後日譚23 侯爵夫人の憂鬱6
メルフィに身なりを整えてもらって、客人を待たせている客間へと向かう。緊張に手が震えないようにと、一旦気持ちを落ち着けてから、扉を開けてもらい中へ入った。
「まぁ、貴女が侯爵夫人なの?ふぅん……」
私が客間へと入ると、金の巻き髪が美しい若い女性が、私を上から下まで舐めるように見回してそう呟いた。まだ正式に挨拶も交わしていない中、大層不躾な態度である。これには私よりも側にいたメルフィの方がお冠だ。
「なんて無礼な」
「メルフィ」
私は食って掛かりそうになるメルフィをすぐに制して、令嬢の方へと向き直った。
「当家に御用がおありとか。一体どのような用件でしょう?」
私が問いかけると、シャンダル家の令嬢は勝ち誇ったような笑みを浮かべながら口を開いた。
「単刀直入に言うわ。貴女、侯爵と別れなさい」
「!!」
「何てことをっ!!」
「メルフィ!」
信じられないような発言に、メルフィが怒りを露わに身を乗り出した。私はそれを強く制して、護衛として側に居るジェーンに目配せをする。
ジェーンはすぐに自分の役目を理解し、メルフィを退室させた。そして私の側にぴったりと寄り添うようにして護衛につく。
「ふん。元平民に仕える侍女だから、礼儀もなっていないわね」
シャンダル家の令嬢は、退室していくメルフィを嘲り、そして主の私をも見下す。意図してか無意識か。どちらかははっきりしないが、それにしてもあからさまな令嬢の物言いに、少々面食らってしまう。
(この子は、私が元平民ってことで突っかかってきているのかしら?)
私がエルの娘で王族の血を引いているというのは、一部の人達には知られている。だけどエスクロス侯爵夫人となったのを知らない人間も多い。
レスターが初恋の人を見つけて、その人と結婚したという噂は大いに広まってはいるが、その初恋の人とアムカイラ大使の娘というのが、同一人物だと一般に認識されていないのだ。
その辺の事情は非常に複雑であるし、詳細に説明するとなると少々問題もある。なので私達の関係は、あくまで人々の想像に任せるという形にしているのだ。
(まぁ二十年以上前のことだものね。今更そこまで気にされるとは思っていなかったけど……)
令嬢が私を元平民と言っていたとなると、私が大使の娘であるという事実を知らないのかもしれない。確かに平民として過ごしていたから、彼女の物言いも嘘ではないのだが、他国の大使との関係を考えればこのように突っかかってくるのはあまり得策とは言えないだろう。
(とすれば、あっちの噂を信じているのかもしれないわ)
実は一部の噂で、レスターの初恋の人が平民だったというのがあるのだ。若かりし頃に貴族令嬢との婚約を破棄をしてまで、平民の娘との恋を成就させようとしたのだと。
まさか私とレスターの婚約破棄が、そのように形を変えて噂されることになるとは私自身も思ってもみなかったが、どうやら世間的にはそちらの方が美談として好まれているらしい。
「ちょっと聞いているの?!」
「……あ……えぇと、何でしょう?」
あれこれと考え事をしていたせいで、どうやら令嬢の話を聞いていなかったらしい。すると令嬢は怒りを露わに、持っていた扇で目の前の机を叩いた。
「貴女のような平民が、エスクロス侯爵の妻の座に居座り続けるなんて、どういう了見なのかって聞いているのよ!」
「了見……」
「もう!頭悪いのね!これだから平民は……」
私の反応が鈍いので、シャンダル家の令嬢は酷く立腹した様子だ。その態度に側で見守っている護衛のジェーンから不穏な空気が漏れてくるが、私としては血を見る展開になるのだけは御免被りたい。
とにかく今は彼女の目的が何なのかを確かめることが先決だと思った私は、こちらから質問することにした。
「あの……何故貴女は離縁の要求を?貴女には関係のないことではないですか?」
「は?関係ないですって?そんなわけないわ!」
その言葉に更に眦を吊り上げた令嬢は、ソファから立ち上がりキッと私を睨みつける。
「だって侯爵の妻になるのはこの私なんですもの!」
「!!」
自信たっぷりに胸を張って私を見下ろしてくる令嬢。彼女は私よりも二回りも年下だろうが、いかにも高位の貴族令嬢らしく高慢だ。
彼女は私が侯爵夫人という立場であっても、元平民というだけでどう扱っても問題にならないと思っているのだろう。尚も居丈高に言い募る。
「元平民で、しかも四十の年増。この国で重要な役目を果たしているエスクロス侯爵の妻になっている方が可笑しいのよ。若い私のような令嬢こそ相応しいわ!エスクロス侯爵の後継は私が生むんだから、貴女はさっさと離縁して!」
「っ──」
その言葉に私は一瞬何と言っていいかわからなくなってしまった。
彼女の話を全て受け入れるわけではないが、私が年増なのは事実だ。それに年齢的に、レスターの子供を産むのが難しいのも承知している。考えないようにしていた事実を、はっきりと突きつけられて、傷つかないはずがない。けれど──
(……今は私がレスターの妻でありエスクロス侯爵夫人なのよ。私がしっかりしないでどうするの、デイジー!)
