【第24話】実戦教育2
大蛇の如く長い長い大軍勢の最後尾、殿を務めるヘンミー千人長の指揮する千人隊を目指して、私の指揮する軍勢が接近する。
千を超えるドルシュ帝国軍から見れば、こちらは百程度の少数の軍勢。
十倍の数ならば部隊を横陣に展開して、盾と槍で待ち構えるのは当然の戦術だ。
徐々に近づく盾壁の隙間からは、こちらを威圧するように槍の穂先が顔を出している。
先日の戦のように何も考えず、猪牙人達が正面からぶつかれば、槍で串刺しにされた死体がいくつも転がるだろう。
「止まれ!」
私の発した命令で、盾を構えて進軍をしていた猪牙人達が足を止めた。
あと数歩も進めば、槍の間合いに入ろうとした直前で足を止めた自軍に、ドルシュ帝国軍が訝しげな視線を送って来る。
「ガァアアアアア!」
互いが静かに睨み合う中、ウーフの咆哮が戦場に轟く。
「ヒッ」
魔力を含んだ魔獣の声に、油断なくこちらを警戒していたドルシュ帝国軍に、わずかな乱れが生じた。
小さな悲鳴を漏らして、盾を構えながらも声のする方へ、顔を向けた兵達。
「やれ、チェニータ」
その隙を逃さず、私は背後にいた者へ合図を送る。
黒い人影が跳躍し、盾を構えた者達の背後に、それは降り立った。
「後ろから、失礼するわよ」
紫色の光沢を放つ刃を構え、逆手に二本のククリ刀を握り締めた黒色の豹頭人が、敵陣の真ん中で気軽な挨拶をする。
チェニータのすぐそばにいた兵士が、いきなり喉元を斬り裂かれた。
何が起こったのか理解できない顔のまま、兵士が膝から崩れ落ちる。
まるで豹のように、敵陣の中をチェニータが身軽に駆け抜けた。
通り魔の如く、黒い猛獣が紫色の刃を振り回し、ザクッ、ザクッと血飛沫が舞う。
地に倒れる仲間を見た兵達が、数秒遅れで反応した。
「て、敵は一人だ! 取り囲め!」
周りにいた者達が慌てて剣を握り締め、豹頭人に襲い掛かる。
「簡単には、狩らせないわよ」
魔闘気を纏ったチェニータが、素早い動きで反応し、兵達の刃を弾いた。
「あら、危ない」
チェニータの死角を狙って、背後から飛び出した穂先を避け、相手の喉元を同時に切り裂く。
身体を捻りながら回し蹴りをし、よろめく槍兵の背中を取り囲む者達に向けて、チェニータが蹴り飛ばした。
盾を構えたディーナと睨み合っていた兵の一人が、おもわず後ろへ振り返る。
笑みを浮かべたチェニータと、兵士の目が合った。
「さようなら」
無防備に背を向けた兵に、チェニータの強烈な蹴りが入る。
鎧を着た男が宙を舞い、ディーナの足元へ転がった。
目の前に来た兵士へ、ディーナが容赦なくサーベルを振り下ろす。
「オルグ、デクトル。行け!」
止めを刺したディーナの左右から、盾を放り投げた二人が飛び出す。
豹頭人のチェニータがこじ開けた隙間へ、猪牙人のオルグと極彩色の派手な頭をした傭兵が飛び込んだ。
二人が持つのは、身の丈程もある大剣。
魔闘気を纏った二人が、息を合わせたように身体を同時に捻る。
勢いよく円回転した刃が、周囲にいるドルシュ帝国軍を斬り飛ばした。
「いかん! 防御を固めろ! 突破されるぞ!」
「もう遅い。盾を構えた兵を飛び越える芸当ができるのは、狼頭人だけじゃないのを教えてやれ」
指揮官が命令を下すよりも前に、猪牙人の後ろに控えていた者達が跳躍していた。
チェニータを真似て、敵陣に飛び込んだ豹頭人達が、内部から強襲を仕掛ける。
「さあ、敵は丸裸になったぞ。食い散らかせッ!」
背後の安全が確保できなくなった最前列の兵達に、猪牙人達が襲い掛かる。
矢の雨と盾の壁を超えるまでに、死傷者が多く出た前回の戦とは違い、ほぼ無傷で敵の防御陣を突破できた。
乱戦に持ち込めば、後はこちらの得意分野だ。
敵陣の中へ切り込んだので、当然ながら取り囲んだ兵士達が襲い掛かって来る。
魔闘気を纏った兵士の一人が私の頭上を狙い、素早い動きで剣を斬り下ろす。
