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3.探索

 遠くで、蟲たちのざわめきが聞こえる。

 しかしすがたは見えない。

 薄紅色の霞に覆われているからだ。


「……夢霞(ゆめがすみ)、か」

「えッ、なんですかい、旦那?」

 ふと呟いた言葉をオランに聞かれたので、慌ててティムルグは取り繕う。専門用語を知っているとわかれば、自分の身が危なくなる。

「いや、噂には聞いていたが、初めて見たんだ。龍のからだは霧を生み出すと聞いていたのだが、本当にあんな色をしてるなんてな……」


 あの薄紅色は、《夢》の残滓だと言われている。龍が食し、消化しそこなった食べカス……いわば、げっぷに似ている。

 それらは気孔を通して外に飛び出し、龍のからだを包む霧として広がる。しかし夢霞は時間が経つうちにただの霧と同じように白くなるため、薄紅色のそれは、よほど気孔に近くないと見ることができない。


 そして、驚くことにその夢霞に蟲たちが群がっている。飛龍蟲(ワイバーン)と呼ばれる翅付きのものしか視認できないものの、大きな口を開閉しているところを見ると、食べているのだろうか。

 オランにそう尋ねると、彼は頷いた。


「共生者の食べ物は龍と同じさァ。ただ、龍ほどがっついてねェし、龍のおこぼれをもらうだけで別にヒトの心にどうこうするわけじゃねェらしい」

「……それも長老殿の調べ物の成果なのか?」

「あたぼうよ。長老様はなんだって知ってるんだぜ」


 どうやら長老は、集落中の絶対的な信頼を寄せているらしい。

 知識を持っているのだから当然と見るべきなのだろうか。


 そう思いながら、ティムルグは探索に発つ直前の長老の様子を思い出す。

 (よわい)はおそらく七十近く。しかしその立ち振る舞いはいまだ壮年のように矍鑠(かくしゃく)としており、声も野太く力強い。

 その長老は、ティムルグの龍背探索のねがいを聞くと、おおらかに笑って言った。


「やはり絵師であるからには、珍しい景色に興味がおありのようだ。しかしわれわれとて、やっとここいらに住まうので精一杯な龍背なのだ。ひとりで行くには危険すぎる」

「ええ、オランにも言われましたよ」


 ティムルグは最初、オランに言ったのだ。

 しかしオランは、危険だから自分が案内すると申し出た。集落の仕事は大丈夫なのか、と訊くと、彼は笑って長老様にひと言伝えておけば問題ない、と答えた。


「やはりそうだろう。オラン、ぜひともこの客人を案内しておやりなさい。しかし、あまり危険なところには連れて行かないように」

「もちろんでさァ」


 一見すると優しさのようではある。

 しかしティムルグは、内心で歯噛みしていた。身分を偽った手前ひとりで歩けないとはいえども、これは監視を付けられたのに等しいのだ。もしうっかりボロを出し、怪しまれでもしたら、どうなることか……


 そうしてこうして、現在がある。

 オランは監視役と言うにはあまりにも人懐っこい感じがある。けれども長老に対する忠誠心は圧倒的だ。ヘタなことをすれば、すぐに手のひらを返されるような気がしたので、とりあえずは連れられるがままにあたりを見て回っていたのである。


「どうでえティムルグの旦那よォ。中央じゃこんな景色とんと見れねえから、すっかり見惚れてるなァ?」


 オランは自慢げに言っていた。故郷を自慢できる機会なんてそうないのだろう。だからなのか、とても楽しそうであった。

 そこでティムルグはある策を思いついた。気孔に近寄るために、あえて無知を装って、わがままを言えば通じるのではないか、と。その旨を伝えたら、オランは戸惑った。


「え? いやァ、それはあかんですよ何より蟲がいる。危険なことはやめてくれ、て言われてンだから……」

 反応は上々だ。

 ティムルグは念を押す。

「いや、オラン。ダメだ。おれはあんなのを見たら最後、とことん見ないと気が済まない! 今生のねがいだと思って、おれに気孔を見せてくれ!」


 オランは心底困ったように、空に目線を泳がせていた。

 いい調子だ、とティムルグは拳を強く握る。あともうひと押し、退()()きならぬところまで押し込めば、彼は陥落できるだろう。

 だからティムルグは行動に移した。

 さながら業を煮やしたように立ち上がる。


「ええい、案内せぬと言うならひとりでも行ってやる。異界の景色、なんとしてでもおれのモノにしてやる……ッ!」

「わかった、わかった!」


 ようやくオランは折れた。

 ティムルグが勝ったのだ。


「いいぜ、仕方ねえ。だが、これは長老様の約束に違反するんだから、どうかヒミツにしてくれや」

「もちろんだとも。むしろこちらから言いたかったぐらいだ」


 こうしてふたりは気孔に向かった。

 さいわい、夢霞は出て来る時間の周期がある。さっき出たのなら今から行けばなんとか安全な頃合いにはなるだろう、とオランは言っていた。

 とにかく気孔に入って殺すことばかりやってきたティムルグには、その点で興味深い話が多かった。龍にまつわる生態系は、その危険性もあって謎に包まれてばかりいたのだから。


「んなァ、でもティムルグの旦那よォ。思わぬところでいい素材があったけんど、もともとアンタ、どうしてこんなへんぴなとこ来たンだァ? 言っちゃなんだが、物好きや酔狂だけでは来れねえぜ?」


 と、ここでティムルグは言葉に詰まった。

 持ち物に関する辻褄合わせしか考えていなかったのだ。

 慌てて彼は頭を回転させ、ふと、北方にある幻想的な景色のことを話した。それは氷の大地から見える、空にかかる七色のカーテンについてだった。


「だが、道中でまさか龍に登るとは、思いもよらなかったよ。まぎれもない幸運だろう」

「んだんだ」


 やがて、蟲の気配を見ながら、彼らは気孔の近くまでたどり着いた。それは山の奥にぽっかり空いた穴であり、さながら小さな火山の火口に似ていた。

 いつもならここからロープを伝って降り、鉄杭を撃って龍を殺害したものだ。しかし今回は少しちがう。場所を確認するという、それだけの目的だった。


 だから、しばらく散策し、陽も傾いて来た頃に、彼らは帰路に着いた。

 その道中は黙々と進んでいた。蟲の気配を気にしていたのはあっただろう。しかしティムルグは歩きながらオランの醸し出す得体の知れない気配を感じ取っていた。

 オランは、気まずそうにしていた。

 まるでうっかりやらかした悪戯をどう報告したものかと悩んでいるようだった。じっさいそうだろう。長老の禁止を破ってしまったのであるから。


 やがて、集落に帰り着くと、おのおのは炊事の煙を上げている頃だった。


「遅くまで付き合わせてすまなかった」

「いやいや、とんでもねェ。旦那が楽しかったなら、おらァ満足だぜ」

「ああ、本当に満足のゆくものだった。ありがとう」


 ──しかし、どうしたものか。


 もちろん龍は殺した方がいい。殺すことこそが彼の目的なのだから。

 しかし、《夢》を喰われないままに生きるこの集落の存在は、ヒトと龍の関係を見直すための重要な素材となるだろう。だったら、なぜこの集落ができたのか、そしてどうして成り立っているのかを詳しくまとめ、レポートにすることで人類に新しい道が切り拓けるのではないだろうか……


 そうして考え事をしながら、ティムルグは夕餉を食し、夜を迎えた。そして寝床に着いて、明日をいかに過ごそうか考えていたところに、来客があった。


「こんばんは、ティムルグ殿はおるかな」


 それは、長老だった。

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