【第20話】次の戦争に向けて
と威勢よく啖呵を切ったものの、さすがに一万を相手するのは厳しいよな……。
さて、今度こそ本気で逃げ出す算段を、考えないといけないか?
次から次へと襲い掛かる試練の連続に、ため息混じりに肩を落としながら、ルヴェンが廊下を歩く。
「おやおや。ずいぶんと暗い顔をしてるじゃないか……。千の傭兵を難なく撃退した召喚士殿のために、今夜の祝勝会で秘蔵のワインを開けるよう、グレンに頼んだと言うのに」
ルヴェンの視界に入り込んだのは、見覚えのある黒の優雅なドレス。
「ベアトニス先生。実家の用事は、終わったのですか?」
「うむ。ちょうど今、戻ったところだ」
愛用の煙管を口に咥え、ご機嫌な顔でベアトニスが白煙を吹き出した。
「チェニータを再召喚した件、グレンから聞いたぞ。ユイナが実験に協力して、上手く成功したらしいな」
「耳が早いですね」
「さすが、ルヴェン君だ。魔鉱石を大量に消費していたチェニータでも、召喚の魔力消費が大分下がったらしいな」
「はい。まだまだ改善の余地がありますが、ユイナには本当に感謝してますよ」
魔物を召喚する際には、大量の魔力を消費する。
今回の襲撃で、百を超える魔物を失った。
ルヴェンは他の召喚士とは違い、融合召喚と呼ばれる特殊なやり方で召喚をしてるため、一体を召喚するだけでも魔力消費がかなり高い。
その中でも、チェニータはルヴェンの器が保有する魔力コストでは足りず、召喚の媒体に高価な魔鉱石を使う必要があった。
多少の魔鉱石は地下倉庫に眠っているが、それを湯水の如く使えば、破産間違いなしである。
その為に、魔鉱石以外の媒体を模索した結果、とある方法を試す為にユイナが手を上げてくれたのだが……。
「ユイナの件だが、後で構築式を私にも見せてもらえないかな? もちろんグレンには、許可を貰っておるよ」
「それは大丈夫です。それよりも、ベアトニス先生から渡して貰った、妙な構築式の件で聞きたいことが……」
「ああ。アレか……。ちょうど良い。それも彼女を交えて、話をしよう」
……彼女?
「立ち話もなんだ。グレンが用意してくれた紅茶を飲みながら、君が活躍した話をぜひ聞かせてくれ」
ニヤニヤと奇妙な笑みを浮かべながら、ベアトニス先生がお茶会へルヴェンを誘う。
なんとなく違和感を覚えながらも、ベアトニス先生に促されるまま、ダイニングルームへと足を運んだ。
夕食の準備をしてるのか、腹を刺激する良い匂いが、厨房からは漂っていた。
ベアトニス先生だけだと思っていたルヴェンは、食卓の席に座る見知らぬ人物を見て、おもわず足を止める。
「レティア、挨拶をなさい」
「はい。御婆様」
優雅に席を立った女性が、気品のある仕草でお辞儀をする。
「レティアと申します」
滝のように背中を流れる蒼髪に合わせたのか、青いドレスを着た美しい女性。
妖艶な美しさの目立つベアトニスとは違い、人形めいた印象が強い女性だった。
彼女に人形を連想した原因は、ルヴェンを見つめる彼女の表情が、一切の感情が表に出ない、無表情だったせいだろう。
ベアトニスの血の繋がりは感じられる体型なので、出るとこは大きく出ているのに、服の上から分かるくらいにウエストは細い。
あとは社交辞令でもいいから、愛想笑いの一つでも浮かべれば、男共がわんさかと彼女に群がることだろう。
無表情で何も言わず、こちらをじっと見つめるレティアに、少し居心地の悪さを覚えたところで、ルヴェンは彼女が自分の自己紹介を待ってるのだと気づく。
「御婆様。こちらの方とは、どのようなご関係なのですか?」
「ん? おや、さっき言わなかったかね? 彼がルヴェン君だよ。噂通りの良い男だろ?」
