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終.龍の内臓に絵を描いた男

 血の洪水に呑まれながら、ティムルグは珍しく《夢》を見た。狩龍人にあるまじき、しかしつかの間の《夢》……

 それは幼い頃の光景だ。

 なんどもなんども彼の内側で(くすぶ)っている、あるひとつの原風景でもある。


 ……どこまでも高い空に、乳白色の雲が群がって、萌ゆる草木の狭間から、朝焼けの黄金色の光が差し込んでいる。

 なぜあのとき、朝早く起きようと思ったのかは、もう憶えていない。

 しかし、少年ティムルグは視たのだ。

 丘が風に吹かれて溶ける様を。

 龍の肉体が、虹色の粉となって天に舞う光景を……


 ──この原風景こそが、彼が狩龍人を志したきっかけであり、あのとき描いた壮大な絵でもあった。


 いま、その絵は血に洗い流されている。ドス黒い血があたり一面に、いや臓器の空白という空白を埋め尽くし、死を迎えようとしている。

 だが、ティムルグは不思議と安心していた。死ぬ覚悟が決まっていたからではない。恥ずかしげもなく語った《夢》のカタチが無に帰すのを喜んだわけでもない。ただその《夢》のカタチが、ようやく実現する瞬間が来ると直感したからだった。


 ──だったら、オチオチ寝ている場合ではないのだ。


 彼は目を覚ます。

 そこにはあのとき見た景色が、《夢》のように美しい景色が待っていた。南中しかけた陽光を受け、虹色に煌めきながら青空に舞って、《夢》と現実をまたぐ橋のように延びていた。それはしかし、完全に架かることなく端の方で消えかかっており、不完全なカタチであるというよりは、高くそびえる理想のすがたのようにも見えた。だからこそ、その光景はティムルグの背筋を正すのだ。自分自身が、決して終わりの見えない道の途上にあることを常々感じるために。

 力を振り絞ってからだを起こす。

 全身にヒビでも入ったかのように、動くのが億劫だった。しかしその苦痛こそが、生きている証だと思えた。


 青い青い空の真下で、そこには全てが《夢》であったかのように、何もない平原が広がっている。集落も、オランも、イスカルもまたもともと存在しなかったかのように何ひとつない。

 彼らは逝ったのだ。空の彼方に。

 そしてそれでいいのだ。

 今日もどこかで《夢》を育むもののために、《夢》を喰い、その上に胡座をかく人間を放置してはいけなかった。喰われた《夢》も、せめてもの償いとして空の彼方で美しい景色へと変わればいい。さもなくば、報われない。


 あのとき、なんで絵を描こうと思ったのか。ティムルグは少しだけ振り返ってみる。自分自身のいつか抱えた《夢》を、いまでも見たいと思う峰の彼方の原風景を、カタチにして残しておきたいとねがったからなのか。龍の内臓に毒を塗った男の脳裡に過ぎるのは、しかしほんのちょっとした懐古趣味なのではなかった。

 喩えるなら、それは再確認だった。

 自分を見失わず、まだまだ先にある世界に向けての、点検作業のようなモノ……ティムルグ自身がどこから来て、やがてどこに向かいたいのかの、意志の再確認だったのかもしれない。


 ──いずれは、振り返らずに済むことがあるのだろうか?


 彼は自問する。

 いずれは振り返らずにいられる人間でありたい、とねがう。しかしそれはねがいに過ぎない。将来のことなど誰にもわからない。だからきっと、いつまで経っても振り返るだろうし、そしてそこから出発点を見比べて、自分がヘンなところまで来たのだとわかるのだろう。そしてまた迷ったら、あの原風景が見たいからと再確認して前進するのだろう。


 ──だから、おれは狩龍人なのだ。


 痛むからだを引きずって、彼は歩く。

 そして現実に帰るのだ。

 《夢》視る時間は終わった。

 だから普段の狩龍人のように、彼は《夢》を見ずに龍をまた殺しに行くだけだ。それでもいい、と彼は思う。その先にあるモノを考え、ティムルグは高揚感とともに笑みがこぼれるのだった。


 狩龍人は夢を見ない。

 なぜなら夢のような現実を見るからだ──

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