【第03話】敗北を知る召喚士
「戦魂の回収をしたいから、タマ達が倒した小鬼人を探してくれ。森の方へは行くなよ」
「はーい」
小鬼人三人娘が、声を合わせて返事をする。
「ルブン、ブンゴ、どっち行くです?」
「ブンゴ、あっち」
小鬼人のブンゴが指を差し、それを見たルブンが無言で別の方向を指差す。
「ブリンは、こっちです」
三方向に散った小鬼人を見送ったルヴェンは、足元に転がる猪牙人の亡骸に目を落とす。
正面から殴り合いを挑んでも、全く勝てそうにない体つきをした巨漢の猪牙人が、仰向けに倒れていた。
上半身の周りには赤黒い染みが広がり、首や心臓を中心に複数の――ポチやルトが剣で止めを刺した――傷跡がある。
俺もウーフくらい、魔闘士の素質があればなぁ……。
魔力を身体能力の向上に変換できれば、幼女でも二メートルの大男を容易く倒せる。
ベアトニス先生曰く、多くの魔導士が羨む召喚士の才に秀でた自分が、更に他の才能を求めるのは、欲張り過ぎかもしれない。
でも、猪牙人を素手で倒した光景を目の当たりにすると、どうしてもその才能を羨んでしまう。
俺の重い身体が、魔法の力で軽くなればな……。
樽腹を指で摘まみながら、ルヴェンは溜息を吐く。
この世界で目覚めてから、早一月。
食う寝るのみだけだったらしい怠惰な食生活を改善して、ひきこもり生活から脱却し、今の自分は積極的に身体も動かすようにした。
しかし、見た目の変化は、まだまだである。
顎を手で撫でた時に、ちょっとだけスリムになった気もするが、まだ誤差の範囲だろう。
どんだけ前の奴は、大食らいで運動嫌いだったんだよと恨み節を吐きたくなったが、今しばらくは我慢の時であると、ルヴェンは沈んでいた思考を切り替えた。
「よいしょっと」
ボンレスハムのような片膝を折りながら、猪牙人の胸元に掌をのせる。
召喚士の能力である、戦魂の回収を行う。
触れた手を通して、体内に何かが流れ込む感覚が走る。
褐色だった肌から血の気が失せ、猪牙人の身体が灰色に変化した。
全ての戦魂を回収すると、猪牙人の全身に亀裂が入り、粉々に砕け散った。
肉体を失った灰塵が、無人の集落を吹き通る風に乗って、空中へ四散する。
これで、この森を循環する瘴気が少し減り、次に産まれる世代の魔族は、弱体化されるはずだ。
魔族を倒せば、それで終わりではない。
瘴気を含んだ死体を浄化しない限り、魔王が遺した忌々しい呪いは、この地に残り続ける。
ベアトニス先生の講義を思い出しながら、ルヴェンは何気なく指先を擦り合わせた。
コイツが召喚できたら更に良いんだが、たぶん無理だろうな……。
「オサ。小鬼人、いるです。こっちです」
近くにいた小鬼人のブリンに手招かれて、集落の中を移動する。
重ねた枝木が崩れ落ち、屋根代わりにしていたであろう皺くちゃに乱れた獣の皮が、ブリンの足に踏まれていた。
ブリンの足もとには、見覚えのある小鬼人が仰向けに倒れている。
自分が止めを刺した小鬼人の雌に歩み寄り、ルヴェンが腰を落とす。
小さな角を一つ生やした額に、掌をのせた。
亡骸から戦魂の回収を終えたルヴェンが、肩を落としながら溜息を吐く。
たぶん今回も召喚できるのは、この小鬼人の雌だけ――。
「え?」
ルヴェンの思考が、耳に入った悲鳴混じりの奇声にかき消される。
なんだ、今の悲鳴は……。
声のした方へ顔を向けたが、魔族達の住処が視線を遮り、先が見えない。
