夜の訪
コンコン、と窓を叩く音がした。
畠中にある川先家の家。そこの2階が舞の新しい部屋だ。
夜8時。夜中ではないが、大きな物音をたてるのははばかられる時間。舞が窓をそっと開けると、そこには見目麗しい双子の兄妹が窓枠に掴まるように浮かんでいる。
この兄妹が夜こうして訪ねてくるのは2度目なので、舞はもう驚くこともなく2人を招き入れた。
「こんばんは、舞ちゃん」
「こんばんは、紗羅ちゃん」
紗羅の後ろでどこかうっとりしたようにも見える、穏やかで優しい笑みを浮かべているのは修だ。
「こんばんは、修さん」
「うん」
修は口数が少ないようで、昨晩もほとんど喋らなかった。
ただ黙って、にこにこと舞を見つめている。
きっと優しい人なんだと舞は考えた。
「昨日はせっかく来てくれたのに、ゆっくりお礼も言えなくてごめんなさい」
「ううん、大丈夫だったか確認したかっただけだから」
紗羅がこぼれるような笑みを浮かべて舞の手を取る。
昨日は白のワンピースだったが、今日は神社の巫女さんの格好をしている。
「もう落ち着いた? 昨日今日は買い物で大変だったんでしょう?」
「うん、もう大丈夫、ありがとう」
訊きたいことはいろいろあるのだが、正直、何を先に問うたものか選べない。
なぜそんな格好をしているのか、とか。
こんな夜中に家を出てきて平気なのか、とか。
あと、宙に浮かんでいるように見えるのは気のせいだろうか、とか。
これから仲良くなって追々訊いていこうとは思うのだが、訊いてもいいものだろうか。それすら分からなかった。
「舞ちゃん、学校にはいつから来れそう?」
「学校?」
「うん、高見原中学。同じ一年生なんだよ、あたしたち」
「そうなの?」
「残念ながらクラスはあたしとも修とも違うんだけど」
「そうなんだ……」
修と紗羅が双子で、しかも自分と同い年だという話は昨日聞いた。
紗羅はともかく、修は年上だと思い込んでいたため驚いたが、まさか学校まで一緒だとは思いもしなかった。というか、正直なところこの2人が普通の人と同じように学校へ通っているところが思い浮かばない。
昨日、今日と修は神社でよく見かける神職の装束を着ている。袴の色は浅葱色だ。
紗羅も今日は巫女衣装なので、コスプレが趣味なのか、何か理由があってそんな格好をしているのか。
何か想像もつかない理由があるのでは、と思えなくもないが、そんな2人がまさか普通に学校へ通っているとは思えなかった。
しかも義務教育だ。
『義務』などという言葉からは果てしなく遠いところにいそうな2人である。
そんな人に「同じ一年生」とか言われても、というのが本当のところだった。
「その、学校はね、多分転校することになると思う……」
「うそ! ほんとに!?」
修は無言のまま表情を強ばらせ、紗羅は声を上げて迫ってくる。
2人とも大げさなほどに驚愕の表情をしていて、まだ会うのも3度目で、会話もあまり交わしていないという現実がなければ、この双子から自分は特別に好かれていると勘違いしてしまいそうだ。
「おばさんが、もともと高見原じゃなくて、隣の市の奥沢女学館に行って欲しがってたの。今回、畠中に引っ越して、高見原よりも奥沢のほうが近いから、あっちに編入しようっていう事になって……」
「そんな、」
「だめだ! やっと会えたのに!」
修が必死の形相で舞の両手を握る。
それを嫌だとか考えるより先に、舞は顔が熱くなるのを感じた。
「でも待って、修、悪くないかもしれない」
「そんなわけあるか、一緒の中学に行って、高校も大学もその先もずっと一緒にいたほうがいい。でないと危ないし、そっちのほうがずっと守りやすい」
「でも修、そしたら舞ちゃんの周りには男の子がいっぱいだよ?」
「……!」
紗羅はにっこり笑って、ね? と小首を傾げる。
「それは……ダメだ。俺が耐えられない……」
「でしょ? でも奥沢なら女子校だし、いいと思う。で、あたしも奥沢に通えばさらにいいと思う」
「お前だけ一緒かよ」
「そこはしょうがないよ、おんなじ女子だし。かわりに修は女の子どうしだとなれない関係になれるでしょ?」
紗羅に言われて、修の顔が赤くなった。
すでに真っ赤だった舞と合わせて、見ているだけでも随分微笑ましい。
「ほら、修、言うことあるんじゃない?」
「あ、ああ……」
修はまだ舞の手を握ったままだ。
