偶然はもういらない
「こんな道の真ん中で、ぼけっと何やってるんだ?」
明るい薄茶の瞳が、まっすぐに私を見ていた。
水色の襟が開いたシャツに、ベージュのショートパンツ、夏用のショートブーツ。編み上げた髪がゆるくウェーブを描いて、夕方の光をまとっている。
久しぶりに見た彼女は、以前にも増して強い輝きを放っているように見えた。
「傭兵大会出なかったのか? あ、そうか。お前騎士なんだったっけ……じゃあ、仕事なのか?」
たった今、もう会えないかもしれないと思っていたのに……なんだろうこれは。あまりにも唐突に現れた彼女に驚いたのと、胸に広がったうれしさで、言うべき言葉が何も出てこない。
「アレク? 聞いてるか?」
そう言われて、無言のまま彼女を見つめてしまっている自分に気がついた。
「……飛那姫」
「うん?」
「久しぶりだな……」
「それ、もう私が言ったぞ。反応鈍くないか?」
「君を、捜してたんだ。会えて良かった」
やっと交わすことの出来た会話に、思わず笑みがこぼれた。彼女は首をかしげて「捜してたのか?」と言った。
ああ、捜していた。ずっと。
「君は、大会に参加しているとばかり思っていたんだ」
「あー、そのつもりで来たんだけど……残念ながらエントリーに間に合わなくってさ、出れなかったんだよね」
ああ、やはり出るつもりはあったのか。間に合わなかったとは……道理で選手の名簿に出ていないはずだ。
「パートナーは一緒じゃないのか?」
「食堂でアルバイト中。氷作ってるよ、自動製氷機だから」
「そうか、確か魔法士だったか」
「アレクは、その格好……仕事だよな? どう見ても」
私ははっとして自分の出で立ちを振り返った。旅の都合上、そこまで仰々しい格好はしていないはずだが、明らかに今は騎士よりもよほど王族に近い正装をしている。
飛那姫は私が大国の第一王子であることは知らない。彼女と対等でいるためには、そのことを知られてはいけないとも思った。
マントに入ったプロントウィーグルの紋章を、思わず隠したくなる。
「ああ、まあ……そんなところだが。飛那姫は、ここで何をしていたんだ?」
「え? 私?」
はぐらかすような私の問いにちょっと答えにくそうにすると、彼女はぽそっと「迷った」と言った。
「……迷ってるのか?」
「大会本部の方に行きたかったんだけど」
「まるで逆方向じゃないか」
「ちょっと、方向感覚には自信がなくって」
それは、本当にちょっとのレベルなのか?
「このまま進むと町を出てしまうぞ」
「げっ、うそ……ああ、それマズイ。教えてくれてサンキュ」
「あっ、ちょっと待ってくれ!」
くるりと方向転換して、走って行きそうになる彼女を、私は急いで呼び止めた。
まだ話したいことがある、と続けようとした瞬間、彼女のシャツの左肩に、にじんだ赤い色があるのを見つけてしまった。
「何?」
「飛那姫……それ、まさか怪我か?」
私が左肩を指さすと、彼女はちらと自分のシャツを見て、「ああ」と言った。
「これ? 大したことないよ。さっき少し他の傭兵と斬り合って……」
「少し、斬り合って?!」
「いや、成り行きだからな? 普段はやらないよ。人の大剣使ってたからやりづらくってさ、相手もなかなか強かったから全部避けられなくって……」
「何故すぐに手当てしなかったんだ?」
「だから、そんな大した怪我じゃないし……」
「飛那姫」
「ん?」
「ちょっとこっちに来てくれ」
私は彼女の手を取ると、有無を言わさず道の真ん中から移動した。
通りから少し外れた小径に入って向き直ると、彼女はきょとんとした顔で私を見上げてきた。
「傷、診させてもらうぞ」
水色のシャツの袖をまくり上げると、白い肩にまだ塞がっていない傷が見えた。
「大したことあるじゃないか。血もちゃんと止まっていない」
「こんなの大丈夫だって、放っておいても」
「何を言ってるんだ君は? 傷が残ったらどうするつもりだ?」
言いながら、少し腹が立った。傷つけられて血が流れているのに、放っておいても大丈夫だなんて……
「親からもらった体だろう。もっと大切にしなくちゃ駄目だ」
私は彼女の左肩に手を添えると、治癒の呪文を唱えた。
「治癒再生呪」
ふわりと白い光が手のひらからもれると、すぐに彼女の傷は癒やされた。
傷がなくなったことを確認してほっと息をつくと、私は彼女を見下ろした。
視線が合って、ふと気付けば大分距離が近い。
「あ、すまない……」
肩から手を離して一歩下がると、怪訝そうに飛那姫は私を見た。
「治しておいてなんで謝る? 相変わらず変なヤツ……」
彼女はそう言ったあと、思い出したように口元を押さえて、ふふっと笑った。
よく表情の変わる彼女は、見ていて飽きない。
「なにか、おかしかったか?」
「いや、そういえば初めて会った時もアレクには説教されたなと思って」
「ああ……」
説教か。そういう風に取られてしまうとは。
「おせっかいなところは変わらないみたいだな。ありがとう、アレク」
「いや……」
「あっ」
「? どうした?」
「忘れてた! ハンカチ。アレクに返さなきゃいけないと思って……ああ、でも今持ってないや。宿に行かないと……」
「ハンカチ?」
「ほら、土竜の時に貸してもらった黄色いヤツ。ええと、なんだっけ? 世界三大織物の……」
「もしかして、西華蘭織のことか?」
「そうそう、それのハンカチ。返そうと思って」
「ああ……」
あれは、自分の中ではあげたものだと認識していたのだが。正直、そのことすら忘れていた。
彼女は、いつ会えるかも分からない私のものを、返そうと思って、今まで持っていてくれたということか?
