【第05話】侵入者と白銀の大狼
「あー。腹減ったな。なんだよ、この森は……食い物が、ろくに見つからねぇぞ」
「愚痴ってないで、よく探せ。獣が見つからねぇのなら、実でも草でも、食えそうなモノを見つけるんだよ」
ロエンは深い茂みをかきわけながら、口ばかり動いて手を動かさない男を叱咤した。
近くで誰かの舌打ちが聞こえたが、ロエンはあえてそれを聞かなかったことにする。
愚痴を吐きたいのはこっちの方だが、携帯していた食料が尽きた以上、この森で見つけれるモノを探すしかなかった。
食べれそうな野草をいくつか布袋に入れ、大した収穫もないまま、日が暮れる前に仲間達を引き連れて移動する。
汗だくになりながら、鬱蒼と茂る森を歩いていると、遠くから誰かの笑い声が聞こえる。
声のする方を目指して歩き続けると、少し開けた場所に辿り着いた。
おそらく小鬼人の類であろう、小枝を重ねて獣の皮を屋根代わりにしただけと言う、あまりにも粗末な集落の中心で、複数の男性が談笑をしていた。
「マジッスか。ギンブルさん、流石ッスね!」
「ギャハハハハ。だろう? 俺も、自分で天才だと思って……あん?」
馬鹿笑いしていた男の一人が、ロエン達に気づいて振り返る。
金髪を角刈りにした、目つきの悪い青年が立ち上がった。
「おー、ロエン。食い物は見つかったのか?」
「駄目だ。獣一匹、いやしねぇ」
ギンブルへ小袋を放り投げ、ロエンが首を横に振る。
地面に落ちた物を拾い上げたギンブルが、皮袋を開いて中を覗き、すぐに顔をしかめた。
「なんだよ、コレ。雑草じゃねぇかよ。てめぇらは、そんだけ人数いて、獣一匹捕まえられねぇのかよ!」
ギンブルの投げた小袋が、ロエンの胸元に当たる。
大して痛くも無いが、心中にどす黒い感情が渦巻いた。
「ホント使えねぇな、お前らは……。おい、次行くぞ、次。屋敷の仕事が終わったら、日が暮れるまでにもう一回、死ぬ気で食えるもんを探して来い。分かったな、ロエン」
「……ああ」
生意気な若造に、適当な返事をするロエン。
勝手に先へ進み始めたギンブルの背を追うかたちで、ロエンと男達は歩き出した。
兄がいなくなった途端、コレか……。
この傭兵団も、先は長くなさそうだな。
殺気立つ仲間達の視線を背中に感じながら、溜め息を吐いたロエンは肩を落とす。
こんなに落ちぶれるなら、素直にあっち側へ入隊すれば良かったかもな……。
軍部のクーデターによる内乱が切っ掛けで、崩壊の道を辿ったドルシュ帝国の当時を振り返る。
東大陸で大帝国に継ぐ軍力を保持していたドルシュ帝国も、自国の内部分裂で軍部が混乱していた隙を突かれ、遂に大国の力に跪いた。
敗戦後、敵国であるガルランド帝国へ入隊する話もあったが、軍役にも嫌気がさしてた頃だったので、小銭を稼ぐつもりで適当に始めた傭兵生活が失敗だった。
戦争の無い時の傭兵は、野生の魔族狩り以外の仕事はなく、ろくな収入の無い、懐に厳しい世界。
軍部時代の伝手を借りて、国境付近の小競り合いには参加していたが、贅沢とは程遠い毎日。
大小様々な傭兵団を渡り歩いたが、最後に辿り着いた傭兵団は、特に最悪だった。
まさか軍部の配給品を、横流しする手伝いをさせられるとはな……。
私腹を肥やすことに夢中な、悪徳武官の金稼ぎの手伝いと、飢えに苦しむ者達を無視した反吐の出る行為。
生活に困窮してたとはいえ、気分の悪い仕事の連続だった。
しかも、リーダーが少しばかり欲を出し過ぎたのが、運の尽き。
報酬を跳ね上げるために、悪徳武官を強請ろうとしたのが、ヤツの間違いだった。
浅知恵の強請りが、腐っても権力を持つ、相手の怒りに火をつけた。
軍の配給品を盗んだ罪でリーダーは捕まり、全ての罪を着せられ、投獄された。
リーダー以外は死刑を免れたが、傭兵団は国外追放を言い渡された。
傭兵団の資金繰りを維持するために、リーダーの後釜を継いだ弟のギンブルが、更に最悪な仕事を持って来た。
アヴァロム魔導王国の国境付近にある屋敷を襲撃し、金品を奪う強盗だ。
