【第17話】三つ巴①
「空が、青いな……。雲一つ無い快晴ってヤツだぜ、マギシム」
「ああ……。そうだな」
地に仰向けに寝転がり、空を見上げるカグイの独り言に、なんとなく反応する。
「これで、血の雨が降ってなければ、最高だったのにな……」
「本当だな」
マギシムは溜め息を吐きながら、目を逸らしたい現実へ意識を戻す。
自分達から少し離れた場所では、二百もなる大量の人の死体が転がり、生き残った少数の者だけが、死闘を繰り広げていた。
「あの、クソオークが……。あたいの腕を、斬りやがって」
ドスの利いた低い唸り声が耳に入り、マギシムとカグイの身体がビクリと跳ねる。
地にうつ伏せに倒れたマギシムが、恐る恐る声のする方へ振り返った。
自分とカグイの下半身を押しつぶす、――身動きが取れない原因である――青と白の体毛に覆われた巨体が目に映る。
丸太のような太い両腕は、手首から先が斬り落とされ、右足も脛から先が無い。
大きな狼頭から苦悶の声を漏らしながら、体毛を血塗れにした狼頭人が、忌々し気な目で戦場を睨みつける。
三メートルの巨体で、我が物顔で暴れていた狼頭人を、ここまでの悲惨な状況にした化け物へ、マギシムもまた視線を移す。
「貴様、俺の仲間達を……。よくも、よくも……」
無残にも下半身を失い、口から血を流して息を引き取った、民族衣装の男の頭を抱きかかえ、片膝を地に付いたゴルズの頬に涙が落ちる。
傭兵と狼頭人の亡骸で積み上げられた山の上で、――成人男性の身長はあろう長くて太い刀身の――大剣を肩に担いだ者が、大口を開けて笑う。
「ゲハハハハ! なんだ、泣いてるのか? 弱いお前が、悪いんだろ?」
――猪牙人の特徴である――下顎から突き出た二本の牙に手を伸ばし、牙に付いた血糊を人差し指の腹で拭うと、大きな舌でペロリと舐める。
死体の山から二メートルの巨体が飛び降り、ゴルズの数メートル先にある地面の砂埃が、宙に舞い上がった。
ジャラジャラと鉄鎖が煩く擦れる音と共に、猪牙人の腕に巻かれていた物が、ドスンと重々しい音を立て、地に落ちた。
「さあ、お前の盾になってくれた奴は、皆死んだぞ。弱いお前を生かす為の作戦も、無駄死にで終わったな」
死んだ仲間を地に寝かせ、開いた瞼を指先でそっと閉じたゴルズの身体が、ピクリと跳ねる。
「無駄死に……だと……」
食いしばった歯がギシリと鳴り、ゴルズが怒りの形相で睨み上げる。
「そりゃあ、そうだろう。誰一人、俺に触ることすりゃ、できなかったじゃねぇか。俺の攻撃が、人間の盾如きで防げるわけがねぇのにな。馬鹿な奴らだよ」
人の頭より大きな鉄球が、フワリと地から空中に浮かび上がる。
鉄球には鉄鎖が繋がっており、大剣を持ってない方の手で、猪牙人が楽しそうに振り回している。
「お前だけは……絶対に……」
二本の戦斧を握り締め、ゴルズが立ち上がる。
「絶対に、許さんぞぉおおおおお!」
力強く咆哮するゴルズを目にした猪牙人のドズロムが、ニタリと笑う。
「ゲハハハハ! 来いよ。筋肉だけの、木偶の坊」
見る者を不快にさせる嘲笑を浮かべながら、怒りに震えるゴルズを更に挑発した。
両者の身体が、青の燐光を纏う。
互いに魔闘気を高め合いながら、ドズロムは鉄球を玩具のように振り回し、ゴルズは二本の斧刃を力強く打ち鳴らす。
仕掛けるタイミングを計っているのか、どちらもすぐには動かなかった。
