後日譚26 侯爵夫人の憂鬱9 (レスター)
レスター視点です。
「あぁ……もうダメ……数字に殺されそう……」
「頑張れ!寝ると死ぬぞ!起きろ!」
「……先輩……あとは頼みます……ガクッ……」
「アホ!真面目にやれ!」
休憩を取った後にもかかわらず、土地開発部の執務室は屍累々の状態であった。
元々財務部からの承認が降りずに、ここ最近は何度も資料を作り直したり、予算を削ったりと試行錯誤していたのだが、今はそれに加えてシャンダル公爵に対抗する為に、密かに財務部を探る仕事までしているのだ。時間がいくらあっても足りないのが現状である。
「なんなんすかね~。あのお嬢様がここまで侯爵に執着するのって。あれですか?やっぱ顔と金ですか?」
「だろうなぁ。レスター様はこの国一番の金持ちと言っても過言じゃないからねぇ。それに男前だし」
「簡単に金持ちだなんだと言ってくれてるが、真面目に働いて稼いだ金だ。あとうちの家系はだいたいみんなこの顔だ」
部下達の愚痴に嘴をはさみつつ、仕事をこなしていく。話題に上るのはどうしても件の令嬢の話だ。
「公爵令嬢っつったって出戻りでしょ?相手はどうしたんだっけ?死んだ?それとも不倫?」
「確か亡くなったんじゃなかったっけか?相手かなりの高齢だっただろ?」
「うわ~、じゃあそれ完全に金目当てですね。侯爵、気を付けてくださいよ~」
「気を付けるも何も、あんな女と結婚するわけないだろ」
「はは!まぁそりゃそうですけども……」
そんな風に愚痴を言い合いつつ仕事をしていると、執務室の前の護衛から声が掛かった。
「侯爵、お客様がお見えです」
「うわっ!噂をすれば……!」
その言葉を聞いて、部下が声を潜める。誰が来たのか想像に難くないが、一応護衛に相手を確かめた。
「誰だ?」
「シャンダル公爵令嬢です」
「ほら、やっぱり……」
部下達がうんざりしたように顔を見合わせ、そしてどうするのかと一斉に私を見た。私はため息を吐くと、席から立つことなく声を張って外の護衛に指示を出す。
「今は忙しい。相手をしている暇はないと伝えてくれ」
「わかりました」
それだけを伝えると、私はさっさと自分の仕事へと戻った。大声で言ったから、護衛から伝えられるまでもなく相手に聞こえただろう。
以前だったら、仕事を円滑に進めさせるために少しだけなら相手をしただろうが、最早構っていられる余裕は仕事面でも精神面でも持ち合わせてはいない。全部奴らのせいなのだから仕方ない。
「うわぁ……修羅場になりそう……」
「……俺、今だけはこの部屋から一歩たりとも出たくないね……うん」
部下が未だ声を潜めつつそう話していると、やがて廊下から甲高い怒鳴り声と、何やら物音が響いた。隣で部下の一人が思い切りびくついて書類を下に落としたが、それ以上の大きな物音が外から聞こえてくる。
「や、やば……」
酷く激高した声に、部下達はそろって体を震わせているが、外の護衛は上手く対処してくれたようだ。
物音が無くなり暫くして、外の護衛が扉を少し開けて顔を出す。
「……差し入れと言って渡された物がありますが、どうしますか?」
「…………そうだな……」
護衛の手には籠があり、どうやらそこに差し入れとやらが入っているようだ。私はそれをみてから部下達に視線を送る。
「そう言えばお前達、差し入れが欲しいとか言ってなかったか?私はいらないから、お前達が受け取ればいいぞ」
「い、いえ!とんでもないです!絶対に要らないです!」
「まだ死にたくない!」
まるで毒でも入っていると言わんばかりの蒼白な面持ちで、部下達は首を横に振る。私はそれに苦笑をもらしながら、護衛に差し入れは処分するようにと伝えた。
そんなやり取りがあってから数刻後──
その日も泊まりを覚悟していたのだが、どうしても途中で抜け出さなければならない用があった。デイジーの件だ。
「……屋敷を出る……か……」
シミルが持って来たメモ書きには、デイジーの字で謝罪と屋敷を出ることだけが書かれていた。それを見た時には、デイジーに何か不満があって、私の下から去ってしまったのだと一瞬絶望した。
だが慌てて書いたようなそれを見て、私はすぐに思い直したのだ。彼女が本当に私の前から自分の意志で去るとしたら、そんなメモ書きなんかではなく、ちゃんと自身の口で理由を言ってくるだろうと。
それに人目に付かないようにと、下働きの少年を寄越したことも引っかかった。お使いのついでで来たように装っていたシミルは、そうしろと言われてこっそり来たのだろう。何故そんな形を取ったのかは疑問だったが、その理由はすぐに判明した。暫くして、シミルが使いを終えて再び戻って来たのだ。
彼は私の使いをしてきた体を取りつつ、本命の手紙を渡してくれた。そこに事の詳細が記載されていたのだ。そして私はようやくデイジーが侯爵家を出た理由を知った。
「シャンダルめ……絶対に許さん……」
私は激しい怒りを燃やしながら、日がすっかり暮れて静まり返った王宮を後に、デイジーのいる場所へと向かったのだった──




