【第13話】武術の先生
「はぁあ? マジかよ……」
手紙を読んでいたルヴェンの目が大きく見開き、顔から血の気が引く。
数秒も経たず、顔面蒼白になったルヴェンが、両手で頭を抱えて、机に突っ伏した。
屋敷一つを襲うのに、傭兵を千人も送り込んで来るとか……。
頭おかしいんじゃないか?
俺が何をしたって言うのさ……。
そもそもこっちは、強盗に入って来た連中を退治しただけで、住人としては当然の行為だろ?
ルヴェンが力無く顔を上げると、机の上に置かれた、もう一つの手紙が目に留まる。
ここしばらく顔を出してない、父親であるギリム直筆の手紙だ。
ギリムからの手紙に手を伸ばし、既に読み終えたものを改めて読み直す。
手紙の内容は、――屋敷が襲われたので、管理人である父親にも一報入れておくべきだと思い――こちらから送った手紙に対する返事だ。
要約すれば、ギリムが担当している東の国境付近が、予断を許さない状況なために動けない。
その屋敷は、ルヴェンが成人したら譲るつもりだったから、自分の屋敷だと思ってしっかり守れ。
あと、百魔将殺しのタイツェンという男が、うちの召喚士の一人を倒すくらいの実力者だから、遭遇することがあれば気をつけろ。
三行でまとめると、そんな感じか……。
オワタ!
両腕をVの字に振り上げて、ヤケクソ気分になったルヴェンが、手紙を放り投げる。
手紙が空中をヒラリヒラリと舞い、机の上に落ちてきた。
グレンから届いた手紙の上に重なったギリムの手紙を、忌々し気な目で見つめる。
近況を報告すれば、ピンチな息子のために父親が駆けつけてくれるかと思ったが、そんなことはなかった。
結局は、俺一人でなんとかしないといけないのか……。
肩を落としたルヴェンが、机の上に山積みされた魔導書の一冊に手を伸ばす。
表題に、『ルヴェン召喚構築式』と書かれた分厚い魔導書を開いた。
ページをパラパラとめくれば、全て日本語で書かれたメモ書きと、ルヴェン用のオリジナル魔法陣が描かれた、手描きのイラストが目に映る。
『融合召喚』と書かれた文字が目に留まり、ルヴェンが目を細めた。
召喚魔法の構築式の分野で、最もルヴェンが力を入れてるのが融合召喚だ。
それは、山のようにあったギリムの研究資料から、たまたま抜き取った一冊が始まりだった。
彼女達の肉体強化や、魔闘気の制限を無くした召喚を選択したのは、間違ってなかったと思いたい。
ベアトニス先生の指摘通り、魔力の消費コストが高くなり過ぎて、強制命令をすることができなくなったのは、召喚士としては致命的な欠陥かもしれないけど。
でも、それをやってなければ、この前の屋敷強盗に対応できなかった可能性があったのも事実。
もともとは、森に大量発生した野生モンスターを、駆除する為にやり始めた対策だったが……。
「問題は、その次なんだよな……」
そう呟きながら、ルヴェンは椅子から腰を上げ、外の景色を窓から眺める。
屋敷の周りを囲む森を観察していると、樹々の前で地面をついばむ小鳥が目に入った。
しばらく見ていると、近くの茂みから小動物が飛び出し、驚いた小鳥達が空へ一斉に飛翔した。
以前に比べて森が静かになったからか、最近は自然の動物達を目にする機会が多くなった気もする。
折角ここまで上手くやってきたのに、次はそうもいかないのか……。
先日、ユイナから助言された記憶を思い出す。
グレンさんと手紙のやり取りをするなかで、三人の間に出た結論は、現状のままでは最悪、この屋敷を放棄せねばならないこと。
魔闘気を操ることができる魔族は確かに強いが、ここにいる魔族の大半は戦闘に関しては素人であり、本物の武術者が集団できた場合は、勝つのは難しいらしい。
グレンさんとユイナの二人だけでも、集団戦の経験を活かし、しっかりとした戦術を練れば、ルヴェンの召喚した魔物を全滅させ、召喚者であるルヴェンまで到達するのは、そこまで難しくないと断言されてしまった。
素人がたまたま業物の剣や丈夫な盾を手に入れただけで、本物の戦争経験者に勝つことは容易ではない。
戦闘のプロと素人の差は、それ程までに大きい。
ルヴェンは戦闘の素人で、武術者の意見を真に受ける形になるが、そんな話を聞かされると、今度やって来る連中は以前の屋敷強盗のように、簡単には対処できないのかもしれない。
コンコンとノックされる音が耳に入り、ルヴェンの思考が中断される。
「どうぞ」
書斎の扉が開き、メイド服を着た小鬼人のブリンが、ドアの隙間から顔を出した。
「オサ。ユイナ、もうすぐ、帰るです。お客、来るです」
「お客さん? ……ああ。そう言えば。そんな話をしてたな」
今日の予定を思い出し、沈んでいた思考を切り替える。
「オルグとチェニータを呼んで来てくれるか。それと、ウーフも。たぶん、森の中を散歩してると思うから……。あ、ついでに。机の上に置いてる魔導書を、地下の召喚部屋に片付けといて」
「分かったです」
しばらく待っていると、書斎に数人の小鬼人がやってくる。
彼女達は手慣れた動作で、山積みになった魔導書を持ち上げ、書斎を退室した。
客も連れて来たということは、ユイナの面接は上手くいったのかな?
