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4.ここにいる理由

「とんだ時間に失礼した。しかし急を要する要件だったので、お邪魔させてもらった次第だ。話はできますかな?」


 長老の様子にとくにこれといった変化はなかった。何かを責めようとか、敵対視しているわけではないらしい。

 ティムルグは身を起こし、月明かりに映える長老の目を捉えた。そして、頷く。


「では、失礼……」

 と、長老はまず腰を下ろすと、オランを見て、席を外すよう言った。ここはオランの家だというのに、意外にも彼は素直に従った。

 やがてふたりきりになると、長老はティムルグの顔をジッと見据えた。まるでウソは吐かせまいと内心まで睨み通しているようだった。

 ティムルグが先に口を開く。

「どうしたんですか、その用事というのは」

「ウム。あなたがここに来てから、もう二日が過ぎておりますからな。いろいろお尋ねしたいことがありまして」

「と、申しますと?」

 長老は少しだけためらった。

 しかし再びティムルグの眼を見据えると、長老はハッキリと野太い声で言った。

「まず、あなたはこれからどうなさるおつもりですかね。この集落にいつまで留まるのか、それとも出発されるのか……」


 ああ、とティムルグは唸った。

 長老の真摯(しんし)な表情の意味がわかったのだ。


 もともと龍の背中の環境は決して楽なものではない。ゆえに、客人(まろうど)を養わせる余裕もそこまでないぞ、と言いたいのだろう。昼間の冒険を知ってるのかどうかは知らないが、常識知らずの人間にうろちょろされてしまえば、いずれは蟲に気づかれ、集落そのものの未来も危うくなるかもしれない。

 だとしたら、集落を出て、本来の目的地(それこそここなのだが)に行ってもらうほうがきっと望ましいにちがいない。

 たしかに狩龍人としての任務を全うするならば、さっさとここを出たほうが無難ではある。しかし、ティムルグはこの村にまだ興味があった。


「申し訳ないが、あと二、三日は居させてほしい。なにせせっかくの龍なのだ。龍の景色なんてまたとない機会じゃないか……」

 だから彼は芸術家気質を装って、滞在期間延長を望んだ。しかし、長老の応答は彼の予想とは異なっていた。

「ああ、理解はしてやれるとも。だがこのまま旅立って、それでよいのですかな?」


 疑問形の意味がわからず、ティムルグは眉をひそめる。

 その沈黙を良いことに長老は続けた。


「仰るとおり、あなたはまさに奇跡の舞台にいる。どういうわけかは知らないが、たまたまひと気のないこの北方に出向いて、偶然龍の背中に登ったわけでしょう?

 私は芸術家の魂を詳しくは存じませんが、こんなチャンスは他の方には絶対降りてきませんよ。きっとあなたのお知り合いならこう言うはずです。まるで夢のようだ! とね」


 だからティムルグ殿、あなたもこの集落の住人になったらいかがでしょう?


 最後に放たれたこの言葉だけが、どこか浮いていた。それでいて、これが長老の本当のねらいのようにも思えた。


 ──おれを、試しているのか?


 オマエはわれわれの敵か味方か、と。

 そう尋ねられている気がしたのだ。


 ここでまちがった選択を取れば、殺されるような気がする。

 だから、ティムルグはあえてこう言った。


「待ってくれ。おれは怖いんだ。この集落にいる間は無事でいられる、それは確かだろう。しかしいつまでも確実に安全だと言う保障は、どこにもないはずだ」

「ああ、まさにそうじゃろう。現にわれわれは蟲の脅威に怯え、ひっそりと暮らしている。ムリに仲間になれ、とは言わんよ。しかし、こういう絶好の機会を目の前に、見逃してしまう芸術家もこの世にいるのか、と思ったまで」

「それは侮辱だッ! たとえ芸術家であっても、一個の人間には変わりがない。むしろその豊かすぎる感受性のために、現実の世界を他人よりも強く受け取り、恐怖することだってある」

