Ordinary Men(closing)
(注意! 第3エピソード・16話を一挙更新しております。
ここから読んでしまった方は、一度目次にお戻りください)
フント・デス・モナーツの地下に降りると、なんとも言えないけだるい空気が漂っていた。今回の一件は、チーム全体が解決のために一丸となって動いたというわけではないが(なにせアイン嬢に至っては顔も見ていない)、それでもなんのかんのと協力してもらっている。それが結局「国際的な暗黙の合意に基づき捜査中止」ということになると、さすがに「やってられっか」感も漂おうものだ。
だが、本当に何もかも負けた、というわけではない。少なくともレイチェル女史は「レンバッハ軍曹」なる人物が架空の存在であり、「中の人」は別人であったことを証明してみせた。それを証言してくれる人物は共和国に奪われてしまったが、少なくとも真実の一部は明らかになったのだ。
このことは〈月の犬〉のモットーである「真実のために」を顧みれば、十分な成果と言えるのではなかろうか。
そんなわけで僕はまず、安ワインをラッパ飲みしているベアトリーセ様に話を持ちかけることにした。いつもなら絶対に近寄ってはならないモードに入っているベアトリーセ様だが、今回の事件の政治面における敗戦責任を一手に感じているのか、飲むペースが普段よりずっと遅い。これならば、まだなんとか話が通じるのではないだろうか。
「ベアトリーセ様、報告したいことがあります。
少々、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
僕がそう話しかけると、ベアトリーセ様は無言で椅子を指さした。ご下命のままに、着席する。するとベアトリーセ様はボトルを机の上に置いて、僕に頭を下げた。
「すまなかった。私がもうちょっと踏ん張れていれば、勝機はあったと思う。
これは私の直感に過ぎないが、今回の事件からは途轍もない悪臭がする。放置しておけば、帝国軍全体を蝕む可能性すらある、巨悪の臭いだ。
その尻尾が垣間見えたというのに、私の主戦場たる政治の場で完敗するとは、情けなくて涙が出る」
お、おおう。いやいやいや、ちょっと。ちょっとマジでやめてください。まずは頭を上げてください。ほんと。マジで。格式で言えば帝国でも上から何番目かのマーショヴァー卿が、平民に頭下げてるだなんて、たとえ〈月の猟犬〉の地下アジトとはいえ、本気で心臓に悪いです。あーいやだから泣かないで。もういい大人でしょ。さんざん貴族社会のドロドロとやりあってきたんでしょ。そんなに打たれ弱くてどうするんです。はいほらボトル持って。飲んでください。そういい感じ。お酒は楽しく飲まなくちゃ。
「……すまない、取り乱した。
では恥ずかしがらず、胸を張って、自分の仕事をするとしよう。
皇帝陛下の御名の下に、ナギー・エーデシュ少尉に命ずる。レンバッハ軍曹殺人事件、およびレンバッハ軍曹疑獄については、今後一切の捜査は行われず、行ってもならない。
命令は以上だ」
堂々たる皇帝命令が下された。これでもう、僕にはレンバッハ軍曹関係の捜査はまったくできない。僕がどんなに反骨精神を発揮したいと思っても、これ以降の僕の捜査は、ベアトリーセ様が管理責任を問われる反逆行為となる。それは、僕には、できない。
でも、それは僕みたいな平民の限界だ。マーショヴァー卿ともなれば、話は変わるはずだ。たとえ、再捜査というラインにまで到達できなかったとしても。
「実はその件で、お耳に入れたいことがあります。
念のために確認ですが、本日我々が確保し、やむなく共和国大使館に保護を委託した証人について、レイチェル女史から報告はありましたか?」
怪訝な表情で、ベアトリーセ様が首を横に振った。
「レイチェルは『詳細は後で』と言い残すと、証人をここに置いて大使館に向かったと聞いている。そして私自身は、今日はレイチェルと会っていない。
そういえば、気にはなっていた。あの証人は、何を知っていたんだ?」
僕は要点をかいつまんで、レンバッハ軍曹に関する真実を語った。僕の話を聞いたベアトリーセ様の表情が、みるみるうちに明るくなる。
ベアトリーセ様は僕の両手を掴むと、ぶんぶんと上下に振り回しながら叫んだ。
「でかした! 素晴らしい! でかしたぞ!
