【第18話】三つ巴②
ベリコは自分が、周りからどのような評価を受けてるかを、よく理解していた。
若くして下忍達を纏める中忍に昇格したのも、親の七光りで幹部達から推薦されたのだと、陰口を叩かれていたのも知っている。
十代後半だと知られて馬鹿にされるのも癪だから、歳を誤魔化して大人びた色香を出す意識も常にしてきた。
今の立場になるまでに、血の滲むような努力をし、その結果が今であるという自負は、もちろんあった。
だが、しかし……。
「背中が、ガラ空きよ」
肩越しに耳元で囁き、フッと耳に息を吹きかけられて、背筋がゾっとする。
背後に回り込んだ者へ向けて、ベリコは逆手に持った忍刀を突き刺した。
「ハズレ」
後ろへ振り返っても声の主はおらず、今度は前方からアイツの声がした。
ベリコが顔を前へ向けたと同時に、目と鼻の先に黒い豹の頭があった。
チェニータを名乗った獣人が、白い歯を見せて獰猛な笑みを浮かべる。
この状況で、まだ笑っていられる余裕があるのが信じられなかった。
コイツはこの殺し合いを、本当に楽しんでいるのだろう。
二対一の殺し合いを――。
ベリコと見つめ合う黒い豹頭人の左右から、二本の刃が現れた。
私では反応できない速度の刃が、ハサミで小枝を切るように、黒い体毛で覆われた胴体に迫る。
「チッ」
舌打ちをしたのは、チェニータの背後にいた――強襲を仕掛けた側の――タイツェン。
黒い体毛で覆われた二メートルの巨躯に、濃厚な青い魔闘気が纏う。
逆手に持った紫色のククリ刀が、タイツェンが振り払った二本の刃を、胴体が触れる寸戦で止めている。
力が拮抗してるのか、触れあった刃同士が小さな火花をチリチリと散らせていた。
黒い豹頭が、再び私の前に迫る。
「あなた達の戦い方は、だいたい分かったわ……。そろそろ、狩っても良いかしら?」
私の目を覗き込む金色の瞳に、再びゾクリと寒気を感じた。
沸き上がる恐怖を振り払うように、ベリコは忍刀を横薙ぎに振るう。
「ぎゃんッ!」
だがそれよりも先に、突き出した蹴りがベリコの腹を強打する。
後方の樹に叩きつけられたベリコの口から、情けない声が漏れた。
「あら、可愛い悲鳴も出るじゃない」
馬鹿にした笑みを浮かべたチェニータを、羞恥心で頬を赤く染めたベリコが睨む。
「まずは、あなたから相手をしてあげる」
背後へ首を回し、獰猛な笑みを浮かべる豹頭を、タイツェンが睨み返す。
「調子に乗るな、獣頭。俺はまだ……本気を出していないぞッ!」
声を怒りで震わせたタイツェンが、青く光る薄い膜を全身に纏う。
ベリコの前から、二つの影が消える。
だがそれは一瞬で、すぐさま剣戟の応酬が始まった。
樹々で密集した動きにくい地形を物ともせず、縦横無尽に駆け回る黒い豹頭人。
それを追うようにタイツェンが駆け抜け、激しい刃の嵐を降り注ぐ。
これが、タイツェンの本気か……。
ベリコが悔し気な顔で、歯を食いしばる。
やっぱり私には……速過ぎるわね。
とてもじゃないが、彼の剣技についていける気がしなかった。
若さゆえの経験の差は、如何ともし難い。
素直に認めたくないが、百魔将殺しの名は伊達じゃないようだ。
彼ほどの実力があって、ようやく目の前の獣人と同等に並べるということか……。
だが、獲物を追うことに夢中な獣人が、こちらへの警戒を解いた隙を、見逃すつもりもない!
私の努力を否定し、下忍と馬鹿にした奴と協力するのは癪だが、今回はしかたあるまい。
胸元に巻いた革ベルトのホルダーから、ベリコが二本の投擲ナイフを引き抜く。
最後の二本を握り締め、その時を待つ。
互いに相手の刃を、全て弾けてるわけではない。
肩口や脇腹、腕や頬と斬り傷が増え始め、私の目も少しずつ両者の動きを追えるようになってきた。
その大きな身体に見合わぬ身軽さで、チェニータが地を蹴り、高所にある太い枝木に飛び乗る。
地面に靴底を滑らせ、砂煙を上げながら比較的開けた場所で、タイツェンが足を止めた。
高所から見下ろす黒の豹頭人と、それを睨み上げる狂信者。
太い枝木をしならせ、ヒラリと空中で身軽に回転した後、チェニータが地面に着地した。
「フフフ、楽しかったわ。そろそろ、終わりにするわね」
「そうだな……。俺の刃も、少しずつ当たるようになってきた。次で、お前の首を跳ねてやろう」
二本の刃を構えた両者が、静かに睨み合う。
タイツェンの瞳だけが動き、どこかをチラリと見た。
……ん?
