7.狼たちの墓場にて
チャンドラが言っていた場所は、村の片隅にひっそりと存在した。辺りは霧が深く、武器も持たずに立ち入るのは気が引ける。それでも、怖気づかずに済んだのは、立ち入ってすぐの見える場所にアンバーが立っていたからだ。
小高い場所に並んだ二つの墓石。その前に立ち尽くし、彼女はじっとしていた。私はそっと近づいた。だが、近づいたはいいが、何と声をかければいいのかが分からなかった。
そんな状態でしばらく黙っていると、アンバーの方から振り返りもせずに声をかけてきた。
「二人とも、早くに死んじゃったんだってさ」
拒むわけでもないと、その口調で分かった。
少し安心して隣に立つと、アンバーはそっと私に視線を向け、続けた。
「娘が結婚したことも知らないままだって。不思議だよね。それでも、このお墓の前に立つと、妙にホッとするんだ。誰のお墓かわかる?」
「チャンドラから聞いたよ」
私がそう言うと、アンバーもまた静かに頷いた。
「……だが、本当に祖父母だったかどうかは分からないんだよね。アタシの両親がこの村の出身だったという証拠はないわけだし」
茶化すように彼女は言ったが、それでも、私は答えた。
「だけど……やっぱり私はそうなんじゃないかって思うよ」
すると、アンバーは琥珀色の両目をこちらに向けてきた。じっと私の顔を見つめると、力なく溜息を吐いて、再び墓前に視線を向ける。
「やっぱり、そう思う?」
「うん」
「どうしてか、理由を聞いてもいい?」
「この村の人たち、どことなくアンバーに似ている気がするんだ」
「それは、みんな人狼だからじゃなくて?」
「……そうかもしれないけれど」
だが、やっぱりそれだけじゃないような気がした。
モネやチャンドラは勿論、クレセントにエクリプス、ブランとルナの兄妹など、皆、どこかアンバーと同じような雰囲気をしている。これが、血筋というものなのだろうか。
「あんな話、聞かされたからかな」
と、アンバーは言った。
「ここは異様に落ち着くんだ。初めてきたはずの場所なのにさ、どうしてだろうね。ついに帰ってきたという言葉が浮かぶんだ」
ぽつりと漏らすアンバーの姿に、私は黙っていられなくなった。
「……ねえ、アンバー。君に謝りたい」
「なにを?」
「いっぱい。指輪の事も、さっきの事も、全部」
再び視線を向けられ、私は目を逸らしそうになるのをぐっとこらえた。真っ直ぐその獣のような目を見つめ、はっきりと口にした。
「黙っていて、ごめんなさい」
結局は堪えきれず、私はアンバーの胸に顔を埋めた。
「そして、感情をぶつけてしまってごめん。君を傷つけたいわけじゃないはずなのにね」
そのまま、ぐっと両目をつぶった。泣くのはみっともない。けれど、感情が昂り過ぎて、こうしていないと涙が零れ落ちそうだった。
嗚咽を漏らしそうになるのも堪えて、唇を結んでじっとしていると、ふとアンバーが私の背中に手を回してきた。そして、ばつが悪そうな調子で、声をかけてきた。
「うーん、そうだなぁ、なんていうかさ……」
言葉を濁したかと思うと、溜息と咳払いを挟んでから、私に囁いてきた。
「こちらこそ、ごめん。指輪の事も、小屋を出るなって言った事も、意地悪だったかもね。アタシも、あんたを傷つけたかったわけじゃない。安全を確保したかった。だけどまあ、言い訳だよな。指輪はさ……嫉妬したんだ。それに怖かったんだ。取り戻したつもりだったのに、こんな罠を仕掛けられていたなんて……」
嘆くように言ってから、アンバーは私の背中を軽くぽんと叩いた。
「アタシだって師匠のとこでちゃんと勉強したんだ。あんたにかけられた術のことだって分かっているつもりさ。どうあがいたって、取り消せないんだ。誤魔化すことは出来ても、解放してやれない。だから、あんたのせいじゃないって分かっている。だからさ、恨まないで欲しいんだ。だからこそ、あの指輪は返せない。別の方法で、奴を追い詰めよう。この村を出た後でさ。なあ、カッライス」
言い聞かせるように囁かれ、私は何も反論できなかった。
