【第14話】経過報告と……
「お掃除中?」
ドアノブに引っかけたプレートに気づき、ディーナがそう呟く。
小首を傾げたディーナは、目の前にある扉に、耳を当てた。
拳を握りしめ、扉を軽くノックする。
しかし、特に物音は聞こえない。
先ほどすれ違った、メイド服を着た小鬼人の話だと、おそらく中にいるはずなのだが。
……防音の類だろうか?
扉から距離を取り、――ちょうど顔の位置にある――輪っか状の金具に手を伸ばす。
ドアノッカーと呼ばれるリングを握り締め、一部だけ扉の色が異なる場所に、――リングのコブ状になった部分を――少し強めにぶつけてみた。
自身が拳で叩いた時とは違う金属音が、通路に鳴り響く。
しばらく待っていたら、扉の鍵がガチャリと開く音が聞こえた。
「あら。珍しいですね……。お昼休憩ですか?」
開いた扉の隙間から顔を出したのは、メイド服を着たユイナだった。
「うむ。朝のメニューは消化して、午後は自己鍛錬にさせた。お前と、少し込み入った話をしたいと思ってな……」
「ああ。そんなことも、言ってましたね……。丁度良いです。どうぞ、中に入って下さい」
「ん?」
いや、この部屋を勝手に使うのは、流石にまずいのでは?
そんな考えを口にする間もなく、扉が大きく開いた。
ユイナが中へ入れと手招く。
ディーナは少しだけ躊躇するが、――寝泊まりしているゲストルームの倍以上はある――広い部屋へと足を踏み入れた。
いかにも高そうな赤い絨毯を踏み締め、一目見て誰の部屋か分かる室内を見渡す。
扉を閉めたユイナの足元には、壁際に寄せられた掃除道具があった。
「掃除が終わって、私も一息入れてたところです。お茶を淹れましょう」
「……この部屋には、窓は無いのか?」
「無いですね……。防犯の為にですが。この部屋だけは特別に、他の部屋とは異なる細工がされてます」
ユイナが先程まで座っていたのか、部屋の隅にある小さなテーブルに、ティーセットが置かれていた。
空になったティーカップをユイナが片付け、もう一つのティーカップをテーブルの上に並べ始める。
紅茶を淹れ直し、ユイナが椅子を引いた。
「どうぞ。私は休憩が終わったので、仕事の続きをします。ここは完全防音で、この時間は誰も来ません。どんな話をしても、大丈夫ですよ」
ユイナが薄い笑みを浮かべ、テーブルから離れる。
他人の部屋で休憩するのに違和感を覚えたが、ユイナが大丈夫だと言うのなら、まあ良いかとディーナは椅子に腰を降ろした。
良い茶葉の香りを鼻で少し楽しんだ後、ティーカップに口をつける。
ゆっくりと喉を潤し、ディーナの口元がおもわず緩んだ。
「この紅茶、なかなか美味い、な……」
茶葉を選ぶセンスを褒めてやろうと、一人で寝るには大きすぎるベッドに目を移したディーナが、思わず二度見した。
「おい、ユイナ。何をしている?」
「え? ルヴェン様の洗濯物を、畳んでるだけですが?」
「違う。お前は、頭にナニを被ってるのだと、聞いている」
「ナニと言われましても。ルヴェン様の下着ですが?」
主人のベッドに女の子座りをした幼馴染が、男性の下着を頭に被ったまま、真顔で首を傾げた。
「あっ……誤解ですよ、ディーナ。この下着は、きちんと洗い終わった綺麗な物です。だから、大丈夫ですよ。流石の私でも、脱ぎたてを被るような、下品な真似は……。どうしたのですか、ディーナ? 頭痛がするのでしたら、お薬を持ってきましょうか?」
「……いらん」
こめかみを指で押さえて、険しい顔をするディーナを見て、洗濯籠に手を伸ばしたユイナが薄く笑う。
「あなたの言いたいことは、なんとなく察しますが。私は真面目に仕事をしてるだけですよ」
「私の知る真面目と、お前の真面目には、大きな隔たりを感じるな……」
機嫌が良いのか、鼻歌混じりに洗濯物を畳むユイナを見つめる。
むしろ、里にいた頃よりも性癖が悪化してないか?
