Ordinary Men(4-1)
「普通の人間」は夢も恐れも抱かずに生きることができるのか。架空の愛と、架空の人間と、架空の普通について。そして本質的な謎は解けない。
開けて正午、フント・デス・モナーツでソーニャ嬢と合流した僕は、ヴージェ共和国大使館に向かった。門番が交代していたせいか「コルベール准将に雇われたコンサルタントのナギー・エーデシュです」では中に入れず、30分ほど外で待たされることになったが、そういうことはある。引き継ぎくらいちゃんとしろと思うが、そういうことはあるのだ。
ところでソーニャ嬢はなんで大使館職員のパスを持ってるんですか? そしてなぜ門番のおっちゃんとも顔見知りなんですか? いえ詳しい説明は結構です。
ちょっとしたトラブルはあったが、1330時にはコルベール准将とのミーティングがセッティングされることになった。アポなし突撃なことを鑑みるに、この段階で奇跡に近い。実際に面会できたのは1430時だったけれど、贅沢は言えない。なにはともあれ会って話をするところまで持って行ければ、ソーニャ嬢が上手く(あるいは酷い方向に)話を転がしてくれる。僕はそれを覚悟して見守るだけだ。
かくして、「待たせてしまって済まないね」という准将の言葉で、ミーティングという名前の勝負は始まった。
……えっと。
なんでソーニャ嬢、だんまりなんですか?
「え!? もしかして少尉になんか期待されてる?
ボク、シュネーが『コルベールに会えるぞ』って言うから、少尉についてきただけなんだけど?」
はーいー?
ソーニャ嬢のぶっちゃけトークを聞いて青ざめる僕を前に、コルベール准将は膝を叩いて大笑いした。
「これは傑作だ! エーデシュ少尉、君は僕にどんな報告を持ってきたんだい?
もしかして〈魔弾の射手〉が上手くやってくれる、とか思ってたの? 僕は楽観主義者だけど、そんな判断は僕でもしないねえ」
言われてみれば確かに。ソーニャ嬢に頼るだなんて、火のついたダイナマイトを目の前に置いて「我らをお救いくださいダイナマイト様」と祈るようなものだった。間違いなく何かは起こるけど、理性的な人間が選ぶ選択ではない。
ええい、こうなっては仕方ない。シュネー嬢が言ったとおり、「目を開けて断崖から飛び降りる」しかない。
「僕から准将に報告できることは、何もありません。
なにしろ僕は、1700時にはここに来るはずのドクトル・レイチェルに、その時間まで准将をこの場に拘束しておくように命令されただけですので。ちなみにドクトル・レイチェルも、この命令が達成不可能であることは認識されています」
ちらりと時計を見る。1437時。頑張れたほうなのでは?
でも僕の告白を聞いたコルベール准将は、再び膝を叩いて大笑いした。
「レイチェル君は、相変わらず良い読みをしているね。
確かに僕は今日、1700から来客がある。もし客が早めに来てしまったなら、即座に対応する必要があるだろう。
だが場合によっては、客にしばらく待ってもらうことも可能だ。
さて、どうする?」
おや。これはいったい?
あのコルベール准将が、なぜこんな隙を見せるのだろう?
コルベール准将が、僕を舐めた? それともこれは彼の策略?
