Ordinary Men(2-2)
改装中の店内に上がってみると、ベアトリーセ様は工事用とおぼしきバケツを椅子にして座っていた。差し向かいで木箱に腰を下ろしているのはレイチェル女史。真ん中には大きな木製の車輪めいたものが横倒しになっていて、2人はそれを机代わりにしていた。
フント・デス・モナーツの改装はかなり大がかりな工事となっているが、その理由は実に簡単だ。もともとこの建物の地上部分は2階建てなのだが、その2階をシュネー嬢が「とりあえず」の物置に使う悪癖があった。改装にあたって2階部分をそのまま残すと、またシュネー嬢が「とりあえず」で物置にして、また誰も掃除できない魔窟となってしまう――この予想に、シュネー嬢以外の全員が同意した。
かくして新フント・デス・モナーツは1階の大部分がステージで、吹き抜け構造になった2階に客席の多くがセットされるという構造になった。だがこれだけの大改造をするとなると、費用もさることながら、手間がかかる。今はようやく、2階の床を一度全部撤去し終えたところだ。
そしてまさにその工事現場のど真ん中で、ベアトリーセ様はほとんど正装に近い格好のまま、ビールを瓶から直接飲んでいた。レイチェル女史も似たようなものだ。おそらくは2人とも、今日の現場から直接ここに来たのだろう。
貴族ってのも大変な仕事だよな、などと無責任なことを考えながら、酒宴の席に近づく。すると僕から声をかけるまでもなく、ベアトリーセ様からのご命令が下った。
「エーデシュ少尉、1秒でも早くテーブルにつき給え!
そして君が右手にぶら下げているボトルの封を開けるんだ! 急げ!」
はいはい。
僕は苦笑いしながらテーブル(と想定された資材)の上にボトルを置き、一瞬だけ悩んでから万能ナイフを取り出して、抜栓する。
理屈の上で言うと今の瞬間、僕は「レインラント帝国の大貴族を前に刃物を抜いた大逆の罪人」になったのだけれど、たぶんそこを詰められることはあるまい。むしろ今の僕が気にするべきは、まかり間違ってもコルク栓を崩してワインをコルクの破片まみれにしたりしないことだ。
ちょっと緊張したものの、コルク栓は綺麗に抜けてくれた。と、そこに新たなご命令が。
「少尉! 貴様に毒味の任務を与える! あ、でも一口だけだぞ!」
お、おう……でも毒味と言われましても、いまここにはグラスがなく。というか、2人が飲んでるだろうとは思ってましたが、まさか瓶から直接とか想像してなかったんですよ。
などと戸惑っていると、レイチェル女史が鮮やかに笑みを浮かべた。
「この宴席の流儀は、見ての通り。
郷に入っては郷に従えと言うでしょう、少尉?」
……マジで?
でもこれ以上2人を待たせるとシリアスに命の危険が高まってきそうな気がしたので、僕は栓したばかりのワインのボトルに思いきって抜直接口をつけ、軽く煽った。ほとんど空気に触れていなかったせいか、味も香りも硬い。にも関わらず、味わいは深い。これってこういう飲み方をしたら絶対にダメなやつじゃないですかね!
そんなことを思ったものの、帝国の重鎮たるマーショヴァー卿には逆らえない。右手を差し出してきたベアトリーセ様の手に、ボトルを手渡す。ベアトリーセ様は躊躇なくボトルに口をつけると、ぐいっと煽った。
「――うむ、やはりこのワインはちゃんとグラスに注ぐべきだ。
生産者に申し訳ない飲み方になってしまったな」
わかりきったことを言うベアトリーセ様の隣で、レイチェル女史もボトルからワインを一口。ふう、と妖艶なため息をつく。
「そうですね、これはこんな飲み方をしてはいけない一本です。
とはいえ、そういう不幸な出会いが起こるのもまた人生というもの」
不幸を再生産するのは止めましょう、レイチェル女史。
てか「なんでグラスを持ってこなかったんだコイツ」という目で見られても困るわけで。
「さて。堅物少尉がわざわざ手土産を持って来たからには、何か陳情があるのだろう?
話を聞いてやろうじゃないか」
レイチェル女史の手からボトルを奪い取ったベアトリーセ様が、いかにも「余は横柄なお貴族様であるぞ」みたいな態度を見せながら僕に話を振ってきた。これはあれだな。たぶんベアトリーセ様は今日一日、この手の横柄なお貴族様の相手をして、疲れ果ててるっぽい。
ベアトリーセ様の心労を思うと申し訳なさで一杯になるが、これは「仕方ない」で済ませてはいけない問題だ。僕は意を決して、上奏の口火を切る。
「レンバッハ軍曹の捜査を、継続する手段はないのでしょうか?
