【第11話】ガトウの酒場にて
キィと軋む音を立て、――間仕切り用の木製扉――スイングドアが左右に開いた。
足鎧で床を踏み、――胸当てを装着し、腰に長剣を提げた――いかにも傭兵の恰好をした男が、店内に入室する。
「おい、女将。こっちにビールくれ!」
「女将、ツマミはまだかー?」
「はいはい、ちょっと待ってな!」
――薄汚れたエプロンを着た――恰幅のよい女が、両手の指で沢山の空ジョッキを摘まみながら、声高に叫ぶ男達に応える。
注文を急かす酔っ払い達を適当に相手し、酒場の入口へ顔を向けた女将が、周りをキョロキョロと見渡し、誰かを探す様子の男に気づいた。
「おや、マグレン。珍しいね。ここに顔を出すなんて」
「やあ、女将。ロエンは、来てないのか?」
「ロエン? ……そういえば、最近は見てないね。どこにいるか、知らないけど。うちの旦那なら、知ってるかもね」
「女将、ビールはまだか!」
「はいよ。ちょっと待ちな!」
足早に店内を歩く女将を見送り、マグレンはカウンターに足を向ける。
左目に黒い眼帯を着けた、目つきの鋭い男が、濡れたジョッキを布で拭きながら顔を上げた。
「よう、マグレン。良い靴だな。北に行ったと聞いてたが、随分と稼いできたようだな」
「ごぶさただな、マスター。どっちかというと、これから稼ぐ予定だ。それより、ロエンの奴を知らないか? こっちに戻って来てから、アイツがいそうな酒場に顔を出してるんだが、どこにもいやしねぇ」
マグレンの問いかけに、マスターが眉をひそめる。
「稼ぎの良い仕事があるんだけど、人が全然足りなくてな。えっと……ビール大で。それとツマミを……」
壁に貼られた板に書かれたメニューを見上げ、マグレンが注文をいくつかすると、マスターが厨房に声を掛ける。
通りがかった女将が、大ジョッキのビールをカウンターに置いた。
一呼吸置いて、マスターがため息混じりに口を開いた。
「一足遅かったな、マグレン……。ロエンは、ギンブルと西へ行ったきり、一月は顔を見てねぇぞ」
「ギンブル?」
「ランブルって言う、首を跳ねられた男の弟だ」
マスターが手刀を首に当て、斬首を意図するジェスチャーをした。
「はぁあ? もしかして、ロエンの奴。あの大馬鹿野郎がいた傭兵団で、仕事をしてたのか?」
「そうだ。その様子だと、北の方にも噂は広がってるみたいだな」
「傭兵の間じゃあ、有名な話だぜ……。リーダーは処刑されて、傭兵団も国から追い出されたってな。なんで、よりにもよってアイツらと……」
肩を落として溜め息を吐いたマスターを見て、マグレンが目元に手を当てて、がっくりと肩を落とす。
「お前んところの傭兵団が解散した後、酒場のツケが返せなくてな。大馬鹿兄弟の仕事を、手伝ってたんだよ」
「はぁー。アホやっちまたな、アイツ……。もう少し待ってくれりゃあ。うちの傭兵団に誘ったのによぉ……」
「残念だったな。アイツが、この街に戻って来ることは、二度とないと思うぞ。あきらめて、他の奴を当たるんだな」
「はぁー。マジかよ……。くっそー。当てが外れたな」
マグレンがジョッキを勢いよく傾け、グビグビと喉を鳴らして酒を飲み干す。
「わざわざ、ロエンを探しに来たってことは。今いる傭兵団は、大人数なのか?」
「ゲップ……。おうよ。人が増え過ぎて、団長が食料や備品を管理するのが得意な奴は、いないかって聞くからさ。ロエンが丁度良いと思って、わざわざこっちまで足を伸ばしてきたのによ……」
「それは、ご愁傷様だな」