袈裟懸けに振り下ろされた刃を盾で防ぎつつ、間を空けず前へ踏み込んだ私は、相手の首をサーベルで跳ねた。
一瞬で兵士の一人を倒した私を見て、私を包囲していた敵兵達が怯んだように見えた。
「相手の刃を剣で弾こうと、カッコつけるな! お前達には十年早い! お前達が持ってる盾は、何のためにある! 長く生き残りたければ、面積の広い盾を使え!」
周りで戦う猪牙人の雌達に、声を大にして戦いの基本を教える。
本来は二本のサーベルを使って戦うスタイルだが、あえて彼女達に合わせた戦い方に変更し、自分を参考にさせて猪牙人達への実践教育をする。
私は、ルヴェン殿に召喚されたモンスターでは無い。
モンスターの彼女達からすれば、他所から教育係として招かれた、口煩いだけの人間だ。
そんな私の指示を素直に従い、彼女達は前回とは違った、基本に忠実な戦い方をしている。
私とルヴェン殿の読みは、正しかったようだ。
前回は彼女達のすきなようにやらせて、敗北の味を教えた。
全滅した彼女達とは違い、私だけは戦場から生き残った。
誰だって、死にたくはない。
生き残るために、彼女達は生還者の言葉に、耳を傾けてくれる。
私の訓練も、真面目に受けてくれるようになった。
この変化は、個ではなく軍で戦うために、とても重要なことだ。
「味方から離れすぎるな! 孤立すれば、すぐに死ぬぞ!」
眼前の敵に夢中で、前へと出過ぎた猪牙人に、私は声を張り上げて注意する。
戦争をするための訓練を重ねた兵士が、孤立した獲物を見逃すはずは無かった。
槍を構えた兵の一人が、隙だらけの横腹を狙うように、猪牙人の懐へ飛び込む。
敵の接近に気付くのが遅れた猪牙人の横腹を、槍の穂先が掠めた。
「うおっ。あぶねっ」
喉元に投擲ナイフが刺さった兵士が、苦悶の表情を浮かべてよろめく。
――猪牙人の雌に特徴的な――下顎から牙がはみ出た褐色肌の女の脇から、豹頭の女が飛び出す。
黄色の体毛に黒点のヒョウ柄模様の女が、飛び出した勢いのまま兵士の腹を蹴り飛ばした。
「前に出過ぎよ、ヂェゴ! そんなに、すぐ死にたいの? さっさとお下がり!」
「うるせぇ、ギルコ! 分かってる!」
豹頭人の雌に叱られて、猪牙人のヂェゴが不機嫌そうな顔で怒鳴り返す。
「ディグル、カバーして!」
「あいよ」
もう一人の猪牙人が前に出て、仲間の死角をカバーする。
味方のいる場所まで、三人が後退した。
「良い感じね」
私と同じ感想を抱いたのか、ベリコの声が耳に入る。
視線をチラリと後ろに向ければ、私の後方を守るように立つ眠らぬ城塞都市の女暗殺者が、私の目に入った。
ナイフホルダーの革ベルトを身体に沢山巻いた、暗殺者にしては奇抜な格好をしたベリコと、私の目が合う。
「急造にしては、三人一組が機能してるんじゃない?」
「お前に教育させたナイフ投げと、アレも上手く機能してるようだな」
「フフッ。そうみたいね」
私と背中越しに会話をするベリコが、クスリと笑みを浮かべた。
前に出過ぎた猪牙人に気づいたのは、槍兵一人だけではない。
槍兵に続くように、数人の兵士が周りにいたが、彼らは突然に現れた豹頭人に驚いて、足を止めたのだ。
「アレは、暗殺者の集団が相手ならまだしも。表の戦場では、あまり目にする機会はないかもね」
「そうだな。だからこそ、見慣れぬ彼らにはよく効く。魔闘気を纏うことが必須条件な、ドルシュ帝国軍の軍人には、特にな……」
こちらは猪牙人百名に、豹頭人五十名を合わせた少数の混成軍。
しかし、今のドルシュ帝国軍には、我々はどんなふうに見えてるのか、興味は尽きない。
我々を完全に包囲しながらも、なぜか攻めあぐねているドルシュ帝国軍を観察しながら、私はそんなことを考える。
「ヒッ」
小さな悲鳴を漏らした兵士の声が耳に入り、私の視線がそちらをチラリと見る。