これは、依頼主に報告すべき案件なのでは?
「あの子達の教育は、順調ですか?」
「ん? ……ああ。そっちは、まあまあかな。魔闘気を垂れ流す、素人の戦い方をやめるだけでも、戦での生存率は劇的に上がる……。まだまだ粗削りだが、この数日で大分マシになった方だ」
「初日から誰かさんがやらかしてくれたせいで、彼女達も少しは真面目に取り組んでくれてるみたいですね」
ディーナを責めるような、非難混じりの流し目をユイナが送ってくる。
「ユイナから、戦闘は素人だと聞いてたからな。自分より弱い奴から、武術を学びたいとも思わんだろうし、アレくらい派手な挨拶の方が、後からやりやすくなると思っただけだ。それよりも……」
涼しげな顔で紅茶を飲んでいたディーナが、目を鋭く細める。
「召喚士が使役する魔族が、首輪無しというのは、問題ありじゃないのか?」
ディーナの問いかけに、ユイナが作業をしていた手を止める。
「強制命令の話ですか?」
「そうだ。せっかく彼女達を鍛えても、指示を聞かぬ者達を戦場には出せん。連携の取れぬ烏合の衆など、本物の軍隊がくれば簡単に蹴散らせるぞ」
「たしかに、ルヴェン様以外の召喚士が同じことをすれば、ディーナが危惧することが起こりそうですね」
「……どういう意味だ?」
涼し気な顔で再び洗濯物を畳みだしたユイナを、眉間に皺を寄せたディーナが尋ねる。
「それくらいのこと、ルヴェン様は既に想定済みだということです。三百もいる魔族達の中で、幹部候補として厳選したのが、あの四名。ルヴェン様が、彼女達なら信用できると言うのなら、問題無いのでしょう」
「随分と、彼を信用してるんだな……」
「御爺様と御婆様の紹介というのもあるのですが、ルヴェン様の傍にいれば解ることがいろいろとあるのですよ。一つ、昔話をしましょうか」
「昔話?」
「これは、ルヴェン様から教えてもらったのですが。オルグがルヴェン様と初めて会った時……」
ユイナが不意に口を閉ざし、顔を上に向けた。
トントンと何かを小突く音が耳に入り、ディーナもまた顔を天井に向ける。
マス目状の天井の一部が開き、黒い豹頭が顔を出す。
「あら。先生も、こっちにいたのね」
天井の穴から顔を覗かせたのは、ディーナにも見覚えのある豹頭人のチェニータだった。
「お取込み中、悪いけど」
「なにか、問題でも起きたのですか?」
特に驚いた様子もなく、ユイナが天井を見上げたながら尋ねる。
他の部屋とは異なる細工がされていると言ってた、先程のユイナの言葉をディーナは思い出す。
この屋敷が襲われた時の、外と繋がる緊急脱出用の隠し通路があるのかもしれんなと、ディーナは考えを巡らす。
「妙な連中が、国境の方から来てるって、ウチの子達から連絡が入ったの。今まで見たことないくらい、凄い数らしいわよ」
「……来たか」
「チェニータ。ルヴェン様にも、それを報告したのですか?」
「もちろんよ。オサなら、書斎にいるわよ」
「分かりました。ディーナ、休憩は終わりのようです」
「そのようだな」
腕を組んでいたディーナが目を細め、ユイナと静かに目配せをした。
* * *
深緑色に染められた森の前に、沢山の荷馬車が無造作に並んでいる。
剣を腰に提げた者、槍を肩に担いでうろつく者、弓矢を背負う者。
様々な武装をした者達が、気の合う仲間達と思い思いに雑談をしている。
見るからに傭兵と分かる集団の中を、異彩を放つ者が闊歩していた。
身の丈程もある大剣を背負い、燃えるような赤髪に極彩色のメッシュを入れた、派手な格好をした若者だ。
「あれ? デクトルさん。まだ森には行かないんスか?」
「おう。もうちょいだ……。もうちょっとで、話が決まりそうだから。他の奴らに、いつでも行ける準備をしとけって言っとけ」