「女将。ビール、おかわり!」
「あいよ」
ヤケくそ気味に、マグレンが追加のビールを注文する。
不貞腐れたように口を尖らせたマグレンが、赤らめた顔で店内を見渡す。
「なんか今日は、見慣れない奴が多くないか?」
「カウンター以外は、貸し切りなんだ。見慣れない奴らは、東の方からやって来た連中だ」
「東って言うと、お隣のドルシュか?」
「もっと東だ。正確に言えば、東の端っこにある国だな」
「へぇー。そんな、遠くから。わざわざ、ご苦労さんだな……。もしかして、アイツらも北へ仕事をしに?」
「いや。どうも、違うらしい……」
なにか含みを感じる物言いをした後、マスターは空ジョッキを布で拭く作業を、無言で再開した。
黙々と作業をするマスターを見ていたマグレンが、目を細める。
「いくらだ?」
「あん?」
「今のマスターが持ってる情報は、いくらで買える?」
親指と人差し指で輪っかを作り、マグレンがマスターに問い掛ける。
しかし、マスターは交渉にすぐ乗ろうとせず、渋い顔でしばらくウンウンと唸るだけだった。
マグレンが、無言で見つめていると、諦めたような顔で重々しく口を開いた。
「金の問題じゃねぇんだ」
「……もしかして。ロエンに、関係ある話か?」
マグレンがそう尋ねると、マスターは完全に沈黙した。
懐に提げた小袋に手を伸ばし、マグレンがそれをカウンターに放り投げる。
マスターは無言で小袋の入口を広げ、硬貨を何枚か取り出す。
「先に言っとくが、俺が持ってる情報は、噂程度だぞ」
「ああ、良いぜ。教えてくれ」
小銭袋をマグレンに戻しながら、顔を近づけたマスターが小声で喋り始める。
「ロエンは、ギンブル達と西のアヴァロム魔導王国へ行って、ギリムの屋敷で強盗をしようとしたらしい」
いきなりのマスターの物騒な発言に、耳を澄ましていたマグレンは目を丸くする。
「ギリム? もしかして、あのギリムか?」
「そうだ。第三次世界大戦で、派手に暴れ回った魔族達の長、召喚士ギリムだよ……。当然、ロエン達は失敗した。定時連絡の約束をしてた奴が、あれから姿を見てないらしい。お前と同じで、ロエンと付き合いの長かった奴が、うちの店に寄った時に教えてくれた。ただ、ロエン達がその後、どうなったかはよく分からんそうだ……。もしかしたら、王都に連れて行かれて、処刑されたかもしれん」
伝えるべき情報を言い終え、顔を離したマスターが、静かに目を伏せる。
「あの、馬鹿野郎が……」
声を震わせたマグレンが、ジョッキの取っ手を強く握りしめ、一気に飲み干した。
下品なゲップをし、意気消沈したように目を伏せていたマグレンが、急に顔を上げる。
「いや、ちょっと待ってくれ、マスター。その話は、おかしいぞ」
「うん? なにがだ?」
「ギリムは、今は北にいるはずだ。ギリムの顔を知ってる奴らが、国境付近での小競り合いで、見たって言ってたのを覚えてる。間違いない。ギリムの屋敷を強盗したなんて、アホ野郎がいたら、傭兵仲間の耳にも絶対入るはずだ」
怪訝な顔をするマグレンを見て、マスターが顎髭を撫でながら口を開く。
「あー、そうか。マグレンは、北の方で仕事ばかりをしてるから知らないのか。ロエンから聞いた話だが、イグラード王国の国境付近に、ギリムが管理する領地があるらしい。前回の大戦の報酬なのかは、知らんが……。まあ、ろくな管理をしてないから。野生のモンスターが屋敷の森からしょっちゅう出て来て、街道を利用してる行商人から、よく苦情が出てたらしいが」
