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没落の王女  作者: 津南 優希
第二章 没落王女と家出少女
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はじめての戦い 後編

 ろくでもないことが頭をよぎり、飛那姫はぶるるとかぶりを振った。


 あの時とは状況が違う。

 ここで自分が殺られたら、次に殺されるのは後ろの二人だ。負けるわけにはいかない。

 万全であろうがなかろうが、敗北は無い。


 飛那姫はひとつ大きく息を吸い込んで、背後のとるべき行動に迷った二人に叫んだ。


「早く行け! 行ってくれよ、足手まといなんだ!」


 その言葉にびくっと肩を揺らすと、美威は何か言おうとして、そのまま口を閉じた。返す言葉が見つからなかったからだ。


(足手まとい……?)


 間違いなくそうだろう、この状態では。

 自分の中に、力はあるというのに。


「ひなっ!」


 琴の声に、はっとして美威は顔を上げた。

 片膝をついた飛那姫の姿が、視界に入る。


「ひなちゃん!?」

「……く、そ……」


 痛みに体を支えられなくなっているのだ。どうしようもない状況に、美威は青ざめた。


「情けねえ……仕方ないな」


 剣を杖にした体制で顔を上げた飛那姫に、美威は何かはっとするような力を見た。

 それはきっと、普通は見ることの叶わない、力のうねりのようなもの。

 魔法と呼ばれる力。


 美威が息を飲んだ瞬間、突然、飛那姫の周りの空間から青い炎が雲のように揺らめいて立ち上った。

 それは今まで美威が目にしたことのない炎の色だった。

 こんな場にあるにも関わらず、思わず目を奪われるような美しい青。

 この世のものではないと感じる、光。


「これならどうだっ!」


 飛那姫からふくれあがった青い炎の球が、弧を描いて飛んでいく。

 異形目掛けて襲いかかった炎の形は、矢のようにも、疾ける鳥のようにも見えた。


(魔法……?)


 剣士が魔法を使うなんて聞いたことがない。実際に目にするのもはじめてだ。でも、間違いない。


(あれが、魔法……!)


 異形は向かってくる炎を見つけるなり、口から大量の氷の粒を噴き出した。

 飛那姫の放った青い炎は空中で相殺されて、きらきらと光の粒を残してかき消えていく。


「だあーっ、やっぱりそうなるか……!」


 悔しそうに飛那姫は歯ぎしりした。

 勝ち誇ったように、異形は気味の悪い目を三日月の形に細めた。

 頭を低く構えた体勢で、飛那姫目掛けて突進してくる。

 たとえ大人の体だったとしてもあんなものに突っ込まれたらひとたまりもない。受けることなんて不可能な重量なのは一目瞭然だ。


「ひなちゃん逃げてーっ!!」

「ひな!」


 一番早くそれに気が付いて避けようとしたものの、飛那姫は立ち上がると同時に視界が白くなっていくのが分かった。

 とっさについた手のひらから伝わる雪の冷たさで、自分がよろけて立ち上がり損ねたことに気付く。


(嘘だろ……?!)


 目がくらんで、視界がゆがんだ。よりにもよって、こんな時に……!

 無理矢理立ち上がろうとした時には、遅かった。巨体はすぐ目の前まで来ていた。


(リハビリくらい、しとくんだった……!)


 避けれない。この傷と、体制ではおそらく受けきれない。


「ちぃ……っ!!」


 スローモーションのように、飛那姫の体が氷の下敷きになっていこうとするのを美威は見ていた。


(いやだ……!)


 始めて出来た友達なのに、もう失ってしまうのか。

 助けたい。力はあるのだ。

 出来るはずなのに。


「嫌だ!! ひなちゃんを助けて……!!」


 実際に声として叫んでいたかは疑わしい。

 無我夢中だった。


(誰でもいい! 力を貸して!!)


