Many Shots, Many Kills (4-3)
警察病院からフント・デス・モナーツに帰るまでの道すがら、僕は自前の情報屋や協力者(と言えば格好いいが、要するに顔馴染みの飲食店店主とか露天店主とか)に挨拶まわりをしながら、右に左に揺れる自分の気持ちと戦っていた。
僕の半分は、フント・デス・モナーツが僕の想像よりずっと真っ直ぐな組織であることを、素直に喜んでいた。
彼女たちは非常に複雑な脚本を作りそれを実行するが、清濁併せ飲むことを現実的だと考え、権謀術数を尽くすことに躊躇いのない連中とは、明らかに一線を画する。
警察局員として言えば、この真っ直ぐさもまた、フント・デス・モナーツの強さの象徴だなと思う。
犯罪組織やテロ屋といったこの世の暗部と向き合う僕ら警察局員は、馬鹿げたくらいに真っ直ぐでなくては、自分でも気づかないうちに彼らの理屈に染まってしまう。
今回の件で言えば、「家族も同然の相手を撃てるものか」という、人として極めてまっとうな感覚を「甘い」と笑う者はごまんといるだろう。でもそういう人々は、その甘さを安易に剥ぎとった先に広がる地獄のことを、知らない。
そして僕ら警察局員は、その先の地獄を甘く見た人々――悲しいことに、ときに同僚であったりもする――が、次々に修羅の世界へと飲み込まれていく様子を、嫌というほど見てきた。
でも僕の残り半分は、今のフント・デス・モナーツは真っ直ぐすぎるとも感じている。
人間は、理性だけで動けるものではない。
自己弁護みたいになってしまって恥ずかしいけれど、今回の件にベアトリーセ様が関わっていないと知った僕が怒りを沸騰させたように、どんなに理不尽であっても、腹が立つことには腹が立つ。
そういう、人間が持つ理不尽な当然と向き合うとき、フント・デス・モナーツが持つ真っ直ぐさは、悪い方向に転げかねない。
例えば、フント・デス・モナーツがある犯罪者を逮捕し、正式な手続きに則って法の裁きを受けさせたとしよう。そのとき、犯罪被害者はどう思うだろう? 「なぜもっと早く動いてくれなかったんだ」「あんな非道な犯罪者は殺してしまえばよかったのに」――そんな不満が吹き上がってくる可能性は、無視できないほどに大きい。
なぜなら我ら凡俗にとってみれば、フント・デス・モナーツのように優れた組織は、清濁併せ呑み、正義のためには手段を選ばない冷徹なプロ集団であってほしいから。
これは何も、帝都の人々がフント・デス・モナーツを襲撃する可能性がある、という話ではない。我らが警察局にしたって、フント・デス・モナーツの面々に比べれば凡俗なる集団に過ぎないというのが、最大の問題なのだ。
今回の件で言えば、トリーシャ嬢とベラ嬢に手を汚させないというまっとうな配慮に対し、最初は侮蔑が、やがては嫉妬と怒りが、警察局内部から湧き上がってくることは、容易に想像ができる。こんな立場でなければ、僕だって彼女らを「腰抜け」と罵倒し、羨み、問題視する側に立っただろう。
帝都をあちこち歩きまわっているうちに、いつの間にかフント・デス・モナーツの前まで来ていた僕は、相変わらず2度ほど傾いたままの看板を見上げた。
フント・デス・モナーツが抱える構造的な危険性について、何も見なかったことにするのは、簡単だ。
でもそうしてしまえば、いつか僕は激しい自己嫌悪に苛まれるだろう。
あのとき、ああしていれば。
あのとき、こうしていれば。
そんな無意味な後悔を抱えて、何年も苦しみ続けるだろう。
そういうのは、もう御免だ。
だから僕は、意を決してフント・デス・モナーツの無闇に重たい扉を開く。シュネー嬢を確実に激怒させる提案をすることを、決意しながら。
■
脚本を書き上げて最後のチェックに入っていたシュネー嬢は、僕の提案を聞いて、おもいきり激怒した。顔面を狙って投げつけられたインク壺の蓋がしっかり閉まっていたのは、純粋に偶然だと思う。