「イグラードの……国境? ……んん? アヴァロムの……南の方の話か?」
「場所的には、そうだな」
視線を宙に彷徨わせながら、地図を必死に脳内で描いてたのだろう。
マグレンの問いかけに、マスターが頷く。
「じゃあ。誰が、ロエン達を捕まえたんだ?」
「おそらく、その屋敷によく顔を出す氷滅の老魔女が、たまたま捕まえたんだろうな……。まさか、ヒキコモリの豚蛙が、やったとも思えんしな……」
「マスター。ヒキコモリの豚蛙って」
「おい、野郎ども! 俺様が、でっかい仕事を持って来たぜ!」
店の入り口にあるスイングドアが左右に開き、開口一番に大声で騒ぐ男が、マグレン達の会話を中断させた。
マグレンの履いてる物よりも上等な足鎧で床を踏み鳴らし、燃えるような赤髪に極彩色のメッシュを入れた青年が、偉そうに胸を張りながら、我が物顔で店内へと入って来る。
「なんだ? あの孔雀鳥みたいな、派手な野郎は……」
「今日の貸し切りをやった、団体様の代表だよ」
口をあんぐりと開けて、目を丸くしたマグレンの呟きに、マスターが丁寧に答える。
「おー。デクトルさん! やっと仕事が決まったんスか?」
顔を赤らめた男の一人が、ジョッキを握った腕を上げ、身の丈程もある大剣を背負った青年に声を掛けた。
「おう! また人が増えるぜ。これで千人だぞ、千人。こりゃあ、大変だ。ヒャハッハッハッ」
大声で馬鹿笑いをする青年に続いて、五十人程の武装した人族が、ぞろぞろと店内に入って来る。
半数ほど空いていた席が、新たに現れた集団によって、あっという間に埋まってしまった。
あらかじめ待機していたのか、女将以外の女性店員達が厨房の奥から顔を出し、追加客のオーダーを忙しそうにさばいている。
「さっきの話の続きになるんだがな……」
「へ?」
人が倍に増えたことで、店内の喧騒も酷くなった。
聞こえずらくなったマスターの声を聞くために、マグレンは顔をカウンターの方へ寄せる。
「あの派手な若者が、デクトル。次の氏族長の第一候補だ。彼らが遥々極東から来た理由は、来年の氏族長を決める選挙で有利になる戦果や活躍の場を、求めて来たからだ」
「……は?」
脈絡のない客人の説明をマスターが語り出し、それを聞いていたマグレンがキョトンとする。
「まあ、最後まで聞け。あそこで、筋肉自慢をしてる大男がゴルズ。次の氏族長を決める選挙の第二候補だ」
マスターが指差した先へ、マグレンが視線を移す。
「フンッ! どうだ、お前ら。俺の筋肉は!」
「さすが、ゴルズ様。熊殺しの名は、伊達じゃないっスね。よっ、良い筋肉!」
「ガハハハハ! そうだろ、そうだろ」
目に留まった巨漢のスキンヘッドが、丸太を連想させる両腕を折り曲げ、自慢げにポーズを作る。
すると、熊のような大男の周りにいる――民族衣装を着た――取り巻き達が、拍手をしながら歓声を上げた。
「ゴルズ様。この前の魔物退治で、野生の猪牙人を、サバ折りにしてやった話を、アイツらにも聞かせやって下さいよ」
「おうよ! 魔物ていうのも、大したことないな。アレなら、暴れ大猪を素手で捕まえた時の方が、よっぽど大変だったぜ。ガハハハハ!」
酒を呑んで体温が急上昇したのか、盛り上がった浅黒い肌の筋肉から、滲んだ汗の雫を大量に流す。
全身から湯気を立ち昇らせ、白い歯を見せて笑う巨漢のゴルズから、げんなり顔のマグレンが視線を外した。
「あっちのテーブルにいる優男が、第三候補のフォルト。ヒョロそうに見えるが、かなりの剣の使い手らしいぞ」
「……どいつだ?」
