後日譚29 侯爵夫人の憂鬱12
レスターが大使館を訪ねて来てくれたおかげで、私は彼と久しぶりにちゃんと話すことが出来た。しかもレスターは仕事が忙しい中、わざわざ時間を割いてまで来てくれたのだ。
「暫くはまだシャンダル公爵の件でごたつくかもしれないから、デイジーは大使館でゆっくりしていてくれ。母やジェームズがうちにいてくれればまた違ったんだろうけど……」
「ありがとう、大丈夫よ。それにこちらの方が王宮に近いし、貴方に差し入れもしやすいわ」
「あぁ、それはありがたいね」
レスターが笑って頷いてくれる。いつもの優しい笑顔だが、かなり疲れているのだろう。目の下に少しクマが出来ていた。
「レスター、無理しないでね?」
「ん?大丈夫だよ。デイジーが来る以前は、仕事で徹夜することもよくあったから」
これくらい何でもないと、レスターは笑って誤魔化す。けれど彼のここ最近の忙しさは、ほとんどが理不尽な嫌がらせによるものだ。辛くないはずがない。
(もっと貴方の力になれたらいいのに──)
そう思うと、レスターに話そうと思っていたことが何となく言いづらくなってしまった。
(……彼が大変な時に話すのは良くないかもしれないわ……落ち着いてからの方が……)
今はレスターを支えることに徹しようと、そう心に決めていると──
「……さて、そろそろ戻らないとな……」
まだ来て間もないというのに、レスターが暇を告げた。私は驚いて思わず彼に問う。
「……まだお仕事が残っているの?」
「あぁ、今日も泊まり込みになりそうなんだ……すまない」
「いいのよ。でもそんなに大変だなんて……」
夜も深い時間だというのに、まだ仕事があるらしい。しかも泊まり込みというから、心配になってくる。
するとレスターが私の肩に手を置いて、宥めるように言った、
「デイジー、心配しなくても大丈夫だ。仮眠を取りながらやっているし、部下達も一緒だから問題ない」
「レスター……」
「……だから浮気じゃない証明もできるよ?」
「!!……もうっ!貴方の体を心配しているのに!」
「はははっ」
私が心配しているのはそういうことじゃないとわかっているのに、彼はわざとおどけて言う。つられてつい怒ったように詰め寄れば、すぐに彼の腕の中に閉じ込められた。
「……じゃあもう行くよ。デイジーはゆっくりと休んで」
「無理しないでね?……行ってらっしゃい」
「あぁ、大丈夫……お休み……いい夢を……」
そうして蕩けるような笑みで口づけを落としたレスターは、私を寝台に寝かしつけてから部屋を出て行った。
「……レスター……ありがとう」
ほんの僅かなふれあいだけで、レスターはあっという間に私の不安を取り除いてくれた。改めて彼の存在がどれだけ大きいのか、それにどれだけ救われているのかを思う。
(……私もきっと貴方を支えてみせるわ)
そう決意を新たにし、私は眠りについた。
翌朝、朝食を取りに食堂へと入ると、既にエルが食後のお茶を飲んでいた。
「おはよう、デイジー。よく眠れたかい?」
「エル、おはよう。おかげ様でよく眠れたわ」
エルの朗らかな笑顔に、いつもと違う日常の中でも安堵の気持ちが広がっていく。
そんな中、エルの奥に座る意外な人物が目に入り、私は驚きの声を上げた。
「タジール?……どうしてここにいるの?」
「おはよ、デイジー。なんだ、ついに侯爵に愛想を尽かして出戻ったのか?」
「そんなわけないでしょ!もう!」
エルと共に食堂の席に座っていたのは、フリークス商会の現会長であるタジールだ。その性格は相変わらずで、食後のお茶を飲みながら早速私を揶揄ってくる。
「ははは。君達は相変わらずだね。この調子だとタジールはフィネストに残りそうだなぁ」
私達二人のやり取りを見て、エルが楽しそうに笑った。まるで兄妹喧嘩を見守る父親のようだが、話の内容についてはいただけない。
「駄目よ、エル。タジールが本気にしちゃうわ。彼はフィネストには残らないのよ?」
「あぁ、ごめんごめん。そうだったね」
エルもうっかり自分の希望が口をついて出たのだろう。笑って私に謝るが、そのやり取りを聞いていたタジールからは不満の声が上がる。
「えぇ~、ちょっとそれいいかもって思ったのに。フィネスト専門出張員とかさ!どう?」
タジールはエルを父親のように尊敬しているから、冗談のように聞こえるが半分以上は本気だ。私はすかさず彼に釘を刺す。
「ちょっと、タジール!商会の方はどうするのよ?貴方が会長でしょう!?」
「デイジーが冷たい。俺は妹をそんな風に育てた覚えはないぞ」
「タジールに育てられた覚えはないわ。真面目に言っているのに!」
「やれやれ……本当に君達は、前世は実の兄妹だったんじゃないかって思うくらいの仲の良さだよ。二人ともその辺で喧嘩はおしまいにね?」
エルが呆れながらも笑いを噛み殺して私達の仲裁に入った。こんなやり取りはいつものことだから、慣れたものである。
「そういえば何か大切なお話の途中だったのかしら?だったら私は自室で朝食をとるけど……」
タジールがわざわざこの早朝に大使館を訪れるということは、何か重要なことがあるからなのだろう。これ以上邪魔をしてはいけないと私は退席しようとした。
「いや、もう話は終わったから大丈夫だ。それにタジールに調べてもらったことは、君にも関係しているんだよ」
「え?私?」
「あぁ……というか君の夫の方になんだけどね」
「……レスター?……それって一体……」
思いもよらぬ展開に、私は彼等を問いただす為、すぐに席に着いたのだった。