……いや、僕はそれを考えて行動できるレベルにはない。帝国軍人らしく、己にできることを、一直線に実行するだけだ。
「お言葉ですが、『どうするか』を決めるのは僕ではありません。准将、あなたです。
僕にはなんら報告できることはありませんと申し上げましたが、レイチェル女史が1700時にこの場に到着する予定である、という情報はお伝えしています。
レイチェル女史に会うのか、会わないのか。
それを決めるのは、僕ではない。あなたです」
「責任」という名前のボールを投げつけてイニシアティブを握るというのは、この手の交渉における基本中の基本だ。
帝都のマフィア連中と話をするときは、必ずこの論法が飛び出してくる。「そこまで警備を厳しくされると、ウチの子分どもがみかじめ料の徴収をすることもおぼつかなくなって、飢えて死にますよ。警察局はその責任を取ってくれるっていうんですかい?」的なアレだ。警察局には違法行為による収益を補償してやる義務などないのだが、平民出身の新人局員は「子分どもの窮状」を自分の身に引き寄せて考えてしまうことが多く、この手の出会い頭のジャブであっけなく沈んだりする。
僕の回答を聞いた准将は、小さく笑った。
「君は思ったより、やり手だね。
僕にボールを投げ返してくるだけじゃなく、僕の選択肢を絞りに来た。
僕が考えるべきは『レイチェル君に会うか会わないか』だけじゃないのに、あたかもそれが僕の名誉を賭けた唯一無二の選択であるかのように示してみせた。
どうかな、帝国の警察局なんて辞めて、僕のところで勉強しない? 生涯年収は倍くらいに増えると思うよ? 機動警察のボスが若くて元気がいいのを欲しがってるから、そっちを紹介してあげてもいい」
僕は苦笑いして、首を横に振る。
それにしても、不思議だ。どうして准将はこんなテンプレ展開で時間を浪費することにしたのだろう?
「本格的なスカウトの話は後でじっくりするとして、だ。
もうちょっと現実的な提案をしたいんだけど、2週間だけ、ウチで仕事をしてみない? 立場としては『出向』かな。帝国と共和国の人材交流プログラムを使えば、違法でも裏切りでも何でもないよ。
君も知るように、レンバッハ軍曹問題は共和国と帝国、双方の『機密』を使って全貌が露見することを防いでる。だから共和国だけ、帝国だけで解決できる問題じゃあないんだ」
……ふむ。そこは同意できる。
「そして君もまさに体験したように、帝国はレンバッハ軍曹問題を闇に封じたがっている。共和国もそれに乗っかってるけど、これまでの経緯から見れば主導しているのは帝国だ。
つまり簡単に言えば、君が帝国に留まってこの問題に対峙するなら、君もまた死体になる可能性がある。
もちろん、いま君の隣に座っているソーニャ君や、君を犬の代わりに走らせているレイチェル君のように、君には強力極まりない味方がいるのだろう。君のお義父様もまた、端倪すべからざるお方だ。だから帝国で踏ん張って戦ったほうが、最終的に君が得られる成果は大きい。
でも、僕らの力も、舐めてもらっちゃ困るんだ。君が帝国に留まったまま得られる結果には及ばなくても、100%、安全確実に、レンバッハ軍曹問題を解明してみせるという自負が、僕らにはある。
これは君に対する揺さぶりだとか、そういうった低レベルな話ではないよ。僕は真剣に提案している。さて、これならどうかな?」
最初は馬鹿馬鹿しいと思って聞いていた僕だったが、次第に、そしてどうしようもなく心が揺れるのを感じた。
レインラント・ヴージェ間の人材交流プログラムは、警察局においては超エリートのみが参加できる、極めて狭き門だ。今の国際情勢において警察局での職務を続けるなら、「ヴージェ共和国のやり方」を現場で学ぶことによるメリットは計り知れない。勢い、選抜試験の難易度や競争率も、それに相応しいものになる。
それに、「最終的な成果は若干物足りないものになるかもしれないけれど、100%間違いなく、かつ安全にレンバッハ軍曹問題を解明できる」という示唆には、言いようがない魅力がある。僕には心を病んだ妹がいる。だから僕は死ぬわけにはいかないが、レンバッハ軍曹問題にこれ以上首を突っ込むなら、いわゆる事故が起こる可能性は無視できなくなるだろう。
つまり、本気でレンバッハ軍曹問題を追及するなら、この提案には乗るべきだ。
でも、何かが、気になった。
これはけして「美味しすぎるだけの話」ではない。ベストの展開は准将が指摘するように、「僕が帝国に留まったまま、借りられる力を全部借りて、レンバッハ軍曹問題を解明する」ことだ。人材交流プログラムのような賄賂めいた見せ金を抜きにして考えれば、コルベール准将の提案は次善の策でしかない。
普段の僕なら、ベストの選択と次善の策なら、原則としてベストを選ぶ。なのになぜ、僕はこんなにも「次善の策」に心を惹かれているのだろう?