客人を出迎える準備をするため、ルヴェンも書斎を出て行く。
諸々の準備を済ませ、屋敷の玄関前に顔を出したルヴェンの目に、見覚えのある人物が映る。
「早いな、オルグ」
膝を曲げ、お尻を地面につけない、ヤンキー座りをした長身女性に声を掛ける。
「あん? オサが、来いつったんだろ」
ガラの悪さはトップクラスのオルグが、ぶっきらぼうにそう告げた。
「ウーフとチェニータは、まだ来てないのか?」
「チェニータは、ウーフ探しに行ったよ」
顎先を森の方へ突き出して、オルグがそう答える。
「ブリンが、客が来るとか言ってたけど……」
「客と言うか、オルグ達の先生になるかもしれない人だな」
「……先生?」
「今度、うちにやってくる連中が、凄く強い奴らしい。グレンさんの話を、鵜呑みにすればだが……。今のオルグ達だけだと、負ける可能性があるかもしれない」
「あ?」
言葉を選んで説明したつもりだったが、目に見えて不機嫌顔になったオルグが、ルヴェンを睨み上げた。
ルヴェンはポケットを弄りながら、言いにくそうな顔で会話を続ける。
「いやな……今のオルグ達でも勝てるかもしれないけど……。俺も心配性だから。もしも時に備えて、できる限りオルグ達を強くしたいんだよ……。別にオルグ達が、弱いとは言ってないぞ」
この世界ではヒキコモリだった俺が、外の世界を詳しく知ってるわけじゃないが、荒事の得意そうなグレンさんの言葉は、信用しても良いと思う。
外の世界をよく知る年長者の口ぶりからして、今のオルグ達だと敗北する可能性が高いのだろう。
ルヴェンはポケットから、干し芋の一欠片を取り出した。
「ほら、芋食うか?」
指で摘まんだ干し芋を、腕を伸ばしたオルグが無言で手に取り、鼻先に近づけて匂いを嗅ぐ。
「俺達が、負けるって言うのかよ?」
口を尖らせたオルグがそう呟き、干し芋の先っぽを齧り取る。
ガムを噛みしめるように口をモゴモゴさせながら、オルグが再びルヴェンを見上げた。
いつもなら、オヤツで誤魔化すことに成功していたが、今日は流石に失敗したようだ。
「今回は、相手の数が凄いんだ。この前の屋敷強盗とは、規模が全然違う……。負けそうになったら、逃げるのもアリだけど。この近くにある鉱山は、俺にとっての貴重な収入源だ。ここを出て行くことになった場合、俺は皆を養う手段がゼロになる。オルグも、せっかく仲良くなった皆と、別れるのは嫌だろ?」
「……俺は、負けねぇよ」
「そうだな……。実際にやってみたら、オルグ達があっさり勝つかもな」
この話を広げても、オルグの機嫌を悪くするだけだと思い、ルヴェンは話題を逸らすことにした。
「これから来る予定の先生は、ユイナくらい強いらしいぞ」
「ふーん……」
「たぶん、手合わせをすると思うけど……。そうだな……。今日来る先生に勝てたら。ご褒美に芋蒸しパンを、ブリンに焼いてもらおうかな?」
そうルヴェンが呟きながら、さりげなくオルグの顔色を伺う。
黙々と干し芋を齧るオルグが、指を二本立てた。
……二個か。
まあ、ユイナ並みに強いのなら、それが妥当かな?
