Das Wunderkind Is Still Under Studying(4-1)
そしてすべてが語られる。あるいは、すべては語りえない。
あの命懸けの一夜から、またいろいろとあった。
そして今、僕はしかめつらをしながら、目の前の胡散臭い建物と、そこに掲げられた看板を見上げている。
フント・デス・モナーツ
麗々しい書体で書かれたその看板は随分と煤けていて、しかも右に2度くらい傾いている。相変わらず、絶望的に不愉快な看板。
あの夜、僕とレイチェル女史をサイドカーに押し込んだベラ嬢は、大声で何やら歌いながらオートバイをぶっ飛ばし、僕らはあっという間に市街地にたどり着いた。
しかるに「ドクトル・レイチェル」は、赤十字総合病院の夜間救急受付を顔パスで通り抜ける。レイチェル女史は充実した設備を手足のように使って治療を行い、僕は無事一命を取り留めた。
ちなみに、僕が退院できたのは7日後。ドクトル・レイチェルが残したカルテによると、僕の顔に残った殴打の跡は「酔っての喧嘩」、身体の症状は「急性アルコール中毒」とのこと。
いやその確かに僕は「あの打ち上げパーティから帰る途中で倒れた」んだから、急性アルコール中毒っていうのは合理的なカバーストーリーなんだけど、もうちょっと同僚や部下に言い訳しやすい病名にしてもらえなかったでしょうか……。
でまあ、退院の日を迎えた僕は、内事2課の面々に冷やかされながら花束やお菓子といったお祝いを頂いたのだが、たくさんもらった花束の中に一つ、場末のキャバレーから贈られたものが混じっていた。
不審に思ってカードをよく見てみると、日付と時刻が書いてあり、かくして僕は再びこの店の前に来たわけだ。
ちらりと、腕時計を確認する。期せずして、時刻は1157時。
カードに指定された時刻は1200時となっているから、まだ早いと言えば、まだ早い。でも、もう入っちゃっても、文句を言われる立場ではないような気もする。っていうか僕はフント・デス・モナーツのマネージャーでもあったはずじゃあないか。つまり客じゃなくて、内輪だ。よし、入ろう。
無闇に重たい扉を開くと、相変わらず店内は薄暗くて、いかがわしい空間だった。ケバケバしくも安っぽいベルベット張りのソファと、ゴテっとした装飾が施されたテーブルが並ぶ、狭苦しい店。床の絨毯は擦り切れていて、壁紙はタバコのヤニでねっとりした色合いに変色している。臭いも相変わらず、最悪だ。
だけど、今日は入り口すぐそばで、アイン嬢が待っていた。相変わらず、清楚そのものの立ち姿。反射的にあの夜の記憶がよみがえるが、それでもなお、彼女の姿を見ると、ついつい僕も笑顔になってしまう。
「ようこそ、フント・デス・モナーツへ。
12時には3分ほど早いですが、エーデシュ少尉をパーティ会場にご案内します」
「ははあ、今日はパーティだったんですか。
いま知りました。まあ、いいですけど。
よろしく、アインさん」
彼女に導かれて、4番の個室に入る。地下に降りる階段はもう開かれていて、僕はアイン嬢に先導されるがまま、螺旋階段を降りていった。
階段を降りた先の様子も、特に変化はないようだった。アイン嬢は迷いのない足取りで、瀟洒な小屋へと向かう。してみると、あの小屋が「パーティ会場」か。
小屋の中には、フント・デス・モナーツのメンバーが揃っていた。
今日はソーニャ嬢も含めた、全員だ。彼女はシュネー嬢と楽しげに雑談していたが、僕の姿を認めると、こちらに手を振って見せた。僕も小さく手を挙げて答礼する。
アイン嬢は僕を空いた椅子まで案内すると(どうやら僕のための席らしい)、そこでマーショヴァー卿にバトンタッチした。マーショヴァー卿はニヤニヤ笑いながら僕にグラスを差し出し、いかにも高そうな酒を注ぐ。そういえば、卿は料理担当だったか。
どうやら僕が最後の参加者だったようで、僕のグラスが酒で満たされたところで、シュネー嬢が立ち上がった。
「さて」
相変わらずの、脳髄を溶かすような美声。
「本日は事件の解決を祝って、祝宴を持たせてもらった。
料理も酒も、ベアトリーセが作ったか手配したかの、一級品だ。
目一杯食べて、飲んで、疲れを癒やしてほしい」
わーっ、という、なんとも女子の集団らしい歓声が上がる。
「では乾杯の音頭を……そうだな、今回の事件解決にあたって最も負担をかけてしまった、ベアトリーセにお願いしよう」
ははあ。このあたり、シュネー嬢も実に如才がない。
この場で最も地位が高いのは、疑いなくマーショヴァー卿だ。乾杯の音頭は彼女にとってもらうのが、いろいろと無難だろう。
だがシュネー嬢に指名されたマーショヴァー卿は、「私が!?」と言うと、しばし押し黙ってしまった。いやいや、普通に考えて卿に決まってるでしょうに。
若干の沈黙の後、マーショヴァー卿はグラスを掲げ、語り始めた。
「そうだな――今回は、あー、えー、ううむ……ああ、そうだ!
徹夜続きのシュネーのために、最高のコーヒーを提供することができたことを、嬉しく思う! 自分も今回の件で、大いに自信がついた。茶ではまだレイチェルに勝てんが、コーヒーではもう負けん。これから諸君らが美味いコーヒーを求めるときには、遠慮なく私に声をかけてくれたまえ!」
いやいや……その――大貴族様のご挨拶として、その挨拶はないでしょう。帝国への献身とか、皇帝陛下への忠誠とか、帝都の平和とか、大貴族として語るべきことはいくらでもあるでしょうに。
そんな感じで半分呆れながら、半分不敬にあたらないように注意しながら、慎重にグラスを掲げていた僕だったが、次の一言を聞いて、思わずグラスを落としかけた。
「では――ブレンターノの死と、警察局の綱紀粛正、そしてフィッツ伯の粛清という想定外の成果に。
そして、我らが奇跡のルーキー・エーデシュ少尉が成し遂げた、史上空前の大失態に。
乾杯!」
前半は、いい。
ブレンターノの暗殺も、警察局の綱紀粛正も、フィッツ伯の粛清も、なんとなくなら、推測がついている。
問題は後半だ。
僕の、史上空前の、大失態!?
いったい僕は、何をしでかしたというんだ?




