後日譚10 侯爵夫人と初めての夜2
レスターに初めてを捧げた後、私は彼の手によって湯船へと入れられ、身体を清められた。恥ずかしくて仕方なかったが、疲れ切った身体は言うことを聞かず一人では到底無理だったので、彼に任せるしかなかった。
そしてようやく浴室から出た時には、既に夜も深くなっていた。私はレスターに抱きかかえられたまま部屋へと戻り、寝台へと降ろされる。
その時、僅かに開いたバルコニーへの窓から美しい調べが聞こえてきた。
「あ……この曲……」
「ん……?……あぁ」
外から風に乗って聞こえてきたのは、美しい月を題材にした有名な歌曲だ。もう何十年も前から歌い継がれている曲で、若い頃に一度だけレスターとともに劇場に聴きに行ったことがある。
レスターもそれに気が付いたのか、私に向かって微笑むと意外な提案をした。
「折角だから特等席で聴こうか」
レスターはそう言うと、椅子をバルコニーへと持って行った。そして戻ってくると、私を柔らかい掛布でくるんでから再び抱きかかえる。
「月下の演奏会だ」
紺藍の夜空に浮かぶ白い月が、バルコニーの私達を優しく照らしてくれる。先ほどよりもはっきりと美しいその調べが聴こえてきた。
曲を演奏しているのは、宴の為に呼ばれた音楽隊だろう。だがその中に歌い手はいなかったので、今聴こえてきている歌声は宴に参加している人々のものだ。
「ふふ……楽しそうね」
「あぁ、中々耳にすることの出来ない名演奏だ」
酔っている人も多いからか、調子っぱずれの歌声が時折混じる。だけど皆とても楽しそうに歌っていた。
レスターはくすくすと笑いながら椅子へと座り、膝の上に私を乗せた。そして二人一緒に聴こえてくる調べに耳を傾ける。
「……懐かしいなぁ……あの頃は、君の手を取るのも緊張してやっとだったのに」
レスターが目を閉じながら歌に聴き入り、ポツリとそんなことを言った。
「そうだったの?貴方はいつもとってもスマートだったわ。この歌を聴きに行った時もそう。花を持って迎えに来てくれて、ドキドキしながら馬車に乗り込んだのを覚えているもの」
私が意外だという顏をすると、レスターが自嘲するように小さく笑った。
「あの日は確か……プロポーズした数日後だったから、ものすごく緊張していたんだ。白状するとね……恋人同士になってからの最初の会話をどうすればいいか分からなかったから、花束を贈ることで誤魔化したんだよ」
「まぁ……!」
レスターが照れくさそうに当時のことを教えてくれた。私の方は、叶うと思っていなかったレスターとの未来に夢いっぱいで、贈られた花束に夢中だった。
今思えば、彼は私を喜ばせようと必死だったのだろう。花束に隠された耳まで赤くなっている青年の姿が、ふと脳裏に浮かんでくる。
「ふふ……綺麗なお花のおかげで、貴方の恥ずかしがる姿を見逃しちゃったわ。残念」
「ふっ……それならあの作戦は成功だったんだな。カッコつけようと必死だったから、みっともない姿を見られなくて良かった」
「他の人がこの話を聞いたら、驚いてしまうわね?」
「あぁ、だからみんなには秘密だよ?」
ふふふ、と二人で笑い合えば、曲は一番の盛り上がりである部分に差し掛かる。少しだけ切ない調べが、美しい高音と共に奏でられ、押し寄せる波のように心に迫って来た。
たとえあなたと離れ離れになったとしても
月がわたしたちを導いてくれるから
たとえ心が悲しみに暮れたとしても
分かち合った喜びの日々を思い出して
また二人が笑い合えるように
月が導く明日は
きっと二人を再び巡り合わせてくれるから
だからあの美しい月に約束しよう
二人の明日を
二人の永遠の愛を──
紡がれる歌に、かつては感じなかった物悲しさが溢れてくる。幸せいっぱいだった若い時には、この歌の本当の意味を分かってはいなかった。
レスターと離れ離れになったからこそ、彼と共にいられることの大切さが分かる。共に人生を歩めることのかけがえのなさを、私達は身をもって知ったのだから。
「……本当にいい歌ね……」
「あぁ……」
静かに歌に聴き入っていれば、いつしか頬を涙が伝っていた。溢れる想いに、涙を止めることが出来ない。けれどそれは悲しみの涙ではなかった。大切な人と再び巡り合えた奇跡に、心が打ち震えたからだ。
レスターが私の涙に気が付いて、抱きしめる腕に力を籠める。そしてそっと私の涙を指で拭ってくれた。
顔を上げれば冬空色の瞳が、優しく細められる。その温かな眼差しに、心の中が愛しさで溢れていく。
私はレスターに微笑みを返し、その大きな掌に身を預けた。
目を閉じれば二人の明日が瞼の裏に見えてくる。
月夜の空の下に、ただ二人寄り添い過ごす時。
愛しい人とのかけがえのない明日を思いながら、優しい夢に落ちていった──
お読みいただきありがとうございました。
初夜で結ばれた後の、二人の穏やかな幸福感に包まれた時を描いてみました。
過去の思い出話をしながら未来に想いを馳せる二人。この二人だからこそ、こんな初めての夜になったかなと思います。
次話からは新婚生活のお話となります。少しでも甘いお話を!と考えたのですが、うまくできたかは謎wどうぞお付き合いくださいませ。




