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6.龍の体内

 加速しながら、落ちてゆく。

 地上の声に叩き起こされた蟲たちは、みな怒って地上に出る。そしてしばらくは集落のモノに注意を取られるだろう。


 ──ならば、その隙に空いた体内を避難所にするというのはどうだろうか。


 ティムルグのアイデアというのはそういうことだった。

 しかし、やり遂げたと同時に無謀なことこの上ないと反省もしていた。


 こんな落差を落ちて、生き延びられない……と薄れかけた意識が思考する。蟲に喰われて死ぬのと、龍の内部に叩きつけられて死ぬのと、どっちがマシだろう、なんて思いつつ、彼の意識は途絶えた。


 ……そして、目が覚めた。

 やはり《夢》を見なかった。

 だが生きていることがわかった。

 しかし喜んでいいのか、わからなかった。


 柔らかい闇の底から、からだを押し上げる。いままで体内に七度入った。小型のモノを含めれば十数体は殺しているベテランの狩龍人(かりゅうど)だから、すぐに目も慣れる……

 するとそこには、赤黒い血の流れを抱えた、肉の壁が視界いっぱいに広がっていた。いつもの光景ではあったが、神話級の大きさともなると、中央にあるドームにも匹敵する。そのどこもかしこにも《夢》の栄養素を含んだ血が流れているのだと思うと、ティムルグは不思議な気持ちになった。


 ティムルグは、いま、ここにいる。

 そしていま、ここにいるがゆえに、《夢》を見ることはない。《夢》の作り出した巨大な光景の前に(たたず)みながらも、彼は正気を保ったまま、いや保つように訓練されてきた。


 イスカル博士は《夢》に囚われ、そしてそれゆえに《夢》を喪った存在であった。現実の有り様に失望し、新しい《夢》を育むために龍に住むようになった。

 しかし、ティムルグ──狩龍人はどうなのだろう。

 自分はなぜ龍を狩るのか?

 いままで当たり前のようにそこにあり、そして当たり前のように殺してきた。それはティムルグが生まれるよりまえに、イスカル博士が発見した成果があったからだ。《夢》を奪い、育つという龍は、ヒトの精神を蝕むのだから、という研究結果があるからだ。


 だが、《夢》を取り返すために龍を殺し、そして龍を殺すために《夢》を失くす、という構図はどこか矛盾していた。そのことはなるべく考えず、ただ黙々と任務を遂行するようにしていたのだ。


 ──いや、ちがう。

 ティムルグは首を振る。

 少なくとも、ティムルグにも《夢》があった。それは叶っている。狩龍人になるということ。狩龍人として龍と戦うこと。そして……


 ふと、幼い日の光景を思い出す。

 彼が狩龍人になりたい、とねがったきっかけとなった光景を。

 その光景が、ティムルグにふたたび力を与えた。彼は立ち上がる。そして、先の見えない暗がりに向かって歩き出した。


 喩えるならば、そこは肉の樹海だ。

 どくん、どくんと赤黒い枝葉が脈打つ中をティムルグの足は踏みしめる。ところどころ滑りやすくなっており、その表面には蟲が宿っていたと思わしき粘液の痕がある。

 気孔から落ちたことを考えると、ここは人間で言うところの肺に相当するはずだ。しかし夢霞(ゆめがすみ)──《夢》の残滓(ざんし)を吐き出す場でもあるここは、消化器官にも通じていることが窺える。()えた匂いは全くしないが、それは《夢》を消化するために酸が要らないことを示しているのかもしれない。


 だが、歩いているうちに、ティムルグはそこかしこに硫黄のような腐臭を感じるようになった。見ると、赤黒い肉の一部が、(ただ)れたように壊死(えし)している箇所があった。

 それもひとつやふたつではない。

 深奥に進むごとに、増えてゆくのだ。

 普通、龍は老化や病気に(かか)ることはない。永住地を決め、微動だにせずひたすら《夢》を吸収し、大きくなるだけの存在なのだ。人間や他の生物なら床ずれなどが起きる、と思われるのだが、その現実の常識を外れた生き物こそが龍なのだ、と解釈されている。

 その龍が、病んでいる。

 ただごとではない、と感じた。


 ──やはり龍も現実の生物と同じだったのだろうか、それとも……


 ふと、イヤな予感がした。

 しかしそれはないはずだと妄念を振り払うと、ティムルグはなおも前に進む。

 目指すは心臓、彼は狩龍人である以上、龍を殺さねばならない。


 と、そこに彼は闇の向こうに丸い影があるのを感じた。蟲か、と思ったが、そうだとしても、なぜか襲ってくる気配がない。

 危険を確認しながら、彼は近づく。

 そしてその正体を見たとき、彼は悲鳴を上げたくなった。


 それはオランの肉体だった。

 まぎれもない、オランの顔だったのだ。

 しかしそれは呼吸をしていない。さながら胎児のように、膜の中に膝を抱え、(へそ)の緒が繋げられているのである。

 ハッと気がついて、他のところに目を光らせると、他にもあった。まるで瘤かカマキリの卵ようにあちこちに張り付いて、養分を奪い取っているようにも見えたのだ。

 そのひとつひとつを改めると、先ほど気孔に落ちる前に見た顔ぶれが、チラホラと見える。中には女性や子供のそれもあった。ティムルグは見てゆくうちに、次第に吐き気を催しそうになっていた。


 ──ああ、これがイスカル博士の答えなのか。


 彼は最後にようやく見出したそれを見て、思った。

 そこにはイスカル博士の若々しい肉体があった。肖像画で見たことのある、あの顔が膝を抱えて液体の中に浮いている。


 イスカル博士は、ようやくヒトと龍とが共存する道を見つけた、とあのとき言っていた。そのときはただ集落のことを指しているのだと思ったが、ちがったのだ。

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「……長年を掛けて得た答えがそれなのか」

 とティムルグはいつしか想いを言葉として吐き出していた。それは怒りであり、悲しみでもあった。

「龍を愛するがために龍そのものを喰い物にする生き方を発明するなんて……何が素晴らしいというんだ。それはまさに狩龍人が《夢》を取り戻すために《夢》を忘れるのとまるで同じではないのか……ッ!」


 だが、怒りの声は肉に吸い込まれて消えてしまった。

 あとには非情な沈黙だけが残される。

 言葉だけではダメなのだ。

 糾弾の言葉に意味がないとは言わない。

 しかしそれだけでは、この龍に寄生した人間たちの有り様を変えることはできない。だからティムルグは決意した。持ち出した荷物を紐解き、いま、このときのために用意した全てを、使うことにしたのだ。


 龍を、そして寄生したヒトを殺すために。

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