すぐに見つけられず、マグレンが瞳を右往左往させる。
「ほら。赤い傘を閉じた女がいるだろう。その女の隣にいる、糸目の男だ」
これだけ大勢の人がひしめき合っても目立つ、赤い傘を椅子に立てかけた女が目に留まる。
外は雨が降ってなかったので、日傘の類であろう。
今まで日光を直接浴びたことが無いのか、真っ白な肌が特徴的で、眼のふちに紅色のアイシャドウを入れた女性が、ゴルズ達が騒ぐテーブル席へ流し目を送る。
「はぁ~あ。ほんと、暑苦しい連中ね。さっさと魔物の餌にでもなってくれたら、静かになって良かったのに」
「ベリコ。その言い方は、良くないですよ。僕が族長になる為にも、彼らには生き残ってもらわないと困りますから。選挙を勝ち抜くための協力者達には、表面的でもいいですから、仲良くして下さい」
「はいはい。坊ちゃんは優しいのね……。ほら、お酒がきましたよ」
色白の美女が、若い青年にお酌をする。
「タイツェン? 百魔将殺しが、いるじゃねぇか……。アイツら、あっちで見ないと思ったら、こっちに来てたのか?」
「マグレン、どうした?」
色白美女がいる隣のテーブルで、静かに酒を飲みかわす奇妙な風貌の者達に向けて、マグレンが顎を突き出す仕草をした。
「顔見知りがいる。ちょっと北で、派手にやらかしてた連中だ……」
「なにをやらしたんだ?」
渋い顔を作るマグレンを見て、マスターが尋ねる。
「アイツら、武術の腕前は本物なんだけどよ……。国境での小競り合いで奴らと一緒に行動した連中が、よく失踪したり、全滅したりするんだ。戦争だから死人は出るもんだけど、妙な黒い噂が絶えなくてな……」
「黒い噂?」
「仲間を殺して、闇商人に臓器売買をしてるだとか。人食い殺人鬼がいるだとかな……。目撃者がいるわけじゃないから、あくまで噂だが……」
「ありがちな話だな。長く戦争が続くと、おかしな奴も出てくる……。でもな、今回はそういう奴らも、ゴロゴロいるはずだ。なにせ、この街で腕自慢をしてる荒くれ共達が、過去の犯罪歴を問わず、スラム街も含めて、片っ端から声を掛けられたらしいからな。大勢の傭兵が、北へ出稼ぎに行ってるのに。この短期間で、よく千人も集まったもんだよ」
「それでか……。他の店に入った時に、先約があるからって、いろんな奴らに断れたけど……。やっと、納得したぜ。で、マスター。そんだけ人を集めて、コイツらは何をおっぱじめる気なんだ?」
「話は、最後まで聞けと言っただろう。彼らの仕事も、ロエン達と同じだ……。ギリムの屋敷を、襲撃するらしい」
「……は?」
「お前らぁ! 猛獣狩りも、そろそろ飽きてきただろぉ!」
上機嫌に顔を赤らめたデクトルが、座っていた椅子を突き飛ばし、いきなりテーブルの上に飛び上がった。
「一週間後には、この街を出るぞ! 武器と食いもんを、しっかり用意しとけよ! 次の仕事は、ヒキコモリ豚蛙とか言う、珍獣召喚士を捕まえる大仕事だ! 寝坊して遅れた奴は、街に置いてくからな! ヒャハッハッハッ!」
馬鹿笑いをしながら、握り締めたジョッキを、デクトルが天井高く突き上げる。
「今日は景気づけだ。派手に呑むぞぉおおおお!」
「ウォオオオオ!」
腕を高々と振り上げ、瞳を爛々と輝かせた荒くれ者達が、野太い歓声を上げた。
「今度は強盗じゃなく、戦争をするんだとさ……。依頼主に、よっぽど恨みを買ってるみたいだな、ギリムは」
そう言い終えたマスターは、洗い終えた空ジョッキに息を吐き、眼帯の無い右目で命知らずの傭兵達を見据えた。




