後日譚15 侯爵夫人と夜会1
「はぁ、緊張するわ」
「デイジー、大丈夫かい?」
「えぇ……でもうまくできるか心配よ」
「デイジーなら大丈夫。むしろ変な虫に目を付けられないか、私の方が心配だ……」
そんな風に話すのは、夜会の会場である王宮へと向かう馬車の中だ。今日は王宮で開かれる舞踏会にレスターと参加することになっていた。
「ふふっ、変な虫って……そんな人いないのに」
「いいや!君は自分のことを何もわかっていないから……」
「心配しすぎよ。会場にはもっと若い子がたくさんいるのだから、私なんて目立たないし見向きもされないわよ?そんな心配をしても笑われるだけだわ」
「あぁ……これだから心配なんだ……」
何やらレスターが頭を抱え込んで難しい顏をしている。どうも彼は私が男の人から狙われているように思う節があるが、私からすればそんなのは杞憂でしかない。
実質、これまでに男性からアプローチされたことなどほぼないのだ。それについては興味も無かったから気にしたこともない。私が気にする異性は、ただ一人。レスターだけなのだ。
「あ、そろそろ順番みたいね。進みそうだわ」
「……あぁ。……心配だ」
王宮への道のりは、多くの馬車で混雑している。ようやく進みそうなので声をかけるも、レスターは何かを考えこんでいて、気の無い返事をするばかりだ。
そんな彼をよそに、私は久しぶりの舞踏会に不安を感じつつも、彼と共に参加できることをとても楽しみにしていた。
このような夜会にレスターと参加するのは、彼と初めて出会ったデビュタントの夜会と、エルが大使に任命された建国祭の宴の席だけで、今回で三度目である。
結婚後に何度かそうした催しの誘いがあったらしいのだが、それは全てレスターが断っていた。彼は独身生活が長かったからそれでも支障は無かったし、貴族社会での社交経験の浅い私に配慮してのことだから文句はない。ただ今回は、彼と会場で踊ることができるのでそれが素直に嬉しかった。
やがて馬車が入口の前に停められ、私はレスターにエスコートされながら降りた。会場へは既にたくさんの客人が入って行っている。灯篭が道を照らす中、煌びやかな衣装が星のようにきらきらと輝いていた。
「綺麗だわ……王宮の舞踏会ってこんなに幻想的なのね」
「あぁ……そうか、デイジーは本格的な夜会は初めてだったね」
レスターが思い出したように呟いた。彼の腕に寄り添いながら、私は会場まで続く階段の幻想的な風景を楽しむ。
「そうね。初めての夜会はあのデビュタントの時だったけど……緊張して楽しむどころじゃなかったし、貴方のことで頭がいっぱいだったわ」
「ははっ、それは光栄だな。私もあの日はデイジーのことで頭がいっぱいだったよ。初めて君を見た時、あまりの美しさに息が止まるかと思ったから」
「そんなことを思っていたの?……でも確かあの時の私って、泣いてなかったかしら?」
「あぁ……しかも私が泣かせたんだよね。余計な一言を言って……」
「ふふっ。そうだったわね」
レスターが自分自身の言葉にバツが悪そうに眉を顰める。それが可笑しくて笑うと、彼は誤魔化すように咳をすると、当時のことを話してくれた。
「……実はあの時、バルコニーに出る前に君を見かけたんだよ。目が合ったと思ったのに急いでどこかへ行ってしまうから君を追いかけたんだ」
「え?そうだったの?……全然覚えがないけれど……」
レスターの言葉に驚いてしまう。あの時よりも前にレスターと顏を合わせてたなんて、ちっとも記憶にない。
「ドレスが汚れて気が動転していたから仕方ないよ。でもあの出来事があったから君と二人きりになれたんだと思うと、感慨深いものがあるな……」
「確かにそうね……今ではとてもいい思い出よ」
レスターの言葉に、ほろ苦い思い出と甘酸っぱい思い出が一気に蘇る。あの頃の私は初めての夜会で浮かれていて、それで失敗をしてしまったことに酷く動揺していた。
けれどレスターが助けてくれて、それで恋に落ちて……そこからいくつもの出来事があって、また今日と言う日に再び二人で夜会に来ているのだ。胸の奥にあるドキドキした気持ちは、今日だけのものじゃないだろう。
「今日も素敵な思い出が作れるように、二人で楽しもう」
「えぇ」
ほんのりと頬を赤く染めて微笑むレスターに、私も照れながら笑みを返す。そして私達は会場へと入っていった。
「わぁ、凄く豪華ねぇ。キラキラして夢の中にいるみたいだわ」
「君が楽しそうで私も嬉しいよ」
舞踏会の開かれる大広間はとても豪華なものだった。大きなシャンデリアが光を降り注ぐ中、色とりどりの花が会場を飾っている。そこで踊る人々も美しく着飾っており、会場全体が幻想的な庭園のように見えた。
私とレスターが会場に現れるとそれまでざわついていた会場が一瞬にして静寂に包まれる。皆の視線が集まり、俄かに緊張が走った。
「……私達、注目されているのかしら?」
「あぁ……だから嫌だったんだ……」
レスターは既に予想していたのか、眉を顰め低い声で呟く。彼は元々こうした夜会が好きではないのかもしれない。
「私……変な格好かしら?それとも可笑しな態度をとってしまった?」
夜会に何度も参加しているレスターと一緒にいて、これだけ注目を集めているのだから、きっと原因は私の方にあるのだろう。何か粗相をしてしまったかと焦っていると、レスターが大仰にため息をついた。
「そんなことはないよ、絶対。寧ろそうであった方がどれだけ安心できることか……」
「?」
レスターが何を言っているのか分からなくて首を傾げるも、その様子を見たレスターの機嫌が更に悪くなっていく。
