Ordinary Men(3-4)
最初の娼館は、空振りだった。正確に言えば完全な空振りではなく、軍曹は一度この店を訪れているのだが、酒だけ飲んで帰ったという。それを聞いたレイチェル女史はなにやら更に確信を深めたようだったが、「捜査員のカン」から一歩も前進できない僕は相づちひとつ打てやしない。
さて。
聞くは一時の恥、という。僕の大好きな言葉だ。
だから普段なら迷わず、レイチェル女史に「どうやって絞り込んだのか」「さらに絞り込めそうな条件をつかんだのか」と聞いていたと思う。
でも、「44歳男性が娼館を選ぶにあたって、あなたは何が彼の心に刺さると考えましたか?」という問いを女性に向かって発するのは、かなりキツい。非常にキツい。
そんな感じで僕がマゴマゴしていると、呆れたと言わんばかりにレイチェル女史が秘密を教えてくれた。
「レンバッハ軍曹――いえ、人物Xは、ヴージェ共和国生まれの人間よ。そうじゃなきゃコルベールが工作員として選ばない。
そして人物Xは、レインラント帝国のことを心底馬鹿にしている。帝国が彼のために講じてくれた策に対し、自分独自の保険を重ねるっていうのは、自信過剰なだけじゃなく、相手のことを見下しているからこそよ。
一方で『レンバッハ軍曹』の情報を踏まえると、嗜虐趣味はないと考えられるわね。もし嗜虐趣味があるのなら、兵站部の部下を徹底的にしごいたはず。でも彼はむしろ『自分が教え導く』ことに満足を得ていた。
と、いうことは、人物Xが抱く女の選択肢に、レインラント人が入る可能性はない。嗜虐趣味があればそういうプレイもあり得たけど、幸いそういうご趣味じゃないみたい。
むしろ人物Xが選ぶのは、ヴージェ人よ。『帝国くんだりまで落ちてきた、悲しく惨めな同胞』が、人物Xにとって最も強く性的興奮をもたらしたでしょうね」
……な、なるほど。実に明快かつ客観的な判断だ。
つまり最初の店は、「悲しく惨めな同胞」を感じるには、何もかもが豪華すぎた?
「それもある。でも一番大事なのはそこじゃないのよ。
この条件を見落としたのは、完全に私のミスだわ。ソーニャは気づいてたかもしれないけど、シュネーじゃ絶対に気づかないでしょうし。
ソーニャとしても、そこまで絶対の確信がある仮説じゃなかったんでしょうね。あの子はセックスの機微には疎いし、本人にもその自覚があるから」
は、はあ。
「人物Xにとって最後の一押しになる条件は、『ヴージェ語しか喋れないこと』よ。
世界で最も美しい言語であるヴージェ語を使わず、世界で最も音の汚いレインラント語を使うだなんて、ヴージェ人のプライドが許さない……と、人物Xは考えている。だからヴージェ人であっても、レインラント語で話しかけてくる商売上手な娘は、人物Xの選択肢に入らない。
最初の店で酒の相手をしたっていう娘と話してみて、確信した。彼女は人物Xのことを『すごく綺麗なヴージェ語を使う人だった』って言ったけど、そういう感想を持つようでは駄目なの。人物Xのヴージェ語を聞いて、『ちゃんとしたヴージェ語を使う人だ』と感じるタイプじゃなきゃ、彼の眼鏡にはかなわない」
なにそれめんどくさい。
……いやいや、待った。今の僕の感想は、内事2課の人間として駄目なやつだ。
僕もレイチェル女史のような洞察ができるように、精進しなくては。
「少尉はまず、ちゃんと女の子を好きになるところから始めなさい。
もちろん男の子でもいいし、年齢の上下も問わないわよ。下すぎるのは倫理的にアウトだけど」
……はい。
結局、その日は「2」の2軒を回ったところで1800時を迎えた。それぞれの店が、営業を始める時間だ。レイチェル女史は「営業時間内に聞き込みをするほど野暮じゃないわよ」と言っているけれど、これはソーニャ嬢に配慮している面もあるのだろう。
もちろんストラーダ一家の支配下にある店なら、ソーニャ嬢がアガトニークとして話を通している以上、聞き込みにも答えてくれるに違いない。でも「それが当然」という顔で踏み込めば、大きな摩擦は避けられない。ストラーダ一家は内部でも熾烈な競争が渦巻いていて、娼館での売り上げは彼らの地位に影響を与えるのだ。
かといってカネを包んで持って行けば、今度は彼らのメンツを潰すことになりかねない(らしい)のだから、このあたりのストラーダ一家の機微は、帝都の人間にとってみると非常に難しい。
理想はこの聞き込みにソーニャ嬢が同行してくれることなのだけど――それはそれで全然違う角度から想定外のトラブルが降ってきそうな予感もするので、これまた難しいところだ。
一方、僕らには僕らで、別の問題もある。時間制限だ。
コルベール准将が「僕らを雇う」と宣言したのは、明日の1800時まで。それまでの間に人物Xがひいきにしていた娼婦を見つけ出し、レイチェル女史が求める何かをその女性から聞き出せるのか?