軍曹がやり手の工作員であることは、本日の午後、レイチェル女史が証明しました。
このまま、この件を闇に葬るのは、帝国にとって危険です」
僕の言葉を聞いたベアトリーセ様は、「やはりか」と呟くと、大きなため息をついた。
「実を言えば、外事課の『要注意人物リスト』には、レンバッハ軍曹の名前がある。先の大戦がまだ終わっていなかった頃に、彼はリスト入りしているんだよ。
理由は簡単だ。彼は一度戦闘中に行方不明になり、その後、共和国軍の前線を単身で突破して帝国軍に復帰している。ないし、少なくとも記録上はそうなっている。
実に英雄的な業績ではあるが、その業績に対して『軍曹が共和国に転向した疑い』を抱くのが外事課の仕事だ。捕虜になった後、収容所で転向して、工作員としての訓練を受けた後、帝国に戻された兵士には事欠かんのでな。
そんな軍曹が、殺された。しかも十分に暗殺と判断できるような状況だ。こちらとしては再調査するしかない案件だし、レイチェルは見事に秘密を暴いてみせた。ここまでは、良い話だ。
だが、再調査を始めた直後から、帝国軍の内部からレンバッハ軍曹のような英雄を疑うなどとんでもない、捜査を行うことそのものが彼の功績を傷つけるものだという意見が続出している。普段なら『たかが軍曹の1人こと』と切って捨てるような連中から、な。
一方で、こちらが捜査継続を主張できる材料は、あまりに少ない。野菜を用いた暗号も、これによって彼がどんな情報を、どこに対して届けていたのかが分からなければ、『独身男の台所に手を突っ込んだ』に留まる」
そこまで言うと、ベアトリーセ様は右手のボトルに口をつけ、しばらく黙り込んだ。
代わりにレイチェル女史が口を開く。
「ベアトリーセ。この問題は、そこで終わらせてはいけない問題よ。
そのことは、あなただって理解しているはず」
レイチェル女史の言葉に、ベアトリーセ様は小さく頷く。
「分かっている。今回の事件は、何もかも異常だ。明らかに工作員として熟達した技量を有していたレンバッハ軍曹が殺されたというのも異常なら、死んでなお彼を庇う動きが消えないのも異常だ。いや、消えないどころか、むしろその動きが強くなっている。
明らかに、帝国軍の一部は、レンバッハ軍曹が隠していた『何か』が露見することを恐れている。そしてその『何か』は、彼が共和国と内通していたなどという、重大だがありふれた真実とはレベルの違う『何か』、だ」
ベアトリーセ様の言葉に、熱が籠もった。右手に持っていたはずのワインボトルは、いつの間にか、テーブルの上に置かれている。
「レンバッハ軍曹とは何者で、何をしていたのか。
我々はそれを解き明かさねばならない。だが――」
そこまで続いていたベアトリーセ様の熱弁が、急に途絶えた。
理由は、なんとなく、わかる。おそらくは、政治だ。
そして僕の予想の正しさは、レイチェル女史の言葉によって裏付けられた。
「外事課の突撃隊がノーラ少尉の率いるテロリストたちと戦って損害を被ったとき、あなたは『今回の作戦失敗の責任はすべて自分にある』と宣言した。帝国の重鎮として、とても立派な態度だったと思う。
でもそのせいで、あなたはレンバッハ軍曹の件に深入りできなくなっている。あなたの妨害をしたい連中にとってみれば、あなたが負った『失敗の責任』は、格好の攻撃材料よね」
そういうことだ。人の揚げ足を取ることだけに才能を特化させた馬鹿は、帝国の内外に数限りなく存在する。
ベアトリーセ様は深々とため息をつくと、テーブルの上のボトルを手に取った。
「その通りだ。五臓六腑が煮える思いだが、本件に関して私は、『マーショヴァー卿』としては何もできない。
むしろ『レンバッハ軍曹のことは見なかったことにしてくれまいか』と頭を下げねばならない立場にある」
ボトルを握りしめるベアトリーセ様の手に、力がこもる。このままではボトルを割ってしまうのではないか、と思えるほどに。
でもその前にレイチェル女史が、ベアトリーセ様の手に、そっと触れた。
「ベアトリーセ。あなたの立場は理解した。
だからひとつだけ、お願いがあるの」
レイチェル女史の言葉に、ベアトリーセ様(と僕)は不審げな顔になった。
しかるにレイチェル女史の「お願い」は、仰角80度方向くらいにぶっ飛んでいた。
「明日の13時から5日間、ナギー・エーデシュ少尉を私に貸してほしい。
それくらいの人事は、今のあなたでも何とかなるでしょ?」




