魔道具屋の夜
緑の森に囲まれた東岩の町は、夏の蒸し暑さを残しながらも心地のいい夜を迎えていた。
魔道具の核を生成するときに出来る、草を焦がしたような匂いが鼻をくすぐる。
魔道具屋に共通する香り。嗅ぐ度にこの場所を思い出してきた。
少し傷が増えたカウンターも、棚の配置も、壁際に置かれたベンチの位置も変わらない。
本当にあれから7年も経ったんだろうか。
まだここに、自分がいることが信じられない。
「代わり映えしないだろう?」
イスに座って辺りを眺めていたら、杏里さんが湯気の立った大皿を手にキッチンから戻ってきた。
店の作業台とキッチンから持ってきたテーブルをくっつけた上に、美味しそうな料理が並んでいく。
「手伝うよ」
「今日はいいよ、あと、ちゃんと助っ人が手伝ってくれてる」
断る杏里さんの後ろから、マルコが両手に皿を抱えてひょいひょい歩いてくる。
「そうそう、飛那姫ちゃん、俺が働きますから~」
「……なんでお前がここにいるんだ」
盗賊ってヤツは、本当にどこにでもすっと入り込む。
順応性が高すぎると思う。
「飛那姫、そんな言い方ないだろう。仲間に対して」
「仲間じゃないって……」
腑に落ちないが、もう場になじんでいるので仕方がない。
私はマルコを軽く睨んでから、隣に座っている美威を見た。
「……何?」
じっと見ていたので、変に思ったらしい。
美威が居心地悪そうに、聞いてきた。
「いや、ここに美威がいるのって、なんかすごく不思議で」
「ああ……うん、そっか。私も飛那ちゃんが魔道具屋さんにお世話になっていたとは思わなかった」
棚に並んでいる魔道具を眺めながら美威が言った。
そういえば、言ったことなかったかもな。
私にとってこの店は、シェルターみたいなもので。
痛いことや苦しいことが何にもない、守ってくれる人のいる、安心できる場所だった。
今にして思えば、魔道具屋としての認識は薄かったかもしれない。
料理が全部並んで、杏里さんがキッチンから戻ってくる。
配膳の殆どをやり遂げたマルコが、イスを引いて杏里さんを座らせた。
「ありがとう。あー、ずっと立ってるとそろそろキツイ頃かねぇ……」
「あっ、だから手伝うって言ったじゃん。無理しちゃダメだよ」
大きいお腹をさすっている杏里さんに、私はちょっととがめ気味に言った。
今、7ヶ月だそうだ。
妊婦さんなのに、働かせてしまうなんて……
「力仕事でもなんでもやるから、言って」
「ありがとね、飛那姫。でもね、妊婦も少しは動かないとダメなんだよ」
「そうなの?」
「そうよ。さ、食べようか」
みんなでいただきますって手を合わせて、マルコも美威も遠慮無く料理に手を伸ばしはじめた。
「おいしーい!」
「本当だ、見た目からうまそうと思ってたけど、杏里さんって料理上手! 弦洛先生は幸せものですねぇ」
マルコがほめついでに、弦洛先生に余計な感想を入れる。
対応に困ってるから、やめてやれ。
師匠がいなくなって、風托が生まれて。
杏里さんは3年前に弦洛先生と結婚したらしい。
先生は相変わらず診療所で医師として働いていて、食べるのと寝るときだけ帰ってくるって杏里さんがこぼしてた。
師匠は今の杏里さん達を見たらなんて言うかな。
ヤキモチ焼くかな。
いや、きっと「良かった」って安心するだろう。
そんな気がした。
私は、料理と、杏里さんと弦洛先生に挟まれている風托と、相棒とついでにマルコの顔も見ながら、なんだか胸がいっぱいになっていた。
お腹は空いているし、杏里さんの料理は美味しそうだし、食べたいはずなのに手が伸びない。
変だな。胸に空気が詰まってるみたいに、食べものが喉を通る気がしない。
「飛那姫? 食べないのかい?」
杏里さんが料理に手が出ない私に気付いて、聞いてきた。
「冷めちまうじゃないか。コロイモチーズのオーブン焼き、好きだったろ?」
「うん……ごめん」
「はい、早く食べな」
取り皿に分けてくれた見覚えのある料理に、私はおそるおそるフォークをのばした。
小さく一口、口に入れたら、温かいイモとチーズの香りが口に広がった。
ああ、覚えてる。
私、この味をちゃんと覚えてる。
「へへ……美味しい」
人は悲しいときにもうれしいときにも涙が出るけれど、美味しいときにも泣きたくなるなんて知らなかった。
少しだけ目元を拭って、私はそこからお腹いっぱいになるまで食べた。
夕食の後、お茶を煎れていると、キッチンに風托が顔を覗かせた。
「ん? どうした? なんか飲みたいのか?」
しゃがみ込んで目線を合わせると、風托はじっと私の顔を見てきた。
こうやってまじまじと見てみると、師匠に似てる。
眉のあたりとか、目とか。鼻と口は杏里さんかな。
将来、結構男前になるんじゃないだろうか。
「お姉ちゃん、剣が使えるの?」
「え? ああ、使えるけど……」
「強くなるには、やっぱり剣を習ったらいいのかな?」
(んんん? なんだ急に。杏里さんか弦洛先生がなんか吹き込んだのか?)
