後日譚27 侯爵夫人の憂鬱10
エスクロスの屋敷を出た私は、落ち着かない気持ちのままため息を吐いていた。
「……本当にレスターは来ることができるのかしら?」
ここ最近はすれ違っていたせいで、全くと言っていいほどレスターと会話をしていない。それに屋敷を出る際にも、ちゃんとした言伝を出来なかったのが気にかかっていた。後からきちんと事情を説明した手紙を届けさせたが、それでも不安は尽きない。
するとメルフィが、お茶のお替りを注ぎながら私を励ましてくれる。
「デイジー様、大丈夫です。シミルが確かにそう言伝をもらってきたんですから。夜になったらきっといらっしゃいます」
「……でも仕事が忙しいのに……」
「今は仕事よりもデイジー様のことですよ!これで侯爵がお見えにならなければ、私は怒ります!絶対に怒りますよ!」
「め、メルフィ……」
メルフィは私のことを心配するあまり、主であるレスターにさえ食って掛からんほどの口ぶりだ。私以上に今の状況に感情的になっているようである。
「大丈夫だよ、デイジー。彼ならきっと都合をつけてくれる。何せ愛する者の一大事なんだからね?」
「エル……」
そう言って私を励ましてくれたのはエルである。今、私はエルの屋敷──つまりはアムカイラ共和国の大使館に来ていた。
シャンダル公爵令嬢がエスクロス家に訪れた後、次は公爵自身が来ることとなり、私は屋敷を出ることにした。まずい状況になると思ったからだ。
丁度その時、私は体調を崩してしまっていたし、相手は社交の玄人である。不慣れで状況がわからないまま対応すれば、弱みを握られる恐れがあった。だから私は早々にエルの下に避難することにしたのだ。
エルが住んでいるアムカイラの大使館であれば、いくら公爵と言えども手は出せない。一貴族の屋敷ならば公爵の地位を利用して押し入ることはできるかもしれないが、異国の政治機関であるアムカイラの大使館にそれは通用しないだろう。国際問題になりかねないし、エルに手を出せばリュクソン陛下が黙ってはいないからだ。
それに大使館の警備は、王宮並みに厳重だ。許可が無ければ中には絶対に入れないし、事情を聴いたエルが許可を出すはずもない。
なので今の私にとって、ここは最も安全な場所なのである。
「シミルには走り回ってもらって申し訳ないわ……後でたっぷりお礼をしないとね」
「ふふ、あの子、奥様の役に立つんだ~って息巻いてましたよ?本人は頼られて嬉しかったんでしょうね」
「まぁ、そうなのね」
本当なら屋敷を出る前にちゃんとした手紙をレスターに出すつもりだったのだが、シャンダル公爵の先触れが来てしまい、そうもいかなくなってしまった。公爵の来訪を断る為には、先触れよりも前に私が屋敷を出ていなければならなかったからだ。
だから目立たぬようシミルを連絡役にして、私自身は秘密裏に大使館へと逃げてきたのである。先触れについては、私が外出した後にやって来たということにして、暫く屋敷には戻らないと追い返したのだ。
「デイジーの選択は正しかったと思うよ。そのまま公爵の対応をしていたら難しい状況になっていたかもしれない。居留守を使って先触れを追い返したのは良い判断だ」
「家令のゴードンが機転を利かせてくれたのよ。おかげで助かったわ」
エルが言う通り、先触れの対応が上手くできたおかげで、なんとか事なきを得た。皆の協力が無ければ難しかっただろう。
するとメルフィが、未だ公爵父娘への怒りが収まらないのか、頬を膨らませて熱弁する。
「ただでさえ具合が悪いのに、頭の可笑しな女の相手をして、その父親まで対応するなんて無理な話ですから!居留守を使うのも当然です!」
「頭の可笑しな女って……ははっ!そんなにかい?」
「えぇ大使様!そんなになんですよ!あんな貴族令嬢、普通じゃありませんから!」
メルフィの話しっぷりに、エルが堪え切れずに笑いだす。確かにあんなに感情を露わにして、よくわからない理屈で相手を責め立てるのは普通ではないかもしれない。私も彼女の熱の籠った言い方につい笑いが零れてしまった。
「ふふっ……まぁでも、私は彼女に名乗られてもいないし、名乗ってもいないから。どこぞの頭の可笑しな女で間違いないわね」
「おや、そうなんだね」
「えぇ、だって挨拶する暇もなくまくしたてられたんだもの。これ幸いと相手に名乗らせなかったわ。私も名乗ってもいないし」
「ふふふ……デイジーも中々やるね」
「あら、それほどでも?」
シャンダル公爵令嬢とは、正式な名乗りをしていないのだ。先の来訪が問題にならないようにするには、その方が都合がいい。後で何か文句をつけてこようにも、あの場に公爵令嬢などいなかったと言い張れるからだ。
「賢い娘で本当に誇らしいよ」
エルが感心したように頷く。そして一通りの笑いが収まってから、私へと真剣な眼差しを向けた。にこやかな表情だが有無を言わせない時のエルだ。
「さぁ、そろそろ医者がやってくるから、寝室へ行こうか。デイジー」
「……わかったわ」
ここ最近の体調不良に関して、メルフィがエルに話を通したのだ。私自身は医者に見せる程でもないと思っていても、心配性のエルに逆らえるはずもなく、大人しく診察を受けることにした。
「大使様!流石です!ささっ!デイジー様、行きましょう」
ようやく私を医者に見せられると、メルフィが嬉々としてエルを褒めたたえ、私を部屋へと促す。急かされるように私は自分の為に用意された寝室へと向かうのだった。




