【第16話】裏切りの連鎖
浮足立つ傭兵達の集団から、一人の若者が歩み出てくる。
弓と矢筒を背負い、鷹のように鋭い目をした青年だ。
氏族長候補の一人であるカグイのもとに、望遠鏡を握り締めた若者が駆けて来る。
「カグイ様。こちらに攻めて来る魔物の数、二十四です」
「了解だ。櫓はまだか!」
カグイの従者達が手慣れた動きで、転がる木の棒を組み合わせる。
交差する木の棒を縄で縛り、足場用の板を並べて、簡易櫓を建設した。
「カグイ様。できました!」
急造の櫓を軽快によじ登ったカグイが、足場用の板を何度も踏みつけて状態を確認し、一つ頷いた。
「よし。これで十分だ。配置につけ!」
手を額にかざしながら、目を細めたカグイが、遠方の様子を確認する。
「カグイ様。これを!」
「おうよ」
背負ってる弓よりも大きな長弓を、従者が下から投げ渡す。
従者達も櫓によじ登り、長距離専用の長弓を仲間から受け取ると、戦闘の準備を始めた。
「休憩中に襲ってくると思いませんでしたが。警戒のために、作り始めて正解でしたね」
「おうよ。これで、連中がよく見えるぜ」
他者より高い位置に立ったカグイが、白い歯を見せて笑う。
「お前ら、間違ってもゴルズ達に当てるんじゃねぇぞ!」
腕まくりをしたカグイが、矢筒から一本の矢を引き抜く。
意気揚々と進んだゴルズだったが、射手の準備を始めたカグイ達に気づいた者がいたらしく、目に見えて歩く速度を落とした。
「良い位置だぜ、ゴルズ。そのまま、狼共を引き付けてくれ……。お前らは、俺と一緒に一番デカいのを狙え」
「承知しました」
「長弓が使える奴は、何人いる?」
「訓練中の者が数名いますが、なんとか三十名は確保しました」
「上出来だ。数射ちゃ、何匹かは当たるだろう。デカぶつだけは、確実に落とすぞ。お前ら、俺に合わせろ!」
カグイが声を張り上げ、少し離れた場所に建設した櫓で、射手の準備をする者達に声を掛ける。
皆が同時に、長弓を力強く引き絞った。
前方で対峙する二つの集団が、距離を徐々に縮める。
「カグイ様。ありゃ、三メートルはありますぜ。目をつぶっても、余裕で当てられますぜ」
「おうよ。頭をぶち抜いてやれ……。射てッ!」
カグイの合図と共に、三十本の矢が一斉に櫓から射ち上げられる。
――意識が眼前に迫るゴルズに向いてた――巨狼の胴体を、天から降り落ちた六本の矢が見事に貫いた。
不慣れな長弓に、狙った獲物に当てれない者もいたが、半数の狼頭人に命中したようだ。
地面に倒れ伏す狼頭人達を目視し、カグイが腕を天高く上げる。
「うおっしゃー!」
「当たったぜ!」
「図体はでけぇが、野生の獣と同じだな。知恵比べで、人間様に勝てると思うなよ!」
櫓にいた射手達が雄叫びを上げ、周囲にいた傭兵達からも歓声が上がる。
「後はいつも通り、ゴルズ達に任せるか……」
「カグイ様、ちょっと待って下さい。なんか、様子がおかしいですぜ」
言葉を遮るように、隣にいた従者が櫓から身を乗り出す。
カグイもまた、同じ場所へ顔を向けた。
四肢を地面につけたまま、歩みを止めた狼頭人の身体に、青白い小さな燐光が纏い始める。
うずくまっていた狼頭人が、何事も無かったかのように、二本足で力強く立ち上がった。
三メートルの位置にある狼頭が、眼前にいるゴルズ達でなく、カグイ達が立つ櫓の方へ向く。
「オォオオオオオオン!」
巨狼が大きく仰け反り、怒気を孕んだ遠吠えをする。
自身の胴体を貫く矢を、巨狼が両手で握り締め、力任せにへし折った。
それにならうよう、他の狼頭人達も青白い光を纏い、自身を貫く矢をへし折り、櫓の方を睨みつける。
巨狼が地を這うように、四肢を地に置き、二足歩行から四足歩行型に身構えた。
「カグイ様……」
「ああ。なんだか、嫌な予感がするぜ。射手、すぐに構えろ!」
「カグイ様。狼頭人達が、走り出して……飛びました!?」
「……は?」
意味が分からないとばかりに、周りに指示を出していたカグイが、狼頭人達がいた方へ振り返る。
