後日譚28 侯爵夫人の憂鬱11 (レスター)
レスター視点です。
薄暗い夜道を、アムカイラ共和国の大使館を目指して進む。人目を避ける為に馬車は使わず、馬に乗って向かっていた。
「はぁ……こうしてみると、まるで喧嘩して実家に帰ってしまった妻を迎えに行くみたいだな……」
自分で言った言葉に、つい落ち込んでしまう。傍から見ればそうなのかもしれない。ここ最近はデイジーとちゃんと話せていなかったし、差し入れの件もあるから尚更だ。
だが彼女が屋敷を出たのは、シャンダル公爵を避ける為で、それ以外の意図は無い。そうわかっているのに、やはりどこか不安に感じてしまう。
自分にはやましい所などどこにも無く、デイジー一筋だと断言できるが、彼女が今の私を見てどう思うかまではわからないのだ。
「……仕事ばかりにかまけて、悲しい想いをさせてしまってたかもしれない……」
私は落ち込んだ気持ちのまま、大使館への道のりを急いだ。
大使館へと着くと、すぐにフリークス氏が出迎えてくれた。
「やぁ、レスター。待っていたよ」
「お義父上、お久しぶりです」
「随分と疲れた顔をしているね。夕飯はとったかい?用意はできているから、遠慮しないで食べて行ってくれ」
「ありがとうございます……それでデイジーは?」
「あぁ、今は湯あみをしているから、落ち着いてから話すといい」
「……わかりました」
促されるままに食堂へと向かい、席に着く。すぐに料理が目の前に並べられた。
「食べないのかい?」
「あ……いえ、いただきます」
どうにも気持ちが落ち着かず、料理に手を付けずにいると、フリークス氏がすぐに気が付いて声を掛けてきた。
正直、ここへ来たらすぐにでもデイジーと話すつもりでいたので、食事をしている気分ではなかったのだが、折角の気遣いを無駄にしてはいけないだろう。私は曖昧な返事をしてから、料理に手を付け始めた。
「……あまり元気が無さそうだね」
「えぇ……まぁここ最近は特に忙しかったので」
「あぁ、そのようだね……随分と苦労しているようだ」
フリークス氏は酒を片手に、意味深な様子で目を細めた。彼は同じ席に着いてはいるが、既に夕食を取った後らしく、酒を飲む傍ら私の話し相手になってくれている。──いや、寧ろ私と話すのが目的でこの場にいるのだろう。
「……もしかしてシャンダル公爵の件をご存じだったんですか?」
「……うん、まぁね。これでも耳は良い方だから」
高貴な微笑みでそう語るフリークス氏は、どこか底知れぬ深さを持っている。あのリュクソン陛下でさえ、彼には一目置いているのだから、当然といえば当然だろう。異国の大使だというのに、既に多くの情報源を持っているのだから侮れない。
「……デイジーにはどこまで?」
「あの子は何も知らないよ。これまではその必要は無かったからね。まさか相手の方から関わってくるとも思っていなかったし。私の方は、別件で調べていたから……」
「そうですか……」
フリークス氏はリュクソン陛下からの要請で、シャンダル公爵を調べていたのかもしれない。でなければ、異国の大使である彼がこんな風に他国の貴族について調べることなどないだろう。
「まぁ、でも私の可愛い娘に手を出そうとしたのだから、ここから先は私も存分に協力させてもらうよ。リックもアレには随分と手を焼いているようだしね」
フリークス氏はそう言うと、彼にしては珍しく視線を鋭くした。どうやら公爵はフリークス氏の逆鱗に触れてしまったようだ。氏の最愛の娘であるデイジーに手を出そうとしたのだから当然の帰結と言っていい。
一体フリークス氏は公爵について何を掴んでいるのだろうと考えていると、彼はニコリと表情を一転させた。
「……と、食事がまずくなる会話はここまでにして……最近のデイジーとはどうなんだい?」
仕事の会話から、義理の父と息子の会話へと切り替わる。しかしそれはある意味でもっと緊張をしいられるものだった。
「そうですね……ここ最近は私が忙しくなってしまったので、あまり二人の時間が取れていないです。それに何だか彼女は調子が悪いみたいで……本人は大丈夫だと言い張っているんですが……それが心配で……」