突然の質問に、私は内心どう受け答えようか迷った。
男の子だから強いものに憧れる気持ちは当然あるだろう。
でもここで「剣を習えば強くなれるよ」って言っていいのかな?
弦洛先生は立派な医師だけど、強いって感じじゃないし……父の威厳、壊れたりしないか?
「ええと……風托は強くなりたいのか?」
「うん。おれ、ケンカよわいから……」
ああ、なんだ。そういうことか。
ていうか、一人称「おれ」か。ミニ師匠。
可愛すぎる。
「剣はケンカに使うもんじゃないぞ。ケンカは拳でやれ」
「ええ~? そうなの?」
「うん、お姉ちゃんもケンカに剣は使わない」
私の場合、美威曰く「全身武器」らしいけどな。
「でもおれ、剣が好きなんだよね……」
「……そうなのか?」
私はお茶のカップをトレイに乗せて、風托と話しながらみんなのところに戻った。
「杏里さん、風托、剣が好きなんだって?」
運んできたお茶をテーブルに乗せながら聞くと、杏里さんは苦笑いで風托の頭をなでた。
「最近ことさらにうるさいんだよ。血は争えないみたいでね……でもまだこの子には早いと思って」
「そう? もう6歳なら早くないと思うけど……私は2歳から剣を持ってたよ?」
「飛那ちゃん、自分と普通の人を一緒にしちゃダメだよ……」
美威が横から話に割り込んできた。
そうか、そういや私、6歳で普通に大人と手合わせしてたもんな。
「母ちゃん、剣術の道場行きたいよ~」
風托は杏里さんにしがみついて、そうねだった。
私は杏里さんの困った様な表情を見ていて、ふと気付いてしまった。
「杏里さん……もしかして、剣、嫌い?」
どちらかと言うと、習わせたくないと思っている気がする。
「いや、嫌いなわけじゃないんだ。ただ……剣を習うことで、この子がどこか遠いところに行くことになったら、嫌だな、と思って」
そう思わせてしまったのは、主に師匠のせいだろうけど、自分にも責任の一端があるような気がしてならなかった。
「なんか……ごめんなさい」
「なんで飛那姫が謝るんだい? 風漸がいけないんだよ。城勤めだったり傭兵だったりして、ずっとフラフラしてたからね……」
「うーん……」
それでも、後半部分はやっぱり自分にも責任があるだろう。
杏里さんが風托に剣を習わせるのをためらう理由は、なんとなく分かった。
トラウマを植え付けたのは、間違いなく師匠と私だということも。
「……風托、剣が好きなんだな?」
「うん! 格好いいから好き!」
「お前がもし、剣を習うことで母ちゃんを泣かすようなことしないって言うなら、お姉ちゃんが教えてやろうか?」
「え?! 本当?!」
風托は目を輝かせて杏里さんから離れると、ぴょんぴょんその辺を飛び回りはじめた。
「やったー!」
「……飛那姫」
杏里さんがため息交じりに私の名を呼んだけど、ここはひとつ、諦めていただきたい。
師匠の子なんだから、遅かれ早かれ剣にはたどり着くに違いない。
せめてそのスタートは、私が背中を押してやりたい。
「ちょっとだけなら、いいんじゃない?」
「……仕方ないね。でも今日はもう遅いから、明日にしなさい」
「はーい!」
困った笑い顔の杏里さんと、うれしそうな風托を見て、みんなも和んだ。
「ね、お姉ちゃんの剣はどこにあるの? 見せて見せて!」
これで話はおしまいかと思ったら、風托がそんなことを言ってきた。
「え? 私の剣……か。ええと……明日にしないか?」
「やだ! それだけ見たらもう寝るから! お願い!」
「あー……」
この狭い店の中で神楽を出していいものかどうか、悩ましい。
ちらりと美威を見たら、肩を落として苦笑いだった。
子供には勝てないもんなぁ……
「分かった分かった。ちょっとだけ出してやるけど、お姉ちゃんの剣、すっごく危ないんだ。絶対に触らないって約束出来るか?」
「出来る!」
「よし、じゃあちょっと下がれ」
少し考えて、私はテーブルの上のお茶をどかした。
「この上に置いてやるから、見るのはいいけど、本当に、絶対触るなよ」
「うん!」
テーブルの上にかざした右手の中に、青い粒子が集まりはじめる。
私は、いつもよりゆっくりと、神楽を顕現させた。
キン! という音が魔道具屋の店内に響き渡る。
青白い光をまとわせた魔法剣を、私はそっとテーブルの上に置いた。
長剣はテーブルの長さギリギリで、なんとか乗った。
「うわあ~!!」
「触るなよ! 痛いことになるからな!」
神楽は私以外触れることが出来ない。
こいつは私以外の全てを、斬る対象としてしか見ていない気がする。
刃以外のところを触ったとしても、電気が走るように痛い思いをするらしい。
美威を含め、触れた人間はもう二度と神楽に触ろうとは思わないみたいだ。
「この剣、おれよりおおきーい。キラキラしててきれいだねぇー」
風托はニコニコしながら神楽を眺めていた。
喜んでもらえて私もうれしい……けど、杏里さんの顔が微妙だ。
あと、弦洛先生も。
やっぱりこの狭いところで出さない方が良かったかな?