「うぃーっス。了解っス」
「あ、そうだ。うちのお嬢を見なかったか?」
「おじょう? ……ああ。たぶん、まだ森の前に、いるんじゃないっスかね」
傭兵の若者が親指を立てて、森の方を指差す。
荷馬車や傭兵達の間を縫うようにして、デクトルが先へ進むと、開けた場所に二人組の姿を見つけた。
その辺をたむろする傭兵達とは、身なりが異なる民族衣装を着た男女が、森の方をじっと静かに見つめている。
接近するデクトルに、――髪色と同じ、紺色の民族衣装を着た――男性の方が先に気づいた。
肩まで垂れたロングヘアの男性が振り返り、デクトルを一瞥し、隣にいる女性に耳元で何かを囁いた。
半身をデクトルの方へ向け、――主を護衛する従者のように――長髪の男が近づく者を静観する。
「リーン。フォルトが、面を貸せってよ」
「……私に用があるなら。そちらから、来たらどうですか?」
振り返りもせず、背中越しに女性がそう告げる。
「作戦会議がもうすぐ終わりそうだから、氏族長候補は全員集まれだとよ」
栗色の三つ編みが左右に揺れ、髪色と同じ民族衣装を着た女性が、ようやく振り返った。
薄紅色の唇を一文字に結び、力強く見開かれた栗色の瞳が、デクトルを静かに睨みつける。
「私の意見が一切通らない会議に、私の出る意味があるのですか?」
そう吐き捨てるように言うと、デクトルの返事も待たずに横を通り過ぎる。
赤髪をボリボリと指先でかいて、デクトルが溜息を吐きながら、リーンの後を追う。
「頼むから、またアイツと喧嘩すんなよ。これ以上、時間が延びると、さすがに俺もだるい」
「あなたの都合など知りませんよ」
「アイツ、小難しい話ばっかりして、だるいんだよなー。ゴルズは堂々と、イビキをかいて寝てやがるし……。まともにフォルトと会話をしてるのは、ベリコだけだぞ……」
両手を頭の後ろに組んで、愚痴を零すデクトルを、リーンが横目で睨みつける。
「だから、あなたの都合など、私には」
リーンが口を閉ざし、不意に足を止めた。
眉間に皺を寄せたリーンの眼前に、一台の荷馬車が停まっている。
百を超える傭兵達が周りにいるはずなのに、ここだけは傭兵の姿が一人も見当たらない。
なぜか皆がここを避けており、この場所だけが周りの世界と切り離されたような、異様な空気が流れていた。
しかし、その理由はすぐに察することができた。
荷馬車に背中を預け、――身だしなみなど、気にしてないと言わんばかりに――ボサボサの赤黒い髪を肩まで垂らした、浮浪者のような雰囲気の男が、リーンの視界に入る。
目元が隠れる程に伸びた、赤黒い前髪の隙間から、濁った瞳が覗く。
その目とリーンの視線が合い、リーンが思わず後ずさった。
リーンを守るように従者がすかさず間へ入るが、異様な風貌の男は特に興味を示さず、隣に立つデクトルの方へ目を向ける。
「デクトル、いつまで待たせるんだ? 召喚士のガキを、捕まえるだけだろ? 作戦会議など、する必要もない」
「文句があるなら俺じゃなく、お前の雇い主に言え、タイツェン」
腕を組んだデクトルがそう言うと、タイツェンと呼ばれた男は鼻をフンと鳴らし、口を閉ざした。
「生け捕りなんて、まどろっこしいことをせず。首を取って来るだけじゃ、駄目なのかしら?」
ジャラリと鎖が擦れる音と共に、荷馬車の後ろから別の人影が顔を出す。
肌が見えないように、薄汚れた外套で全身を覆い、鉄兜を被った者が皆の前に姿を現す。
使い込まれているのか、かつては銀色だった表面よりも、錆び付いたような赤黒い染みの方が目立つ、年季を感じる古びた鉄兜だ。
「フォルトから、聞いてないのか? ガキは生け捕りだ。殺したら、金は払わねぇぞ」