迷うがままに言葉に詰まっていると、僕の隣でヒマそうにしていたソーニャ嬢が、小さく欠伸をした。
「そんなわっかりやすい誘導に乗っちゃダメだよ、少尉。
種明かしをしてもいいかな、コルベール?」
無遠慮なソーニャ嬢の言葉に、准将は満面の笑みを浮かべながら頷く。
「どうぞ。僕も久しぶりに、ソーニャ君の〈魔弾〉が放たれるところを見たいからね」
准将の許可を得たソーニャ嬢は、僕の顔をまじまじと見ながら、不思議な問いを立てた。
「少尉には2つの選択肢があるとしよう。
選択肢Aを選べば、80%の確率で半年分の給料がもらえる。
選択肢Bを選べば、100%間違いなく、4ヶ月ぶんの給料がもらえる。
さあ、どっちがいい?」
えーっと。これは……悩ましいな。悩ましいけど、まあ……
「……B、ですね」
いや、これは本当に悩ましい選択だ。答えた今もなお、悩んでしまう。
その惑いを見透かしたかのように、ソーニャ嬢は僕を追求した。
「なんで? 少尉は算数ができない人じゃないよね?
選択肢Aは期待値で4.8ヶ月ぶんの給料が手に入る。Bでは4ヶ月ぶん。
どっちを選ぶかなんて、悩む必要ある? てかBを選ぶ理由がどこにあるの?」
その計算は、僕もやっている。でも、僕はBを選んだ。
「これがコルベールの仕掛けた誘導の正体だよ。
少尉、君は恐れた。2割の確率で何も得られないことを、怖がった。数学的に評価すれば、『怖がりすぎた』。
でもね、Bを選んだからって、自分を恥じなくてもいいよ。普通の人を100人集めれば、70人くらいが君のようにBを選ぶ。君はいたって非合理的で、かつ、いたって平凡な選択をしたんだ」
一瞬、足下がぐらつくかのような衝撃が走った。
僕は軍人として、恐怖と戦う術を学び、また己の身体に叩き込んできた。銃弾が飛び交う現場に立ったとき、失禁しそうになるくらいの恐怖を感じつつも、己を律して冷静な判断を下し続けてきた。そういう、自負がある。
なのにこんなシンプルな恐怖を前に、僕は「正しく恐れる」ことができなかったのだ。軍人失格どころの騒ぎではない。
「さて、このままだと少尉の軍人魂が死んじゃいそうだから、もう1問やってみよう。さっきのが恐れの物語だとすれば、次は夢と希望の物語だ。
選択肢Aを選べば、100%間違いなく、4ヶ月ぶんの給料が吹っ飛ぶ。
選択肢Bを選べば、20%の確率で無傷だけど、80%の確率で半年分の給料が吹っ飛ぶ。
さあ、どっちがいい?」
この答えは、もう聞かされている。Aだ。Aしかない。理論上、A一択だ。
でも僕の心は「Bだよな」「絶対にB」と囁いている。
なんだ。
なんなんだ、これは。
これが恐れとか、夢とか、希望とかいうものの正体なら、僕はどうしたらいいんだ。
これが平凡さであり、普通さであるなら、僕は――
動揺が止まらない僕の瞳を、ソーニャ嬢が覗き込む。
僕は呆然と、彼女の目を見つめることしかできない。
そのとき、コルベール准将が大きく手を叩いた。
「はい、そこまで。それ以上は、少尉の心に傷を残すよ。
『恐れ』に『夢』か。まったく、〈魔弾の射手〉は相変わらずだ。なんでもない損失回避の心理を、人生の縮図であるかのように騙るだなんてねえ。
良い勉強になったね、少尉。でさ、僕はソーニャ君が披露したみたいな技術を部下に教えてるわけなんだけど、君も一緒に勉強しない? ソーニャ君がやってみせたみたいにさ、クッソ真面目な軍人を、コロリとやってみたいだろ?」
……いえ、結構です。
マジで。