こればかりは、アンバーのかけた術のせいではないと思いたい。心から彼女の言う通りだと納得したからだと信じたい。
それでも、同意を示そうとしたその直前、私の頭をよぎったのは、アンバーの未来だった。
──この村を出た後で。
「カッライス?」
黙っている私に、アンバーは問いかけてきた。
その狼の目を見つめ、私は彼女に言ったのだった。
「ねえ、アンバー。君の未来についても、ちゃんと話したい」
「アタシの未来……?」
「この村は、君の故郷かもしれない。そうでなかったとしても、君が暮らすに相応しい場所なんじゃないかって思うんだ。第一に、君にとっては安全な場所でもある」
私の言葉にアンバーは黙り込んでしまった。目を逸らすその表情は少し不満そうだ。それでも、私は怯えずに彼女に語り掛け続けた。
「君との旅は楽しかった。でも、その一方で心苦しくもあった。君が無理をしているんじゃないかって思う度に、申し訳なくて辛かった。だけど、ここは違う。ここなら、君は君らしくいられる。だからこそ、私は思うんだ。君は、この村に、ずっといたいんじゃないかって。いた方がいいんじゃないかって」
「……別に無理なんかしてないさ」
アンバーは目を逸らしたままそう言った。だが、すぐに溜息を吐いた。
「いや……でも、満月の度に、あんたに迷惑をかけているのは自覚している」
「迷惑だなんて……私はそんなつもりじゃ──」
「ごめん、分かっているよ。だけど、自覚はしているんだ。この関係が、ちょっとしたことで壊れてしまいかねないってことも」
「アンバー……」
苦しむ彼女の姿に、私もまた苦しくなってしまった。
どうしてこうなってしまうのだろう。どうしたらいいのだろう。話し合ってスッキリしたかったのに、また互いの気持ちが複雑に絡み合ってしまったようだ。
何が正解なのだろう。答えは見つからないまま、アンバーは霧の濃い森の奥を眺めた。
「隠したって無駄だね」
そう言って、アンバーは私を見ずに打ち明けた。
「この村にずっといたい。それは確かだ」
力なく、彼女は言った。
「皆、初めて出会ったとは思えないくらい、親しみ深い。ここにいるだけで、アタシは生まれてきて良かったんだって思える。こんなに気持ちが楽なのは、初めてなんだ。人間の目を気にしないで、ずっと過ごせる場所があるなんて」
声を潤ませる彼女の姿に、心が締め付けられるようだった。やはり、アンバーは無理をしていた。そうでないはずがないが、思っていた以上に苦しんでいたのかもしれない。
震えつつ、必死に涙をこらえる彼女を見ていると、罪悪感が増していく。
だが、アンバーはそれ以上の言葉を飲み込んでしまうと、ぐっと目をつぶった。一筋だけ涙がこぼれていくのを待ってから、彼女は再び目を開いて、大きく溜息を吐いた。
「……祭りが終わったら、予定通りここを去ろう」
「アンバー、でも──」
そう言いかけた私の方へ、アンバーは振り返る。恐ろしい力でぐっと両肩を掴まれ、体が震えてしまった。だが、気づけばアンバーの方もまた震えていた。
「……頼む。それ以上、何も言わないでくれ。アタシの未来はアタシが決める。アタシが自分で責任を負う。あんたが気に病むことは何にもない」
じっと見つめられ、私は恐る恐る頷いた。アンバーはホッとしたのか、手の力を抜き、少しだけ落ち着いた様子で続けた。
「霧が晴れたら、すぐにでも月光の城に向かおう。あの女の事だ。あんたが来るのを待ちわびているだろうよ。止めはちゃんとあんたに譲ってやる。だから、ね」
諭すようにそう言われ、私は再び頷いた。
「分かった」
アンバーの未来はアンバーが決める。それで正しいはずだ。だから、私は同意したのだ。
それなのに、何故だろう。頷いたあとも、私の心にはもやもやとしたものが残り続けていた。脳裏に焼き付いた、あの涙の光が、頭の中で、いつまでもキラキラ輝いている。
──この村にずっといたい。それは確かだ。
その言葉ばかりが、私の頭の中で、いつまでも消えずに残り続けていた。




