Das Wunderkind Is Still Under Studying(3-4)
そうやってしばし無言でつったっていた僕達だったが、やがてセベッソン大尉は「お前の養父さんは、本物のバケモノだな」と呟くと、一気にジョッキを空にした。
それから「クソが。俺は飲むぞ。記憶をなくすくらい、飲む。泥酔する。酔いつぶれる。クソ。バケモノ中佐め、あんたの言う通りさ、俺は外事3課のトップに立つ。必ず。いや、そんな椅子は、通過点にすぎん。俺は、警察局のてっぺんに立ってやる。クソッ。だから、だからいま、こんなところで死ぬわけにはいかん」とまくし立てると、近くのテーブルに放置されていたジンのボトルをラッパ飲みした。
セベッソン大尉の野心はともかく、その気持ちは、わかる。
僕だって、クラマー中佐から聞いた話は、全部忘れてしまいたい。
警察局という世界を渡っていくためには、それが一番だ。
でも僕は、そういうわけにも、いかない。
セベッソン大尉の、50点の解答。
そこに足りないのは、フント・デス・モナーツという異能集団。
そして僕は、何の因果か、彼女らと関わってしまった。
どんなに痛飲して、今夜のことを忘れたとしても、あっちが僕のことを覚えている。
ともあれ、外事3課はもちろん、内事2課の若手も巻き込んで飲み比べ勝負を始めたセベッソン大尉のことは、放っておくとしよう。
僕には僕で考えるべきことがあるし、しかるに何かを考えるには、僕はいささか飲み過ぎた。だから今やるべきことは、大量にコーヒーでも飲んで、帰って、寝る。それに尽きる。
そんなことを思いながら、僕は内事2課の同僚にお会計その他の処理を任せ、先に帰らせてもらうことにした。
これはなにも、クラマー中佐の「酒の席の話」を聞いてしまったから帰りたくなった、というだけのことではない。
クラマー中佐が帰宅した今、この場に残っている内事2課局員のうち、一番偉いのが副課長たるこの僕だ。だから、そろそろ退場しておかないと、「気兼ねのない飲み会」に刺さった棘になりかねない。
例えば僕だってクラマー中佐に対する愚痴は、できればクラマー中佐がいない席で言い合いたい。ということは、僕に対する愚痴を語り合いたい局員たちの福利厚生を考えれば、僕はさっさと家に帰るべきだ。
そのあたりの空気を読んでくれた、機転の効く若手局員が、パーティの事後処理を引き受けてくれたので、僕は安心して家路につき――そして繁華街を抜けたあたりで、突如僕の意識はシャットダウンした。
意識が戻ってくると、自分が椅子に縛り付けられていることが分かった。
反射的にパニックに陥ろうとする惰弱な心を叱咤して、状況の把握に務める。
どうやら、僕は広いバルコニーに置かれた椅子に、拘束されているようだ。
目の前にはテーブルと、無人の椅子。テーブルの上では、小さなキャンドルが燃えている。
空気はやや冷たく、水の匂いが混じっている。
必死で首を動かして周囲を見渡すと、真っ暗な夜闇の彼方に、ポツリ、ポツリと小さな灯りが見えた。してみると、ここは――プレツェン湖畔。おそらくは、大貴族向けの別荘が並ぶあたり。
してみると、ここもまた別荘のひとつか。バルコニーの装飾は全体に豪華にできているから、その認識で間違いなさそうだ。
ギィッとドアが開く音がして、誰かがバルコニーに出てきた。
その人物は、ゆったりと歩を進めると、僕に向かい合うように置かれている椅子に、ドッカリと腰掛ける。後を追うように、全身これ筋肉な感じの大男が、その背後に立った。
軽く、心に絶望がよぎる。
僕の目の前に座った男――厳つい顔をした老人は、覆面その他、身元を隠そうという努力をまったくしていない。しかも彼は、超有名人だ。
つまりこれは、僕を生かしておく気がまったくない、ということ。
「お目覚めのようだな、小童」
老人の名は、フィッツ伯。先の大戦では東部戦線における機動戦において、戦史に刻まれるべき大戦果を挙げた“最後の騎兵隊長”(二つ名の由来は、「これ以上に優れた騎兵隊長など出ようはずもない」というくらいの意味)。
大戦末期における負傷が原因で終戦後に退役するも、外事課にスカウトされて警察局に入職。警察局でも卓越した指揮力を発揮し、終戦直後の混乱期に発生した幾多の騒乱を、最小限の被害で鎮圧した、帝国軍人・オブ・ザ・帝国軍人。規定により60歳で警察局を退局したが、現場から強く請われた結果、外事3課の上級顧問として復職している。
なぜ彼が、こんなことを?