「……貴女のお話はわかりました。しかしこれに関しては、私一個人で決められることではありません。侯爵とも相談をさせていただきますから、今日の所はお引き取りください」
「なっ……!」
私が特に取り乱すこともなく、追い返そうとするのに驚いたのだろう。彼女は目を大きく見開いて、次の瞬間には恐ろしい形相で私を睨みつける。
けれど私はそれをさっと無視して、ジェーンに視線をやった。
「お客様がお帰りになるわ。お見送りを」
私の言葉に既に控えていたであろう他の護衛が入ってくる。シャンダル家の令嬢の方にも侍従はついていたが、流石に武装した侯爵家の護衛の前では分が悪いと思ったのだろう。
「お嬢様……ここは一旦お帰りになられた方がよろしいかと……」
「……ふんっ!」
侍従にも促され、彼女は思い切り不満そうにしながら出口へと向かう。そのことに安堵し、息を吐こうとしたのだが──
「お父様に言いつけてやるんだから……」
最後にそう言い残して、彼女は出て行った。
「デイジー様……大丈夫でしたか?」
シャンダル家の令嬢と入れ替わりで戻って来たメルフィが、心配そうに私を覗き込む。私はやれやれと額に手を当て、ひじ掛けにもたれかかった。
「大丈夫よ。それに思ったほどではなかったわ」
「デイジー様……」
そう。思ったほどの衝撃は受けなかったのだ。正直会いに来てくれたことが喜ばしいほどに。
「……あの子と話してみて、レスターと何でもないと確信したわ。全く……彼を信じられないなんて、私って本当に馬鹿ね」
いくら若くて綺麗だからといって、レスターが彼女のようなタイプに好意を寄せるはずがない。そんなことわかりきっていたはずなのに、二人が一緒にいる姿と甘い香水の匂いで、ほんの僅かでもレスターを疑ってしまった。
彼の愛が他の人に移るなど、どうしてそんな風に思えたのだろう。自信の無さの表れだとしても、真摯に愛してくれているレスターに失礼だ。
彼は何か厄介な揉め事の中にいて、そのせいで屋敷に帰ってくる間も無いほどに奔走しているのだろう。そんな彼を私が信じて支えてあげなくてどうするのだ。
「レスターに手紙を書きましょう。それで今後の対処について聞くの」
「えぇ!それがいいですね」
私は早速レスターへと先ほどの出来事を知らせる為に、自室へと戻ろうとした。その時──
「っ──」
「デイジー様!?」
「……大丈夫…………ちょっと、眩暈が……」
先ほどシャンダル公爵令嬢が座っていた場所に近づいた瞬間、その香水の残り香だろうか。酷く甘ったるい匂いがして、眩暈がした。ソファの背もたれに手をつき、じっと回復を待つ。
あの日、レスターからしていた匂いと同じだ。もう彼を疑っているわけではないのに、酷く気分が悪い。どうにもならないほどに胃がむかむかする。
「大変!すぐにお部屋へ!」
「メルフィ、そこまでじゃないから……」
「いいえ!ダメです!今度こそお医者様を呼ばせていただきますから!」
メルフィはそう言って私を強引に部屋へと連れて行った。そして医者をすぐに呼び出すと息巻いた。
しかし令嬢が帰路についてすぐ、シャンダル公爵が直々に来訪するという先触れが届いたのだ──
お読みいただきありがとうございました。
次話よりレスター視点が入ります。
レスター「やっと言い訳ができる……!(泣)」
レスター君、どんまい!w