そして赤い顔をさらに耳や首まで全て真っ赤にして舞をまっすぐに見つめる。
「あの、さ」
「は、はい」
修は何度か口を開けたり閉じたりして、それから意を決したように息を大きく吸い込んだ。
「つ、付き合ってくれ!」
なんとなく予想はついていたものの、まさかと思うような突然の告白に舞は言葉を失う。
動揺して返事を忘れていると、パチパチパチ、と手を叩く音が聞こえた。
「はーーい、良くできましたーー!」
なんとも気の抜ける状況だが、紗羅は気にせず舞の手を兄から奪って、その中に梅結びにした飾りが可愛らしい、赤い組紐のついたカチューシャと、水引きの丸い飾りのヘアピンを乗せた。
「はい、これ。ヘアピンのほうなら、学校でもつけられるから。奥沢の校則は分からないけど、このくらいならきっと平気だと思う」
「ありがとう……」
「俺からはこれ」
続いて修がそっと手渡したそれは小さな巾着で、美しい刺繍の施された布地でできていた。
受け取って、着物の端切れだろうか、と舞は思う。
「開けてみて」
中には水晶の勾玉が入っていた。
透き通った美しいその勾玉を手に取って、舞はなぜかホッとした気持ちになる。
「それね、悪いものから舞ちゃんを守ってくれるのよ。どっちもいつも身につけていてね」
黙っている修のかわりに紗羅が説明する。
「ありがとう」
舞が贈られた髪飾りと勾玉を大切に胸に抱き、2人を見つめて礼を言うと、修と紗羅は嬉しそうに笑った。
「今日はそれを渡したかったの。また来るね」
「うん」
「舞、あの、さっきの……」
「ほら、今日は帰ろ。会ってまだそんなに知らない相手から付き合おうとか言われても、返事なんてできないでしょ」
紗羅に言われて修は、ぐ、と言葉に詰まる。
舞もまだ返事をしていなかった事に気がついて再び顔を赤くした。
嫌なわけではないが、少し本当のこととは思えない。
そのくらい、双子の行動も美貌も現実離れしていて、夢でも見ているのかという気になった。
双子は今夜も窓から訪ねてきて、窓から帰って行く。
先にふわりと窓から出た紗羅に続き、名残惜しそうな顔で舞を見つめながら窓の桟に足をかける修。
舞は我知らず、その修の袖を掴んでいた。
「あ」
ごめんなさい、と言って袖から手を放そうとした舞を、修が腕の中に包み込む。
そしてほんの少し力を入れて、しかし宝物を守るように大切に、ぎゅっと抱きしめた。
「また、明日来る」
吐息とともに囁かれた言葉の切ない響きに、舞は顔を上げ、修と目を合わせる。
なぜこの人はこんなに辛そうな顔をしているんだろう、と舞は思った。
この人に幸せな笑顔になってほしい、と。
手を伸ばし、その頬に触れる。なめらかなその手触り。
子どもの頃、父の顔に触れたときの、あのざらりとしたヒゲの手触りとは全く違う。
修が顔を動かし、舞の手で自身の頬を撫でるようにすり寄せる。そして手のひらに触れるような口付けをした。
また、顔に熱が集まってくるのを感じて、舞は思わず手を修から放そうとする。
が、修はその舞の手を掴んで微笑んだ。
くらくらする。
軽く混乱する舞の手のひらにもう一度口付けて、修は囁いた。
「絶対、守るから」
何から守るというのだろう。
分からないままの舞から体を離し、修は再び窓から出て行こうとした。それを舞は慌てて止める。
「ま、待って!」
修が振り向く。
舞は夜の闇を背中に抱えたその壮絶なまでの美しさに息を呑んだ。
これは、人とは違うもの。
その手を取るということは、きっと人ではなくなるということ。
そんな気がして、そしてこれまで関わったいろんな人のことが脳裏に浮かんだ。
父、母、姉、祖父、祖母、瑠花、麦穂、おば、朗司……。
舞は一瞬ためらい、そして決めた。
「さっきの、返事……」
心臓がバクバクと跳ねるようにうるさい。
顔が熱い。
目の焦点が定まらない。
それでも舞は言葉を続けた。
「よ、よろしくお願いします……」
紗羅が両手で口元を押さえる。喜びに声を上げるのを押さえるためだ。いくらなんでも今邪魔をするのはいけない。
修は言葉もなく部屋の中に戻り、再び舞をその腕の中に抱いた。
今度はしっかりと、間違いのないその存在を確かめるように。喜びに力を込めて。
「ああ。絶対、絶対、大切にする……!」
そして舞の頬を両手で包み込むと、唇を重ねた。何度も、何度も。