でも僕が「警察局に舐められないためには、この演出が必要でしょう?」と指摘したら、彼女は急に、僕に向かって物を投げつけるのを止めた。そこでもう一押しすると、うつむいて黙りこんでしまった。
彼女もきっと、同じなのだ。
あのとき、ああしていれば。
あのとき、こうしていれば。
そんな無意味な後悔を抱えながら、ずっと苦しんでいる。
だから次こそはそんな思いをしないために、身を削り、魂を焦がして、あらゆる可能性を探り、できる準備はすべてする。我ら凡人どもが勝手に抱く期待に対し、夢を見ることもなく、恐れることもなく、すべてを超越した脚本を書ききろうとする。
そんなシュネー嬢が、僕ごときの思いつく演出という名の妥協に、考えが至っていないはずがなかった。
だから彼女は、今回もまた完璧に到達できなかったことに対する怒りと無念さを黒いフードの奥に押し隠しながらも、僕に向かって宣言する。
「あなたに、今回の作戦の演出を任せる。
必要な計算はすべて終わっている。後で資料を渡そう。
実に忸怩たる思いだが、唯一の救いがあるとすれば、ベアトリーセのブローチを処分しなくても済むことだな。あの芸術品は、こんなことのために使うべきものではない」
■
そこから先は、華麗なシュネー劇場の開幕だ。難しいことなど何もなく、危険なことも何もなく、ただただエレガントに、必要な結果だけが残る。
僕は双子コンビを伴って、真夜中の非武装地帯に向かった。
諸般の事情により今回は僕が自前のサイドカーを運転してトリーシャ嬢を運び、ベラ嬢にはもっと大事な荷物を運んでもらっている。
非武装地帯に入った僕たちは、まずトリーシャ嬢を途中で降車させる。重たいバックパックを背負ったトリーシャ嬢は、夜陰をついて、所定の地点への浸透を開始した。
野外で隠密行動する王立猟兵隊員を発見できる者など同じ猟兵隊員以外には考えられず、2時間後、予定通りトリーシャ嬢は潜伏場所に到達した――無線越しにコツコツと2回マイクを叩く音が聞こえてきたのだ。「潜伏成功」の合図。
その頃、僕はベラ嬢と一緒にバイクを転がし、別の地点に向かっていた。開けた場所が多い湖沼地帯にあっては珍しい、木々と下生えが鬱蒼と茂る地域。先の戦争で砲撃と毒ガスによって徹底的に破壊された廃村だ。
僕らは無言で積み荷を下ろすと、教会跡地に機材を設置した。激戦地だったこともあって、このあたりの地図はいまいち信用できない(なにせ地形が変わるほど大砲を撃ちあい、塹壕を掘りあったのだ)が、教会の位置だけは間違いがない。
ベラ嬢が自分のサイドカーから、さらに荷物を運び下ろした。フント・デス・モナーツのお別れパーティで、結局最後まで飲みきれなかったビールが収まっていた、木製のケース3箱。
僕は教会跡地に設置した迫撃砲(以前押収したカレドニア連合王国製の最新試作型だ)を、シュネー嬢が用意した書類通りに調整し、無線機のマイクに向かって3回ノックする。無線機からはトリーシャ嬢の落ち着いた声で「準備よし」と返ってきた。
折よく、東の空が白みつつある。戦争開始には持ってこいの時刻だ。
ベラ嬢がビールケースから迫撃砲弾を取り出すと、迫撃砲のマズルへと砲弾を滑り落とさせた。ズパン、という腹と鼓膜に響く音が鳴り響いて、砲弾は群青色の空に向かって飛翔していく。
きっかり5秒後、ベラ嬢が次の砲弾を打ち出す。5秒後、さらにもう1発。
3発目を発射したあたりで、遠くで爆発音が響き渡った。弾着したのだ。
無線機が鳴り、トリーシャ嬢の声が「11時方向に、約12mの誤差」と告げた。僕は計算尺を使って素早く数値を叩き出し、迫撃砲の照準を調整する。
僕の「調整完了」の合図と同時に、再びベラ嬢が3点砲撃。また無線機が鳴り、「3発中2発命中。砲撃を継続せよ。いい腕だ、少尉」とトリーシャ嬢の声がする。
ベラ嬢は5秒間隔でコンスタントに砲弾を発射し続け、静かな非武装地帯には爆発音が響き渡り続けた。
