後日譚25 侯爵夫人の憂鬱8 (レスター)
レスター視点です。
落ち着かない気持ちのまま昼休憩を過ごした私は、部下達が戻って来たのを見計らって、早速彼等に詰め寄った。門番のサムから聞いた、先日のデイジーの差し入れの件についてだ。
「差し入れの件を何も聞いていないのだが、何か私に隠しているのか?」
「え、えぇと……」
部下の一人が私の問いかけにあからさまな動揺を見せた。視線を他の者達へと彷徨わせては、あーとか、うーとか呻いている。
「何故隠す?門番のサムが、はっきりとデイジーのことを覚えていたのだぞ?言い逃れはできない」
「あぁ……サムさん……」
サムの名前を出せば、彼もようやく観念したのだろう。その時のことを教えてくれた。
「……確かに奥方様はこちらにいらっしゃいました。差し入れを持って来たから、侯爵に渡したいと……」
「何故私に黙っていたんだ?そんな話は聞いてないが」
「そ、それは……奥方様の侍女の方に口止めされたんです……ここへ来たことは、侯爵には秘密にしてくれと……奥方様の意向で……」
「デイジーが……?何故?」
差し入れをしに来たのに、秘密にする理由がわからない。何故かと問い詰めると、他の部下が気まずげに声を掛けてくる。
「あの~……多分なんですけど、財務部長の御令嬢の件が関係しているのではないかと……」
「財務部長の?……いや……まさか……」
財務部長の娘と言われて、冷やりとしたものが背中を伝う。少しばかり思い当たる節があったからだ。すると対応した部下が当時の状況を詳しく教えてくれた。
「奥方様、最初はこちらにお見えになったんですよ。でも丁度その時、侯爵が財務部へ行かれていたので……あれと鉢合わせたらまずいと思って引き留めたんですけど……侍女や護衛の方に押し切られて行ってしまわれて……」
デイジーがここに来たのは一昨日のことだ。確かにあの日、私は財務部へと足を運んでいた。というかここ最近はしょっちゅうあちらへと行っている。そしてその度に厄介な人物との対応を迫られていた。
「まさか……あの女と一緒の所を見られた……のか?」
「……多分そのまさかだと思いますよ?」
「…………はぁ……嘘だろ?」
思い当たる厄介な状況に、思わず口汚い言葉が出てしまう。あの女とはつまり財務部長の娘の、カーラ・シャンダル公爵令嬢のことだ。
「あの……まさかお屋敷でも何もお話されてなかったんですか?……てっきりあの後、帰宅されてからお話されたのだと……」
「そんな時間が、ここ最近の私にあったと思うのか?」
「……いえ……無いですね、全くと言っていいほどに……」
「……はぁ」
最早ため息しか出てこない。あの女と私が一緒にいる所を見て、それでデイジーは何か誤解をしたのだろう。だから差し入れもせずに帰ってしまったのだ。しかも自分が来たことを部下に口止めまでして。
「……埋めてやりたい……」
「侯爵!口に出ちゃってます!」
「大丈夫だ。誰を、とは言ってない」
「そ、それでも……!」
人殺しでもしそうな私の雰囲気に、部下達の方が顔面を蒼白にしている。だがそれを本当に実行してしまいそうなほどに、今の私は苛立っていた。
「デイジーに心配をかけまいとやって来たのに、こんな影響が出るくらいなら、最初から徹底的に潰しておくべきだったな……」
「こ、侯爵……」
「根回し何ぞクソくらえだ。奴らは潰す。今日も帰れないのを覚悟してくれ」
「ひぇぇ……」
その後、私はそれまで以上に猛烈に仕事に取り組んだ。今やっている仕事のほとんどは、本来ならしなくてもいい内容のものだ。それがここまで厄介で膨大な量になっているのは、全て財務部長であるシャンダル公爵のせいだった。
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『横領?どういうことです?』
『どうもこうもその名の通りだよ、エスクロス侯爵。君の部署で不正に資金が使われている疑いがあってね』