ドズロムが振り回す鉄球だけが、縦に円回転を繰り返しており、円がみるみると大きくなっていく。
不意に鉄球が地面に触れ、規則正しく回っていた鉄球が跳ねる。
その隙を逃さず、ゴルズがいきなり跳躍した。
一瞬遅れてドズロムが、回転の乱れた鉄鎖を軌道修正し、鉄鎖に繋がった鉄球がゴルズの頭上に迫る。
百を超える傭兵達の頭や肉骨を砕いた鉄球は、距離を詰めたゴルズの頭には僅か届かず、地面に落下した。
「オォオオオオオ!」
伸びた鉄鎖が肩にかかるが、肩口を擦り付けて肉に食い込む鉄鎖を、ゴルズは気にも留めない。
跳躍したゴルズが咆哮を上げながら、身体を空中で弓のようにしならせ、猪牙人のドズロムに飛び掛かる。
二本の戦斧を両手に握り締め、全体重をのせた必殺の一撃を、仇敵の頭上目掛けて振り下ろした。
しかし、それを予期してたかのように、ドズロムは涼しげな顔で大剣を振り上げ、正面から受け止める。
ゴルズは速さと技術はフォルトに劣るが、パワーだけなら氏族長候補の第一筆頭に挙がるデクトルに劣らないと、皆に言われていた。
その全力の一撃を、猪牙人のドズロムは片手で受け止めた。
「ゲハハハハ! だから、おめぇらの攻撃は軽過ぎんだよっ!」
ゴルズの足が地に触れるよりも先に、青い魔闘気を纏ったドズロムが、足を蹴り上げた。
その巨漢に見合わぬ素早さで、ドズロムの放った高速の蹴りが、ゴルズの腹にめり込む。
「オグゥ!?」
ゴルズの身体がくの字に曲がり、二メートルの巨漢が宙を舞う。
まともに受け身をとれず、ゴルズの身体が地面にぶつかり、地を無様に跳ねた。
「おら、どうした木偶の坊。仲間の仇を討つんじゃなかったのか? それとも、その筋肉はやっぱり飾りか?」
ジャラジャラと鉄鎖が擦れる音を立てながら、放り投げた鉄球をのんびりと回収したドズロムが、再び挑発を繰り返す。
ゴルズの身体がピクリと跳ね、口から血を吐いた。
苦悶の表情で腹を押さえ、ゴルズが手足を震わせながら、それでも立ち上がろうとする。
「お前だけは……絶対に、許さ……ッ」
「あ、悪ぃ。お前があんまりトロいから、つい投げちまったぜ。ゲハハハハ!」
くの字に曲がったゴルズの腹から、めりこんだ鉄球が地面に転がり落ちる。
口から大量の血を吐きながら、両膝を折ったゴルズが、再び地面に力無く倒れた。
「おら、早くしろよ。次は立つまで待ってやるから」
下種な笑みを浮かべながら、ドズロムが鉄球に繋がった鉄鎖を回し始める。
必死に立ち上がろうとするゴルズに、待ちきれなくなったドズロムから、無情にも鉄球が飛んでくる。
身体が頑丈なのが自慢だったゴルズも、極東には存在しなかった魔獣達に、勝つことはできなかったらしい。
目の前で行われる公開処刑を、己の死さえ悟ったマギシムは、他人事のように見つめていた。
ここに、デクトルとフォルトがいれば……。
最初から三人が協力してれば、あの化け物にも勝てたかもしれないが……。
氏族長になることで頭がいっぱいなアイツらに、そんなことはできるわけないよな。
なんで、俺はこんな遠征について来たんだろう……。
雲一つない快晴空を見上げながら、マギシムは自分の生い立ちを想う。
最初から氏族長候補になれないのに、親がゴルズの親族に頭が上がらないって理由だけで、脳ミソまで筋肉な連中のサポートばかりをやらされて。
挙句の果ては、故郷でもない場所でモンスターに殺される。
俺の人生って……なんだったんだろうな?