「あげたものだと思っていたから、返さなくてもかまわなかったんだが……」
「え? いやでも、あれ高いヤツだって相棒が……悪くないか?」
「使ってくれてかまわない」
「あ、そう……」
どうやら本当に持っていてくれたらしい。そんな小さなことなのに、じんわりとうれしく思えた。
「今まで持っていてくれたんだな? 返すあてもなかったのに……」
思わずそう言ってしまったら、彼女は当然のような顔で答えた。
「うん、なんかアレクとはまた会えそうな気がしたから」
そんな不確かな「気がする」だけで。
私が普段足を踏み入れないような場所までわざわざやって来たのは、彼女に会って、その剣技を見るためだったはずだ。
これから帰還する私は、もうここで彼女の剣を目にすることはないだろう。
それなのに。
会えて、こうして話をしただけで、もう随分満足してしまっているのはどうしてだろう。
「今回は……君の剣を見ることが出来なかったけれど、またどこかで土竜の時のように一緒に仕事が出来たらいいと思ってる」
「そうだなー……って、そもそもお前傭兵じゃないし。次いつ会えるかも分からないのに、難しくないか? それ」
ああ、難しいと思う。世界は広いからな。
定住先のない流れの傭兵を、なんの当てもなく探し出そうだなんて、馬鹿げてるだろう。この町の中だけでも、危うく見つけられずに終わったかもしれないのに。
いつ会えるかと、何年先になるかも分からない日を待つのはもうごめんだった。
「君の剣をまた見たいんだ、飛那姫」
「そりゃ、機会があれば」
「良かったら、私にも何か君に繋がるようなものをくれないか? 高いものでなくていい」
「メンハトか?」
「いや、それだと一度使えば終わってしまうから……身につけているものとかで、君の魔力が移っているようなものがいいんだが」
私の言葉に彼女は少し考えて、自分の持ち物を振り返ったようだった。
「……今、何にも持ってないんだよなぁ。私の魔力が移ってるものだろ? それがあるとなんか役に立つのか?」
「ああ、今度は偶然に会えるのを待っているのじゃなくて、君を探しに行けたらと思って」
「え? まさかアレクも魔力で人を追跡出来るのか?」
「いや、私にはそんな能力はないが……」
「そりゃそうだよな。ああ、びっくりした」
うーん、と唸ったあと、彼女は「あ」と何かに思い当たったように、頭の後ろに手を伸ばした。
パチン、とそこについていた髪飾りを外すと、留めていた髪がはらりと頬にかかった。艶のある髪を後ろにかき上げながら、彼女は外した髪飾りを私に差し出した。
「女物だから、使えないとは思うけど。こんなんでもいいか?」
「これは……」
赤と青と黄色と緑の、丸いガラス細工のはまった、青く光る髪飾り。
「まるで、君の剣だな……」
「分かる? お気に入りなんだ」
「私がもらってしまっていいのか?」
「うーん……? うん、まぁ、いいよ」
自分でもよく分からないという顔で、彼女は頷いた。
彼女の手から髪飾りを受け取ると、遠くの方からなにやら声が聞こえてきた。あれはイーラスの声だ。
「アレクシス様ー! どこに行かれたのですかー?!」
ああ、まずいな……。
なんとなく、イーラスと飛那姫は会わせない方がいい気がする。
「呼ばれてないか?」
「ああ、そのようだ……」
「前から思ってたけど、アレクってどっかの貴族なのか?」
「……それは……気になるか?」
「いや? 全然」
本当にどうでもよさそうに、彼女が答えた。
飛那姫らしい。
私は近づいてくるイーラスの声に小さくため息をつくと、手の中の髪飾りを握りしめた。
「髪飾り、無理を言ってしまったようですまないな……ありがとう」
「ああ、いいよ」
「それで一応、許可を、もらってもいいだろうか?」
「許可? なんの?」
「君を、追っても……かまわないだろうか?」
不確かな偶然の再会は、もういらない。
私が尋ねると、彼女は目をぱちぱちしながら首をかしげた。
「追えるわけないだろ?」
「出来るかどうかはともかくとして、ひとまずいいか悪いかだけを聞きたい」
「別にいいけど」
「……そうか」
その時、またイーラスの呼ぶ声が聞こえてきた。そろそろ戻らないと見つかるな……
「呼んでるぞ。行かなくていいのか?」
「ああ、もう行くよ」
「じゃあな」
「飛那姫」
「ん?」
「今度からは、怪我をしたらすぐ治すように」
「分かったよ……」
苦い顔で答えた彼女に、私は笑って「また会おう」と言った。
短い再会でしたが、アレクシスにとって収穫はありました。
飛那姫は、まあ、おおむねいつも通りです。
次回は、マルコソ泥がうるさい回です。明日か明後日には更新出来ると思います。




