10.人狼狩りの気配
この村に来てから、あまりにも、ままならない。これも、あらゆる事柄を曖昧にしてきたツケなのだろうか。それも、私たちの未来において大事なことばかりを。
様々な事を思いながら、私は一人きりで小屋の中にいた。祭りは今日で終わる。祭りが終われば霧も晴れるだろう。そうなれば、私はこの村を去ることが出来る。
アンバーはどうするだろう。彼女はずっと予定に変更はないと言ってきた。それでも、村の端々で聞こえてくるアンバーへの惜別の声を、私は知っていた。
──きっとあの子たちの娘だろうに。
年を重ねた村の者たちが囁き合う言葉が聞こえないはずもない。それに、アンバーはすでに村の多くの者たちから気に入られてもいた。
聞くところによれば、私の見ていない間に、村の者たちの祭りの準備を積極的に手伝ったりもしていたらしい。
──ずっといてくれたらいいのにね。
そう囁き合うだけではない。きっと、本人にも言っているだろう。
私はというと、肩身が狭かった。この村からアンバーを奪っているような気分になる。罪人になったような、そんな気持ちになってしまうのだ。
被害妄想もあるだろう。霧が濃く、閉鎖的であり、周囲は魔物だらけ。疎外感に苛まれる窮屈なこの環境下で、精神が脅かされないはずもない。少し歩いただけで、村の者たちが私の存在を疎ましく思っているような気がしてしまって、外の空気を吸おうと出かけたにも関わらず、五分としないうちに戻ってしまったのだ。
こんな気持ちは初めてだった。それも全て、アンバーとの関係がまた拗れてしまったのが原因だろう。その上、彼女は見当たらなかった。待てど暮らせど帰ってもこない。まだ、私とは距離を置きたいのだろう。
──アンバー。ごめん。
何度も、何度も、心の中で謝りながら、小屋の隅でぼうっとしていると、不意に窓辺から物音がした。見れば、そこには小さな影があった。
猫だ。黒猫だ。
一応、この村にも猫はいる。人狼たちも満月の日に狼になってしまうだけで、それ以外の日は人間らしく暮らしているのだ。家畜もいるし、その中には鼠対策とは名ばかりの猫もたくさんいる。黒猫だっていたはずだが、それでも、私はこの度の黒猫がただの気まぐれな来訪者でないことをすぐに察した。覚えのある顔だったからだ。
そっと窓を開けて中に招き入れると、黒猫は軽やかな身のこなしで床に着地し、私が窓を閉めると同時に、やれやれといった様子で大きく溜息を吐いた。
「全く、苦労したわ。久しぶりね、カッライス」
間違いない。ダイアナだった。声を聴くのも久しぶりだ。
「久しぶりだね、ダイアナ。よくここまで来られたね」
「そりゃあ、魔女ですもの。だけど、大変だったわ。あたしがもう少し未熟だったら無理だったかもしれないわね」
「霧を超える方法を知っているんだね?」
期待を込めて訊ねるも、ダイアナは猫の姿のまま苦笑した。
「ええ、一応は。けれどね、カッライス、あなたのご期待には沿えないわ。あの霧を超えるのは、魔法を使える人じゃないと無理。何なら、魔女だって普通はここまで無茶はしないの。でも、契約の為ですもの。それに、ちょっと心配だったし」
そう言うと、ダイアナは周囲をきょろきょろと見渡した。
「ところで、アンバーは?」
「外に出ている。しばらくは戻ってこないだろうね」
なるべく平静を装って答えたのだが、ダイアナは月の光のような目をこちらに向けると、何かを察したように尻尾をゆらりと揺らした。
「さては喧嘩したわね」
「……まあ、そんなところかな」
目を逸らしつつ素直に答えると、ダイアナは呆れたように溜息を吐いた。
「全く。こんなおっかない村で大事な恋人を放置するなんて、駄目な狼ね。……それに、今のこの状況で仲間割れっていうのも、あまりよくないわ」
声色を変え、ダイアナは私に近寄ってきた。
「月の都にドッゲが来ている」
短いその報告に、私は寒気を感じた。
「目的は?」