「なんだ。もう、立ち上がる力も無いのかよ」
足に力が入らないのか、全身が血塗れになったゴルズが、戦斧を支えにしながらも、それでも立ち上がろうとしている。
どれだけ鉄球に打たれたのか、体中が紫色に腫れあがり、曲がってはいけない方向に、片腕は折れて曲がっていた。
「じゃあな。木偶の棒」
飽きた玩具を捨てるように、ドズロムが雑に大剣を振り回し、ゴルズの首を跳ねた。
親の繋がりで押し付けられたとはいえ、幼馴染の死を目の前にしても、マギシムの胸中には怒りも悲しみも湧かない。
ただ、次に訪れる死は自分の番だなと、受け入れるしかなかった。
「カグイ、覚悟を決めろ。次は俺達の」
「ねぇねぇ、ルガン。ウーフ、待つの飽きた!」
マギシムの頭上から、幼子のような声が聞こえた。
おもわず後ろへ振り返り、目に映った光景にマギシムは息を呑んだ。
口から血を吐きながら、戦場を睨みつける巨獣の狼頭人の頭上から、同じ大きさの狼頭がこちらを覗き込んでいる。
まだデカイ奴が、いたのかよ……。
新たに現れたのは、青と白の混じった体毛ではなく、白銀の体毛で全身を覆った狼頭人。
「知るか、クソチビ」
「ねぇねぇ。なんで、ルガンは腕と足が無いの?」
「見て分からねぇのかよ、クソチビ。魔力切れだよ」
「なんで、みんな寝てるの?」
「寝てるんじゃねぇよ、負けたんだよ。見て分かれよ、クソチビ!」
マギシムの頭上では、新たに現れた幼子のような声を発する魔獣と、死にかけの魔獣がなぜか口論をしていた。
状況が理解できず、横にいるカグイへ視線を向ければ、さっきまで空が快晴だとか呟いてた男は目を瞑り、仰向けに倒れている。
口がキツく一文字に結ばれており、まるで息を殺してるように、マギシムには見えた。
コイツ……死んだふりをしてるやがる。
相手が古い付き合いのある、幼馴染ゆえに気づけたことだが、タイミングが最低だぞ、お前……。
「え? ルガン、負けたの!? チビしかいないから、ウーフが寝てる間に終わるって言ったよね?」
「うっせーな。耳元で喚くな! お前が寝てる間にアレが出て来て、みんなヤラれたんだよ」
苛立たしい顔で唸り声を漏らした狼頭人が、動かした鼻先を前へ向ける。
幼子のような声を発する狼頭人も、同じ場所へ鼻先を向けた。
「……野生魔族?」
「さあな。外から来たヤツか……。もしくはお前の狩り漏らした、ノラじゃねぇか?」
なぜか口角を吊り上げ、クツクツと笑う狼頭人。
対して、後から出て来た狼頭人は、静かに目を鋭くさせた。
「オサの森には、もう野生魔族はいないって、どっかのクソチビは自慢げに話してたけど。アレは何だろうな?」
「ゲハハハハ! なんだ、まだ狼頭人がいたのか?」
あちらもどうやら異変に気づいたらしく、遠方からドズロムの大きな笑い声が聞こえた。
マギシムの目に映ったのは、青い魔闘気を纏った猪牙人が、鉄球の繋がった鉄鎖を乱暴に振り回す姿だ。
今まで最も長く、数メートルに渡り伸びた鉄鎖が、ドズロムの頭上で円回転を繰り返している。
新しい玩具を見つけた子供のように、目をキラキラと輝かせたドズロムが、鉄鎖の動きに従うよう身体を捻り、一回転した。
空中を浮かぶ鉄球が、猛スピードでこちらに迫る。
新たに現れた狼頭人は、一歩も動かない。
自身を狙って飛来する鉄球を気にも留めず、遠方にいるドズロムをただじっと見つめている。
「アレ、持って帰ったら。オサが喜ぶぞ。今晩は、ご馳走だな」
「ご馳走?」
白銀の狼頭人の頭に触れた鉄球が、マギシムが聞いたことのない金属音と共に、突然に弾けた。
いや、マギシムの目には、弾けたようにしか見えなかったのが、正しいのかもしれない。
いつの間にか青い魔闘気を纏った白銀の狼頭人が、右腕を高々と上げている。
もしかして、あの手で振り払ったのか?