「あぁ、もう!そんな可愛い仕草を皆の前でしないでくれ!」
「レスター?」
ぶつぶつと何かを呟くレスターに聞いても、何も教えてはくれない。それどころかスタスタと歩く速度を速めるものだから、ついて行くのがやっとだった。
レスターが急いで会場の奥に進み、ひと目につかないところまでやってくると、私達へ向けられていた視線も元に戻り、会場内は再び楽し気な喧噪に包まれた。
「はぁ……流石にドレスだと動きにくいわね……」
「!!ごめんデイジー!……つい急いで来てしまった……」
少し息が上がった私に気が付いたレスターが、眉を下げて申し訳なさそうにする。さっき彼はどこか怒っているようだったから、無意識の内に歩くのが速くなっていたのだろう。
「大丈夫よ。……もしかして私と一緒に夜会に来るのは嫌だった?」
「そんなことない!寧ろ凄く楽しみにしてたんだが……想像以上に敵が多くて……」
「敵?え?誰かと争っているの?」
「いや……そうじゃないんだが……」
レスターが言いづらそうに口ごもっていると、奥の方から声を掛けてくる人物が現れた。
「デイジー!レスター!」
「エル!」
人混みを掻き分けてやって来たのはエルだった。彼も今日はアムカイラの大使として招待されているらしい。
「見つけられてよかった。今日は特に人が多いからね」
「本当ね。エルは誰かと一緒に来たの?」
「いや、一人だよ。僕がエスコートするのはディアナと君だけだからね。その役目もレスターにとられてしまったが」
エルがそう言って片目をつぶるので、思わず笑みが零れる。
「お義父上には申し訳なく思ってます」
エルの冗談にレスターが眉を下げてそう言った。するとエルは快活にそれを笑い飛ばし、私達二人の肩を叩く。
「ははは。君達はこれ以上ないくらいお似合いの二人だから、何も問題ないよ。寧ろ仲睦まじい姿を、側で見ていられるほうがよっぽどいい」
「エル……」
「さぁさぁ!まだ二人は踊っていないのだろう?リックへの挨拶は後でもいいから、先に楽しんでおいで。僕にもっと二人の幸せな姿を見せて欲しいな」
「えぇ、勿論よ」
「お義父上、ありがとうございます」
エルに促されて、私達は先に踊ることにした。高鳴る鼓動を抑えながら、レスターに手を引かれて広間の中央へと向かう。
歩きながら横を見上げると、真っ直ぐに前を見つめる凛々しいレスターの横顔が見えた。冬空色の瞳が会場内の光を反射して、流れる星のようにキラキラと輝いている。けれどその目の奥には、どこか強い意志が宿っていて、私は胸が更に高鳴るのを感じていた。
私があまりにじっと見つめているので、レスターもその視線に気が付いたのだろう。ふと顔をこちらへと向けると、それまでの凛々しい表情から一転、蕩けるような笑みをくれた。
「デイジー、どうしたんだい?」
「……ううん、なんでもないの……ただ、レスターが素敵だなって思って」
「デイジー……」
レスターが立ち止まり、私の方へ体を向けた。そして真っ直ぐに見つめてきたかと思うと、自然と二人の顔が近づいていく。
気が付けば私はレスターの腕に閉じ込められ、その熱い口づけを受け入れていた。何度か角度を変えて落とされるその甘い熱に、私は夢見心地になりながら応えていく。
やがて二人だけの甘い時間が終わると、レスターが私の手を取り深くお辞儀をした。
「私と踊っていただけますか?レディ」
「……えぇ、勿論」
恭しくダンスの申し込みをされて、私は心に羽が生えるような幸福感に包まれた。
レスターと踊るのは数えるほどしか経験がない。だから私にとって彼と踊るのはまるで宝物のような時間だ。それを彼もわかっているのだろう。今この時を彼自身とても大切に過ごそうとしてくれているのが伝わって来て、それが何よりも嬉しかった。
楽団が紡ぎ出す美しい調べに乗って、私達はステップを踏み出す。軽やかに刻まれるリズムに、私の心も弾んでいった。
「貴方と踊るの、とっても楽しいわ……」
「ふ……そうかい?私も凄く楽しいよ」
ダンスの合間に他愛のない会話をすると、彼も微笑んでそれに応えてくれる。そんな何気ないやり取りがとても嬉しくて、気が付けば何曲も続けて踊っていた。
「そろそろ休もうか」
「えぇ、流石に続けて何曲も踊ると疲れちゃうわね」
「はは、そうだね」
何曲か踊り終えて、レスターが休憩しようと提案してきた。私も流石に疲れたのでそれに頷くと、レスターが私を支えながら端の方へと誘導してくれる。壁際には休憩用に椅子やソファが置かれているので、皆思い思いにそこに座って歓談しているようだ。
「デイジーはここに座っていて。私は飲み物を取ってくるよ。何か軽食も持ってこようか?」
「いいえ、私は大丈夫よ。喉がサッパリする飲み物を頼めるかしら?」
「わかった。少し待ってて」
レスターは私を近くのソファに座らせると、自らは飲み物をもらう為にその場を離れる。
私は彼を待つ間、乱れた息を整えようと背もたれに身体を預けた。流石に若い頃とは違って疲労の度合いが大きいから、ずっと姿勢を正していることも難しい。情けないことだが、他にも同じように休んでいる人が大勢いるから問題はないだろう。
そうしてレスターを待っていたのだが──
「こんばんは、美しい人」
「え──?」
突然、誰かが私に声を掛けてきた。
お読みいただきありがとうございました。
夜会編からは普通の連載っぽい感じのお話です。そして夜会編に続く番外編も長くなりました。
最後までお付き合いいただけますと幸いです。