「……え?」
無表情を貫いていたレティアの顔に、このタイミングで初めて困惑の色が見えた。
眉根を中央に寄せただけの小さな変化だが、青い瞳だけが祖母とルヴェンの顔を、忙しなく左右に動いている。
「御婆様。もしかして、この館にはルヴェンという名前の方が、お二人いるのでしょうか?」
「おや、それは初耳だね。ルヴェン君、そうなのかね?」
ルヴェンもようやく、ベアトニスが孫娘を巻き込んで、自分をからかっているのだと気づいた。
「いいえ。ルヴェンは、俺一人ですよ。初めまして、レティアさん。私が悪名高い、ヒキコモリ召喚士のルヴェンです。ぜひとも紅茶を交えながら、嘘の噂を訂正する機会を頂きたいです」
ベアトニスの悪戯にちょっと悪ノリしながらも、ルヴェンはできるだけ丁寧に、レティア嬢への挨拶を交わす。
「まあ、二人とも。まずは席に着きたまえ」
苦笑いを浮かべたルヴェンと、驚きと戸惑いが入り混じった表情のレティアが、ベアトニスに促されて腰を下ろした。
* * *
レティアは困惑していた。
家長である祖母の命令とはいえ、今回だけはその命令に逆らう選択すら、脳裏に過ってしまう程だった。
師団堕としの異名で有名な英雄ギリムの息子と聞けば、誰もが耳にしたことのあるヒキコモリ豚蛙の噂。
ギリム殿とは似ても似つかない容姿で、幼少時から勉学どころか、暴飲暴食の自堕落な生活を貪るだけ。
優秀な召喚士の息子であるはずなのに、屋敷周りにいる魔族は討伐せず、常に放置で森は無法状態。
そのせいで、森に棲む魔族が街道にまで顔を見せることもあり、隣国である国境城塞都市オルエントから来る商人からは、王都に苦情が出る程。
まさに、召喚士の恥さらし。
優秀な召喚士の貴族達が集まる社交界で、話のタネに殿方達から聞かされた数々の酷い噂話が、レティアの記憶に蘇る。
しかし、蓋を開けてみればどういうことだ。
噂とは真逆の好青年が、この土地であった最近の出来事を、分かりやすく丁寧に教えてくれる。
最近まで召喚士としての能力が開花せず、英雄である父の息子であることを恥じて外に出ることもできず、ヒキコモリ生活をしていた苦労話から始まり。
大小様々な集落が千を超えた、無法地帯になっていた森を制圧するのは苦労したが、現在は野生魔物がほとんどいない平和な森であること。
森の魔物討伐がひと段落着いたところで、傭兵崩れの野盗が屋敷の強盗に入ろうとしたのを撃退。
本国で処刑されたギンブルの顛末は耳にしていたが、ごく最近に千の傭兵の襲撃があったのは、初耳だった。
紅茶だけをお付き合いして、すぐに帰ろうかと思っていたレティアだったが、ルヴェンの話にすっかり聞き入ってしまって、気づけば夕食まで御馳走になっていた。
「なるほど。それは大変だったようだな。グレン、もう一本開けとくれ」
「御婆様。さっき、今日は一本だけと言ってませんでしたか?」
「固いことを言うな、レティア。今日は、祝いの席だ。万が一のことがあれば、ルヴェン君が逃げる時間くらいは稼ぐ手伝いをしてやろうと思っていたが、さすがギリムの息子。君は常に、予想の斜め上な成長を見せてくれる」
さきほど、ルヴェンから渡された紙に目を通した御婆様が、上機嫌な様子で煙管を口に咥えた。
「なるほど。そうきたか……」
「御婆様、それは何ですか?」
「ん? ああ、これはユイナの内部構築式の解説書だ」
「え? ユイナさんの……」
レティアは驚きに顔色を変え、メイド服を着たユイナに視線を送る。
夕食に同席したディーナの隣で、給仕を淡々とこなすユイナが目に入った。
魔法を発動する場合、主に魔石が嵌められた杖や指輪などが、触媒として使用されるのが一般的だ。