ギンブルの話によれば、屋敷は人の往来がほとんどない場所で、住んでるのは爺さんと魔女とヒキコモリのガキだけ。
一番やばいのは魔女らしいが、偵察をしていた仲間が爺さんと一緒に、荷馬車で出掛けたのを確認している。
つまり屋敷にいるのは、ガキと住み込みのメイドが数人だけだ。
襲撃するには、最高の状況だが……。
「ギンブルさん、屋敷にはメイドがいるんッスよね? ギンブルさんが楽しんだ後は、俺達にもお裾分けがあるんッスよね!」
「ああ、そうだよ。俺が味見した後なら、お前達が好きにしていいぜ」
「さすがギンブルさん。器がデカイッスね。マジ尊敬します」
隣を歩く腰巾着が、下種な笑みを浮かべた。
「だろだろ? ギャハハハハ」
馬鹿笑いをしたギンブルが、後ろへ振り返る。
「ガトウの街を出てから、しばらく女も抱けなくて、困っていたからな……。しばらくは、女も連れて行くか。なあ、ロエン?」
「……好きにしろ」
ぶっきらぼうな態度を取るロエンだったが、ギンブルは大して気にした様子もなく、再び前を向いた。
偉そうな態度で、我が物顔で前を歩く若造の背中を見つめながら、ロエンは目を細める。
そろそろ、潮時かもな……。
仲間からは元軍人のロエンに、纏め役をしてくれという話もあったが、もともと小遣い稼ぎ程度で、短期間の付き合いのつもりだった。
堕ちるところまで堕ちて、外道の道を突き進むか、それとも……。
「……ん?」
鼻先を掠めた匂いに、ロエンは足を止めた。
他の男達も何かに気づいたらしく、顔をキョロキョロと横に振って、周りを見渡している。
「ギンブルさん。なんか、すげぇ良い匂いがしないっすか?」
「おー。美味そうな匂いだな。誰か肉でも焼いてんのか?」
何者かの気配を察して、皆が目に見えて色めき立つ。
ここ数日、ろくなものを口にしてない傭兵達が、食べ物の匂いに足が向くのは自然の流れだ。
相手の数が分からないから、一応は周囲の警戒をしつつ、匂いのもとへ皆で近づく。
「本当に、一人か?」
「ああ、ロエン。間違いない。一人だ」
周りを偵察して来た仲間の報告を耳に入れながら、樹々の影から顔半分だけを出したロエンが目を細める。
先程までロエン達がいた場所と似たような集落に、人影が一つ。
周囲の安全を確認したギンブルが、仲間達を引き連れて茂みから顔を出した。
鼻歌混じりに、煮えたぎる鍋を突いていた者が、ギンブルの接近に気づいて顔を上げる。
「なんだ、小鬼人かよ」
緑の瞳と三白眼の吊り目。
そして、額に小さな角を生やした小鬼人の雌が、周りを見渡す。
茂みから顔を出した五十人程の男達が武器を構えて、小鬼人の一体を取り囲む。
「へ~。最近の小鬼人は、随分と良いモノを食ってるんだな」
お玉を握り締めた小鬼人の雌の前には、いくつもの鍋が並んでいた。
この量は、どう見てもコイツだけで食えるとは思えんな。
仲間が狩りに出かけてるのか?
それにしても、料理鍋に、包丁とか……。
まるで人族が扱うような、調理器具が並んでる。
コイツらが、どこからか奪ってきたものなのか?
魔族が扱うにしては上等な調理器具に、奇妙な違和感を覚えながらも、ギンブルの背後に立つロエンは、油断なく周りを警戒する。
「俺達の為に、飯を用意してくれてありがとうよ、小鬼人」
鍋の一つを覗き込んでいたギンブルが、口の端を吊り上げる。
相手が一体だからか、目に見えて強気な態度で、ロングソードを鞘から抜いた。
それを見た小鬼人が、持っていたお玉を構える。
「プッ。ギャハハハハ! 見ろよコイツ。あれで俺と戦うつもりだぜ」
片刃の背を肩に置き、手を額に当てて馬鹿笑いをするギンブルに釣られ、他の傭兵達も一斉に笑い出した。
ギンブルの性格からして、嬲り殺しにされるであろう小鬼人に、少しだけ同情が湧く。
一人だけ笑わず、小鬼人の一挙手一投足に注目していたロエンは、彼女が薄く笑ったのを見逃さなかった。
煌めく蒼い光の粒子が、ロエンの瞳に映った瞬間――。
ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ!