念のために確認する。最重要証人は共和国が確保。だがこちらには軍医とエンバーマーが残っているな? あのレイチェルが2人をケアしていないはずもないが、保護を急ごう。
その2人では証言として不十分だと? 構わん! この手の臭い工作をするクソ野郎どもは、こちらにまだ切り札があると察知した途端、怯えきって動きが鈍るものだ。
いいか少尉、あの手のインテリ気取りの凡俗どもは、失う可能性をより大きく見積もってしまうものなのだ! よくよく肝に銘じておき給え!」
……はい、そうですね。
なんだか記憶の隅っこのほうでソーニャ嬢がクツクツと笑ってるけど、絶対に思い出してやらないことにする。
「よし、もう涙酒に浸っている場合ではないな!
素晴らしい報告だったぞ、少尉! 褒美にそのワインはくれてやる。楽しめ!」
ボトルに半分ほど残った安ワインを放置して、ベアトリーセ様は突風のように去って行った。1つめのタスクは、これにて完遂。
さて、次だ。
今回の事件の中で、僕はどうしてもシュネー嬢に確認したいことができた。聞くならシュネー嬢かソーニャ嬢だろうというテーマなのだが、ソーニャ嬢にこれを聞くのはあり得ないし、彼女はまだこの場に戻ってきていない。
なのでタイミングを見計らってシュネー嬢に質問したいところなのだが……シュネー嬢は相変わらず、テーブルの上に広がったトランプとにらめっこをしている。
うん。これはもう、聞いて良いよね。さすがにこの状態でシュネー嬢が仕事中ってことはあり得ないよね。よし、聞こう。聞くぞ。
ちょっとだけ、呼吸を整えて。
「1人で感想戦を満喫しているところに、失礼します。
どうしても、分からなくなったことがあるんです。教えてもらえませんか?」
シュネー嬢はフードの奥からちらりと僕を見て、不機嫌そうに頷いてから、またテーブルに視線を戻した。
「質問は、1つだけです。
『普通』って、何なのですか?」
僕の問いに、シュネー嬢は「ふむ」と小さく嘆息した。そしてテーブルの上に散乱したカードを手早くひとまとめにすると、なかなか器用にシャッフルする。
「いいだろう。カードを用いた数理モデルで説明しよう。
まずは……」
シュネー嬢がそこまで言った段階で、上空からけたたましい怒鳴り声が響き渡った。それに応射するかのように、別の怒鳴り声。あれはトリーシャ嬢とベラ嬢の声だ。
……これはあくまで推測だが、ベラ嬢はストラーダ一家から借りた車を返しに行き、トリーシャ嬢はそんなベラ嬢の帰路を迎えに行ったのだろう。トリーシャ嬢にとってベラ嬢は、いろんな意味で最愛の妹なのだから。
でもそこでまた何か、姉妹喧嘩を誘発する事案が起きた。かくして2人は謎の語彙力を駆使して罵り合いながら(「ファールン王国軍が有する罵倒語のボキャブラリーを上回れるのは、カレドニア連合王国の日常会話だけ」とはよく言われる)、ここまで戻ってきた。
そういうのは、おうちでやってください。
でもシュネー嬢は、あの姉妹喧嘩に何か素晴らしいものを見いだしたようだ。こういうところが、本当にこの人の分からないところだ。
ともあれシュネー嬢は機関銃のように罵り合う2人を、無言で呼び寄せた。鍛え上げられた戦士として即座に異常を感じ取った姉妹は、緊張しきった笑顔を張り付かせてシュネー嬢の前に出頭する。
「トリーシャ。ベラ。最近、口論が多いようだな」
シュネー嬢の天使のごとき声でこういうことを言われると、魂がざっくりと切られたような痛みを感じるものだ。案の定、姉妹はぐっと言葉に詰まった。
「勘違いしてもらっては困る。諸君らの戦闘能力が、この程度の超絶ウザったい、TPOという概念すらわきまえない、発情した猿がキーキー叫びあう程度の口論で、損なわれるはずはない。その点について、私は全面的に諸君らを信頼している」
うわ、隣で聞いてるだけでもキツいです、これ。
「私が心配しているのは、予定では半月後に上の店の改装工事が終わり、少尉のプロデュースによるお披露目公演が行われるということだ。
古いことを蒸し返すのは私としても心外なのだが、トリーシャは閉店記念公演で負傷している。同じことがお披露目公演でも起こってしまわないかという懸念は、管理者側としては捨てられない」
ちょっと! なんでそこで僕まで撃つんですか!?