その点についてレイチェル女史に問いただしてみたところ、彼女は結構長く悩んでから、「今夜のうちに、コルベール相手に勝負してもいいんだけど」と呟いた。どうやら勝負に出て良いくらいには、材料が集まっているらしい。
「でも、決定打にはならない証言ばかりなのよ。
理屈としては十分に、『レンバッハ軍曹』という存在が虚構であることを証明できる。
でもコルベールを説得するには、真実の重みが足りない」
ふむ。でもそうであるなら、僕としては突っ込まざるを得ない。
「真実の重みって、何です?」
レイチェル女史の答えは、実に赤裸々だった。
「いろいろあるけど、例えばピロートークね。
寝た相手に対しては、口が軽くなる。コトの直後は、特に。
イヤになるほど野蛮で、泣きたいほど惨めな真実だけど、この手の真実よりも重みのある真実は、机の上を探してもなかなか見つからないものよ」
僕の口から、そんなことはない、という言葉が漏れかけて。
それから、そうですね、という言葉が漏れかけて。
僕は結局、何も言えなかった。
「人間って、不合理な生き物なの。
でもその不合理さには、一定の傾向がある。
そうじゃなきゃ、人間は『普通』っていう概念を持ち得ない。
その不合理な『普通』を知り尽くし、かつ冷徹な軍人でもあるのが、コルベールよ。
泣き落としなんて絶対に無理だし、理屈だけで説得できる相手でもないのよ」
■
結局、その日は1800時をもって解散となった。レイチェル女史は明日も1300時から聞き取り調査を開始し、遅くとも1600時までには調査完了。1700時に大使館でコルベール准将と面会して、調査結果を報告するという予定だ。
僕はと言えば、明日の聞き取り調査には参加せず、1300時からコルベール准将に張り付くことになった。「コルベールは逃げる可能性があるから」というのがレイチェル女史の見解だ。確かに、明日の1800時になってもコルベール准将と面会できなかった場合、聞き取り調査の成否にかかわらず僕らの捜査は詰んでしまう。
とはいえ1300時から1700時までの4時間、コルベール准将の時間を僕が独占する方法など、まるで思いつかない。レイチェル女史に向かって素直にその点を告げたところ「私もそんなことができるとは思ってないわよ」というありがたいお言葉を頂いた。
そう。上官という仕事は、明らかに不可能だと知りつつ部下に命令しなきゃいけないときがある。今のレイチェル女史のように。
僕も部下を持つ身なので、そのあたりの機微はよくわかる。
わかるからといって、気が晴れるものでもないけど。
さて、明らかに不可能なことを全員が理解しているとはいえ、命令は命令だ。ならば命令を受けた帝国軍人としては、ベストを尽くす必要がある。
そして僕はとても幸運なことに、ベストを尽くすための道筋が見えている(なお幸運の定義問題は既に論じたし論じても憂鬱になるだけなのでここでは論じない)。何がベストかを知っている人物に、聞けばいいのだ。
というわけで僕はフント・デス・モナーツの地下に戻り、相変わらずトランプを前に何やら数式をいじくり回しているシュネー嬢に相談してみることにした。の、だけれども。
「あなたは何か勘違いしているようだが、私は全知全能の完璧超人でない」
それは理解してます。お手元に広がってるトランプを見れば自明です。
「分かっていないようだな、少尉。
コルベール准将のことは、私もよく知っている。彼が何をしてきたのか、そして何をしているのか、すべて知っている。彼の技術も思想も、何もかも把握している。
私の仕事にとって、それが必要だからだ。私が何を言いたいのか、分かったか?」
予想はしていたが、そこまでか。圧倒的な計画立案能力を持つシュネー嬢をして最大の警戒を必要とするのが、コルベール准将なのだ。間に合わせの策を僕に仕込んだところで、高確率でそれは僕に仇をなす何かになり得る。
「だが話を聞くに、確かに少尉が一人でコルベール准将と対面するのは、わざわざ目を閉じてから断崖絶壁を飛び降りるに等しい。
そうだな――いいだろう、ソーニャを連れて行け。
どうせ飛び降りるなら、目を開けたまま落ちたほうがマシだ。絶景を楽しめ、少尉」
……はい?