ただしアヴァロム魔導王国の場合は、他国より魔術に関する知識が頭一つ飛び抜けており、魔術を発動するための構築式を杖や指輪などの触媒に刻まず、魔導士の体内に刻む手法が常識となっている。
さきほどの簡単な紹介で、ユイナは魔導王国の出身でないと聞かされたけど……。
「ユイナは戦争孤児だが、グレンのところに養子として拾われるほど、優秀な魔闘士だ。外部術式から内部術式へ変換可能かを判断する身体検査は、当然していたが……。ルヴェン君、合格だ。私の資料から、よくここまでの構築式を完成させたな」
「ありがとうございます。ベアトニス先生のお墨付きが貰えたなら、安心できます」
御婆様から渡された紙を受け取り、ルヴェンがホッとしたような笑みを浮かべる。
対してレティアは、密かに笑みを引きつらせていた。
「御婆様。ルヴェンは、間もなく十六になると聞きましたが?」
小声で囁くように、レティアが御婆様に尋ねる。
レティアの内心を悟ったのか、ベアトニスが白煙を吐き出しながら、薄く笑った。
「そうだな……。つまり成人したばかりのレティアが、まだやったことのない内部術式の魔導施術を、召喚士のルヴェン君は既に成功させているということだ」
悪戯めいた笑みを浮かべるベアトニスの言葉に、ルヴェンを見ていたレティアの目が細くなる。
その分野は確かにレティアの専門外だが、専門家であるお父様の文献に目を通し、常に勉強はしていた。
「私が出した課題は、きちんと終われせてるだろうね」
「もちろんです、御婆様。お父様の構築式は既に理解し、改善点も見つけました」
「そうか。それなら、後で見せてもらおう」
「はい」
完全に理解したというのは嘘ではあるが、自分よりも年下の者に劣っている気分がして、レティアは少しばかり見栄を張ってしまった。
自身の構築式に関する改善点を一つでも見つけるのに、レティアはとても苦労した。
それなのに、さらに難易度の高い他人の構築式の魔導施術をした話を聞かされて、『氷滅の老魔女』の血をひく自分が劣っているのを認めるのは、レティアのプライドが許さなかった。
「さて、ルヴェン君。問題は次の相手だが……。一万の軍人と戦争をして、勝算はあるのかね?」
ベアトニスの投げた言葉に、それまで和やかだった空気が、一気に張り詰める。
「正直な話、厳しいですね……。失った魔物を再召喚するのは、可能ですが。こちらがとれる戦術は、今回と同じく森に皆を潜伏させて、撃退する方法しかありません。専属の軍事顧問として、正式な契約をしたディーナにも、案を練ってもらいましたが……」
「勝率はゼロです。今から軍隊相手の戦術を、素人同然の魔族達に叩き込むには、とうてい時間が足りません。私が提案できることは、最初からこの館を放棄し、魔族達に戦争の経験をさせるくらいですね」
ドレスよりも軍服が似合いそうな、凛々しい雰囲気の女性が、淡々とした口調で答える。
「甘く見積もって、ドルシュ帝国軍が傭兵達と同程度の実力と仮定した場合。千名程の敵を削れたとしても、残りの九千をどうやって倒すのか……。召喚士であるルヴェン殿の力を頼るにしても、再召喚までの時間が足りません。ここを解決しない限り、現状は手詰まりですね」
「ふむ。それは困ったな……。つまり勝率を上げるためには、再召喚をするための時間が足りないと……。ならば、こちらから攻めるしかあるまい。ドルシュ帝国と接する国境の東端に潜伏し、油断して近づいたドルシュ帝国軍を強襲。あとは死んだ魔物を再召喚して、戦力を補充しながら強襲を繰り返すのが、一つの手だろうな」
ベアトニスの案を聞いた面々が、困惑した表情を浮かべた。