デイジーは元々華奢だが、ここ最近は食欲もあまりないようで、屋敷の者達も随分心配していた。私が一緒に食事を取れればまた違ったのかもしれないが、それも叶わずもどかしく思っていたのだ。
「あぁ、それについては先ほど医者を呼んで診察してもらったよ。後で本人から直接聞くと良い」
「そうなんですか?ありがとうございます」
既に医者に診てもらったとのことで、少しだけ安堵する。それに今の話ぶりでは、さほど深刻な状態ではないのだろう。デイジーに関する心配事が一つ減ったおかげで、私の心も随分と軽くなったようだ。
そうしてフリークス氏と会話をしながら、私は食事を終えた。
食事を終えた私は、既に湯あみを終えたというデイジーに会う為、彼女の寝室を訪ねた。大使館のその一室は、結婚する前に彼女が使っていた部屋だ。勿論私は入ったことがない。
初めて訪れる彼女の寝室に、ここ最近のすれ違いの件も加わって、私は酷く緊張していた。 震えそうになる手を抑えながら扉をノックする。
「デイジー?入ってもいいかい?」
「……どうぞ」
中からデイジーの声がして、ただそれだけのことで沈んでいた心に安堵が広がっていく。はやる気持ちを抑えながら私は中へと入った。
部屋に入ると、デイジーが笑顔で私を出迎えてくれた。湯あみを終えて体が温まったからか、ほんのりと頬が赤い。それでも華奢なその身体に心配になってくる。
「あぁ、デイジー……心配したよ……体調はどうなんだい?」
「大丈夫よ。お医者様にも見てもらったし。それよりもレスターの方が酷い顔だわ。あまり寝ていないの?」
「まぁ……そうだね。ここ最近はちょっと忙しくて……あまり君との時間を取れなくてすまない……」
「いいのよ……私の方こそ何もしてあげられなくてごめんなさい」
「いいんだ、そんな……」
自分のことよりも私を気遣う健気なその姿に、胸が締め付けられそうになる。デイジーが憂いなく過ごせるように、何としてもシャンダル公爵の件を片付けなければならない。そう決意を新たにしていると――
「あの、レスター……」
デイジーが何かを言いたそうにしている。
「どうしたんだい?」
「えぇと……ね、その……」
口を開いては、どう言おうか迷っている。そんな風に見えた。どうしたのだろうと考えた所で、ハッとした。
デイジーが大使館へと逃げてきたのは、シャンダル公爵の娘が彼女を訪ねてきたせいだ。あの高慢で強引な女のことだから、きっとろくでもないことを言ってデイジーを傷つけたに違いない。そしてそのせいで、デイジーは私と彼女の関係を気にしているのだ。
(デイジー……すまない……君を不安にさせて……)
不安げに瞳を揺らすデイジーに心が痛む。私があの女とどうにかなるなどありえないことだが、差し入れの件もあるから疑われて当然だ。あの女に付け入れられる隙を与えた私が悪い。
私は聞きづらそうにしているデイジーの代わりに、自らあの女のことを話すことにした。
「……デイジー、君に言っておくことがある…………シャンダル公爵家の令嬢と私は何でもないんだ」
「え……?レスター?」
「……今、財務部の部長である公爵と少しもめていて……そのせいで君にも迷惑をかけてしまったんだ…………だが信じてくれ。私が愛しているのは君だけだ」
「レスター……」
「あの女が何と言って君を傷つけたかはわからないが、私には君しかいないんだ。だから──」
デイジーに謝罪する為、私は彼女の手を取ったままその場に跪いた。
「れ、レスター!待って!」
彼女は慌てて私を立たせようとする。だが私は彼女を傷つけた自分が許せなくて、跪いたまま首を横に振った。
「優しい君のことだから、黙っていたんだろう?本当にすまない。差し入れのことを聞いた。あの日、君は私とあの女が一緒にいる所を見てしまったんだね?」
「それは……」
デイジーの表情が僅かに歪む。肯定はしないが、その表情こそが答えだ。
「……あの日も、予算の件で財務部へと足を運んでいたんだ。そうしたらあの女が待ち構えていて……」
「……あの……いつも彼女は、ああして王宮に来ているの?」