カグイの目に映ったのは、青白い光を纏った狼頭人達が、ゴルズや傭兵集団の頭上を、次々と飛び超える姿だった。
ゴルズ達など眼中に無いとばかりに、障害物を飛び越えた狼頭人達が、四肢を使って全力で駆け出した。
なかでも巨狼は、他の狼頭人達を突き放し、とんでもない速さで駆けて来る。
「こっちに来るぞ! 射て、射てッ!」
前方の異変に気付いた射手達が、慌てて矢を放つ。
皆が動揺してるためか、狙いが定まらなかった矢が、見当違いの方向へ飛んでいく。
カグイも動揺していたが、集中力を高めて長弓を引き絞り、頭部目掛けて矢を放った。
放たれた矢が巨狼の頭部に、吸い込まれるように接近する。
「なっ!?」
矢が触れる寸前、巨狼が身体を捻り、鏃が巨狼の頬をかすめた。
驚いた顔で固まるカグイに続けて、従者達も次々と矢を放つ。
しかし、巨狼が高速でジグザグに飛び跳ね、飛来する矢を避けながら、一気に距離を詰めて来る。
長弓を投げ捨てたカグイが、愛用の得物に持ち代えようと、立てかけていた短弓に手を伸ばした。
「カグイ様!」
従者の叫びと同時に、カグイは誰かに突き飛ばされ、櫓の上から転がり落ちた。
激しく何かが衝突する音が耳に入り、カグイは身体を地に打った痛みに堪えながら、慌てて体勢を立て直し、素早く櫓を見上げる。
半壊した櫓の隙間から、あらぬ方向に折れた従者の腕が覗いていた。
「さっきから、チクチクチクチクと。鬱陶しいんだよ……。クソチビ共がッ」
青い体毛に覆われた三メートルの巨体が、痙攣する射手の身体を踏みつけ、両手に握り締めた長弓を、力任せにへし折った。
「グルルルル……。そんなに、死にたいのなら。先にお前達から、ルガン様が喰い殺してやるよ」
鋭利な牙を剥き出した巨狼が、櫓の周辺にいる者達を、怒気を孕んだ金色の瞳で見下ろす。
皆が恐怖で後ずさるなか、愛用の弓が地面に転がってるのに気づいたカグイは、静かに手を伸ばそうとする。
「カグイ! ゴルズ達のいる所へ逃げるぞ!」
「……マギシム?」
突然に現れた仲間に、肩を掴まれたカグイが驚いた顔で振り返る。
なぜか全身に返り血を浴びたマギシムが、強引にカグイの腕を引っ張ろうとした。
「お、おい、マギシム。そっちには、まだ狼頭人が……」
「アイツらは、射手を襲うのに夢中だ! 弓は置いていけ!」
マギシムが言うように、巨狼の後を追いかけて来た狼頭人達は、射手のいる櫓に群がっていた。
しかも、弓を持ち歩く傭兵を見つけるなり、剣や槍を振り回す傭兵など気にも留めず、櫓の上から射手を目掛けて飛び掛かる。
その様子を遠目に見たカグイが、地面に転がる短弓に伸ばした手を、おもわず引っ込めた。
「こっちも、やべぇけど。あっちの方が、もっとやばいんだよぉ!」
「……あっち?」
「あのクソ鉄仮面女が、アレの鎖を全部外して、こっちに置いていきやがった。しかも玩具代わりに、馬鹿デカい大剣を渡してな! 頭と胴体がおさらばしたくなければ、すぐに走れ!」
「……そういうことかよ! このタイミングでかよ!?」
「そうだよ! この、最悪のタイミングでだよ!」
ようやく状況を理解したカグイが、慌てて身を起こす。
口から泡を吹きながら走るマギシムと一緒に、両腕を必死に振りながら、その場から全速力で駆け出した。
* * *
「これは、どういうつもりなのですかね。タイツェンさん?」
「どういうつもりもなにも。はなから、俺達はこうするつもりだったんだよ……。世間知らずのお坊ちゃん」
血だまりに沈む黒装束の男を踏みつけ、両腕をだらりと下げたタイツェンがクツクツと笑う。
二本の剣先からは、赤い液体がポタリポタリと滴り落ちている。
地面に倒れ伏した者の背中には、背後からの強襲を示すよう、斜め十字に斬り裂かれていた。
「依頼の金額に不満があったのなら、最初からそう言って欲しかったのですが……」
「坊ちゃん。たぶん違うよ……。コイツは今回の依頼と関係なく、最初から私達を裏切るつもりだったのさ」