 だが、確かにそれで変化は起こった。


 それは願いに反応するように、突風になって顕れた。

 一部の空間だけを疾る一筋の、だがしかし強大力をたたえた風。

 美威の側から噴き上がり、飛那姫の側をすり抜け、巨氷の中心を鮮やかに射抜いた風。


 地響きをあげて、氷の塊が大地に崩れ落ちる。

 飛那姫は目を丸くして顔を上げた。


 その無事な姿を認めて、美威は半泣きのまま駆けだす。


「な、何だ……今の」


 何処からともなく飛んできた、明らかに自然でない風によって助けられたことは分かる。

 ただそれを放ったのが誰かという点においては、飛那姫はすぐには信じられなかった。


「美威……?」


 魔力の軌跡を目で追って、走り寄ってくるのにも息を切らしている頼りなげな美威にたどり着くと、飛那姫は目を見開いた。


「まさか、今のお前が……?」

「大丈夫ひなちゃん!? 良かった……! さあ立って、今のうち逃げよう!」

「いや、ちょっと待て、痛い……」


 ぐいっと小さく温かい手に引っ張りあげられると、飛那姫は何故かすんなり立ち上がることが出来た。


「……あれ?」


 あれだけ苦しめられていたはずの痛みが、だいぶん和らいでいる気がする。


「おい、美威お前今……」


 何かしたか? と尋ねようとしたとき、足下に影が落ちた。  

 息を飲んで天を仰ぐと、空から落ちてきたのはなぎ倒された大木の幹だった。

 少ない脳でも、これが一番効くと、学習したのかもしれない。


 受けるには無理があると見るや、飛那姫は美威をひっつかんで大きく後ろに跳躍した。

 その瞬間にもやはり、痛みが消えている。まるで一瞬のうちに傷が癒えてしまったかのように。


 雪の上を滑って着地すると、飛那姫は美威を脇に放り出した。

 視線の先の化け物は、明らかにダメージを負っていた。

 先ほどの風の矢で射貫かれた中心部分から、大きな亀裂が肩まで入り込んでいるのが分かる。


 それを見て少しだけ唇の端をあげると、飛那姫は剣を構えて疾け出した。


「来い! 冥界の炎!」


 青白く燃える魔法剣を美威が目にしたのは、おそらくこの時が始めてだったろう。

 先程と同じ青い炎が、飛那姫の握る剣に宿る。


「……っ地獄に還んな! 化け物!!」


 バチバチと炎を放つ長剣は、突き出されると同時に氷の中心部を貫いていった。

 金属をひっかくような音とともに、氷の塊にいくつもの亀裂が走る。


 飛那姫が剣を引いて離れても炎は異形の体にとどまり、勢いを増していった。青い触手のように氷の体を取り囲むと、全てを燃やそうとするかのように燃え上がる。

 亀裂から内部へと、容赦なく炎が潜り込んでいくのが見えた。


『キエエエエエエエエェェッ!!!』 


 異形の声を聞いたのはそれが始めてで、そして最後だった。

 薄いガラスを割るような、涼しげな音をたてて氷が砕け散っていく。

 キラキラと輝いたのは一瞬。


 美威が息を飲んで見守る中、噴き上がる黒い霧の粒子となったその体は、空中に霧散して跡形もなく消え去っていった



 そして、辺りは再びもとの静寂を取り戻す。

 普段の、播川村にかえっていく。


 美威は少しの間、呼吸をするのも忘れていた。

 その場に固まったまま、動けない。


 座り込んだままの美威の視線の先で、ブンと腕を振ると、飛那姫は剣を鞘に収める代わりに宙に溶かしてみせた。

 細かい光の粒子とともに、飛那姫の手の中でキラキラと剣が消え失せていく。


(剣って、こんな風に何もない空間に溶かしてしまえるものなのね……)