「だそうだ。シェイラ」
不機嫌そうな顔でデクトルがそう忠告すると、タイツェンがわざとらしく――おどけた動作で両手を広げ――億劫な態度を隠さずに呟く。
すると、古びた鉄兜の中から籠った、クスクスと笑う女性らしき声が聞こえた。
「あら、そうでしたわね……フフフ。忘れてましたわ」
フルフェイス型の鉄兜を被った者が歩く度に、腕の辺りから伸びた太くて長い鉄鎖が、ジャラジャラと煩く擦れる音を漏らす。
地面を這う蛇のように伸びた鉄鎖の先には、二メートルはあろう人型の巨体が、地べたに横たわっていた。
身体の伸縮に合わせて、二本の牙が下顎から生えた大口から、野太い声の寝息が漏れている。
「北で遊んでた時に、捕まえたの。猪牙人のドズロムよ。可愛いでしょ?」
暴れても問題無いよう、太く頑丈な鉄鎖で上半身が何重にも巻かれている。
また、三つの穴を開けた分厚い板に、首元と両手首の三ヶ所を通して、上半身を完全拘束する念の入れようだ。
「一度暴れ出すと、自分以外の生きてる者がいなくなるまで暴れ続けて、手が付けられなくなるのが玉に瑕だけど」
鉄鎖を一本を手繰り寄せながら、ペットを自慢するような態度で、鉄仮面の女がそう説明する。
「でも、この子を森に放てば、相手の首を引きちぎって、すぐに終わるから。良い案だと思うわよ。どうかしら?」
「……そいつはちゃんと繋いでおけ、猛獣使い。もし、そいつが森ん中で放し飼いになってたら、俺がすぐに叩き斬るからな」
自身が背負った大剣の柄に手を伸ばし、目を鋭く細めたデクトルが、シェイラに強い口調で忠告する。
「あらあら、怖い坊やね。狩りなんだから、少しくらい楽しむ余裕を見せた方が良いんじゃない? そんなにピリピリしてると、女の子にモテないわよ」
鉄兜が横に動き、デクトルの隣に立つ女性へ視線を送る。
顔色を悪くしたリーンは唇を噛みしめて、その場を大きく迂回するように、無言で立ち去った。
それに付き従うように、男二人も後を追う。
「アイツら、絶対に正気じゃないわ。召喚士でも無いのに、野生の魔族を鎖で繋いで連れ歩くとか……。あの女の悪趣味には、ついていけない!」
「リーンに、同意だな。フォルトの話だと、アイツらはアヴァロムの召喚士を倒したこともある、すげぇ奴らしいけど……。どうにも、アイツらは苦手だ。近づきたくもねえ」
「あら、珍しいわね。誰とでも仲良くなるのが得意な貴方から、そんな言葉がでるなんて」
「……鉄臭いんだよ」
「え?」
いつもヘラヘラした、軽薄そうな笑みが特徴なデクトルが、珍しく真剣な顔つきになり、重々しく口を開いた。
「アイツら……血の臭いが、ヤバイんだ。頭から滝のように血を浴びたみたいに、すげぇ臭いんだよ……。近づいたら、鼻がよじれるかと思うくらいな。おい、ラグレン。リーンを、絶対アイツらに近づけるな。俺が死んでも、どうでも良いだろうが。純血のリーンがいなくなるのは、お前も困るだろうが」
「……そうですね。彼らを雇ったフォルト様のお考えは理解できませんが、彼らは危険過ぎます」
今まで口を開かなかった従者が、デクトルの言葉に落ち着いた口調で相槌を打つ。
「そうなの?」
「はい、リーン様。師と戦場を共にした時に、似たような臭いを纏った者達と、遭遇したことあります。彼らは、恐らく……」
腰に提げた剣の柄を握り締め、従者であるラグレンが目を鋭く細めながら、背後に振り返る。
「死ぬことを恐れない、戦闘狂。あるいは……殺すことだけを楽しむ、快楽殺人者です……。リーン様、私が傍にいない時は、絶対に近づかないで下さい」
「……分かったわ」
頼れる従者の言葉を噛みしめるようにして頷き、氏族長候補達が会議をしてるテントへと、リーン達は足を向けた。