紅色のアイシャドウを入れた目を細めて、冷めた口調でベリコが口を開く。
開いた口から黄ばんで濁った歯が覗き、タイツェンが汚い笑みを浮かべる。
「我が主よ。ここにいる、全ての生きとし生けるものを。血ノ門への贄として、捧げよう……」
「なるほどね……。あなた、そっち側の人間だったのね? 殺しは得意そうだけど、私達とは空気が違ったから、気になってたのよね……。坊ちゃん、面倒なのを拾っちゃったみたいね」
「……ベリコ。一人で納得してないで。僕にも分かるように、説明してくれませんか?」
「坊ちゃん。ブラッド・ゲートって、聞いたことある?」
「いいえ。初耳ですね」
「表の人間は、あまり知らない名前かもね……。要は、邪神を崇拝する、頭のイカれた邪教集団よ……。私達みたいな金で動く暗殺組織よりも、もっともっと面倒な連中って覚えといて」
「……なるほど。とりあえず、お金での交渉は無理そうなのは、理解しました」
「まあ、そんな感じね……。それで、坊ちゃん。どっちを、先に片付けた方が嬉しい?」
部下達と睨み合うタイツェンから視線を外し、ベリコが背後へ振り返る。
前方では先頭集団の傭兵達が悲鳴を上げながら、森の奥から現れた狼頭人達の群れと戦っていた。
少数の襲撃で数は勝っているが、開けた場所ではなく、樹々に囲われた森の中での戦闘なためか、数を活かした連携が上手く取れてないように見える。
「あっちの応援にも、行きたいですが……。タイミングが、最悪ですね」
「たぶんそれを狙って、襲ってきたのでしょ?」
「あっちは、僕が何とかします。ベリコは、目の前の相手に集中して下さい。野生のモンスターより、百魔将殺しのタイツェンを、どうにかするのが先です」
「了解しました。依頼主様」
――傘を差してない方の手――ベリコが背中側に隠した左手には、一本の投擲ナイフが握られていた。
左腕に青い魔闘気が纏うと同時に、目にも留まらぬ速さで、ベリコの腕が振られる。
部下達の隙間を掻い潜り、飛来した投擲ナイフが、タイツェンの眼前に迫った。
「始めるか」
青く光る薄い膜を全身に纏ったタイツェンが、涼しげな顔で二本の剣を高速で振り回す。
刃で弾かれた投擲ナイフが宙を舞い、それが地に落ちるよりも先に、三名の黒装束がタイツェンに迫る。
三方向から同時に迫った斬撃を、ヒラリヒラリと身軽にかわし、最後に斬りかかった者をすれ違いざまに斬り裂いた。
「ぎゃっ!?」
上半身を斜めに斬り裂かれた者が、大量に血を巻き散らしながら、膝から崩れ落ちた。
タイツェンが睨みを利かせると、取り囲んでいた者達が、おもわず半歩後ずさる。
腰を落としたタイツェンが、ひるんだ者達の隙を突いて、前方へ跳ねた。
目指す相手は、後方から部下達に指示を出す、赤い着物姿のベリコ。
数メートルの距離を、タイツェンが数歩で一気に詰める。
――前方で狼頭人達に苦戦する――傭兵集団のもとへ駆け出したフォルトの背を見送り、タイツェンの急接近に気づいたベリコが、赤い傘を放り投げた。
円形に開かれた赤い傘が、落下しながらベリコの上半身を隠す。
同時に、ベリコの下半身を青い光の薄膜が纏い、赤い着物が空中を舞った。
「む?」
何かを察知したタイツェンが、いきなり横へ跳躍した。
傘の布地を貫き、裂けた穴から鋭い刃が、矢のように飛び出す。
弓矢の如く射出された投擲ナイフが、タイツェンの飛び跳ねた場所に突き刺さる。
退避しようと跳んだ着地先にも、複数の投擲ナイフが飛来した。
「フンッ!」
着地と同時に、タイツェンが素早く剣を振り下ろし、足元を狙う投擲ナイフを刃で弾く。
穴だらけになった傘が地に落ち、再び姿を現したベリコを、奇妙な顔をしたタイツェンが見つめる。
「暗殺組織とは、何度か戦りあったことはあるが。お前みたいな恰好をした女は、初めて見たな……」
着物を脱いだベリコが着ていたのは、素肌に布地が密着し、胸元だけが大きく開いた、黒色のレオタード。