いや、答えはひとつだ。その動機は不明だが、フィッツ伯は、ブレンターノ捜査官の――おそらくはブレンターノというマフィアを潜入捜査官とするという、巨大な汚職全体の――警察局側の、協力者なのだ。
そしてクラマー中佐が仄めかしたように、彼は「あってはならない状況を発生させた人物」として極めて悪い立場に追い込まれ、詰んでしまった。僕を拉致して、このまま殺すつもりなのも、クラマー中佐に対する最後っ屁だ。
フィッツ伯は背後の大男に目線をやる。と、大男は懐から金属製の注射器を取り出した。
あの注射器は、警察局で受けた新人研修で、見た覚えがある。レインライント帝国軍が要人誘拐の際に使う、特殊な薬物だ。
なんでそんなことが新人研修で教えられるかというと、戦後のドサクサに紛れて結構な規模で流出してしまっていて、終戦から10年以上たった今でも時折、犯罪に利用されるから。
大男は躊躇なく僕の腕を掴むと、注射針を滑りこませ、一気に全量を注入した。
途端、指先に、そしてつま先に、軽い痺れが走る。
痺れは徐々に広がっていき、手が、腕が、足が、痺れていく。
声を出そうにも、唇が腫れぼったいわ、舌が回らないわで、ほとんど声にならない。
そんな僕を冷酷な殺人者の目で見つめながら、フィッツ伯は呪詛の言葉を吐き散らした。
「貴様には、やられたよ。
8課の魔女どもが人でなしなのは、よくよく理解していた。
だが貴様のようなひよっこまでもが、ここまで人としての情も理もわきまえぬ卑劣漢だとは!
偉大なるレインラント帝国は、どうなってしまったのだ!?
貴様に比べれば、口を開けばカネしか言わぬ下賤なマフィアどものほうが、まだしも情理を弁えている!
貴様のような人間のクズが我が栄光ある帝国軍の一員であるなど、あり得ぬ。あってはならん! あってはならんのだ!」
その罵倒は、完全に予想外だった。
というか、僕にとってみると、まるで意味不明な罵倒だ。
ああいや、「まるで」は嘘だ。
「8課の魔女ども」が誰を指すのかは、分かる。
「貴様のようなひよっこ」というのも、そういうことだろう。
でも、そこまでだ。
「俺はもう、終わりだ。貴様のせいで。
だが、ただでは終わらん。せめて貴様のようなクズを、始末してやる。
レインラント帝国軍の伝統も精神も受け継ぎそこねた塵芥を、殺してやる」
フィッツ伯は立ち上がると、喚き散らしながら僕の顔を何度も殴った。
幸か不幸か、頬のあたりは痺れきっていて、もはや痛みを感じようもない。
やがてフィッツ伯もそれに気づいたのか、肩で息をしながら僕を殴打するのを止めた。
「貴様がどういう教育を受けたのかは知らんが、あの魔女どもも、貴様よりはよほど人間らしい。
貴様の死体を見れば、あやつらの木の葉のように薄っぺらな良心も、多少はざわめくであろうよ」
フィッツ伯は、僕が伯に何かをしたと確信している。
だから伯は、わざわざ僕を道連れに選んだのだ。
でも僕はこれといって伯に何かをした記憶がないし、そもそも僕にとってフィッツ伯は「帝国の英雄」「偉大な軍人」の範囲を超えない。つまり、失礼な言い方をすれば、完璧に赤の他人なのだ。
しかもフィッツ伯は、クラマー中佐への意趣返しではなく、フント・デス・モナーツへの意趣返しとして、僕を殺す。
まったくもって、何がどうなっているのか分からない。
フント・デス・モナーツと僕との関係と言うなら、僕はフント・デス・モナーツのために何かをしたというより、むしろ何もしなかった人間じゃあないのか。
僕は動かない身体を必死で動かそうとして、それでもまるで動こうとしない自分の身体に、絶望を深めつつあった。
これまた新人研修で学んだことだが、僕に投与された薬は、量が過ぎると、最終的には身体の内側の筋肉まで痺れさせる。つまり、心筋が止まる。そうやって死んだ被害者の顔写真を見たことがあるが、皆一様に激しい苦悶の表情を浮かべていた。
状況から考えて、フィッツ伯は僕に対し致死量を打ったと考えるしかない。
そして今、僕が苦痛に満ちた不可避の死に向かってゆっくりと前進しているのを見て、楽しんでいる。
僕はすべての希望を捨て、せめてフィッツ伯の顔を見ずに死のうと思い、目を閉じようとした。
でも、もう瞼も動かない。
だから僕は、底知れぬ憎悪と憤怒に満ちたフィッツ伯の顔を見ながら、死ぬしかない。
ああ。なんで。
なんでこんなことに、なってしまったんだ?




