表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の猟犬  作者: ふじやま
3rd episode:Oridnary Men
65/67

Ordinary Men(4-2)

 僕がコルベール准将の申し出を正式に断ったところで、タイミングを見計らったかのように紅茶と菓子がやってきた。時計を見ると、1500時。ティータイムだ。


 マスカットの香りも華やかな紅茶と、薄焼きのクッキーを楽しみながら、ソーニャ嬢とコルベール准将は談笑していた。


「ソーニャ君がいなければ、エーデシュ少尉を落とせてたと思うんだけどなあ」

「無理だったと思うよ? 少尉はこう見えて意外とカンが鋭いし」

「そうかもねえ。でもまさか、ソーニャ君が少尉を背後から撃ちに行くとは思わなかったね」

「仲間を背後から撃てるチャンスがあったら、試しに撃ってみない?」


 ……会話の内容は実に益体もない。

 だが折角なので、この2人がどこで出会ったかを聞いておこう。レイチェル女史とコルベール准将の関係はなんとなく分かるし、シュネー嬢が准将について詳しく知っているのも理解できるけど、ソーニャ嬢と准将となるとちょっと想像がつかない。


「えーっと、実際に初めて会ったのは6年くらい前だっけ?」

「6年前だね。僕の自宅で会ったのが初対面だ」

「そういうこともあったねえ」

「その頃、世界の中心、華の都の闇に潜む、とてつもない巨悪と、僕ら諜報部は戦ってた。巨悪の中心には〈アガトニーク〉と呼ばれる人物がいることを掴んだけど、時を同じくしてアガトニークは僕のことを知ったようだった。そこからは、デスマッチだよ。間に6つくらい組織を挟んで、昼も夜も互いに喉笛を探り合う毎日だ。

 でも僕はこの戦いに勝った。アガトニークを守る外道どもは、みな水の上に浮くか、土の下に埋まった。残るはアガトニークのみ。間違いなく、朝には死体が出るだろう。てなわけで、14日間に渡ってほぼ不眠不休で現場を指揮ってた僕は、部下の勧めもあって、家に帰って休むことにした。

 さて、ここで問題だ」

「家に帰った准将が、自分の子供たちとアガトニークが楽しそうにトランプで遊んでいるのを見たときの、准将の気持ちを答えなさい。さあ少尉、どうぞ」


 やっぱり益体もなかった。


 因縁が深いせいか、それとも互いに似たもの同士なのか、准将とソーニャ嬢の話は尽きないようだった。でもカップに残った紅茶の、最後のひとしずくを飲み終えたソーニャ嬢は、唐突に席を立った。


「じゃあ、ボクはこれで失礼するよ。話ができて楽しかったよ、コルベール。

 今後とも、互いに現場がバッティングしないことを祈ろうね」


 コルベール准将も立ち上がると、鷹揚に礼をしてみせた。


「楽しい時間をありがとう、ソーニャ君。

 君を敵に回すのは二度とごめんだが、君を味方に迎える未来がないことも祈ってる」


 いや待った、勝手に帰られても困る。

 まだ時刻は1600時前。あと1時間近く、コルベール准将と何を話せと?


 でも、ソーニャ嬢は、有無を言わせず部屋を出て行き――

 彼女と入れ替わるようにして、レイチェル女史が入ってきた。


「ごきげんよう、コルベール。逃げずにいてくれたみたいね。

 レンバッハ軍曹問題について、報告させてもらってもいいかしら?」


「1700に到着予定と聞いていたが、君にしては焦ってるね、レイチェル君!

 まずはお茶のおかわりを貰おう。君の好きだった菓子も用意してある」


          ■


 お茶のおかわりと小さなケーキ(そしてレイチェル女史には新しいティーカップ)がテーブルの上に並び、全員のカップに紅茶が注がれたところで、レイチェル女史は報告(・・)をし始めた。


「レンバッハ軍曹問題と戦うには、レンバッハ軍曹というプロフィールが虚構のものであることを証明する必要がある。人物Xとレンバッハ軍曹の間になんらかの齟齬があることが示せれば、彼を庇っている側は作戦の見直しを強いられるわ。『あなたたちはレンバッハ軍曹のことを、彼がレンバッハ軍曹であるからこそ庇っているけれど、実際にあなたたちが庇っている相手はレンバッハ軍曹ではない』ってわけね。

 だから私は、その点を集中的に調べることにした」


 その路線が合理的かつ効率的なのは、僕も同意できる。

 でも、仮にも帝国軍が組織的に進めてきた隠蔽工作において、あえて言えばそんな基本的なこと(・・・・・・)に瑕疵が残っているものだろうか?

 事実、レンバッハ軍曹はきちんと健康診断を受けていて、その記録も残っている。これはつまり、直近の健康診断記録を調べたところで、古い「レンバッハ軍曹の記録」との間に矛盾など発生させないし、するはずがないという自信の表れだ。一人の軍人の全記録を管理する軍隊が主犯となってプロフィールの隠蔽を図ったなら、それはもはや隠蔽工作ではなく、「公的な記録」でしかないのだから。


「まずは傍証を2つ。証言してくれたのは、健康診断を担当した軍医と、遺体に防腐処置を施したエンバーマーよ。

 彼らの証言によれば、レンバッハ軍曹の左肩には、特徴的な痣があった。

 これが何の痣なのか分かるわよね、コルベール?」


 レイチェル女史の問いかけに対し、コルベール准将は小さく首を横に振った。


「客観的に言えば、その情報からの特定は不可能だよ。

 ただし主観的に言えば、その痣は予防接種の痕跡だ。彼の年齢から言えば、結核予防のワクチンを接種したんだろうね」


 結核予防のワクチン!?

