【第21話】誕生日と宣戦布告
「成人を迎える一生に一度の祝いの日に、参加者が少なくて寂しくもあるが、時期が時期だけに仕方あるまい……。十六歳の誕生日おめでとう、ルヴェン君」
「ありがとうございます、ベアトニス先生」
お気に入りのワインがなみなみと注がれたのを見計らい、いつも以上にご機嫌なベアトニスと、隣席するルヴェンがグラスを打ち鳴らす。
「あめでとうございます、ルヴェン」
「ありがとう、レティア」
ベアトニスの孫娘であるレティアも祝いの言葉を述べ、対面するルヴェンが謝礼を言う。
和やかな雰囲気の三名とは違い、同席するもう一人の女性が居心地悪そうな表情で、ナイフで細かく刻んだ食事を、黙々と口に運んでいた。
「小鬼人のコックが作った料理は、口に合いませんか?」
背後からユイナに声を掛けられて、リーンの身体がビクリと跳ねる。
メイド服を着たユイナが、豪華な料理を乗せた皿をリーンの前に置く。
「え? いえ、そんなことは、ないです……。美味しいです」
「お主も、軟禁生活に飽きてきただろ? せっかくの祝いの席だ。今日ぐらい、ワインの一つでも飲んでいけ」
「あ、ありがとうございます」
捕虜であるリーンが、戸惑いながらもベアトニスに礼を言う。
フォークで刺した肉を口に運び、ベアトニスがワインで喉を潤す。
「うむ、美味い。ルブンは、また腕を上げたな……。王都から離れても、大衆食堂に負けないくらいの上手い料理が食べられるのは、ここくらいだ……」
「大衆食堂で思い出しましたが、王都にも小鬼人がコックをしてる、珍しい店があるらしいですね。私も噂を聞いて、一度は口にしてみたかったのですが……」
「ローデンのことだな。コックやバイトの小鬼人達が主人のもとに帰省して、しばらく店が休暇中だと。その話題が、評議会でも出ていたな……」
「あら。御婆様も、ご存知でしたか?」
意外そうな顔をするレティアを見て、ベアトニスとルヴェンが視線を交わす。
「良かったな、レティア。ここにいれば、ローデンの名物コックとスタッフが作る料理が、しばらく独り占めだぞ……」
「え? それって、どういう意味ですか?」
「小間使いしかできない小鬼人を、本気でコックにしようとする召喚士は、魔導王国でも一人しかいないということさ」
愛用の煙管を吹かしながら、ほろ酔いでご機嫌なベアトニスが、ルヴェンの顔をチラリと見る。
しばしの間を置いて、レティアが目を丸くした。
何かを察したレティアからの視線を強く感じつつ、ルヴェンは身体を捕虜であるリーンの方へ向ける。
「リーンさん。さっきも言ったように。君達の襲撃計画は失敗し、俺は特に被害を受けてない。捕虜になった君達を解放する条件も、互いに満足するものになった。デクトル達が任務を完遂するまでは、館からは君を出してやれないが。しばらくは辛抱してもらいたい」
「いえ。捕虜の私を地下牢から、ゲストルームに移してもらえただけでも、ありがたいです。ルヴェン殿のご配慮に、心から感謝致します」
ルヴェンに言葉をかけられたリーンが、姿勢を正して謝辞を述べる。
主犯であるデクトルが処刑されないことを条件に入れたことで、リーンは氏族長候補の男性達との交渉を積極的にまとめてくれたからな……。
リーダーのデクトルが処刑されると知らされてから、地下牢でリーンが一日中泣いてたと隣室にいた女アサシンのベリコから聞かされて、惚れた弱みにつけこむのはどうかと思ったが、最終的に感謝されてるのなら良いことにするか。
「さて、ルヴェン君。君が楽しみにしていた、誕生日プレゼントの件だが……」
「はい」
ベアトニスの言葉に、ルヴェンもまた姿勢を正す。
随分と前になるが、ベアトニスから歴史の講義を受けていた時に、ご褒美として貰えることになった魔石の話を思い出す。
これから始まる帝国軍との戦争に向けて、召喚に必要な材料である魔石は、いくらあっても足りない。
『氷滅の老魔女』から貰える、強大な魔力が秘められた、秘蔵の魔石。
それが手に入り次第、すぐにでも召喚の構築式の改善作業に取り掛かりたくて、ウズウズする気持ちを必死にこらえる。
「実はまだ、持ち出しの許可が完全に取れてなくてな。娘が大切に保管していた『氷竜の涙』を、私が監視するという条件付きで、今回は持ち出すことができた」
……氷竜の涙。
名前からして、とても凄そうだ。
『氷滅の老魔女』が監視してる間だけしか、俺が使う許可すらもらえない、秘蔵の魔石か……。
「うちはもともと、子宝に恵まれない家系だ。娘にとっても彼女は、大切な一粒種なのだよ。大した実績のない男には、孫娘はやれんということでな。父親が持つ師団堕としの異名に恥じない、将来有望な若者だと娘を説得して、ようやく連れて来ることができた。本当に苦労したよ」
……ん?