「分かった。良いだろう。もし勝てたら、芋蒸しパンを二個にしよう」
「……ん」
少しだけ機嫌が良くなったらしく、オルグが――交渉成立を示すサインである――親指を立てた。
しばらくすると、何かに気づいたオルグが立ち上がる。
目を細めたオルグが見つめる先へ、ルヴェンも顔を向けた。
屋敷を取り囲む森の一部を、真っすぐに切り拓いた一本道。
その道中の奥から、こちらに近づく小さな人影を、遠目に発見した。
「お客、来たですか?」
「みたいだな」
屋敷の中から、メイド服を着たブリンも顔を出す。
「ゲストルーム、掃除、終わったです」
「了解。ありがとう」
三人が待っていると、馬に乗った二人組が、屋敷の前までやって来た。
地味な町娘の恰好をした女性が、先に馬から降りて来て、ルヴェンの傍に歩み寄る。
「ディーナを連れて来ました。こちらの依頼通り、この屋敷にしばらく滞在するそうです」
「了解。ご苦労様」
ユイナが軽く頭を下げ、道を開けるように後ずさる。
宿泊用の着替えでも入れてるのか、大きな荷物袋を横に括り付けた女性が、馬から降りて来た。
サーベルを腰に帯剣した女性が、背筋をまっすぐ立て、ルヴェンの顔をじっと見つめる。
「初めまして、ディーナさん。私が貴方に依頼を出した、ルヴェンです。奇妙な依頼で、戸惑ったかと思いますが。うちの魔族達に、武術の指導をお願いしたいです」
挨拶を交えながら、初めて顔を合わす女性を、ルヴェンは軽く観察した。
髪は男らしさを感じるくらいに、サッパリとした緑色のショートカットヘア。
本人の前で口に出すのは失礼だと思うが、女性とも男性とも受け取れる中性的な顔立ちだ。
ユイナから前情報を聞いてたせいか、確かに軍服とかが似合いそうな、凛々しい雰囲気の女性ではある。
それにしても……。
なんというか、目力が凄いな。
太い眉の下にある碧の瞳が、射抜かんばかりの眼力で、まっすぐルヴェンを見つめ返す。
この感覚は、なんだろう?
身体の大きな女性達に囲まれて、いろいろと慣れてきたつもりだったが、どうにも落ち着かない。
不思議な圧迫感だ……。
今までに出会ったこと無いタイプの女性に、無言で見つめられて、流石のルヴェンも困惑を隠せなかった。
ディーナの背後に音も無く近づいたユイナが、いきなり手刀を後頭部めがけて振り下ろす。
「初対面で、いきなり依頼主をジロジロと嘗め回すように見つめるのは、とても失礼ですよ。ディーナ」
死角からの不意打ちを、振り返ることなく手で受け止めたディーナが、微動だにしなかった顔をようやく動かした。
「ユイナ。お前に、聞きたいことが山ほど出てきた。後で、二人だけで話がしたい」
「話なら、後でいくらでもしてあげますから。まずは依頼主に、挨拶をするくらいはして下さいませんか。ディーナさん?」
薄い笑みを浮かべながらも、口角をヒクつかせるユイナと、真顔のディーナが目と鼻の先まで顔を近づけ、小声で会話をしている。
握り締めていたユイナの手刀を解放し、ルヴェンの方へ身体を向けたディーナが一礼した。
「失礼しました、ルヴェン殿。少々取り乱しまして……。幼馴染であるユイナの紹介で、今回の依頼を受けました、ディーナと申します」
今のどこが取り乱してたんだろうと、ルヴェンは心の中で首を傾げつつも、笑みを浮かべて気にしてない体を装う。
「オサ。チェニータ、来たです」
ブリンが上空を見上げ、指を差す。
ルヴェンも顔を上げると、屋敷の屋根から黒い人影が飛び降りて来た。
まるで猫の如く身軽に、数メートルの高さから難なく着地した豹頭人が、折り曲げた膝を伸ばす。
「はぁい、オサ。もうすぐ、ウーフも来るわよ」
「了解」
ルヴェンが返答したタイミングで、数十を超える小鳥達が、森の中から一斉に羽ばたいた。