「勿論、目当ての毛色の狼を捜しに。この村の事も当然、彼は知っているのでしょう。理想の毛色の者がいたら、悪さをしているかどうかに拘らず仕留めるつもりみたいね。まずいことに、彼が欲しているその毛色って言うのが……」
「月毛の狼……そう言っていた」
かつて、ドッゲ自身が言っていたことだ。アンバーのような毛色を求める人物がいる。高値で売れるというだけの理由で、命を奪われかねない。
「……まずいね。どうしよう」
「都には戻らない事ね。少なくともアンバーに関しては、この村に留まった方がいいまである。二人で森の何処かに野宿するのもいいかも。それか、変装させることね。髪を隠すだけでも目立たなくなるわ」
「変装、ね」
静かに同意しつつも、不安は消えなかった。
不味いのは、ドッゲが私のことを知っているということだ。一度会っただけということで顔を忘れていて欲しいものだが、それを期待するのはあまりに無防備だろう。
「もう一つ、耳に入れておいた方がいい、マズイ情報があるわ」
ダイアナは言った。
「そのドッゲだけれど、どうやらルージュと接触しているみたい」
「ルージュと……?」
「ええ、月光の城に正式に招かれていたの。招かれていたというよりも、依頼を受けていたという方が正しいかもしれない」
「それってつまり」
「狙いはアンバーでしょうね」
こうなる事は分かっていたはずだ。うわばみの都で、ドッゲとルージュが鉢合わせたあの時から。いいや、本来ならばもっと前に起こっていたとしてもおかしくはなかった。
良くない事だ。アンバーの正体が知られてしまうのは。そのまま噂が広まったりしたら、最悪、アンバーが組合から追放されてしまう可能性だってあるのではないか。
ジルコンあたりはそう訴えるだろう。ジルコンだけではない。組合の中には、アンバーの事を恐れていたり、疑っていたりするメンバーもいる。
オブシディアンが考えを変えてしまったら、オブシディアン以外の人が組合長になったら、アンバーはあっさりと魔物として処分されてしまう可能性もあるのだ。
「……カッライス?」
しばらく黙っていたからだろう。気づいたら、ダイアナが猫の姿のまま心配そうにのぞき込んできていた。
「ご、ごめん。それで、ドッゲは今も都と城を行き来しているんだね?」
「ええ、まずはここの霧が晴れるのを待っているのでしょうね。晴れたとしても、大胆なことはしないと思うわ。でも、月光の城に行くとなれば別よ。道中、身を守れる場所はない。ドッゲとの直接対決もあり得るわね」
何も知らずに突入していたら、きっと罠にかかっていただろう。
「ありがとう。すごく助かる情報だった」
「いいのよ。あたしは引き続き、村の周辺とドッゲの様子を確認しておくわ。アンバーにも道すがら出会えたら伝えておくつもりだけれど、一応、二人で話し合っておいてね」
「分かった」
頷くと、ダイアナは窓辺にぴょんと飛び上がった。開けるように促され、それに従うと、小さな声でそっと言った。
「……それと、人狼たちにも気を付けて。どんなに親しく振舞ってきたとしても、魔物は魔物。アンバー以外の狼をあまり信用しては駄目よ」
「うん、助言をありがとう」
私がそう言うと、ダイアナはぴょんと飛び降り、そのまま霧の向こうへと消えてしまった。
しばらくその姿を見送りながら、私は動揺を感じていた。望んでいないばかりが続いている。でも、どうにか気持ちを強く保たなければ。
と、小屋がノックされたのは、そんな時だった。
「カッライスさん、いらっしゃいますか?」
聞こえてきたのは、クレセントの声だった。
扉を開けてみれば、彼女はいつもと変わらぬ様子で私を見つめてきた。
「どうされました?」
恐る恐る問いかけると、クレセントは目を細め、周囲をはばかるようにそっと小声で告げてきた。
「少しお話したいことがあります。どうか、私といらしてください」
その眼差しから有無を言わさぬ空気を感じ、私は怪訝に思いつつも、小屋を出た。




