Das Wunderkind Is Still Under Studying(2-5)
意識を取り戻した僕は、自分が内事課の医務室にいることを知った。
慌てて上体を起こそうとして、痛みに息を呑む。反射的に時計に目をやると、2330時前後といったところ。僕がぶっ倒れている間、捜査はどう進んでいたのだろう? というか僕が内事課ビルの内部で暴行を受けて意識を失っていたという「事件」は、どう処理されたのだろう?
ベッドの上で痛みと戦っていると、仕切りになっていたカーテンが開かれた。内事課医務室の今日の当直は、たしかドクトル・ケルステン……と思った僕の両目は、驚きのあまりまんまるに見開かれる。
内事課当番医の制服を着たその医者は、ケルステン女史ではなく、レイチェル女史だった。あまりのことに、地上に打ち上げられた金魚のように、口をパクパクさせてしまう。
「ずいぶん手ひどくやられたわね。
でも、やったほうは、かなりの手だれみたい。
内臓に損傷なし。顔や手足に目立った腫れはなし。お腹の青アザはわりと長く残るでしょうけど、それ以外は『ひたすら痛い』ってだけね」
そうか。そういえば彼女はフント・デス・モナーツにおける医者だった。
あの精鋭(というか異能)集団における医師なのだから、診断を誤ることもないだろう。ということは、とにかくひたすら痛いけれど、後遺症を心配する必要はないということだ。
まったく。帝国警察局では尋問の技術も教えているし、その技術の一つとして「被疑者に身体的苦痛を与えるが、身体的機能は破壊しない」というものがある。僕もその技術は学んでいる。実際に使われると、こんなに痛いとは思わなかったが。
それはそうと、なぜレイチェル女史がここに?
いや、それは考えるだけ無駄か。あのシュネー嬢が描いた絵図だ。〈魔弾の射手〉同様に無駄などあるまいし、そのすべてを見抜くだなんて僕には無理だ。
でも逆に考えると、僕がレイチェル女史の待ち構えている場所に到達したということは、僕はシュネー嬢が予見している範囲の内側で動いている、ということでもある。たぶん。きっと。
……うん、やっぱりそこは確認しておこう。こういう疑問は放置しておくべきではない。
「レイチェルさん。僕はシュネーさんの脚本から、外れていますか?」
レイチェル女史はゾッとするくらいに艶やかに笑うと、優雅に首を横に振った。
ならばもうひとつ質問だ。怪我人というアドバンテージを得ているうちに、レイチェル女史の優しさにつけこもう。
「このまま僕が前進し続けたら、シュネーさんの脚本から外れますか?」
レイチェル女史は慈愛に満ちた笑みを浮かべると、わずかに首をかしげる。
「それは難しい問いね。
シュネーの脚本は完璧主義すぎるところがあるわ。
だから状況が先に進めば進むほど、足元はどんどん危うくなる。
あなたがシュネーの脚本から足を踏み外して『退場』してしまう可能性は、否定できない」
レイチェル女史の言葉に、僕は二の句が継げなくなる。彼女の言葉は優しげだが、4文字に要約可能だ――「甘えるな」。
「でもね」
悄然とうなだれる僕の頭を撫でながら、彼女は言葉を続けた。
「私たちの目的は、真実の追求。
それはあなた個人の信条からも、そう離れてはいないと思うの。
だからこそ、あなたにはわかるはず。
真実はいつだって、自分が前に進んだ先にある」
レイチェル女史の言葉に、またしても僕は絶句してしまう。彼女の言葉は優しげだが、4文字に要約可能だ――「働けクズ」。
いやさ、これ、ほんと辛い。辛いです。
したたる妖艶さ、あふれる母性、汲めど尽くせぬ慈愛のトリプルセットを駆使して徹底的に罵倒されるの、マジキツイ。
「ともあれ、明日からのお仕事のために、痛み止めを持ってきたわ。
古くはローダナムって呼ばれてた、平たく言えば麻薬。アヘンチンキよ。
もちろん、ぶっちぎりの違法品。こんなものが警察局内部で発見されたなんてことになったら、警察局長官の首が飛ぶわね。
だから使った後始末はもちろん、使わずに捨てる場合もよくよく注意して。
じゃあまた。次も生きているあなたと会えることを祈ってる」
とんでもないお土産を僕に押し付けたレイチェル女史は、足音も立てずに医務室を去っていった。あの滑らかな身のこなし、「戦闘能力でも僕より上」というのは、悔しいけど疑いない。
……しかしまあ、どうしたものかね。
相変わらず体のあちこちが痛い。でも会議室に戻って捜査の進捗を確認し、必要なら新たな指示を出さなきゃいけない。それを考えると、アヘンチンキで痛みを止めるというのは、適切な選択肢にすら思える。
ああでも、レイチェル女史は「明日の仕事のため」って言ってたっけ?
てことは、やっぱりこのアヘンチンキは、最低でも明日になってから飲んだほうがいいんだろうか。
そこまで考えてから、僕は突然、レイチェル女史があの優雅な罵倒の影で何を伝えたかったのかを、理解した。
いや、しかし。だとしたら、それは、つまり。
でも、そんな。まさか。
そんな、まさか。
いや。まさか、も、さかさ、もない。
「真実はいつだって自分が前に進んだ先にある、か」
僕はそう呟くと、アヘンチンキを一気に飲み干し、その激しい不味さに嘔吐感を感じながらも、無理やりベッドから体を起こした。
警察局員たるもの、どんな事情があろうが、違法な薬物を摂取して業務にあたるのは、まったくの禁忌だ。
だからここから先は、フント・デス・モナーツの仕事。
いざ、行かん。真実のために!