金属と金属が激しくぶつかるような爆音が、突然に頭の中で鳴り響く。
その場にいた男達全員が、耳を両手で押さえて、一斉にうずくまった。
「ぐああぁっ!? 頭が、割れ、る……」
耳障りという言葉ではすまされない異常な騒音が、気づけば集落の中に響き渡っていた。
反射的に耳を塞いだロエンも、おもわず折り曲げた膝を地につけ、音の発信源に目を向ける。
目を見開いたロエンの瞳に映ったのは、青い燐光を纏った小鬼人の雌が、持っていたお玉を全力でフルスイングし、近くに吊り下げられたプライパンの底を、激しく何度も殴打する姿だった。
こいつ、魔闘気を……。
魔闘気を纏う小鬼人の出現に、ロエンは動揺を隠せなかった。
頭が割れそうな程の凶悪な音に、皆がその場から一歩も動き出すことができない。
ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ、バキンッ!
何かが壊れたような音を最後に、不意に騒音が止んだ。
森に先程までの静けさが戻り、耳を押さえていた男達が顔を上げる。
殴打の激しさを物語るように、曲がるどころかへし折れたお玉を握り締めた小鬼人が、耳栓を耳から外し始めた。
「てめぇ……。ふざけやがって」
小鬼人の傍にいた男の一人が、痛む頭を手で押さえながら、身を起こそうと立ち上がる。
「ぶっ殺して……。あ?」
怒りに身を震わせ、ロングソードを握り締めた男の頭上を、巨大な黒い影が覆う。
反射的に空を仰いだ男が、空から落ちて来た物に潰され、一瞬で姿を消した。
目を点にした男達の瞳に映ったのは、銀色の体毛に包まれた巨大な獣人。
なんだ、このデカい獣人は……。
喉をゴクリと鳴らす。
大抵が二メートルはある猪牙人の雄型よりも、更に大きな獣人を足元から頭へと、ロエンは恐る恐ると眺めた。
狼頭人……なのか?
ロエンは軍役時代、街道にまで顔を出した野生の狼頭人を、討伐した経験がある。
しかし、これ程に大きな狼頭人を見たのは初めてだった。
三メートルの高さにある狼頭が、小鬼人を見下ろす。
「ブンゴ! ウーフのお肉、できた?」
狼頭人の獰猛な顔に似合わない、可愛らしい少女の声が発せられる。
ブンゴと呼ばれた小鬼人が、地面に置かれた鍋の一つを手に取った。
「ごめん、ウーフ……」
なぜかブンゴが悲しそうな顔をして、鍋の蓋を開ける。
「こいつらに、ウーフのお肉、食べられちゃった」
底が見えるように鍋を傾け、鍋の中に何も入ってないことをアピールする小鬼人。
それじゃあグツグツと煮えたぎる、その足元にある鍋は誰の分なんだと、素朴な疑問がロエンの心中に湧く。
「……え?」
ウーフが前屈みになり、空鍋に顔を近づけて、大きな瞳で覗き込む。
「ウーフの、お肉……」
「ごめんね、ウーフ。わたし、頑張ったんだけどね。コイツらが、いきなり襲って来て、ウーフのお肉。全部、食べちゃった……」
「ぜんぶ、たべちゃった?」
まずいな……。
この時になってロエンは、なぜ小鬼人がそのような嘘を吐き始めたのか、その意図にようやく気づく。
もちろん襲撃はするつもりだったが、それは相手が小鬼人一体で、仲間が近くにいないからだと思ってたからだ。
どこに潜んでいたのかは知らないが、まさか数メートルの樹々を飛び越えて、三メートルはある狼頭人が空から落ちてくるなんて、誰が想像できるだろうか?