樹々の上を飛翔する鳥影を追い抜いて、一際大きな黒い影が、空高く飛び出した。
数メートルはある樹々を飛び越えた白銀の獣が、重力に従いながら落ちてくる。
軽やかな着地だったチェニータとは違い、全体重を乗せ、荒々しく四肢を地面に叩きつけた。
宙に舞う砂ぼこりの中から、白銀の狼頭人が飛び出す。
「オサ、オサ、オサ、オサ!」
散歩中に飼い主を見つけたワンコの如く、銀色の体毛に包まれたウーフが、軽快に四肢を使って駆けて来る。
どうやら獣人の特性である骨格変形をして、二足歩行から四足歩行へと移行させたようだ。
ただし、三メートルの巨体が猛スピードで迫って来る様子は、時速五十キロメートルを出す事が可能な、ヒグマを連想させる。
このまま大人しく待ってると、自分が車に正面から跳ね飛ばされる、そんな未来しか想像できない。
「あらあら。オサが、美味しいモノを持ってるらしいわよって、言っただけなのにね」
チェニータがクスクスと笑い、何かを察したような顔で片眉を跳ねたブリンが、隣にいるオルグを見上げた。
「オルグ」
「あいよ」
ブリンに声を掛けられて、オルグが干し芋を口に咥えながら、ルヴェンの前に歩み出る。
進行方向に壁ができたため、猛スピードで迫るウーフが急ブレーキをかけ、直前で進路を変えた。
しかしスピードを殺しきれず、砂ぼこりを巻き上げながら地面を滑り、大きく半円を描いて、ルヴェンの後方に駆け寄った。
「オサ、ニク、オサ、ニク、オサ、ニクニクニク!」
フゴフゴと鼻を鳴らしながら、黒くて大きな鼻をルヴェンの横腹に擦り付ける。
「はいはい。肉は持ってないけど、芋ならあるぞ」
食べれる物ならなんでもいいのか、尻尾を左右にブンブンと振りながら、大きく見開いた目がルヴェンの手元を覗き込む。
ポケットから干し芋を一枚取り出し、ルヴェンが空中へと投げた。
「あむ!」
口を上下に開き、巨体に似合わない素早い動作で、空中キャッチをするウーフ。
全力で走って来たから、半開きの口から舌を出して、「ハッハッハッ」と荒い呼吸を繰り返している。
そんなウーフの横顔をルヴェンが手で撫でると、気持ちよさそうな顔でウーフが目を細めた。
「ユイナからは、武術の指導をして欲しいのは、四名だと聞きましたが……。こちらの者達でしょうか?」
空気を読んで、今まで静観していたディーナが、屋敷の前に集まった者達を見渡す。
「はい、そうですね」
「そうですか……。では、本格的な指導の前に、まずは彼女達の力量を計らせてもらいます。ユイナ」
「はいはい」
幼馴染同士ゆえの以心伝心なのか、さっきからディーナの荷物袋を弄っていたユイナが、取り出した棒状の物を放り投げた。
「模擬刀です。刃は潰してるので、相手の腕や足を切り落とすことはないです。その点は、安心して下さい」
ほう……。
なるほど。
それなら、安心だな。
「それでは、始めようか……」
二本の模擬刀を、顔の前で斜め十字にクロスさせたディーナが、両端の口角を吊り上げて、獰猛な笑みを浮かべる。
「死にたい奴から、前に出ろ」
「……ん?」
ドスの利いた声を漏らし、雰囲気の急変したディーナに気づいたルヴェンが、違和感を覚えて首を傾げる。
手を目元に当て、盛大な溜め息を吐いたユイナが、肩を落とした。
同時に、ディーナの全身が青の魔闘気を纏い、強烈な殺気を放つ。
それに反応した者達の瞳が、縦長に変化した。
干し芋を咥えながら、流し目を鋭くする者。
鋭利な牙を剥き出して、唸り声を漏らす者。
窓から手を伸ばして、掃除道具のモップではなく、先端に刃のついた長物を取り出す者。
空中で回転したククリ刀をキャッチして、獰猛な笑みを浮かべる者。
露骨なディーナの挑発に、四名の魔族が様々な反応を示す。
己の得物を手に取り、青の燐光を纏った魔獣達が、一斉に襲い掛かった。