「たしかに。それは正論だ。しかしその恐怖を克服してこそ、手にする価値はあるモノを目の前にされてはいないでしょうか? 芸術家のもたらす価値とは、まさにその一個の人間が感じ取れる以上のモノを、この世にもたらすことではありませんかな?」


 ──これじゃあ堂々巡りだ。


 明らかに長老は誘導している。まるで一度取り込んだ獲物を離すまいと、手練手管の限りを尽くそうとする肉食獣のようだった。

 この集落の存在を他に知られたくないのだろうか。それとも……


「ならば、おれからも訊かせてもらいたい。そもそもあなた方はなぜ龍に住んでいる? いくら物好きだとはいえ、他に住むところはあるはずだ」

「結構、結構! 質問を質問で返すとはな……」

 長老の目の色が変わったのを、ティムルグは見逃さなかった。まるで罠に掛かった獲物を見るような目つきだ。

 しかし長老はまだ仕掛けない。

 冷静に、笑顔で言う。

「だが答えよう。なぜわれわれが危険を冒して龍の背中に住んでいるのか? それは、龍こそがわれわれの生きる糧をもたらすからだよ」


 ティムルグは絶句した。

 そしてもう一度問う。


「……なんだって?」

「端的に言えば、われわれ自身は《夢》を喪った人間なのだよ。だから龍に喰われることなく平穏に過ごしていられる。

 しかし龍はヒトの《夢》を喰ってばかりではないのだ。逆に龍は、その周囲の人間に夢霞(ゆめがすみ)というカタチで《夢》を配り、心虚ろとなった人間に活力をもたらす存在となる」


 何も《夢》を喰らい、ヒトの心を粉々に砕くのは龍だけではない、と長老は言う。

 例えば、ティムルグを泊めてくれているオランは、かつて親友とともに中央で玩具屋を開いていた。しかし借金を背負っていたその親友に裏切られ、路頭に迷い、深く絶望したのだ。心の糧を奪い、現実に《夢》を見れなくなった彼は、やがて龍に惹き寄せられた……

 オランだけではない。

 みな何かしらのカタチで《夢》を砕かれ、現実を見失い、龍に呼ばれたのだ。ここではないどこかへ──そのねがいが、《夢》を喰らう流れの果てにある龍へと導いたのだ。


「……ということは、あんたもそのクチってわけかい、()()()()()()

 最初はカマを掛けたつもりだった。

 しかし長老は目尻にシワを寄せた。

 笑っているのだ。

「ほほう、わかっていたか。いかにも。ワシはかつてイスカル・トリバニーニと呼ばれていた人間だ」

「まるでいまはちがうって言いたげだな」

「そうなるな。なにせワシもヒトには絶望したからのう。単なる龍への関心が、ヒトと龍の対立を決定的なモノにしてしまったのだからな……」


 ヒトの《夢》を喰らう龍。

 その生態を明らかにしたことで、すでにあった対立構造に必然性を加えてしまった。たしかに、もともと龍は存在し、趣味的に殺されることはあった。しかし本格的に「殺さねばならぬ」となったのはイスカル博士の調べ上げた成果が原因だったのだ。


「ワシは龍を愛していた。大好きだったからこそ、知りたいと願っただけなのだ……そしてその生態の不思議さについて共有したかっただけだというのに、ヒトは、恐ろしさゆえに拒絶し、殺すべしと言い出した」


 ティムルグは黙っていた。

 その絶望を想像し、言葉に詰まったのだ。

 興味を抱き、愛と好奇心を極めた末の発見が、その対象を殺す題目に挿げ替えられたときの深い悲しみと、失望と、怒りを……


「だから、二十、いや三十年。ワシはこうやってヒトと龍とが共存する生き方を模索し続けた。そしてようやく見つけたのだ。それを、()()()()()()()()()に妨げられるわけには行かないのだ」


 ティムルグは思わず立ち上がった。

 そして全身から冷や汗がドッと湧くのを感じたのだった。

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