素肌が見える箇所には、ナイフホルダーの革ベルトが、所狭しと巻かれている。
腰元には大きな革ベルトが巻かれており、十を超えるナイフホルダーのポケットには、無数の投擲ナイフが納められていた。
「忍にしては、悪趣味な格好だな……」
奇抜な格好をしたベリコを、上から下へと眺めたタイツェンが、そう評する。
「浮浪者みたいな恰好をしてる。あなたにだけは、言われたくないわね」
「眠らぬ城塞都市の女忍は、露出狂の変態ばっかりなのか?」
「いいえ。この忍服を着てるのは、私だけよ。ナイフ好きの私には、実用的な格好だけど。周りは合わないみたい……。困った話よね」
自分以外のセンスが悪いとばかりに、ベリコが言い切る。
背中側に手を伸ばし、腰ベルトの後方に提げた二本の忍刀を、ベリコが斜め十字にひろげた。
「今日は、殺さないといけない標的が多くて、忙しいわね……。ねぇ、タイツェン。今からでもいいから、私達とやり直さない? 暗殺組織と敵対したら、夜道が怖くて歩けなくなるわよ?」
「ふん。その心配はいらんな。まともに魔闘気すら扱えない、下忍ばかり連れてる暗殺組織に命を狙われても、スラム街を散歩するのと大して変わらん。シェイラがペットにしてる猪牙人のドズロムと、二人っきりにされるほどがよっぽど怖いぞ……。坊ちゃんも、可哀そうにな。腕の悪い忍に足元を見られて、金を巻き上げられるとはな……」
「やっぱり……。あなたの口を先に塞いだ方が、正解みたいね」
両端の口角が吊り上り、口元を三日月型に歪めたベリコが、凶悪な笑みを浮かべる。
「図星か、下忍。あの世間知らずの坊ちゃんに、告げ口してやろうか?」
「黙れ、狂信者」
青い光の粒子を纏い始めたベリコに呼応して、挑発する態度を崩さないタイツェンも、濃厚な魔闘気で全身を包む。
異様な雰囲気を纏う二人に圧倒されて、周りにいたベリコの部下達が数歩後ずさる。
先に動いたのは、タイツェン。
相手の距離を一瞬で詰め、交差した二本の刃が空を斬り割く。
しかし、タイツェンが斬り裂いた場所には人がおらず、タイツェンの瞳が上を向く。
日差しを遮るように、空高く舞う人影。
ニタリと笑みを浮かべた女アサシンが、体中に巻いたナイフホルダーから、素早く投擲ナイフを抜いた。
矢の如く高速で飛来した投擲ナイフが、タイツェンのいた場所に突き刺さる。
危険を察知して、駆け抜けるタイツェンの背を追うように、空から投擲ナイフが次々と降り注ぐ。
「接近戦は苦手か? アサシン」
「あら、そう見えるかしら?」
空へ視線を向けたタイツェンの挑発を、嘲笑うかのように懐まで飛び込んだベリコが、笑みを浮かべる。
ベリコの両手には、抜刀した二本の忍刀が握られていた。
さっきのお返しとばかりに、高速で移動しながらベリコが身体を捻り、回転する二本の刃が空を切り裂いた。
「ああ、そう見えるな」
「チッ」
刃は無人の場所を虚しく斬り裂き、ベリコが舌打ちをした。
いつの間に背後へ回ったのか、態勢を立て直そうとするベリコに、二本の刃が迫る。
ギンッと、重い金属音が耳に入った。
ベリコの目が見開き、なぜかタイツェンも驚いた顔で固まる。
ベリコの喉元まで迫ったタイツェンの刃を止めたのは、ベリコの忍刀ではなかった。
今もなおチリチリと小さな火花を散らせ、タイツェンの刃と鍔迫り合いをしているのは、紫色の光沢を放つ刃。
「先生には、共倒れしたところを狙えって言われたけど。やっぱり、私に我慢は無理みたいね」
殺気立つ二人の間に、突如として現れた第三者。
黒い体毛に覆われた闖入者を、戸惑いの色を隠せない二人が、同時に見上げた。
「……豹頭人?」
訝し気な視線を、チラリと送るベリコ。
「俺の知り合いでは、ないぞ」
獲物を狙う肉食獣の如く、相手を見下ろす鋭い瞳と睨み合ったまま、タイツェンが否定する。
「フフッ……。ねぇ、二人だけで楽しんでないで……。私も混ぜてよ」
二メートルの高さにある黒い豹頭が、獰猛な笑みを浮かべた。