慌てて立ち上がり、なぜか呆然と立ち尽くすブリンのもとに駆け寄った。
口元を両手で押さえ、目を見開いたブリンが見つめる視線の先へ、ルヴェンも顔を向ける。
嫌な予感は、的中した。
この集落に棲む魔族は全滅させたはずなのに、集落の奥で大勢の小鬼人達が、得物である石斧や石槍を振り回して、元気よく騒いでいる。
森から新たにやって来たのか、集落にいた小鬼人達の倍以上はいる気がする。
興奮したように喚き散らす小鬼人達の中心には、そいつらの親玉であろう猪牙人がおり、足元に転がるナニかを見下ろしていた。
猪牙人の握り締めた石斧の先端から、ポタリ、ポタリと、赤黒く濡れた液体が、地面に滴り落ちている。
赤黒い水溜りに頭を沈めて、仰向けに倒れた小鬼人が、ルヴェンの瞳に映った。
「ブンゴ!」
ようやく声を発したブリンの言葉で、倒れているの者が自分の召喚した小鬼人の一人であることに、ルヴェンはやっと気づく。
どう行動するべきか、ルヴェンは躊躇してしまうが、横にいたブリンが駆け出した。
その背中を自然と目で追ったルヴェンの瞳に、集落の屋根を悠々と超える人影が映る。
集落の隙間を縫って、前方右側から現れた数十の小鬼人達。
視界を遮るよう登場した小鬼人達に、仲間のもとへ駆けつけようとしたブリンの足が思わず止まる。
集落の中央にワラワラと集まった小鬼人達は、ブリンになぜか興味を示さず、別の方向を見ている。
奥にいる小鬼人達に向かって、手に持った石斧や石槍などの武器を振り回し、威嚇していた。
背を向けた小鬼人達とブリンの間に、巨漢の人影が姿を現す。
小鬼人が持ってる小型の得物と比べ物にならない、重々しい石斧を握り締め、下顎から牙を生やした猪牙人が、ルヴェンの方へ顔を向ける。
まずいな……。
この数を相手に、勝てる算段が思い浮かばない。
今から駆け出しても、あの猪牙人と小鬼人の集団から、自分一人で彼女を助け出せるかも怪しいくらいだ。
こちらへ足を向けようとした猪牙人が、足元で見上げているブリンに気づく。
首を傾げる素振りをみせたが、手に持っていた石斧を、無言で振り上げた。
仲間だと勘違いして、見逃してくれることを期待したが、ルヴェンの願いはあっさりと砕かれる。
恐怖で身動きが取れないのか、ブリンは呆然と立ったままだ。
ルヴェンは行動を起こせず、無情にも石斧は振り降ろされた。
他の猪牙人に倒された小鬼人の少女と、ブリンの姿が重なる。
今の無力な自分は、その光景を見つめることしかできない……。
ブンゴも同じような状況で、石斧で頭を殴打されたのかもしれない。
石を樹の蔦で巻いて縛って、固定しただけの簡易な石斧。
それを力いっぱいに振り下ろせば、人の頭など簡単に割ることができる。
ましてや、魔闘気を纏った者が扱えば、頭蓋骨を砕くことも容易だろう。
……魔闘気?
自身の目に、青い光が映っていたことに気づき、ルヴェンは彼女の存在を思い出す。
骨と皮だけの痩せこけた背を、ルヴェンに向けた人物の両手には、猪牙人が武器にしていた大きな石斧が、握りしめられていた。
腰を落として、餅つきをした直後の体勢をした女性が、不機嫌そうな顔でこちらへ振り返る。
猪牙人の顔には、石斧の先端が結び目の位置まで、深々とめり込んでいた。
誰が見ても、即死だと分かる光景だ。
その石斧は、さっきウーフが倒したヤツが持ってた物か?