 それは魔法剣。

 持ち主を選び、ひとたびその魂とつながれば、主が死ぬその時まで自在に顕現できると言われている、滅んだ国の国宝。


 その存在の希少さを知らない美威にも、消える長剣の存在はひどくまぶしく、不思議なものに思えた。

 飛那姫はふう、と一つ息をついてから、まだ呆けたままでいる美威の前までゆっくりと歩いてきた。

 足を止めてから、まじまじと美威の顔を見つめる。


「な、何……?」

「お前、魔法、使えたんだな」

「……え?」

「完全に魔力の気配消してたから、分からなかった。すごいな、お前」


 投げかけられた言葉は、美威にとって未知のものではなかった。


「ひな! みい!」


 そこへ我に返った琴が駆け寄って来た。

 体当たりでもするかという勢いで、飛那姫と美威を抱きしめる。


「「ぐへっ!」」

「全くお前たちは……びっくりさせないでおくれよ!」


 息が詰まってじたばたする飛那姫と美威にはお構いなしに、琴は心底安堵の溜息をついた。

 その腕がまだ少し震えているのを感じて、飛那姫は困ったように微笑む。

 落ち着かせるように、回した手でぽんぽんと、琴の背中を叩いた。


「ごめんなさい、おばさん。もう大丈夫だから」

「ひな、まさかあんたが剣士様だったなんて……」

「ごめんなさい、黙ってて……」


 いくらかばつが悪そうに視線を落として、飛那姫は呟いた。


「お、おばおばさん……くるしい……!」

「あら、ごめんよ」


 美威の必死の形相に気づいて、琴はやっと腕を解いた。

 ぜーぜー、と肩で息をしながら、美威も苦笑いで一息つく。


 ああ、琴おばさんが無事で本当に良かった。

 二人はそんな同じ気持ちで少しだけ笑い合った。


「あっ! それよりひな、怪我は?!」


 思い出したように、琴が叫ぶ。


「あ……そうだ」


 くるりと背中に手を回して、飛那姫は美威を振り返った。


「?」

「血、止まってる……これ、お前だろ?」

「え?」

「あら本当! こりゃたまげたわねえ、傷がふさがってるわよ飛那姫!」

「お前もしかしてさあ、自覚ない?」


 首を傾げる美威に、飛那姫はげんなりした様子で尋ねた。

 だがその表情がいつもよりも柔らかいものに見えたのは、美威の気のせいではなかっただろう。


「……何が?」

「……こりゃ驚いたわ」


 まあいいか、と一人で納得したように呟くと、飛那姫はふと視線を遠くに投げた。

 そして、琴と美威から一歩離れる。


「ひな?」


 不安げな琴の視線を受けとめて、少しだけ笑った飛那姫はちょっと礼をする。


「おばさん、短い間だったけどありがとう。どうやら恩返しらしいこともできたみたいだし、そろそろ私は行くね」

「ひな……!」

「ひなちゃん?」


 予期していたのか、琴の顔に驚きはなかった。

 ただあるのは、半ば諦めの混じった恐れ。飛那姫が、自分達の前から消えていくことへの。


「分かってたよ、お前がこんな風に私達の前からいなくなっていくことくらい。それを止める権利が私達にはないことも」

「琴おばさん……」


 無理矢理助けられた形だったけれど、飛那姫は琴達に感謝していた。

 一時でも、二人の夫婦のおかげで心が安らいだ。温かいご飯も寝床も、優しい言葉も、うれしくなかったと言えば嘘になる。

 これからもここにいて、幸せに過ごす道もあったかもしれない。


 でも、今までのことを何もなかったことにして、知らない顔をしてここで過ごす訳にはいかないことも、飛那姫は分かっていた。


「行くなら止めないよ、ひな。でも約束しておくれ。何があったかは知らないけど……これから先、希望を捨てないって」

「希望……?」


 琴の言う、その二文字が皮肉に聞こえるのを、飛那姫は悲しく思うこともなかった。

 あるのだろうか、そんなものが本当に自分に。


「お前は心の強い子だよ。剣だって使える。でも強いからって一人でいちゃいけない、お前を必要としてくれる人を、お前を大切に思ってくれる人を捜して、幸せにならなきゃ」


 その言葉に、飛那姫よりも美威の方がどきりとして顔を上げた。

 必要としてくれる人。

 いらないと言われ続けてきた自分にも、そんな人が、出来るだろうか。


「……いるかな、そんな人」

「当たり前だろう! 私だって、本当なら出ていくなって言いたいけど……!」

「……琴おばさん」


 めそめそし出した琴を申し訳なさそうに見て、飛那姫は美威に視線を移した。


「美威、琴おばさんと正おじさんをよろしくたのむな」

「……行っちゃうの?」

「ああ、ごめんな……当分、この地にはいたくないんだ。それに私がここにいると、いつかおばさん達に迷惑がかかるかもしれない」

「迷惑? なんで?」


 その質問には答えずに、飛那姫は再び琴に向き直った。


「琴おばさん、体に気を付けて」

「ううっ、お前もね……いつでも帰っておいでよ」

「うん……本当に、ありがとう」


 いつもの作った無表情ではなく、まぶしいものを見るような目で琴を見てから、くるりと背を向けて飛那姫は歩き出した。

 もう振り返らないと言わんがばかりに。


「ひなちゃん……!」


 美威は思わず後を追おうとして、後ろから琴に引き留められた。


「行かせておやり。そういう子なんだよ、あの子は……」

「おばさん……」


 ふと、美威は空を見上げて青空が顔を出し始めているのに気が付いた。

 雪が、止まっている。


(春が来る……)


 きっとすぐにも、それはやってくるだろう。

 暖かい春の日差しが、そこまでやって来ている。


 それにも関わらず、ひどく心細く悲しげな気持ちになって、美威は降り積もった雪に溶けていく飛那姫の背中をただ見送っていた。

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