回顧録3 ~泥棒少年~
「おい! 待てって言ってんだろ!」
私は人気のない道に出たところで、目の前を逃げていく少年の頭を飛び越すと前に回りこんだ。
「わっ!」
「盗んだこれ、持ち主に返してこい!」
驚いてよろけた少年の胸ぐらを掴むと、私はその懐から長財布をひとつ、取り出した。
「あっ! 何するんだ!」
「何するんだはこっちのセリフだ、人の金盗ってうまいもの食うつもりか?」
「くそっ! 返せ! それは俺のだ!!」
「お前のじゃないだろう」
どん、と突き放してやると少年はその場に尻餅をついた。
敵意のこもった鋭い目で、私を睨み上げる。
「人のものを盗むのは悪いことだって、教わらなかったのか?」
「えらそうなこと言いやがって……! お前だって働けない年齢のくせに!」
「私はこの国の人間じゃない」
「じゃあ余計に口出しすんな! 何にも知らない余所のヤツなんかに……俺たちのことが分かってたまるか!」
「分からないね、泥棒の気持ちなんか」
少年は叫ぶと、私の持っている財布を奪い返そうと、つかみかかってきた。
ひょいひょいと避けて、足払いをかけてやると、少年は前のめりになってまた転んだ。
「ちくしょう……! 殺してやる! それを返せ!!」
「だから、お前のじゃないって言ってる……」
ひゅん、と空を斬って、薙ぎ払われた刃を交わす。
少年の手には、小型のナイフが握られていた。震えた手で握りながら、それでも一歩も譲らない表情で向かってくる。
「おい……武器まで持ちだして、どこまで素行の悪いヤツなんだよ」
手刀で手首をはたくと、少年は悲鳴をあげてその場に膝をついた。さすがに腕を折る気はないけど、ちょっとくらい痛い思いをした方がいいと思った。
「ちくしょう……ちくしょう……」
地面に落ちたナイフを拾い上げると、私は脅しをこめて微笑んだ。
「下手な刃物は振り回しても当たらないけど、万が一当たったら痛い。自分の体で試してみるか?」
別に傷つけるつもりなんてない。脅したいだけだ。
それでも少年には十分効いたようで、青い顔で私を見上げた。
うん、この辺で勘弁しておいてやるか。後はこの財布を持ち主に返して……
「……やめて!!」
女の子みたいに高い声が聞こえたかと思ったら、すぐ横の家にある納屋の戸がばしん! と音を立てて内側から開いた。
そこから転がるように、一人の小さな男の子が走り出てくる。
「ごめんなさい! 兄ちゃんは悪くないんです! 殺すなら僕だけにしてください!」
「……えっ?」
「友伍! 馬鹿! 出てくるなって言っただろう!!」
呆気にとられて、私と少年の間に割って入ってきた半泣きの男の子を見つめる。
後ろの少年は、がばっと立ち上がると男の子を抱えて後ずさった。
「兄ちゃん、もういいよ……こんなことしてたら、いつか殺されちゃう……!」
「お前は黙ってろ!」
少年は男の子を後ろ手にかばうと、再び私に向かい合った。
その背中の向こうに、ゴホゴホと、変な咳が聞こえる。苦しそうな呼吸も聞こえてきた。
「その財布を返せ。弟は……病気なんだ。薬を買う、金がいる」
絞り出すような声で、少年が言った。私は返す言葉が続かなくて、開きかけた口を閉じた。
「きれい事だけじゃ生きてられない。生きるためにやってるんだ……この国には、こうする他に金を手に入れる方法がない」
「……親はいないのか……庇護してくれる人は……」
「母さんは弟を産んですぐ死んだ。父さんも1年前に事故で死んだ。庇護してくれると言った人間は、俺はいいけど弟はいらないって言いやがったんだ……どうせすぐに死ぬから、いらないって!」
私はもう完全に、何を言って返せばいいのか分からなくなった。
生きていくために仕方なく、それしか方法がないから。それなら本当に悪いのは……むしろ、そうさせてる大人の方なんじゃないだろうか。
この少年は、本当に悪人なのか?
私は目の前の右頬に傷を負った少年と、その少年がかばう5歳くらいの男の子を見た。
着ているものも最小限。どう見ても満足に食べてるとは言いがたい骨張った体。
環境のせいなのか、全てを敵だと叫んでいるようなその擦れた目が、私の言動を真っ向から否定していた。
少年は困惑した私の表情を見て、苦々しそうに顔を歪めた。
そしてゆっくりと近付いてくると、私の手から財布とナイフを取り返した。
「この国では親のない子供は即、奴隷だ。引き取られるか売られるかして、13歳になるまでに使い捨てられる。俺は……そんなのごめんだ。弟も、死なせない」
少年は、弟を抱き上げると路地の奥へと姿を消した。
その姿を見えなくなるまで見送って、私は唇を噛んだ。何に対してこんなに憤っているのか、自分でも分からない。
(何も、言い返せなかった……)
盗みは悪いことだ。紗里真でも泥棒は警備兵に捕まって、然るべき処罰を受ける対象だった。
でもあの少年に対して、「駄目なものはダメだ」と言い切れるほどの何かが、自分の中にはない。
おめでたい頭だと言われても仕方なかった。考えが足りなかった。
正義の味方気取りで、「自分なら簡単に止められる」としか思っていなかった、浅はかさが恥ずかしい。
同時に、現在進行形で経済として成り立っているこの国の奴隷制度に、吐き気がするほどの嫌悪感を覚えた。
奴隷狩りもきっと、日常的に行われているんだろう。
そこまで考えてから、私はハッとして、周囲を見渡した。
「美威……?」
私はいつも隙だらけの黒髪の少女の顔を思い出した。
(しまった!)
市場で走った時に、置いてきてしまったに違いない。
奴隷狩りに捕まった美威の姿を思い出したら、背筋を寒いものが走っていった。
「美威! どこだ?!」
走り出した私の耳に、「飛那ちゃん」と呼ぶ声が聞こえた気がした。