折れた牙が、地面に転がり落ちる。
顔に石斧をめり込ませたまま、二メートルの巨体が後ろへ傾いた。
さっきまで騒いでいた小鬼人達が、口をあんぐりと開けて硬直している。
――魔闘気の青い光を全身に纏った、褐色肌の少女――オルグが、腰が抜けて地面にへたり込んだブリンへ、手を伸ばす。
「ほら、立て」
「ムリ、です……」
涙目になったブリンが、声を震わせて首を横に振る。
歩けないと判断したのか、オルグが溜め息混じりに、ブリンを肩に担いだ。
こちらに歩み寄り、ルヴェンの耳元でオルグが囁く。
「逃げるぞ」
「あ、ああ……」
いまだに頭が混乱して、生返事をしたまま動かないルヴェンの背中へ、オルグが骨と皮だけの細い腕を回す。
「数が多すぎる。死にたいのかよ」
彼女一人でもなんとかなるのではと思った、ルヴェンの甘い考えを打ち消すように、オルグが強い口調で言う。
そういやオルグは、餓死同然から復活したばかりだったな。
魔闘気による補正のおかげで、ルヴェン達を軽々と肩に担ぎ、その貧弱な体躯に見合わない力強さで、ルヴェン達を集落の外へ連れ出そうとする。
ただし、かなり無理をしてるのか、オルグの息は荒い。
「ルブン! ルブンが、まだいるです!」
ブリンの声が耳に入り、ルヴェンも遅れて気づいた。
そういえば集落には、もう一人の小鬼人がいるはず。
「もう死んでるよ」
森の中を駆けるオルグが、淡々と告げる。
ルヴェンの目に映ったのは、集落の左側から現れた新たな小鬼人の大群。
オルグが猪牙人を倒した群れに、別の猪牙人が率いる小鬼人軍団が、なだれ込んできた。
ルヴェン達など眼中に無いとばかりに、魔族達が同族同士の戦争を繰り広げている。
あの様子では、集落に残された彼女達は、もう生きてないだろう……。
それが理解できたのか、ブリンも押し黙り、オルグに大人しく運ばれている。
魔族達が、同族を襲うくらいだ。
彼らは、よっぽど食料に困っているのかもしれない。
獲物を捕えて喜びに喚く、耳ざわりの悪い奇声が、徐々に遠のいていく。
映り変わる深緑の景色を見つめながら、ルヴェンは静かに歯を食いしばった。
* * *
「コイツも、やっぱり無理か……」
片膝を折り曲げ、白線で床に描かれた魔法陣を、ルヴェンはじっくりと見つめた。
脂肪を多分に含んだ顎を撫でた後、持っていた本をパラパラとめくる。
なんとなくそれっぽいかなと思う場所に、チョークで白色文字を追加してみた。
魔法陣に手を当て、召喚の儀式を再度試みるが、欲しい反応は返ってこない。
予想はしてたけど、コイツも駄目か……。
猪牙人の雄型が召喚できれば、かなりの戦力になるんだけどな。
戦魂の回収は上手くいってるはずだし、何が問題なんだろう?
さっき倒した小鬼人の雌は召喚に成功したし、雌型の召喚は今まで失敗したことがない。
初めて試みた再召喚で、ブンゴとルブンの復活にも成功した。
だから、俺の召喚士としての素質には、問題が無いと思いたいけど……。
タプタプと下顎を手で揺らしながら、真剣な顔で魔法陣を眺めていると、扉の開く音が耳に入る。
「初めての討伐は、失敗したらしいな。ルヴェン君」
優雅な黒色のドレスを着た女性が姿を現すなり、今のルヴェンにとって最もキツイ言葉を、開口一番で投げてくる。
口の端を吊り上げ、どこか楽しそうな笑みを浮かべながら、ベアトニスが部屋に入って来た。
執事のグレンが扉を閉めた後、ティーセットをお盆に載せて、部屋の隅にあるテーブル席へ、物言わず歩いて行く。
「十五年も放置された森は、どうだったかね? 熟成されたワインのように、濃厚な瘴気で満たされた森を、堪能できたのではないかね?」
グレンが後ろへ引いた椅子に、ベアトニスが腰を下ろす。
なぜワインに例えたのかはよく分からないが、酷い惨敗を経験したルヴェンは、苦笑いで返すしかなかった。
「自分の考えが甘かったと、身をもって知りました」