「ウーフの、お肉……」
鍋を凝視していた瞳が、ギョロリとロエン達の方へ向く。
男達が小さな悲鳴を漏らし、おもわず後ずさった。
もし、この場に用意された料理が、目の前にいる狼頭人の為に作られた、食事であれば……。
「ウーフの……お、ニィ、グゥゥゥ、ガァアアアアア!」
大狼の顎が上下に開かれ、人族を一口で丸呑みできそうな大口から、鼓膜が割れんばかりの咆哮が発せられる。
喉奥から放たれた凶悪な殺意の塊を浴びせられ、雷魔法が直撃したような痛みが、全身にビリビリと走る。
ロエンは足を踏ん張って耐えたが、後ろにいた何人かは腰が抜けて、地面にへたりこんでいた。
目だけでなく前身をロエン達の方へ向け、地を這うように四肢を地面に置いた狼頭人が、上下に開いた大口を勢いよく閉じた。
「グルルルル……」
血走った眼でロエン達を睨みつけ、鋭利な牙を剥き出しにして、低い唸り声を漏らす。
よほど空腹だったのか、牙の隙間から涎がボタボタと垂れ落ちる。
地面に糸を引く唾液に、顔を引きつらせたロエンは、更なる恐ろしい光景に目を奪われた。
白銀で覆われた体毛の表面に、青い光の粒子が纏い始める。
「おい。嘘だろ……」
こいつも、魔闘気を……。
白銀の狼頭人が片腕を振り上げ、怒りのままに腕を横薙ぎに払う。
集団の最前にいたギンブルと腰巾着が、ロエンの視界から一瞬で姿を消した。
蛙が潰れたような声が耳に入り、皆がそちらへ振り向く。
数メートル先の樹に、重なるようにして激突した二人が、地面へ崩れ落ちた。
内臓のどこかが潰れたのか、口から血を吐いて倒れ伏した二人を、皆が無言で見つめる。
「ガァアアアアア!」
「うわぁああああ!?」
再び発せられた怒りの咆哮と、恐慌に陥った男達の悲鳴が重なる。
武器を構えていた傭兵達の大半が戦意を失い、後方にいた者達が我先にと森へ逃げようとする。
集団の頭上を狼頭人が飛び越え、先頭を走る男を三メートルの巨体で踏み潰した。
逃げ道を塞ぐように、狼頭人が集団の前に躍り出る。
悲鳴をあげた男達が足を止めたが、狼頭人が素早く腕を伸ばし、目の前にいた男の胴体を大きな手で掴んだ。
鷲掴みにした男を軽々と持ち上げ、まるで石を放り投げるように、先頭集団へ乱暴に投げつけた。
一人も逃がさないという強い殺意でもって、ドミノ倒しになった男達を踏み抜きながら、別方向に逃げようとした者達へ、白銀の大狼が飛び掛かる。
逃げる者の背には爪を振り下ろし、時には牙を使って胴体ごと噛みつき、泣き叫ぶを男を咥えたまま、容赦なく獲物を次々と狩り殺す。
逃げることを諦め、捨て身の覚悟で突撃した者もいたが、それは無謀だ。
そもそも魔獣に一般人が挑むなど、人族が素手で熊に挑むようなものだ。
相手に剣を振り下ろすよりも先に、爪で身体を切り裂かれ、自らが流した血溜まりへ、その身を沈めた。
命を散らして地面に倒れる仲間達を、どこか他人事のように、ロエンは呆然と見つめていた。
軍部に所属していたロエンは、様々な強者を見てきた。
魔闘気を纏って、最前線で戦果を挙げる軍人は、それこそ化け物としか思えない連中ばかりだった。
勝てるわけがない……。
あの魔獣は、魔闘士の軍人達が相手するような、化け物だ。
腕っぷしで資金を稼ぐのではなく、横流しなどの姑息な手段で金稼ぎをしてきた傭兵団に、勝てる相手ではないのだ……。
軍人時代から愛用していた鉄剣が、握り締めていた手から滑り落ち、地面に転がる。
戦意を完全に失い、死を悟ったロエンは、両手で頭を抱えながら、地に膝を落とす。
「神様……。もう、悪いことはしません……。お願いです。助けて下さい……」
地面に額を擦り付けて蹲ったロエンは、思い浮かぶ限りの神の名を口にしながら、必死に祈りを捧げる。
悲鳴と獣の咆哮が耳に入るたびに、恐怖に身を震わせ、幼子のように泣きじゃくり続けた。
そんなロエンを見つめながら、煮えたぎる鍋にお玉を入れ、マイペースでかき混ぜ続ける小鬼人のブンゴ。
お玉でアクを取り、肉の欠片を一つ掬った後、口へ入れた。
「うん、美味い。そろそろ、ウーフの分もできそ」
料理の出来に、ブンゴはペロリと唇を舐め、満足気な笑みを浮かべた。
悪知恵の働くブンゴの計らいで、怒りに身を任せて暴れ回るウーフの為に、食器を並べて御飯をよそおい始めた。