新たに現れた狼頭人の腕には、他の狼頭人達には無かった、人間がするような古びたガントレットが装着されていた。
ただし、その大きさは規格外で、三メートルの巨体に合わせたような籠手が、二本の腕を重々しく纏っている。
並の人間が扱おうとすれば、籠手ではなく盾として通用するサイズだ。
鉄で縁を補強された木製の円盾を次々と破壊した鉄球は、あらぬ方向へ空高く宙を舞い、地中へ深く沈んだ。
何が起きたか理解できぬ顔をしたのはマギシムだけではなく、遠方にいたドズロムもキョトンとした顔で固まっていた。
「さっさと狩って来いよ、ウーフ。他の奴らに、獲物が取られちまうぞ?」
青い魔闘気を纏った白銀の巨体が、マギシムの眼前から消えた。
マギシムの目に映ったのは、まるで鳥のように、空高く舞う白銀の狼頭人。
ルガンとは比べものにならない高さから落ちて来る狼頭人を、大剣を構えて見上げていたドズロムが、いきなり避けた。
ドズロムがいた場所に、狼頭人が振り下ろした手甲が突き刺さり、蜘蛛の巣状の亀裂が地面に広がった。
「ウーフの獲物!」
「チッ! 狼如きが!」
苛立たしい顔で舌打ちをしたドズロムが、両手に握りしめた大剣を振り回す。
数多の傭兵達の胴体を泣き別れにし、狼頭人達の四肢を切断した大剣が、白銀の狼頭人が装着したガントレットとぶつかる。
重々しい金属音が、遠く離れたマギシムの耳に入る。
マギシムが驚いたのは、大剣のフルスイングを受け止めた白銀の狼頭人が微動だにせず、ドズロムの顔が苦痛に歪んで身体を僅かによろめかせたことだ。
「ウーフの御馳走!」
「誰が御馳走だッ!」
今までの戦いは遊びだったのか、片手で振り回していた大剣を両手で握り締め、ドズロムが高速で斬撃の嵐を繰り出す。
白銀の狼頭人もまた、巨体に見合わぬ身軽さで腕を振り回し、大剣の刃をガントレットで弾く。
「くたばれや、クソ狼!」
器用に全身を捻り、斜めに振り下ろしたドズロムの一撃を、斜めに交差したガントレットが、正面から受け止めた。
その衝撃を物語るように、立っていた狼頭人の足が地面にめり込んだ。
三メートルの高さにある白銀の狼頭が、二メートルの猪牙人を見下ろす。
「オルグより、軽い。せんせーより、遅い」
「あの女……。話が違うじゃねぇか!」
口元から血が出る程に歯を食いしばり、猪牙人が全身に力を込めた。
大剣の刃とガントレットの接触面から、チリチリと小さな火花が飛び散る。
最初は均衡を保っていたが、狼頭人の右足が前に一歩進み、大剣の刃を力強く押し返した。
「ウーフの……お肉!」
目をギラギラと光らせた狼頭の口が、大きく開いた。
涎を垂らした大口が、猪牙人の顔に迫る。
「ざけぇんなぁあ!」
悲鳴にも近い雄叫びを上げ、ドズロムが大剣の刃をずらし、無数の鋭利な牙が並んだ噛みつきを、寸前で防いだ。
同時にドズロムが、狼頭人の胴体に蹴りを入れ、いきなり背を向けた。
今までとは異なる情けない姿で、脱兎の如く逃げ出すドズロム。
「クックックッ……。バァーカ。そのまま、ウーフに食われちまえ」
マギシムの頭上にある狼頭から、楽しそうな笑い声が漏れる。
その意味を、マギシムはすぐに理解する。
逃走を図ったドズロムが、突然に足を止めた。
全身から冷や汗を流し、ドズロムが苦悶の表情で振り返る。
ドズロムの視線の先にあるのは、鉄球の繋がった鉄鎖を握り締めた白銀の狼頭人。
噛んでいた大剣の刃を口元から外し、白銀の狼頭人が後方へ放り投げる。
「ウーフノ、オニク。ニガサナイ!」
「くそ! クソクソクソ、クソウルフがッ!」
自身の胴体を何重にも巻きついた鉄鎖を、ドズロムが必死に引き剥がそうとする。
しかし、白銀の狼頭人が両手で握り締めた鉄鎖を引き寄せるたびに、ドズロムの肉体に鉄鎖が深く食い込み、どうにもできないらしい。
ドズロムの抵抗も虚しく、互いの距離が徐々に縮まる。
「あぁあああああああ!」
逃げ場が無いと悟り、半狂乱になって叫び出した猪牙人が、拳を握り締めて白銀の狼頭人に飛び掛かる。
――古びたガントレットを嵌めた――狼頭人の腕が天高く振り上げられ、握り拳が青い魔闘気を纏う。
「カグイ……。俺は故郷に生きて帰れたら。アヴァロム魔導王国の魔獣だけには、絶対に喧嘩を売るなと皆に伝えるよ」
「おう。俺も協力するぜ」
マギシムの呟きに、死んだふりをしていたカグイが反応する。
直後に、うるさかった猪牙人の奇声が消えた。
「なあ、カグイ……。俺達、生きて帰れるかな?」
「無理じゃね?」
頭が土の中に埋まり、動かなくなった猪牙人を見つめた男二人は、死んだ魚の目をして空を見上げた。