でもそこは流石の元ファールン王立猟兵隊員。素早く士気を回復させた2人は、一斉に抗弁した。
「あれは老朽化した施設が原因の事故だよ、シュネー。お披露目公演では起り得ない」
「それにお披露目公演であたしたちがやるの、お芝居だもん。あんな怪我をする要素はないよ!」
シュネー嬢は無情にも、2人の抗弁を踏み潰した。
「怪我? 諸君らは何を言っているんだ?
私が懸念しているのは、技芸を披露する場において、諸君らのコンビネーションに問題が生じることだ。閉店記念公演の事故だって、諸君らが客を置いてけぼりにして、自分たちの世界に浸りすぎたのが直接の原因だろう?」
思わず笑いそうになるくらい、双子姉妹が同時にうなだれる。
「技芸は、我々にとって重要な隠蔽だ。
そして〈月の猟犬〉の責任者である私が、技芸の領域においても脚本家として働くことは、諸君らも同意したと記憶している。異論は?」
双子姉妹は、同時に首を横に振った。
「ならば演技指導に従ってもらう。
トリーシャとベラは、オスカーとアンドリューとして、クライマックスの抱擁シーンをいますぐここでやってみせろ。完成度次第では、私にも考えがある」
執事アンドリューと、男装の騎士オスカー。大衆演劇では定番のラブロマンスだ。お披露目公演では2人の愛が成就するただ一夜の直前を、抜粋で演じることになっている。
脚本家の命令を受けた2人は、互いに目配せすると、するりと互いの腰を抱き、ポーズを決めた。視線は2人とも正面。大輪の華が開いたかのように、空いた腕は左右に。オスカーは足を一歩前に。お見事。
シュネー嬢も2人が取ったポーズに納得したようで、大きく頷いた。
「ちゃんと稽古しているようだな。安心した。
本番まで、いまの気持ちを忘れないように」
厳しさと怖さに定評のある脚本家から事実上の満点評価をもらった双子姉妹は、心の底からの笑みを浮かべると、手に手を取って目配せして――それから急に、互いに妙に居心地が悪くなったような表情を浮かべて、何かモゴモゴと口にした。たぶんあれは、ファールン語の「ごめんなさい」だ。
それから2人は、なおもちょっと具合が悪いような表情のまま「ちゃんと反省してきます」とかなんとか宣言すると、足早に地上への階段を駆け上がっていった。
なんだあれ。
思わず首を傾げた僕に、シュネー嬢が謎解きをする。
「少尉も薄々気づいていると思うが、アンドリューとオスカーの愛のポーズは、愛し合う人間が取る姿勢としては明確に異常だ。絶対にあり得ない、とまで言える。だが観客はそのポーズを見て、2人の間には神ですら断ちがたい愛が燃えていることを認識する。
観客の熱狂は、舞台に立つ側にも伝播する。あの2人について言えば、あの愛のポーズは十八番だ。これまで何度も何度も客前であのポーズをして、客からは『深く愛し合っている2人を見る目』で見られてきた。だからああやって愛のポーズを取れば、2人の身体は自動的にその体験を呼び覚まさせる。
アンドリューとオスカーの愛は、まったくの架空だ。だが一定の形式を踏むことで、それは現実の愛として認識される。しかも、もとよりトリーシャとベラは互いに深く愛し合っているんだ。架空の愛を現実の愛に変え、それを経由して自分たちの愛を思い出させれば、あとは身体が求めるがままに互いのすべてが欲しくなるだろう」
