10(狐)
五時台の津軽海峡フェリーにちょうど間に合い、車を入れて2等船室、というかただの大部屋に転がりましたが、すぐに香織は外を見てくると言ってどこかに行ってしまいました。
香織はいつにもまして言葉少なで。表情は険しくて。
やはり、やらかしたらしいのです。
そうですね。いきなり縛って自由を奪ったのは悪かったのでしょうね……。いえ、自由を奪うのが目的ではなく、二人一組で機動的に動き回るためにその方が良かったということですが……言い訳にもなりません。私、その言い訳を、ちゃんと説明してすらいないのですから。香織の言うことを聞かなかったというのも、ゆっくり話し合う時間がなかったですし、まずは狩人からどう逃げるかが重要だと思ったからというのと、狼の状態の香織を説得するのは難しいだろうと勝手に判断したからですが、そうはいっても確かに、香織からすればずいぶん酷い扱いを受けたという感覚でしょう。
うん……。そうですよね……。
まずい……。
携帯電話が震えました。見れば、『みとはち』と表示されています。
「もしもし」
「やぁ、燈花ちゃん、いま話せるかな」
「いま自己嫌悪で忙しいです」
「ありがとう、話せるんだね」
「はい」
珍しい人から電話があるものです。みとはちさんとはそれなりに連絡を取っているのですが、いつもテキストだけですから。
「どう、香織っちとは仲直り出来た?」
「……はい。一応」
相変わらずいきなりすごいところに球を投げ込んできますね、この人。
「一応?」
「あのあと仲直りは出来たのですが、さっきまたやらかしました」
「やらかしたって」
「香織の気持ちを無視して暴走しました」
「駄目じゃん」
「駄目です。呪殺してもらって良いですか?」
「呪殺は良くない」
銃殺も良くない。
「でも一度は仲直りできたんだ?」
「はい。相思相愛です」
「自信ありすぎるだろう」
「みとはちさんに言われたとおり、全部お話しました。わかったんです。私たちは互いを知悉できない、だからお話しなければならないと。わかったはずなのですが」
また繰り返してしまって。
「でもさぁ」
楽しそうな声音でみとはちさんは言いました。
「また、話せばいいじゃない」
「え」
「相思相愛なんでしょう? 何があったのか知らないけどさ、燈花ちゃんに悪気がないのなら、説明して謝ればいいんじゃない。二人はもう、お話できるんだから」
みとはちさんの言うことはどこまでも当たり前で、言い方と言う人さえ違えば、私は勝手なことを言うなと反発したかも知れないくらいですが、けれども私は不思議と、それを素直に聞くことが出来ます。
「……はい、そうですね」
「実はさぁ、燈花ちゃんにお礼が言いたくって電話したんだ」
「はい?」
「香織っちにちゃんと話してくれて、ありがとうって」
「どうしてそれでみとはちさんがお礼を言うのですか」
「すごく勝手な話だけれどさ、それで二人が仲直りできることに、勇気づけられた、っていうか」
「はぁ」
「私は占い師だから、ときどき未来が見えるんだけれど」
突然の方向転換。
「前に大学の蛇塚の話と、そこに出る幽霊の話をしたでしょう。その幽霊に、祟り蛇に、襲われて打ちのめされて、死にかけて家に帰ったら、はるかがいなくなっている、そんな未来が見えたんだ」
はぁ。そう私が相槌を打つ間もなく、みとはちさんは続けます。熱に浮かされたような口調で。
「そうして一人になった私は、はるかに手紙を書くんだ。怖くて言えなかった、秘密を伝える手紙」
私は何と返事をすれば良いのか、わからなくなります。
「私が見える未来は、未来の私が過去の私に教えても構わないと思った情報だけなんだ。だからこれが見えたということは、未来の私は相当の覚悟だと思う。燈花ちゃんに偉そうにあんなことを言ったけれど、本当は私も同じで、はるかに言うべきことを、言わずに後回しにし続けてきた。秘密を秘密にし続けてきた。けれどそれでは、大きなツケを払うことになるって、そういうことなんだと思う」
みとはちさんはどんどん早口になり、息をつく間もありません。
「だから私も、はるかに本当のことを話そうと思って。それで結果がどうなるにせよ、先に燈花ちゃんにはお礼を言っておきたかったんだよね」
「あの、みとはちさん、大丈夫ですか?」
「え?」
「なんだかつらそうですが」
電話の向こうで、咳き込む音。
「ああ、ごめん。まだ喉の奥が痛くって」
「風邪ですか?」
「いや、だから蛇が……」
「蛇?」
「ああ、こっちの話で」
「みとはちさん、なんだか私、心配です」
急にお礼を言われて、よくわからないけれど何か重大な行動をしようとしていることを語られる、というのは、普通に考えれば少し、怖くすらあります。
「ありがとう、でも大丈夫」
「大丈夫なら良いですが……」
「シャワーも浴びたし、怪我の手当もしたし、勝負下着だから」
「黒ですか」
「いや、透明で黒のドットが入ってともすればタピオカみたいな模様」
「それは大勝負ですね……」
「一世一代、乾坤一擲の大勝負なんだ。ほんとに」
みとはちさんが眼鏡を上げるのが見えるような気がしました。
「……みとはちさん。私たち、似ているのかもしれませんね」
「なにそれ、愛の告白?」
「はい、急にみとはちさんが愛おしくなりました」
「お前は何を言っているんな」
「な」
「ああ、ごめん。まだ喉の奥が痛くって」
「噛みました?」
「いやぁ、喉の奥まで入られると、噛むこともできなくって」
「特殊なプレイは程々にしたほうが良いですよ」
「特殊なプレイではない」
「いえ、なんというか、そうやって勝手にいろいろ考えて、勝手に盛り上がって、勝手に決めてしまうの、それで勝負をかけてしまうの、みとはちさんと私は似てるんじゃないかなと思って」
電話の向こうで、みとはちさんが笑い出しました。私もつられて微笑んでしまいます。
「はは、そう言われちゃうと言い返せないな」
「でも大丈夫ですよ。私と違って、みとはちさんの勝負の内容は、草苅さんと話すことなんでしょう。だったら大丈夫です」
「そうだといいなぁ」
「二人はDまで行ってるんですから」
「Dって何」
「ドッペルゲンガー百合」
「洒落にならないからやめろ」
「大丈夫、のDです」
「大失敗にならないように頑張るよ」
そう言う頃には、みとはちさんの声から暗く切羽詰まった熱病の響きは消えて、いつもの堂々とした落ち着きが取り戻されているように思えました。
「ああ、あと、燈花ちゃんに謝らないといけないこともあるんだ」
「なんですか?」
「これからはるかのお見舞いに行くから。全速力で行くから。だからね、今日は代返、出来ないんだ。それを言おうと思って」
「え」
「香織っちにも謝っておいてくれるかにゃ」
「にゃ?」