んん?
ベアトニスが饒舌に語る内容が、ルヴェンには今一つ理解できず、頭上にクエスチョンマークが次々と浮かび始める。
「ということで、ルヴェン君にはドルシュ帝国軍一万を必ず倒して欲しいのだ。でなければ、婚約者候補にもならない男のもとに、レティアをいつまでも置いておくことはできない。よろしく頼むぞ、ルヴェン君……」
「えっと……」
少し遅れてルヴェンの頭が、ゆっくりと状況を理解し始める。
「ルヴェンが、私と釣り合わない男と判断した場合。今回のお見合いは、無かったことにさせて頂きます」
ベアトニスから事前に説明を受けていたのか、表情一つ変えないレティアが淡々とした口調で、そう告げた。
……お見合い?
誰と、誰のですかね?
「今回の戦争中に限り、召喚の儀にレティアの魔力を利用することを、『氷滅の老魔女』の名において特別に許可する。ただし絶対に、傷者にはしないでくれよ。レティアが成人後にする予定だったお見合い話を全部蹴って、ここへ一番最初に連れて来たのだ……。嫁入り前に変な噂がついたら、私が娘に殺されるからね」
えー……嘘だろ?
秘蔵の魔石って、そういう意味の……。
呆然として虚空を見つめるルヴェンをよそに、目を鋭く細めたベアトニスが白煙を静かに吐き出す。
「さて。あちらは、そろそろ始めた頃だろうかね?」
* * *
「ほう、これが噂に聞く魔導王国の大密林ですか。聞くのと見るのでは大違いですな……。地平線の彼方まで続いておりますぞ、ブフーッ」
全身鎧越しでも分かるくらいに恰幅の良い男が、可動式のバイザーを頭上にずらして、鉄ヘルムからはみ出した豚鼻をフゴフゴと鳴らす。
前方に見える広大な森を、馬上から望遠鏡を覗き込みながら、興奮した様子で語るピグダム千人長を、レヴィクは冷めた目で見ていた。
「あの森が、我が国とアヴァロム魔導王国の国境線だ。あの森の中には、その辺をうろつく野生モンスターとは比べ物にならないくらい、凶暴なモンスターがうろついている。俺達は森を迂回する形で街道を進みつつ、イグラード王国の国境を越える。その後の手筈は、覚えてるだろうな?」
「もちろんですよ、レヴィク将軍。そのまま城塞都市オルエントへ攻め込むと見せかけて、ギリムの息子がいる館に攻め入るのでしょう? 分かっておりますよ、ブヒヒッ。それにしても、暑いですな……ブフーッ」
豪華な刺繍がされたハンカチを取り出し、ピグダム千人長が汗だくになった暑苦しい顔を拭う。
戦争というよりは、観光気分で来てるようにしか見えないピグダム千人長に苛立ちながらも、クーデターの際に多大な貢献をした出資者の一人を蔑ろにできない状況に、レヴィクは心の中で舌打ちをした。
「それにしても、一万の兵を率いるというのは、なかなか気分が良いモノですなぁ、ブヒヒッ。此度の戦の為に、鎧を新調したかいがありますぞ、ブフーッ」
派手な装飾を施した全身鎧をガチャガチャと煩く揺らして、後方を進軍する我が部隊を望遠鏡で観察しながら、馬上で子供のようにはしゃぐピグダム千人長。
戦場で役立ちそうにもない豚など、今すぐ馬上から蹴り倒してやりたいところだが……。
今回の兵站のほとんどが、コイツの支援で成り立っている以上は、無碍にもできんのが面倒だ。
金だけはある貴族というのも、ある意味で厄介だな……。
「むむ。レヴィク将軍、誰かが立ってますぞ?」
望遠鏡を熱心に覗いていた豚が、妙なことを口にした。
進軍する我が軍から飛び出して、数名の部下が馬を走らせる。
戻って来た部下から聞かされた名前に、レヴィク将軍はピクリと眉根を寄せた後、その者を連れて来るよう指示した。
訝し気な顔で眺める大勢の軍人達が開いた道を通り、一人の若者がレヴィク将軍の前までやって来た。
腰のベルトに二本のサーベルを提げ、ボーイッシュな容姿をした若者を見たレヴィク将軍が、険しい表情で目を細める。
「三年振りか? 可愛らしい女性に変装した君と道場で、最後に試合をして以来だな。ディーナ」