唖然。それ以外に、何が言えようか。
でもシュネー嬢は、そこで立ち止まらなかった。
「少尉の問いに、答えよう。
このように、愛という不可視かつ不可知なものを、愛とは直接の関係を有さない技術や様式を用いて、観測可能な領域に実在させることは可能だ。
同じことは、人間存在そのものに対しても言える。〈レンバッハ軍曹〉という人物は、実在しないにも関わらず、いまや2つの政府がその存在を守っている。
ならば『普通』だって同じことだ。架空の『普通』は、作ろうと思えば作れるし、ちゃんと作ればそれは実在する。
そしてそれを実在させるために、『普通とは何か』を本当に理解している必要はない。本当に知らなければ作れないなら、我々は真実の愛とやらを実在させられないはずだろう?」
架空の、普通。常識的に言って、組み合わせてはいけない単語だ。
でも言われてみれば、レイチェル女史は長らく「架空の普通」の世界で生き、己を鍛え、任務をこなした。「ちゃんと作れば架空の普通は実在する」のだ。そしてレイチェル女史の生きた「架空の普通」を支えたコルベール准将は、統計の技法を用いて、今なお「普通」を探求している。おそらくは、より緻密な「架空の普通」を実在させるために。
僕はため息をつくと、気持ちを切り替えて、シュネー嬢にくだらない提案をする。
「そのカードゲーム、僕と勝負してみませんか?
僕が勝てるとは思いませんが、ソーニャ嬢に勝てない理由を探るヒントくらいにはなるのでは?」
シュネー嬢は僕の提案を鼻で笑ったが、彼女の小さな両手は、既にカードのディールを始めていた。
今回の事件は、何から何まで、とにかく疲れた。
いつもにまして、現実の厳しさというやつを、たっぷり味わった。
だからせめて最後くらい、架空の勝負を楽しむとしよう。
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結局その日は夜が明けるまでシュネー嬢の戦術研究、もとい「いまの負けはあり得ないだろう!?」「いまの勝ちはおかしい!」に付き合わされた。最終的な僕の勝率は49%くらい。半ば船をこぎながらプレイした最後のラウンドでその夜の勝ち越しを決めたシュネー嬢は、そのまま机に突っ伏すようにして眠った。
僕の感想としては「シュネー嬢はなんでこんな運ゲーに入れ込んでるんです? ゲームの選択そのものにソーニャ嬢の誘導がありませんでした?」だけど、そこに口を挟むのは野暮というものだろう。それにこの手のゲームを徹夜で(かつ真剣に)遊ぶというのは本当に久々で、良い気分転換にもなったから、いちいち突っ込む気になれなかった。
座りっぱなしだった体を軽い体操でほぐしてから、テーブルの上に散乱したままのトランプを回収する。シュネー嬢の脇に林立する、冷め切ったコーヒーが微妙に残されたカップの群れも、洗ったほうがいいだろう。いや、その前に仮眠室から毛布を持ってくるか。
徐々に戻ってきた日常という名のタスクをひとつずつこなしながら、僕はふと、昨晩のことを思い出していた。
厳密に言えば、別れ際にレイチェル女史が囁いた言葉を。
「ねえ、あなたはなぜレンバッハ軍曹を殺したの?」
僕は肩をすくめると、毛布を取りに行くことにした。
(3rd episode:Ordinary Men / fin)