「……飛那姫、この剣」
「はい?」
杏里さんが、真剣な顔で私を見た。
「魔法剣だね?」
「え? ああ……」
そういえば、杏里さんに剣を見せたこと、なかったかも。
ここの裏で稽古するときは目立つから、木刀だったし。
「うん、そうだよ。私の愛剣」
「はじめて見たけど、何だろうね、これ。一体いくつ属性がついてるんだい?」
「ええと、4つ、かな。これが無属性で、こっちが火、これが風、で、これが雷」
「全部ちゃんと動くのかい?」
「動く……うん。使えるよ」
「こんな複雑な魔法式、現代じゃ再現出来ないね……原料も、手に入らないかも」
ああ、そういえば、この人もある意味魔道具マニアだった。
私の周りに多くないか?
魔法剣も広義で言えば魔道具の一つに入る。
遙か昔の魔法士や魔術士達に作られたこの剣の技術に、驚くのも無理はないだろう。
実際、国宝級なのだから、かなり希少な魔道具と言える。
「あの、杏里さん?」
ブツブツ言っている杏里さんに、美威が向かいから声をかけた。
「なんだい?」
「杏里さんは、魔道具を作るためにどこで勉強したんですか? その……私も、魔道具大好きなんです。勉強して自分で作ってみたいんですけど、どこでどう習ったらいいのか、知らなくて」
「ああ、そうなのかい……」
美威と杏里さんが魔道具談義をはじめたので、私は神楽を消すことにした。
「風托、剣はもうしまうからな。あとは明日」
ふっと、青い残像を残して消えた長剣を見て、風托は名残惜しそうに部屋に上がっていった。
「おやすみなさ~い」
うーん、かわいいぞ風托。
ある意味、私の弟分だよな。
そう思うと、余計にかわいい。
「飛那姫、なんと言うか……お前は色々派手だな」
もう一度テーブルにお茶を並べ直してイスに腰掛けたら、弦洛先生がそんなことを呟いた。
派手ってなんだろう。神楽が?
「ああ、分かる分かる。飛那姫ちゃん目立つもんねー」
マルコが同意してるけど、なんなんだ、一体。
「まあ、その辺りは本でもいいだろうけど、実際にはどこかに弟子入りしないと難しいだろうね」
「そうなんですか? 学校みたいなのに通うとかもアリですか?」
「大国や大きい町にはそういう学校もあるけど、通うのにはお金がかかるし、あんまり現実的じゃないよ。やっぱり住み込みとか、勤めながら詳しい人に教えてもらうのが一番じゃないかな」
「そうかー。詳しい人に教えてもらうのかー」
なんか、この二人も話し込んでるけど。
美威はハイドロ号以降、魔道具マニアに拍車がかかってるように感じるのは気のせいか?
「私、老後の職として魔道具を作れるようになりたいんですよね。出来ればちょっとその辺で売ってないような、すごい魔道具を作りたいんです。どこかに技術を伝授してくれるような、詳しい人がいればいいのに……杏里さん、そういう人知りませんか?」
老後かよ。
どこまで話飛んでんだ、美威。
「そうだねぇ……すごい技術かぁ。ここら辺じゃ魔道具士もめっきり減ってねぇ。ああ、魔道具士じゃないけど、一人いるかしら」
「え? 本当ですか?」
「すごい人って意味では、何かいい方法を教えてもらえるかもね。最近有名なんだよ、通称『東の賢者』。親切な方らしいから、会いに行ってみれば?」
「東の賢者……なんかすごそう」
なんか今、私の意志とか関係なく次の目的地が決まった気がするんだが……
東の国の滞在期間は、意外と長くなるかもしれない。
それも悪くないな、と。私はここに来てはじめて思った。
どこを見回しても、のんびりとした時間の流れる夜だった。
だらだら長くなりました。
今日はみんな団らんでのんびりです。たまにはいいでしょう。
次回は、飛那姫が先生になります。