 確かに、戦争直後のヴージェ共和国では経口摂取するワクチンが広まったというし、一昨年あたりにはファールン王国で注射するタイプの結核予防ワクチンが安全に利用できるようになった。

 ただし、いずれも幼児にしか効果が認められていない。だからもしレンバッハ軍曹がワクチンを接種していたなら(そしてそれが意味ある形で行われたなら)、およそ40年前ということになる。その頃にはまだ、そんな優れモノは、少なくとも帝国には存在していないはずだ。


「じゃあ確実な証拠を提出するわね。

 この3年ほど、レンバッハ軍曹はある女性に入れ込んでいた。彼女は共和国出身の、広義の戦争未亡人よ。彼女が交際していた相手には婚約者がいたけれど、その男が『本当に愛していた』のは彼女だった……ほんと、救われない物語ね。

 ただ不幸にも、彼女が住んでいたのは共和国の田舎町だった。そして男の婚約者は町長の娘さん。4年前に男の戦死が公式に判明して、いろいろあった後、彼女は故郷から逃げるようにして去った。

 あとは、よくある話。共和国では仕事が見つからず、帝国から出張ってきた女衒の口車に引っかかった彼女は、帝都で立ちんぼとして客を取るようになった。

 そんな彼女を救ったのが、レンバッハ軍曹よ」


 執念。そう評価するしかないだろう。レイチェル女史はレンバッハ軍曹の「女」を探り当てたのだ。


「レンバッハ軍曹は彼女に小さな賃貸住宅を与え、ヴージェ語しか分からない彼女でもできる仕事を世話してやった。

 彼女はすぐに自活できるようになり、軍曹はそんな彼女の家をときどき訪れて、二人で夫婦ごっこを楽しんだ。そしていつしか彼女は、本気でレンバッハ軍曹を愛するようになった。

 これだけなら、誰も傷つかない、幸福な物語よ」


 でも彼女は、また騙された。

 レンバッハ軍曹という、嘘そのものの存在を、彼女は愛してしまった。


「軍曹の左肩にあった痣については、彼女が話を聞いている。

 『この痣は子供の頃に注射された特別な薬の跡で、俺はものすごく高い薬を注射してもらえたんだ、おかげで俺は結核を怖がらずに済んだ』、だそうよ。

 薬っていう認識なのがちょっと残念だけど、ともあれ、随分とご自慢の痣だったみたいね」


 軍曹は、慎重な人間だった。

 この情報だって、医学に詳しくない人間にとってみれば、「どうでもいいピロートーク」でしかない。

 それくらい、彼は自分の情報を厳密に管理していた。


 コルベール准将も、何かを観念したかのように、頷く。


「40年前、共和国のマリノ研究所が、世界で初めて結核予防のワクチンを作った。

 だが本当に効果があるのか、本当に人体に無害なのかは、未知数だった。

 そこで共和国軍は試作品だったワクチンを、とある孤児院にいた子供たちに接種した。一種の人体実験だね。

 レンバッハ軍曹――いや、人物Xは、その孤児院にいた子供だったのだろう。それ以外、彼が『子供の頃に』『結核を怖がらずに済む』『薬を注射してもらう』のは不可能だ。『実は40年前、帝国でも秘密裏にそのような研究と実験がなされていた』可能性は、ない。それは僕ら共和国諜報部の伝統が保障する」


 まさに、チェックメイト。

 「どうでもいいピロートーク」は、「エレーヌ・バルザの寒村で生まれたレンバッハ軍曹」という存在が架空であることを証明し、かつ「レンバッハ軍曹を名乗っていた人物は共和国出身だった」ことまでをも明らかにしたのだ。


 いやはや、〈月の猟犬〉の力はすさまじい。

 これほどまでに周到に隠蔽されてきたレンバッハ軍曹という謎を解明する鍵を、手に入れてみせたのだ。もちろんこれはコルベール准将という協力者あってのことだが、この協力者が一筋縄では行かないのはよく分かっている。そこも含めて、〈月の猟犬〉の持つ潜在的な能力なのだ。


「レイチェル君。念のために聞くけど、その証言をしてくれた女性の安全は確保してる?

 まさかだけど、彼女の自宅で待機とかさせてないよね?」


 さすがに、レイチェル女史がそんな手抜かりはしないだろう。レンバッハ軍曹を隠蔽したがっている帝国軍の一派としては、彼女の口を物理的に封じるという暴挙に出る可能性がある。


「まさか。彼女は私たちが保護してる。

 誰にも手は出させないわよ」


 予想通りだ。ならば次は、〈レンバッハ軍曹〉という隠蔽を作り上げた連中が、何を隠そうとしていたかを明かしていく手立てを考えなくては。


「よろしい。では僕からの提案だ。

 その証人を、今日の2000に、ここに連れてきてくれ。

 証人の安全は、僕が名誉に誓って保障する。

 これで、この事件は、終わりだ」


 ……は?


「考えてみたまえ。君たちの組織は極めて優秀だが、手の数が足りない。

 しかも組織の構造が、攻撃的にできている。完全な素人を守るなんてミッションは、君らが最も不得意とする領域だ。

 証人の幸せを願うなら、僕らに引き渡せ」


 それは、つまり……


 レイチェル女史が、燃えるような瞳でコルベール准将を睨みつける。


「コルベール。

 また(・・)これも(・・・)なかったことにするの?」


 コルベール准将は完全に笑みの消えた表情で、頷いた。


「ラシェル。君は、今回は(・・・)上手くやった。

 君たちの奮闘が、一人の女性の命を救った。

 それでは不満か?」


 レイチェル女史は、震える声で、准将に告げた。


「証人が死んだなら、あなたの家に私がお邪魔することになる。

 知ってると思うけど、私はソーニャほど優しくないわよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