「御婆様。専守防衛を基本としてる我が国では、それができないから、皆さんが困ってるのはないですか?」
皆が思ってたことを、レティアが代表して口に出す。
この辺りの国境線事情は複雑であり、ルヴェンの管理する森は、我が国の領地である。
しかし、森の前に舗装された国境城塞都市オルエントへ繋がる道は、隣国であるイグラード王国の領地だ。
つまり、ドルシュ帝国軍が森に入らない限りは、イグラード王国が対応するべき問題であり、本国から動くことは無い。
ここに来るまでに御婆様から教えられた知識を思い出しつつ、本国が重い腰を上げるのは、ルヴェンの館が襲撃を受けたタイミングだと口にした本人を、レティアが訝し気な視線で尋ねる。
「む? ……ああ、そうだったな。王女から預かったものを、まだルヴェン君に渡していなかったな」
皆からの視線を一身に受けたベアトニスが、思い出したように一枚の紙を懐から取り出した。
ルヴェンが手渡された封書を開封し、綺麗に折り畳まれた紙を広げる。
静かに黙読をしたルヴェンの表情が、みるみると険しくなった。
「ルヴェンも、間もなく成人となる。王女からのささやかな、誕生日プレゼントだと思ってくれ……」
封書を裏返したルヴェンが、王家の印が押されてることを、念入りに確認した。
「残念ながら、それは本物だぞ。ルヴェン君」
「そのようですね……」
溜め息混じりに肩を落とし、頭痛を覚えたようにルヴェンがこめかみを指で押さえる。
その様子を楽し気にニヤニヤと笑みを浮かべながら、煙管を黙々と楽しむ御婆様。
「御婆様。その紙に書かれた内容を、ご存じなのですか?」
「もちろんだよ、レティア。王女を交えて開いた、五老会の臨時評議会で決定した内容だ」
五老会の臨時評議会……。
そうなると、五老会の一人である御婆様も出席してることになりますね。
「グレン以外にも、ドルシュ帝国内で情報を集めてる草は何人もいる。ドルシュ帝国軍が、イグラード王国への侵攻準備と同時進行で、ルヴェン君の館を橋頭堡の一つとして制圧する作戦が進められていた。しかし、それはルヴェン君の思わぬ活躍で失敗した」
「ドルシュ帝国は、イグラード王国との戦争を始めるつもりなのですか?」
「そうだ、レティア。傭兵達が任務を失敗した場合、イグラード王国への国境侵犯に見せかけたドルシュ帝国軍一万が、我が国が動かないギリギリの場所まで近づき、ルヴェン君の館を強襲する計画があることも、我々は把握した。あまりにも我が国を舐めた態度に、さすがに王女も気を悪くしてな……。今後の世界情勢も考えて、我が国も行動を起こすことになったのだ……」
「なるほど。それで俺が、最初の先陣を斬ることになったのですか?」
「その通りだ。日頃の教育の賜物か、君の理解が早くて助かるよ」
アヴァロム魔導王国の歴史と、御婆様が口に出した今後の世界情勢。
西アスカディア連合国と大帝国であるガルランド帝国に挟まれながらも、中立を守り続けた我が国の立ち位置。
王女を交えて開いた、五老会の臨時評議会で決定した内容。
専守防衛のルールを破る、御婆様が口に出したコチラから攻めるという、ありえない戦術。
それらを加味して、レティアは手紙の内容を推測した。
「王女からの言伝だ。ここにいる皆も、心して聞いて欲しい……。中立的立場を守ってきた、我がアヴァロム魔導王国は、西アスカディア連合国への支援を正式に決定した。世界への意思表明として、ルヴェン君には大帝国の属国となったドルシュ帝国軍の出鼻を挫いてもらう」
白煙を力強く噴き出した御婆様が、笑みを浮かべる。
「さて、諸君。それでは改めて、ドルシュ帝国軍一万を倒す方法を、じっくりと考えようじゃないか」




