で温めてくれた。
「これくらいでよろしいでしょうか?」
「うん、ありがとう。これを滑らかになるまで混ぜて、砂糖と卵黄を入れるのよ」
バターの表面がとろりとしたところで木べらで混ぜ、バタークリーム状になったところで砂糖と卵黄を入れる。
卵白は角が立つまで泡立て、半分をバタークリームに入れて混ぜ、小麦粉を入れてから残りの卵白も入れる。あまり混ぜすぎず、卵白の気泡が残るくらいでやめるのがポイントだ。
「オーブンは温まっている?」
「完璧です!」
この屋敷のオーブンはライラの実家にあったもののような石炭を使うものではなく、なんと魔力によって温めるものだった。
中に魔力を溜めておけば非魔道士でも使えるそうだが不安なので、ひとまずヘルカに頼んで予熱してもらった。オーブンを完璧な温度にしたヘルカは、とても嬉しそうである。
生地をガラスの型に流し込み、天板に載せてオーブンに入れる。扉を閉め、ヘルカの指の一振りでオーブンがカリカリと音を立て始めた。一瞬不安になったがヘルカ曰く、「きちんと作動している証しです」とのことだ。
焼き上がるまで一時間ほど掛かるため、その間に洗い物をして、蒸留室で待つことにした。
「お菓子作りの資料、結構あるのね……」
本棚には、以前勤めていたというメイドが作ったらしい、手書きのレシピノートが数冊置いていた。
紐で綴じられたそれらは年季が入っており、しかもそれぞれのページをよく見ると、小さい字で日付や一言が添えられている。
「……これってひょっとして、前のメイドさんがこのお菓子を作った日付かな?」
「おそらくそうでしょうね。そして……添えられたこの一言は、菓子を食べた時のユリウス様の反応ではないかと」
ヘルカのほっそりとした指が辿る先には、「甘い方がお好き」「とても喜んでらっしゃった」「半分ほど残された」といった言葉が。
年老いたメイドが幼いユリウスのために菓子を作り、その都度彼の反応をメモしていた姿が、文字から伝わってくる。
「……とてもユリウス様のことを大切にされていた方だったのね」
「そうですね……わたくしは数度会った程度ですが、ユリウス様が七歳頃の時にバルトシェク家に引き取られた際、子守女中として雇われたそうです。当時のユリウス様は口数が少なくて感情の起伏に乏しいお子様でしたが、養父の方はもちろん、そのメイドからたくさんの愛情を受けて育たれたそうです。ヴェルネリも、彼女にはどうも頭が上がらなかったそうですよ」
「ふふ……そうなんだね」
背の高いヴェルネリが、小柄な老女に叱られてしゅんと項垂れている姿が簡単に想像できる。
どうやらヘルカも同じことを考えていたようで、二人顔を見合わせてくすくす笑った。
(それにしても……ユリウス様の過去、か)
十五年前、隣国オルーヴァの侵略に迎撃したミアシス地方国境戦で、レンディア王国魔道軍に拾われたというのは知っている。
そして、魔道の才能に恵まれていたためイザベラの弟であるバルトシェク家の者の養子になり、この屋敷を与えられたのだと。
(ユリウス様は元々病弱で、養父が亡くなってからますます籠もりがちになったとのことだけれど……その頃から魔力過多がひどくなったんだよね)
魔力量は先天的に決まる。ということは、彼は子どもの頃から多すぎる魔力に苦しみ、不自由な幼少期を送ってきたのだろう。彼が戦災孤児だというのも、何か関係しているのかもしれない。
だが彼は彼の能力を適切に判断してくれる家に引き取られ、養父やメイドたちに愛情を注がれて育つことができた。げっそり窶れ、夜もまともに眠れないという辛い日々を送ってきた彼だが、その心には優しさが溢れていることをライラは知っている。
(私も、ユリウス様の支えになれれば)
いい匂いがする。オーブンからガラス型を取り出し、ふっくら焼けた生地に串を通す。いい焼け具合だ。
ヘルカが魔法でほどよく生地を冷ましている間に皿などの準備をし、トレイに載せる。
(私にできる形で、あの方の心を癒やせたら)
ヘルカを伴い、蒸留室を出る。
三階のリビングの前では厳しい顔をしたヴェルネリが待ちかまえており、「おまえは手を加えていないな?」「喧嘩売っているの?」とヘルカと言葉をぶつけあっている。
(婚約してよかった、とお互いに思えるようになれば)
ヴェルネリがドアを開け、トレイを持ったライラは部屋に入る。
ユリウスはなにやら作業をしていたようで、テーブルに何かのパーツのようなものを広げていた。
だがライラを見るとぱっと顔を輝かせ、ヘルカの魔法の一吹きでパーツたちはそのまま舞い上がり、少し離れた床の上に着地した。
「お待たせしました。バターケーキをお持ちしました」
「ありがとう! すごくいい匂いだ……」
「では申し訳ありませんが、私が先に一口いただきます」
ライラがケーキを切っていると、ぬっとヴェルネリが覗き込んできた。直接的なことは言わなかったが、これがいわゆる「毒味」だろう。
(ま、仕方ないよね。それに、ヴェルネリの反応も知りたいし)
菓子作りができないらしいヴェルネリは、ライラの手製菓子を食べてどのように言うのだろうか。
ユリウスの目の前でけちょんけちょんに貶されないことだけは、願いたい。