16発目を発射したとき、ひときわ大きな爆発音が轟いた。何事かと思ったが、無線機からトリーシャ嬢の冷静な声で「別荘が基礎から爆散した。犯人グループが集積していた弾薬か爆薬に引火した模様。脱出者は確認できない。おそらく生存者もいるまい」との報告が入る。
とはいえ、帰りはなるべく軽い荷物で迅速に帰還したいので、僕らは持ち込んだ36発の砲弾をすべて撃ってから、トリーシャ嬢が潜伏する観測地点に向かった。
合流後、ベラ嬢が先導し、トリーシャ嬢がバックアップする形で湖を渡り、別荘――というか、かつて別荘だったクレーター――の捜索を行ったが、予想通り生存者はなかった。トリーシャ嬢がノーラ少尉の千切れた右腕(指輪とホクロで断定した)を発見したところで、作戦の成功を確認。再びバイクに分乗して、迅速に撤収した。
帰り道、朝の冷たい風を頬に受けながら、僕はシュネー嬢の書いた脚本の見事さに改めて感服し、また彼女という飛び抜けた異能がゆえの苦悩に思いを馳せていた。
人が人を躊躇なく殺すためには、人智を超えた訓練と場慣れが必要だ。
だからこそ、「人智を超えた訓練と場慣れ」を共に乗り越えてきた戦友を殺すという任務は、綺麗事を並べるだけでは達成できない。そのことをシュネー嬢は冷徹なまでに理解していた。
さて、ところで人が人を殺そうとして、それでも殺せない場合、その理由は「殺す」という行為に伴うストレスが大きすぎるからだ、と言い換えられる。つまり「撃てない」という問題は、「撃つにはストレスが大きすぎる」と分析できる。
しかるに、目標となる人物までの物理的距離が遠ければ遠いほど、発生するストレスは低くなる。「殺す」という行為が複数の手順に分割されていて、その一部だけを実行すればいいのなら、ストレスはさらに下がる。これらに加えて「殺せ」というのが強制力をもった命令であれば、ほとんどの人が殺しのストレスを自然に乗り越える。
だからシュネー嬢は、狙撃銃の射程よりも更に遠い、1.5km地点からの砲撃を作戦の基幹とした。
また、トリーシャ嬢には弾着の観測だけを、ベラ嬢には装弾だけを担当させた。「目標を狙う」という、ここにおける最も直接的な殺意を伴った行為は、僕が担当だ。
この条件に加えて、僕がシュネー嬢の代理人として彼女らにそれを命令する――ここまで様式が整えば、二人はプロの軍人として、確実に目標を殺す。幾何学的な精度で、間違いなく、殺す。
もちろん、これは倫理上の問題を視野に入れなかった場合の話だ。
人間としてのトリーシャ嬢やベラ嬢のことを思えば、家族同然の戦友であり、恋人でもあったノーラ少尉を殺すなんていう経験は、せずに済むならそのほうがいい。
シュネー嬢が当初、今回の作戦に二人を使わないつもりでいたのも、シュネー嬢にとって家族も同然の二人に、恋人を殺すなどという辛い経験をしてほしくなかったからだ。
でも実のところ、脚本家たるシュネー嬢には、選択の余地などなかった。僕は警察局に対するメンツだの何だのを引き合いにだしたが、そんなものは些細な話だ。
フント・デス・モナーツにとって、双子姉妹が担う役割は、いわば戦車だ。今回のように、必要とあらば銃弾が飛び交う戦場のど真ん中に、真正面から突入するのが彼女たちなのだ。
その彼女らが、戦士としての完成度を高めるチャンスを得た。戦友殺しという禁忌につきまとう未知のベールを剥ぎ取り、「戦場において起こりうる状況のひとつ」として、どうメンタルをコントロールして立ち向かえばいいのかを知る機会を得た。
この経験を真正面から乗り越えられれば、彼女らの生存率は確実に高まる。ならば、僕が余計なおせっかいをしなかったとしても、最後の最後に、シュネー嬢は二人を使ってノーラ少尉を暗殺する脚本を選んだだろう。
シュネー嬢にとって、銃火の中で家族を失わないためには、それが最善の選択なのだから。
だからこそ僕は、朝焼けの空に向かって、改めて嘆息するしかない。
シュネー嬢の作る脚本は、あまりにも美しすぎる。
ときにその書き手からすらも、選択の余地を奪うほどに。