――太めの眉の下にある――意志の強そうな蒼色の瞳が、馬上に乗るレヴィク将軍を見上げた。
「覚えてくれて嬉しいよ、レヴィク殿。君はアレから、随分と出世したみたいだな」
「レ、レヴィク将軍。この者は、いったい……ブヒッ」
若きエリート将軍相手に、堂々と振る舞う若者を見たピグダム千人長が、興奮した様子で豚鼻をフゴフゴと鳴らす。
「彼女は君もよく知る、ランディウム将軍の孫娘だよ。クーデターの際に、両親と一緒に亡命したらしいがね」
「なんと。では、この子が噂の……」
「それで、ディーナ。アヴァロム魔導王国の使者として、君が俺に面会を求めたと聞いたのだが……本当か?」
「ああ、そうだ」
あっさりと認めたディーナが、懐から封書を取り出した。
レヴィク将軍の近衛隊である部下が、受け取った物に危険が無いかをあらためる。
部下から手渡された封書を開き、レヴィク将軍は中にあった紙に目を落とす。
アヴァロム魔導王国の王女直筆の手紙を読み、レヴィク将軍が目を見開いた。
「正気とは思えんな……」
「ブヒッ。レヴィク将軍、その紙には何が書かれて……」
「レヴィク将軍! 前方から、魔物の群れが!」
声高に叫ぶ部下が指差す方向へ、皆の視線が一斉に振り向く。
大密林からモンスターの群れが次々と飛び出し、遠方でも分かる程に砂埃を巻き上げて、こちらへ向かって来る光景がレヴィク将軍の目に映る。
「師団堕としで有名な、英雄ギリムの息子。召喚士ルヴェンが操る、魔物だ」
「ブヒッ!? 魔導王国の、モンスター!?」
後方へ振り返ったディーナが口にした言葉に、ピグダム千人長が悲鳴を漏らす。
「防御の陣を敷けッ! 弓兵構えろ!」
二百程のモンスターの群れに、兵達も動揺する。
しかし、軍団の最前を指揮するシグニ千人長が怒号を飛ばすと、兵達が我に返った。
千人の兵隊が横長の陣を展開し、指示通りに迎撃の構えを作る。
「ほう。本物の軍隊は、さすがに対応が早いな。これは攻め落とすのが、難しそうだ」
「ディーナ。お前は、味方にする相手を間違えた。亡命などせず、我が国に残れば。軍人として、活躍していたかもしれんが……」
「射手、射てッ!」
シグニ千人長の号令で、盾を構えた者達の後方に並ぶ弓兵部隊が、一斉に矢を放った。
百を超える矢の嵐が放物線を描いて、先頭集団の狼頭人に迫る。
「残念。外れだ」
ディーナが薄い笑みを浮かる。
狼頭人の身体に青い光が纏い、飛来する弓矢よりも高く跳躍した。
レヴィク将軍の目に映ったのは、最前列で盾と槍を構えた防御陣を飛び越え、後方にいた弓兵部隊に降り注ぐ二メートルの巨体。
体毛に覆われた巨体が、逃げ遅れた弓兵達を巻き込んで、シグニ千人長の指揮する部隊に襲い掛かった。
およそ五十の狼頭人の群れが、内部から帝国軍を食い荒らし、近くにいる兵士を手当たり次第に襲っている。
弓兵は同士討ちを恐れて身動きが取れなくなっており、部隊は混乱に陥っていた。
遅れて駆け付けた猪牙人と豹頭人を合わせた約百五十の集団が、動揺に乱れた陣に衝突する。
「レヴィク殿、心にもないことを言うのはやめてくれないか? 女である私が活躍するのを、君が心から嫌っていたのを、私が知らなかったと思っているのか?」
腰ベルトに提げた二本のサーベルを、ディーナがゆっくりと引き抜く。
「手紙に書かれた内容通り、大帝国の属国となったドルシュ帝国に、アヴァロム魔導王国は宣戦布告をする!」
サーベルの先端をレヴィク将軍の方へ向け、ディーナが力強く宣言する。
「まずは、小手調べだな」
「おのれ、帝国の裏切り者めッ!」
――ディーナが封書を渡した男――ダリム百人長が怒気を孕んだ声で咆哮し、腰に提げた剣を抜刀する。
ディーナの背中めがけて横薙ぎに振るうが、素早く身を翻したディーナの剣が、ダリム百人長の刃を弾いた。
まさか弾かれると予想してなかったのか、ダリム百人長が数歩たたらを踏んで、後ろに後ずさる。