どうやら、再び前に出過ぎた猪牙人を、討ち取ろうと接敵した兵士がいたようだ。
「あら、どうしたのかしら? お化けが出たみたいな、怖い顔して。ずっと私は、あなたのそばにいたわよ」
手を少し伸ばせば触れる距離で、真横に立つ豹頭人のチェニータを、兵士が怯えた顔で見上げる。
「さようなら」と耳元で囁きながら、チェニータがククリ刀で相手の喉元を貫いた。
「チェニータ」
「なにかしら、先生?」
「そろそろ、大人しくするのも飽きただろう? オルグ達と一緒に、ヘンミー千人長を倒して来い。ただし、潜るのを忘れるな」
「先生は、簡単に言ってくれるけど。オルグに合わせて潜るのって、大変なのよ?」
「潜るのがユイナの次に上手いのが、お前なのだ。文句を言わず、行って来い」
「はいはい、分かりましたよ」
面倒臭そうな顔をしながらも、黒豹の豹頭人が自身に纏う魔闘気を調整し始める。
明らかに身分が高いと分かる派手な衣装に身を包み、上等な鎧を着たヘンミー千人長へ、私は視線を向けた。
その背後に見える、荷馬車が連なる輸送部隊からも視線を外し、次の作戦へ移行する。
つむじ風のように大剣を振り回して、前方で大暴れしている――元氏族長第一候補の――デクトルに、私はサインを出した。
私の指示に気づいたデクトルが、オルグに声をかけて次の目標を指差す。
周りの敵を倒すことに必死な猪牙人のオルグとは違い、さすがに戦慣れしているデクトルは、まだ周囲に気を配る余裕を感じられた。
「我々も、前進するぞ! オルグ達に続け!」
強引に道を切り開き始めたオルグ達に続き、私達は更に奥へと歩を進める。
一歩間違えれば、逃げ場を失った我々が全滅する危険を孕んでいるが、ここが攻め時だ。
「ヘンミー千人長。どちらの兵が上か、勝負といこうか」
* * *
前回の戦でシグニ千人長が、狼頭人による想定外の奇襲に動揺し、部隊を壊滅させられたのは把握していた。
その狼頭人達の大半がこちら側に来なかったので、もしかしたら油断をしていたのかもしれない。
猪牙人と豹頭人、それと数名の人間が入り混じった百五十名程の部隊が、自分のもとへ徐々に距離を縮める光景に、ヘンミー千人長は内心ひどく焦っていた。
できることなら自身も後退をしたいが、後方にある輸送部隊の近くでは、二体の狼頭人の巨獣が暴れ回り、近づける状況ではない。
「ガァアアアアア!」
「ヒッ」
遠くからでもはっきりと聞こえる、三体目の巨獣の狼頭人が放つ咆哮に、周りにいる兵達から小さな悲鳴が漏れる。
声に魔力でも籠っているのか、総毛立つような肌にヒリつく小さな痛みは慣れてきたが、士官達が騎乗する軍馬達はそうもいかない。
もはや騎乗するのを諦めた自分の馬も、魔獣の声に怯えて逃げ出そうと暴れ回り、部下達が手綱を握り締めて必死に宥めていた。
「大盾で奴らを囲え! これ以上、奴らを前に出させるなッ!」
自軍の外側を守る大盾隊を集めるよう、声を張り上げて部下達に指示を出す。
厄介なのは、身の丈程もある大剣を軽々と振り回し、先陣を切る男女の二人組。
魔闘気を操るのに不得手なヘンミー千人長でさえ、はっきりと視認できる程の魔闘気を身に纏い、行く手を阻む者達を次々と切り倒して行く。
厳しい訓練を乗り越えて、我が隊に配属された兵達は、決して弱くはないが……。
「調子に乗るなぁッ!」
魔闘気を身に纏った百人長の一人が、――褐色肌の猪牙人の大女――オルグに挑む。
常人ではありえぬ身体能力で大剣を振り回し、両者の刃が激しくぶつかる。
他の兵達が数合も打ち合えずに刃を弾かれ、四肢を斬り落とされるなか、百人長は意地をみせた。
鍔迫り合いした後、互いに後方へと飛び、両者が睨み合う。
「フーッ、フーッ……。残念だったな。時間は稼がせてもらったぞ……」
肩で息をする百人長の背後に、大盾を構えた兵達が壁を作る。