その日、私は財務部長のシャンダル公爵に呼び出されて、横領の疑いがあると突きつけられていた。だが勿論、私にも部下達にもそんな事実は無い。
『ありえません。予算は予め提出していますし、実際に掛かった費用や領収証もちゃんと提出してます。お疑いならもう一度精査してみてください』
『だがねぇ、君の最近の金遣いを見ていたら、その疑いが出るのも頷けるというものだよ?最近君は屋敷に温室を作ったそうじゃないか。あれは一介の役人が簡単に建てられる代物ではないだろう?』
シャンダル公爵が引き合いに出したのは、デイジーの為に建てた温室の建築費用についてだ。確かに温室を作るのは莫大な費用が必要になる。
だがそこは建築に関する業界に足を突っ込んでいる私だ。材料の仕入れのルートも、また建築に携わる職人についても伝手があるので、普通に作るよりも大幅に費用を削減できるのだ。何せ自分でやるのだから仲介料や設計料もいらない。
それを説明したのだが、シャンダル公爵は鼻で笑って全く聞く耳を持ちはしない。
『陛下の覚えめでたいエスクロス侯爵の醜聞。どんな風に転ぶのかねぇ?』
『……一体何が望みですか?』
私を本気で追い落とそうとするならば、わざわざこんな風に呼び出したりはしないだろう。嘘の証拠を固めて、公の場で徹底的に潰しに来るはずだ。
『なぁに、私は君に提案をしようとしているのだよ。互いに利のある提案をね?』
『……それでその提案とは?』
やはり公爵には何か思惑があって、このようなことをしているのだ。どうせろくなことではないだろう。彼はいやらしい笑みを浮かべながら話を続けた。
『君は随分と歳の食った嫁を貰ったそうじゃないか。私の可愛い娘を差し置いて』
『……』
『君が侯爵位を継ぐ時に、折角私の可愛い娘を妻にと打診したのに、君はそれを断って来た。君の養子が既に後継に決まっているからとな』
『えぇ、そうですね…………でもそれがどうしたというのです?』
『なのに君はついこのあいだ結婚した。私には結婚するつもりはないと言ったくせに、だ。これはどう言う了見なのだ?』
『どうもこうも、私が結婚しようと思う相手は、妻のデイジーだけですから。何と言われてもそれは変わりません』
『はっ……!随分生意気な口を利くじゃないか。だが、公爵家からの婚姻を断り、平民の娘を嫁にされて、私が黙っているとでも?』
『……それでこの嫌がらせですか?理解に苦しみますね』
『そんな風に強がっていられるのも今の内だ。娘はまだ君との婚姻を望んでいる。さっさと平民女と別れて、私の娘と再婚するんだな』
『何を馬鹿なことを……』
『後継をもうけるのなら、若い方がいいじゃないか。年増の平民女にそれができるとでも?』
『…………っ』
シャンダル公爵の物言いに、激しい憎悪を覚える。今にもそのうるさい口を塞ぐために、飛び掛かってしまいそうだ。私は必死に理性で怒りを抑えながら、彼を睨みつけた。
だが公爵は私の威嚇などモノともせず、更に卑怯な手段に出た。
『私の言うことが聞けないのなら、今後は土地開発部の予算は厳しいものとなるだろう。私の気持ち一つで、お前達の仕事の命運が左右されるのだと覚えておくがいい』
『っ…………失礼するっ』
もうそれ以上は聞いていられなくて、私は財務部を飛び出した。卑劣なあの男は、私を娘と結婚させる為に仕事を盾にしたのだ。
『くそっ……!』
横領の疑いについては、無実を証明する手立てはいくらでもある。だが今後行う事業について、財務部に邪魔をされてしまってはどうにもならない。
何せ財務部は国で行う事業の資金を握っている。彼等の承認を得て初めて様々な事業を動かすことが出来るのだ。それはいわば体を動かす為の血液のようなもの。資金が滞れば私達は何もすることができない。
シャンダル公爵の企みは、非常に厄介な問題になってしまったのだ。