――腕が痺れたのか――手を開閉する動作を繰り返したダリム百人長が、青い魔闘気を纏ったディーナを睨みつけた。
「敵陣の真ん中で、女一人が何をできる!」
「邪魔よ」
「ガッ!?」
二人の上空を黒い人影が飛翔し、ダリム百人長の顔面に蹴りが入る。
鋭い蹴りが顔にめりこみ、地面をぶざまに転がるダリム百人長。
「遅いぞ、チェニータ」
「これでも急いだ方なのよ、先生」
ディーナの隣に立つのは、黒い体毛で全身を覆われた、二メートルはあろう長身の豹頭人。
「いつもの武器は、預けたのか?」
「ええ、ベリコにね。今日は拾い物よ」
普段愛用する紫色のククリ刀ではなく、前回の戦いで手に入れた二本の長剣。
狂信者であったタイツェンが使用していた二本の剣を見せられて、ディーナが溜め息混じりに肩を落とす。
「そうか……。今回は、お前達の好きにして良いと言ったのは、私だからな」
なにかを察した顔で、ディーナが背を向けようとする。
「また会おう、レヴィク殿」
ディーナはそれだけを言い残し、シグニ千人長の指揮する部隊へと歩を進めた。
敵味方入り乱れる戦場に、ディーナの姿が消える。
ディーナと入れ替わるようにして、数体の豹頭人が現れた。
「え? これだけ?」
「そうよ。無傷のチェニーと違って、ここに来るまでに何人かはやられたよ。身を隠す森が無いから、この戦場はあたいらに向いてないよ」
チェニータの隣に立つ豹頭人が、ぶっきらぼうに答える。
彼女もまた無傷では突破できなかったのか、背中から滴る血を地面にポタポタと落としていた。
「しょうがないわね。じゃあ、私達だけで首を獲りましょうか……。大将首をね」
獰猛な笑みを浮かべるチェニータと豹頭人達を、距離を取ったレヴィク将軍が静かに見つめている。
ディーナからの宣戦布告を受けてから、千にもなる近衛隊がレヴィク将軍を守るように、周辺を厳重に固めていた。
遅れながらも後方から合流した部隊もまた、襲撃者達を取り囲むようにして、人壁の厚みを何重にも増していく。
「愚かな魔物共め。自分達が、どれほど無謀な戦いをしてるかを、気づけぬとは……」
ラドス近衛隊長が獣人達の前へ歩み寄り、自慢の愛槍をゆっくりと構える。
バチバチと紫色の火花が散り、ラドス近衛隊長の槍に雷が纏い始めた。
「フフッ。そういえばベリコにも、タイツェンと同じタイプのアホだと言われたわね……。でもね、絶対に無理だと言われたら、逆に燃えるのは私だけかしら?」
二本の刃を交差し、チェニータが不敵に笑った。
魔闘気を纏ったチェニータと豹頭人達が、悠然と立つラドス近衛隊長に目掛けて、一斉に飛び掛かる。
――本隊における最強の軍人である――ラドス近衛隊長が、圧倒的な技量で相手を捻じ伏せ、次々と魔物達の命を散らせる。
生き残ったチェニータなる豹頭人は辛うじて善戦をしたが、ラドス近衛隊長の目にも留まらぬ鋭い突きと剣戟の応酬に敗れ、最後は心臓を貫かれて絶命した。
命懸けの戦いというよりは、見世物のような雰囲気で、周囲の兵士から歓声が沸く。
「気に入らんな……」
予想していた当然の結果を遠目に眺めながら、腑に落ちない顔でレヴィク将軍がボソリと呟く。
ひとまずは己の安全が確保され、気にすべき戦況は未だに混乱の抜けぬ、シグニ千人長の指揮する部隊のみとなった。
しかし、たかだか数百の魔物程度、我が一万の軍勢であれば、しばしの時間があれば物量で圧倒できる。
少数で大軍に戦を仕掛ける場合、最初から対象首を狙う考えもあるが、大将を目前にして踵を返した彼女の行動は、とても奇妙である。
ディーナ……。
他国に亡命したお前が、なぜこのタイミングで、勝てもしない戦を仕掛けて来た?
去り際に不敵な笑みを浮かべて、「また会おう」と言った彼女の顔が、レヴィク将軍の脳裏に浮かぶ。
わざわざ負け戦を挑んだ幼馴染の奇行に、レヴィク将軍は心に小さな引っ掛かりを覚えた。