反省すべき点は、沢山ある。
まず駄目だった点をあげるとすれば、一つ目の集落を攻略した時点で気が抜けてしまい、周囲の警戒が疎かになっていたこと。
ウーフが単独で森の奥へ入ってしまい、タマ達がそれを追いかけたせいで、偵察要員が誰もいなくなってしまった。
あの時は自分を含め、皆の危機感が薄すぎたのかもしれない。
ブンゴとルブンの死を聞かされて、タマ達も凹んでいたが、今回は自分勝手な行動を取ったウーフのせいだ。
しかし、ウーフも幼いが故の短絡的な行動であり、仲間を守ろうとして敵を追いかけただけで、誰かを責めるつもりはない。
今回の件に関しては、皆の役割をしっかりと理解させなかった、俺が一番の問題なのだから。
現時点で、巨漢の猪牙人と一対一でやりあえるのは、魔闘気を扱えるウーフとオルグだけ。
戦闘能力が申し分ないのは証明されたので、皆の成長を気長に見守るしかないだろう。
そのあたりは、生前の世界で新人教育をした経験があるので、まだまだ許容できる範囲だ。
「今回の失敗を糧に、次は上手くやれるようにしたいですね」
「ほう……。あの森を攻略するのを、君は諦めてはいないのかね?」
愛用の煙管を手に取ったベアトニスが、意外そうな顔をする。
「はい。試してみたいことは、いろいろあります」
予想外の大群を目の当たりにして、頭が真っ白になって動けなくなり、仲間二人を失うという失敗を犯した。
戦争の無い平和な世界で生き、実戦経験の無い俺は、今回はリーダーとして上手く立ち回れなかった。
ならば、その失敗を反省して、次に活かせば良いだけのこと。
自分一人ではどうにもならないが、俺には召喚と言う魔法が使えるし、頼りになる魔族がいる。
死を経験したブンゴとルブンも、心が折れた様子はなく、また森の討伐に挑戦したいと意気込んでいた。
ならば、俺が足を止めるわけにもいかないだろう。
なにより、今の俺が一番悔しい思いをしてるのだ。
「前から思っていたが、君は可愛げのない子だな」
思考を巡らせていたルヴェンは、ベアトニスの言葉に思わず顔を向ける。
頬杖を突きながら、口を軽くすぼめたベアトニスが、ゆっくりと白煙を吐き出した。
「それで、ルヴェン君。次は何をする気だね?」
ルヴェンは机の上に山積みされた本の中から、一冊の魔導書を手に取る。
「ベアトニス先生。午後の講義ですが、この本を教材にして欲しいのですが……」
ルヴェンから渡された本を手に取り、ベアトニスが表紙のタイトルを指でなぞる。
「融合召喚か……。なるほど。良いだろう」
ベアトニスが本を開き、おもむろにページをパラパラとめくる。
ルヴェンは辞書を片手に、別の魔導書を読み始めた。
「グレン。今の森を攻略するなら、どれぐらい掛かると思う?」
ギリムの研究資料に目を通しながら、ベアトニスが呟いた。
背中越しに尋ねられ、紅茶の準備を終えたグレンが口を開く。
「ギリム殿が何を考えているかは分からぬが、あの森を十五年も放置するなど、正気の沙汰とは思えん。普通の召喚士なら、あの森に足を踏み入れた時点で、諦めるレベルじゃのう」
「ふむ……」
「ワシが把握してるだけでも、大小様々な集落が千を超えておる。ギリム殿なら、攻略は可能かもしれんが……。雄型の召喚ができぬ、致命的な欠陥を持つ小僧じゃ、一生賭けても不可能じゃろう」
「おおむね、同意見だな……。でもな、グレン。もしもだぞ……。彼があえて、森の瘴気を放置してたとしたら?」
「なんじゃと?」
興味なさげな顔で、退室しようとしたグレンの足が止まる。
「仮にだが、十五年も放置された、あの森を呑み込めた場合。どんな召喚士が、現れるのだろうな……」
本に目を落としたまま、ベアトニスが目を細める。
『融合召喚は、魔族に強大な力を与えるが、軍隊として扱うのは不可能』と書かれた一文を、指先でゆっくりとなぞりながら。