ヘンミー千人長を守る最後の防壁が展開され、百人長が自身の仕事を終えたように、満足気な笑みを浮かべた。
猛禽類を連想させるような鋭い目で、対峙する百人長を睨んだオルグが、力強く深呼吸をする。
「ハハッ。冗談キツイぜ……」
乾いた笑いを漏らす百人長が見つめる先で、オルグが更に濃厚な青白い光を纏い始めた。
まるで見せつけるように、濃厚な魔闘気を溢れ出しながら、オルグがゆっくりと腰を落として大剣を構える。
「てめぇら。気合を入れて、大将を守れッ!」
部下達に激を飛ばし、魔闘気を纏った百人長が飛び出した。
ヘンミー千人長が指揮する千人隊の中で、上から片指で数える位置にいた実力者の百人長が、つむじ風の如く両手剣を振り回す。
勢いよく飛び出した百人長が、青白い光を纏った巨大なつむじ風に、一瞬で呑み込まれた。
青の粒子が周囲に飛び散り、一刀両断した相手の返り血を全身に浴びた大女が、靴底を地面で削りながら勢いを止めた。
口から吐く息でさえも、青白い色を纏ったオルグを、周囲にいる者達が最大限に警戒する。
皆がオルグと百人長の一騎打ちを注視していた中、ヘンミー千人長だけは空を見上げている。
横薙ぎにオルグが大剣を振り抜いた際に、周囲に撒き散る青の粒子が、千人長の前を守る大盾隊の間を通り抜けていた。
四散する魔闘気に混ざるようにして、それは大盾を構えた兵達を飛び越える。
自身の前に降り立った黒い人影を、ヘンミー千人長は呆然としながら見上げていた。
「……どうなっている?」
ようやく絞り出したヘンミー千人長の言葉に、二メートルにもなる長身の豹頭人が、薄い笑みを浮かべた。
千人長の眼前に敵がいるにも関わらず、前方で盾を構える兵達は、誰一人気づいていない。
「あなた、さっきから私のことが見えてるみたいね。もしかして、魔闘気がまともに扱えない、素人なのかしら?」
目の前に立つモンスターが言うように、ヘンミー千人長は魔闘気を操るのが人並み以下だった。
ドルシュ帝国軍の軍人には必須である、魔闘気による肉体強化が、自分にはできない。
軍人一族でありながらも、産まれながら保有する魔力が一般人並みに少なく、不合格のラインであったところを、貴族の名を借りて合格した。
しかし、人を指揮する才には恵まれていたから、この地位まで順調に上り詰めた自負はある。
「あなたの首、貰うわね」
獰猛な笑みを浮かべた黒豹が、逆手に握り締めた紫色の短刀を構える。
逃げ場の無い状況に、死を悟ったヘンミー千人長が、腰に提げた剣を鞘から抜いた。
「ヘンミー千人長!」
周りにいた部下が、ようやくこちらの異変に気づく。
目の前の敵を斬り割こうと、振り抜いた私の刃は、虚しく空を斬った……。
「ズルしてるみたいで、嫌いなのよね。このやり方は」
逆手に握り締めた紫色の刃を、紅の液体で濡らした豹頭人が、ヘンミー千人長の横をすれ違いながらボソリと呟く。
そうか……目か……。
このタイミングで、ヘンミー千人長は違和感の正体に気づいた。
数で圧倒的に勝る部下達が、なぜ取り囲んでいた者達を、攻めあぐねていたのか……。
私には豹頭人が見えて、なぜ彼らには彼女達が攻撃を仕掛ける直前まで、まるで見てないように気づけなかったのか。
魔闘気を纏うことで身体能力を向上させる訓練の中に、必須事項として目の強化をする訓練がある。
基本訓練の身体強化でさえ、まともにクリアできなかった自分は、視野強化訓練など参加すらできずにいた。
素人同然の私だから、皆と違う景色が見えていたのか……。
致命傷の攻撃を受け、膝から崩れ落ちるヘンミー千人長の身体を、駆け寄った部下が抱き止めた。
「ゴフッ」
「ヘンミー千人長!」
将軍への伝言を頼みたかったが、己の口から出るのは吐血ばかり。
喉を斬り裂かれたヘンミー千人長は、無念に顔を歪ませながら、部下の腕の中で息を引き取った。




