盤上でない闘い
「王手」
僕は後手の黒い駒をキングの正面に移動させて、王手を宣言した。
いや、王手とは少し違うか。
「ボルドカッツでこういうのは、なんて言うんだっけ? ええと、ダブル・ボルドメイト?」
普通の王手と違って、もう挽回のチャンスはないだろう。
左右から攻め込まれる形で逃げ場を失った白のキングを見て、真っ青な顔の男は「馬鹿な」と呟いた。
さっきは語尾が「め」だった気がするなぁ。
古くからあるこのボードゲームの存在は知っていたけれど、やり始めたのはつい最近のことだ。
難解なタクティクスを駆使して、はるか先の局面までを読むところはなかなかに楽しいと思う。
難点は、対局相手がいないところかな……
「うん、最近の中では一番楽しかったよ。君、細かい戦術を持っているし、新手だね。僕は古い資料ばかり見てルールを覚えたから、どうやら棋風も古いみたいだ。勉強になったよ」
「古い? 貴方の手はどの局面でも、過去の定跡に捉われることのない、最善の一手に見えました……しかし何故、私はこれほどまでに完敗したのでしょうか?」
「うーん……それは、この勝負に勝つことが、頼れる兄としての僕に必要だったからかな?」
「……は?」
口を開けたまま、訳が分からない顔になってしまった対戦相手に、僕は悪意のない笑顔で応えた。
「妹の為に勝負に出て、負けたことないんだ、僕」
-*-*-*-*-*-*-*-*-
共同墓地には人気が無い。
温かさを増した春風が、「よく来たな」と言ってくれているような気がした。
酒瓶の栓を開けて座り込んだ私は、そこにいるわけもない師匠の姿に向かい合っていた。
「師匠。私……今、うまくやってるかな?」
これは独り言に他ならない。
独り言でなければならないことを、吐き出しに来たのだから。
「周りがどんどん流れていって、一人だけ置いてかれてるような気分になるんだ。それなのに、大切なものが日に日に増えていって、たまにすごく怖くなる」
どんなに確かにそこにあったものも。
一瞬でなくなってしまうことを、知っているから。
「だからこそ、余計に大切にしろって……美威が言うんだ」
そんな風にだけ考えられたら、もっと強くなれるのかもしれない。
大切なものが増える度に、素直に喜ぶことも出来ず、不安ばかりが募る。
こんな自分の弱さが大嫌いだ。
「『泣くな、笑え』って……難しいこと言うよな、師匠……もっと強くなれってこと? どんな気持ちで、私にそう言ったの?」
その答えを教えてくれる人は、もういない。
紗里真復活のうわさを聞いて、国を離れた人々は続々と大国に帰ってきていた。
各ギルドも大いに活気を取り戻し、荒れた国を建て直すことが出来ると喜んでくれている民が大半のようだ。
徴税も始まるから、手放しでは喜べない人もいるだろうけど、今のところ大きな反発はない。
近隣小国から侍従や侍女を少しずつ借りてきたり、当時のマニュアルから城の中の環境を整えたり。
落ち着くにはまだ時間がかかるけど、言い換えれば時間が解決するような問題ばかりだ。
兄様が新しく雇った庭師達が庭園を整備していくのを見ていると、時間を忘れた気にもなる。
そんな場合じゃないのに、と思いつつ、生き返っていく庭園を見ていると泣きたくなる。
良い方向に動き出している風景を見て、少しくらい手放しで喜んでもいいはずなのに。それが出来ない。
「王に、なろうと思ったんだ。私……でも、やっぱり無理だったみたいでさ。兄様に押し付ける形になっちゃった……」
美威にも、兄様にも見透かされてたんだと思う。私みたいな弱い人間が、玉座に座るなんて出来ないことを。
兄様は、もう頑張らなくてもいい、と言ってくれたけれど、本当に甘えてしまっていいのだろうか。
神楽は私の手の中にあるのに。