デイジーがどこか不安そうに聞いてきた。彼女にとったら、私がいつもあの女と王宮で会っていたかもしれないと心配なのだろう。だが会いたくて会っているわけではない。
「……ここ最近は、父親がいる財務部によく顔を出しているみたいだ。おかげであちらへ行く度にしつこく付きまとわれている……」
「……何故……彼女はそこまでレスターに執着を……?」
「金と地位目当てだろう。私が爵位を継ぐ際にもあの父娘はしつこく迫ってきたからね。だが私にはジェームズがいるし、デイジー以外とは結婚する気などさらさら無かったから、その時にはっきりと断ったんだ」
「……そうだったの……」
「その時は私に結婚する意志が無いので諦めたんだが、今回デイジーと結婚したことで浅ましい欲が再燃したらしい。話が違うじゃないかと公爵に随分詰られたよ」
「それで揉めているのね……」
「あぁ……公爵は私怨を仕事に持ち込んできて、私の関わっている土地開発事業を妨害している。予算に関しているからとても厄介でね……だからアイツの娘の我が儘を多少なりとも聞くことで、少しずつ融通させるように立ち回っているんだ」
「そう……それで……」
デイジーの表情が痛まし気に歪んだ。いくら仕事の為とはいえ、他の女の言うことをきいているのだから、嫌な気分になるのも当然だろう。私は彼女に縋って、心から謝罪した。
「あぁ!デイジー……本当にすまない……だが私は決して君を裏切ってはいない。本当だ……あの日、公爵に頼まれて食堂まであの女を送っていったんだが、その交換条件に予算を一つ通させたんだよ。だが送っていっただけで何もない。すぐに戻ったし、そのせいで食事を取りそびれたくらいだ。神に誓って本当だ」
「レスター……」
デイジーはじっと私を見つめたまま、首を横に振った。
「っ──」
彼女の拒絶が胸に突き刺さる。息を詰まらせその手を離そうとした時──
「違うのよ、レスター。貴方を疑ってなどいないわ。寧ろこんな大変なことになっていたのに、貴方の力になれなくて後悔していたの……」
「……デイジー、そんなことはない。君がいるからこそ私は頑張れるんだ」
「嬉しいわ……でも私はただ守られているだけじゃなくて、もっと貴方の力になりたいの」
そう言ってデイジーは手を強く握りしめ微笑む。
「本当なら貴方に差し入れを渡すはずだった。けれど……他の女の人と一緒の所を見て怖気づいてしまったの。貴方がよそ見するはずないってわかっていたのにね。情けないでしょう?」
「デイジー……」
私を見つめながら眉を下げて微笑むデイジー。私が気にしないで済むようにと、敢えて自嘲気味に話しているのだ。その健気な優しさに心を打たれる。
「ありがとう……君は本当に素敵な女性だ」
「ふふ、そう言ってもらえて嬉しいわ……でもあの日、貴方がお昼を食べ損ねたのなら、それは私のせいね。ちゃんと差し入れを預けていけばよかった」
「君のせいじゃないよ。あれは私に黙っていた部下達も悪い。口止めされていたとしても、普通はこっそり教えるもんだろう……そしたら屋敷に帰ってでも差し入れを取りに行ったのに……!」
「まぁっ……貴方の方から取りに来ちゃったらそれはもう差し入れじゃないわ……ふふ。それなら次はうんと豪華にしないと。愛しい旦那様の為に」
「あぁ、今から楽しみだよ。愛する私の奥さん」
デイジーが心からの笑みを浮かべるので、私もつられて笑う。彼女の手を取りながら立ち上がり、私はその華奢な体をそっと抱きしめた。
私の腕の中にすっぽりと納まる愛しい人。その優しい熱を感じながら、私は心からの安らぎを得たのだった。
お読みいただきありがとうございました。
当初は「実家に帰らせていただきます!」的なお話を書きたかったのですけど、デイジーとレスターの二人だと随分と変化球な形で実家に帰る展開になってしまいました。
キャラの性格を読み解きながら、彼らの行動を書き留めていくと、思いもよらない展開になっていくのが面白いですね。その体験が楽しいからこそ小説を書いているんだな~とつくづく思います。
次話もどうぞお楽しみに。