いま、タイツェンはどこを見て。
当然ながら、その隙を彼女が見逃すはずは無かった。
「よそ見なんて、ずいぶんと余裕じゃない」
黒い獣人が、タイツェンの懐近くまで飛び込む。
「お前も、俺ばかりを見過ぎだな」
チェニータの目が見開き、勘付いた豹頭とベリコの目が合った。
だが、そのタイミングで気づいても遅い。
ベリコが放った二本の投擲ナイフが、チェニータの豹頭と脇腹に吸い込まれた。
そのまま両者の刃が交差し、大量の血飛沫が舞った。
「やはり、師とは違う、人の身では……。バケモノには、勝てぬか……ゴフッ」
口から大量の血を吐いて、タイツェンが膝から崩れ落ちる。
タイツェンの上半身がゆらりと傾き、血溜まりにバシャリと沈んだ。
虚空を見つめるタイツェンの胸元には、二本のククリ刀が突き刺さり、背中まで貫いていた。
誰が見ても致命傷と分かる。
「フーッ、フーッ。グルルルルッ」
チェニータが唸り声を漏らしながら、鼻息を荒くしてベリコの方へ顔を向ける。
ベリコの投げた投擲ナイフが、口元の一部を割きながらも、牙で噛みしめられていた。
「やってくれるじゃない、人間。おかげで、酷い目にあったわよ」
口に咥えた投擲ナイフを手に取り、脇腹に刺さったもう一本の投擲ナイフを、チェニータが乱暴に引き抜く。
チェニータも無事ではないらしく、肩から脇腹に向けて斜め十字の刀痕が、深々と走っていた。
地面に大量の血を落としながらも、地を踏み締める足取りは力強く、殺意の満ちた瞳で次の獲物を睨みつける。
「両方死んでくれたら、一番良かったのだけどね」
ベリコが苦笑いを浮かべながら、ゆっくりと背中にある忍刀へ手を伸ばす。
表面上は冷静を装っているが、冷や汗が止まらない。
手負いの獣とはいえ、タイツェンを倒した獣人に勝てる気が全くしないのよね……。
さすがに、生きては帰れないかしら?
「チェニータ。殺しては駄目です。この子には、聞きたいことがあるので、生け捕りにします」
耳元で告げられた聞き覚えの無い声に、ベリコが驚いた顔で目を見開く。
「動かないで下さい。あなたの護衛任務は、失敗しました」
ベリコの喉元には、短刀が添えられている。
引き抜こうとした忍刀の柄には、背後に立つ者の手がのせられていた。
「ボス。本気で言ってるの? 私の身体を見てちょうだい。その女のせいで、私の身体はアイツに斬り刻まれて、ズタボロなのよ」
黒装束に身を包んだ女性を、チェニータが不満げな顔で睨む。
ボスと呼ばれた女忍者は、獣を模した仮面を被っており、二つの穴から覗く目を細める。
「さっきから見てましたが。その大怪我は、あなたの油断から負ったものです。このアサシンが今のあなたにしたように、二人の共倒れを最初から狙っていれば、くだらない怪我もせずにすんだと思いますが」
「……それを言われると、ツライわね。だって、混ざった方が楽しそうだったのよ」
「チェニータ。あなたへの説教と教育は、後回しです。どうしても、まだ暴れたいのでしたら。さっきから、こちらを監視していた者を追いなさい。ソイツなら、殺してもかまいませんから」
女忍者が苦無と呼ばれる短刀の先端を、森の奥へ指し示す。
さっきタイツェンがチラ見をしていた方向へ、豹頭が振り返る。
「たしかに……。さっきから私のことをチラチラ見てて、すごく鬱陶しかったのよね。じゃあ、そっちで我慢しておくわ」
不機嫌そうな顔で、チェニータが空高く跳躍した。
深手を負ってるはずなのに、気にした素振りも無く樹々の間を飛び跳ねて、森の奥へと消えて行く。
「さて、後はあなたの処遇ですが。まだ抵抗しますか? 護衛対象も死にましたし……。お金にならない無駄な戦いをしたいのなら、彼女達としばらく遊ばせてあげますが」
ベリコが周りを見渡せば、勝敗は既に決していた。
目的地に向かっていた傭兵は既に全滅しており、ベリコの部下達も狼頭人に狩り殺されている。
護衛対象であったフォルトは、他の狼頭人よりもさらに一回り大きい、三メートルの巨体を揺らす狼頭人に頭を踏みつぶされ、その身を血溜まりに沈めていた。
善戦はしたのか、体中を斬り刻まれた狼頭人の胴体には、フォルトが愛用してい二本の剣が深々と刺さっている。
一番身体の大きな狼頭人が、胴体を貫いた二本の剣を乱暴に引き抜いた後、不機嫌そうな顔でベリコの足元へ放り投げた。
最後の生き残りを取り囲む狼頭人達を見て、溜め息混じりに肩を落としたベリコが、渋々と両手をあげる。
「降参するわ」
「そうですか。では、主のいる館まで来てもらいます」
女忍者に武器を取られ、用意された縄で腕を縛られたベリコは、大人しく彼女に従うのだった。