「軍事力も問題ないし、継承権も気にしなくていいって言ってくれたけど、神楽を持っていない兄様が王になって苦労しないか、少し心配なんだ。私が、勝手に神楽をもらっちゃったようなもんだからさ」
兄様が大丈夫だと言うのだから、きっと大丈夫なんだろうけど。
誰が王になるのでも、今は紗里真の再建に全力を注がなくてはいけない時期だ。
生き返っていく紗里真を見ていると不安だなんて、馬鹿なことを言っている場合じゃないのは分かっている。でも。
「怖いんだ……城の中に人が溢れていくのを見ていると、まだ怖い。またあの時みたいなことが起きるんじゃないかって、どうしようもなく不安になる。どうしたらいい? 師匠……」
大丈夫だ、と言って欲しい。
この心細さを埋める、絶対的な温かさが欲しい。
いずれ自由に解き放ってやらなくてはいけない、美威に求めるのではなくて。
生まれた時から庇護するよう条件付けられた、家族に求めるのでもなくて。
ぽっかりと穴の開いた、胸の内の寂しさがどこから来るのか、本当は知っている。
「……会いたいな」
左手に光る白銀の線を指で撫でて、一人呟いた。
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「……そんな理由で、平和的に収まってしまったら、つまらないよ」
ふいに、壁際からそんな台詞が聞こえた。
少し高めで、感情の温度を伴わないような声。
「……誰だ?」
そう問いかけたのは、西渡の侍従長だ。
いぶかしげな眼差しを、壁際に立つ黒髪の子供に向ける。
歳の頃は10歳くらいだろうか。侍従見習いとしてもこの場にいるのはそぐわない年齢だ。
「ああ、やっと気付いてくれた? 最初から僕に気付いてたの、そのお兄さんだけだもんね。あのお姉さんと似てる匂いがしたから、面白そうだと思ってついてきたんだけど……」
「侍従長、あれは先月に見習いで入った奴隷です。よく働くので雑用をやらせていましたが……おい、お前、何故ここにいる?」
侍従長の隣に立っていた男が、そう言って一歩前に出た。
僕だけが最初から気付いていたって……完全に気配を消して、皆の意識の外にいたってことか?
変に気にかかる子供だとは思ったけれど、その先を考える気にならなかったのはまさか、意図的に意識が向かないように仕向けられていたから……?
言いようのない異様な感覚が、ざわり、と二の腕に鳥肌を立てた。
僕の中で何かが警告を発していた。この少年は普通じゃない、危険だと。
「せっかくきな臭いと思ったのに……血が流れないと、やっぱりつまらないよね」
底の見えない闇から響いてくるような声だった。
次の瞬間、本能的に僕は魔力による盾を展開していた。
激しすぎる静電気を帯びたような黒い気配が襲いかかる。触れるもの全てを突き刺すような棘をまとって。
斬撃が放たれた。
「……っ!!」
盾と受け止めた刃の境で、びりびりと空気が鳴った。
至近距離からの衝撃の激しさに、吐き気をもよおすような魔力が加わって歯を食いしばる。
(なんだこれは?!)
はじき返した攻撃のあと、床に落ちる複数の鈍い音が響いた。
「すごいすごい! ぼーっとした人かと思ったら、全然違った!」
はしゃぐような、子供の声が聞こえた。
自分の背後は護れた。
だけれど、その他は……
視界の中に、黒く禍々しい剣を構えた少年が映った。
そしてその周囲の白い壁に飛び散った、身の毛もよだつ絵画のような赤と。
床に落ちた、人だったものが。
「僕の剣、強い人の血が大好きなんだ」
綺麗な笑顔で、少年が言った。
あ、なんとか更新出来ました。
明日はほとんど一日用事で外出しているので、更新出来ても夜ですね。
無理だったら、火曜日をお待ち下さい……
次回、西のプロントウィーグルからインターセプター語りで(嘘)。




