後日譚5 侯爵の嫉妬2
タジールの案内で建物の中に入ると、内装も見事なアムカイラ様式になっていた。使われている家具や調度品も全てアムカイラ独自のものばかりだ。
「凄い……この辺のもわざわざ運んできたの?」
私は改めて感嘆のため息を漏らすと、並べられた調度品についてタジールに聞いてみた。
「そうだね。こちらではこうした精緻な細工物はあまり無いみたいだから、エルロンドさんが売るのにはいいだろうって。いずれは職人を呼んで工房を構えることになると思うよ?」
タジールが側にあった椅子の背もたれに手をつきながら説明をしてくれる。濃い茶褐色の木材で出来たそれは、精緻な彫り物が施された品だ。
アムカイラでは建具や小物、建築においてこうした彫りを入れるのが普通だ。その幾何学的な文様は、一つ一つは単純なものだとしても一面全てに施されていると壮観である。
「確かに改めて見てみると、とても美しいですね。これがフィネストでも売られるようになったら、すぐに人気が出ると思いますよ」
レスターが机の彫りを手でなぞりながら呟いた。作った職人への敬意がその眼差しから見て取れる。
「それにしても、フリークス商会がこのお店を取り仕切っているの?アムカイラの店舗なのに?」
私はそこで一つの疑問をタジールへと投げかけた。フリークス商会は元々はエルの師匠だった人が立ち上げた商会だ。立ち上げた当初から商会の本部がある場所は、アムカイラではなく、その隣のミルネス公国のはずである。
この疑問に対して、タジールは少し逡巡した後に答えてくれた。
「それについては……まぁここまできたなら話してもいいと思うけど、アムカイラ、ジャハーラ、ミルネスの3国が共同出資する形で出店しているんだよ」
「共同出資?」
「あぁ。何せフィネストは物凄く遠いからね。アムカイラが店を出すことになって、それにミルネスとジャハーラが乗っかった形なんだ。自分の国だけで店を出すとなると、資金も高くつくだろう?だから既に色んな国に拠点があるうちの商会に出資する形で店を出すことにしたんだよ」
「そうだったのね」
「商会の元会長が、現アムカイラ大使のエルロンドさんだからね。彼の手腕で広がった商業ネットワークをそのまま国を跨いだ交易に利用しようって魂胆なのさ。うちとしては出資してもらって更に商売の範囲を広げられるから大歓迎なんだけど」
あっけらかんとして答えるタジール。だが各国との連携や販路の拡大は簡単なことではないだろう。その苦労を感じさせないところが実力であると言ってもいい。
「そういうやり取りがあったのね。もう商会のみんなには簡単には会えないだろうと思っていたから嬉しいわ」
再びタジールに会えたことが感慨深くて、僅かに涙が滲む。長年商会で過ごした私にとって、タジールや他の仲間達は、まるで家族のような存在だ。もう会えないのを覚悟していたのに、こうして再会できて、信じられない思いだ。
そうして一人再会の喜びを噛み締めていると、横でぽつりとレスターが呟いた。
「……デイジーにとって商会はそんなにも大切な存在だったんだね」
「えぇ……そうね。私にとって家族みたいに大切な存在だわ」
私がそう返すと、ほんの少しレスターが寂し気な表情をした。そして手を伸ばしてきたかと思うと、私の手をぎゅっと握る。
「……レスター?」
どうしたのかと思って声を掛けたけど、レスターが口を開こうとするよりも先にタジールの声が響いた。
「まぁこんな所で立ち話もなんだから、お茶でもしないか?お湯を沸かしたりくらいならもうできるし」
「え……えぇ。そうね。レスターもそれでいいかしら?」
「あぁ……」
先ほどよりもどこか沈んだ様子のレスターが小さく頷きを返す。私は心の中に生まれた小さな不安を残したまま、タジールの提案を了承した。
「さぁさぁ座って!茶菓子は無いけど、お茶はアムカイラ産のいいやつだから。さぁ、侯爵様もどうぞ」
「ありがとう、タジール」
「……ありがとうございます」
意気揚々とタジールが準備をする様子を、私とレスターは椅子に腰かけて見守る。暫くすると爽やかな良い香りが部屋の中に広がった。
「今日来るってわかっていたら、アムカイラの茶菓子も用意したんですけどね。まだ作り手がこっちに来てないもんだから」
お茶を入れ終えたタジールが、座りながらそう語る。どうやらいずれは菓子職人もアムカイラから来るらしい。
「アムカイラのお菓子とかも売る予定なのね」
「あぁ、せっかく店を出すからね。食べ物についてもいくつか出そうと思っているんだ。この国の人達にも、あちらの国の食文化を知ってもらいたいからね」
タジールが微笑みながら語る。その顔はまさに商人であり、同時に祖国を愛する人の顔だ。私はタジールの熱意に頷きながら、一つの懸念事項について問いかけた。
「でも日持ちの面とか考えると、色々と限られてきそうね?」
「それなんだよ……この辺りでも手に入る材料で作ればいいかなってのもあるんだけど、やはりそこもこだわりたいからね。今は材料の仕入をどうするかってのと、メニュー決めでまだ試行錯誤しているとこなんだ」
タジールもやはりそこを懸念していたようで、まだ調整中らしい。すると今度はレスターが声を上げた。
「この間、サビーナ達と一緒に食べた茶菓子はどうしたんだい?あれも確かアムカイラ独自のお菓子だったよね?」
「え?……あぁ、あれね」
レスターは、先日サビーナやアングラを大使館に招いた時のことを言っているのだろう。確かにあの時は、アムカイラ様式で皆をもてなすとエルが張り切っていたから、お茶も茶菓子も全てアムカイラのものにしたのだ。
「……実はあのお菓子……私が作ったの……」
「えっ──?!」
レスターがあまりに驚くので、恥ずかしさに顔を俯けながら説明する。
「材料はこの辺でも手に入るものばかりだから、折角だからお茶菓子も出そうと思って作ったの。サビーナ達が喜ぶかなって思って……」
「そうだったのか……まさか君が作っとは……」
とても驚いたのか、レスターが目を見開いてこちらを見つめていた。
確かに貴族の令嬢だった若い頃はお菓子作りなど全くしなかったけど、長年平民として過ごす中ではごく普通にやって来たことだ。
料理やお菓子を作ればエルが喜んでくれるし、私もそれがとても嬉しかったから、今では結構腕に自信がある。けれど何となく言いづらくて、レスターにはまだちゃんと言ってはいなかった。
「……黙っててごめんなさい。……なんか、言いづらくて……」
「デイジー……そんなこと気にしなくてもいいのに……」
レスターが私の手を取り気遣ってくれる。けどこれからレスターの妻として過ごすなら、こうした平民としての習慣はなるべく表に出さないほうがいいだろう。そのことに少しだけ寂しさを感じて俯いていると、横から声が掛かる。
「侯爵様は、意外とデイジーのこと知らないんですね。彼女は菓子作りも料理も凄く得意なのに」
「!!」
「タジール!」
何故か少し小馬鹿にしたような物言いをするタジールを私は慌ててたしなめた。けど彼は笑みを強めるだけでその口を閉じはしない。
「デイジーは、これまでずっと平民の女性として生きてきたんですよ。今の彼女が、何をするのが好きで、何を望んでいるのか……俺だったらもっとわかってあげられると思うんですけどね。貴方と一緒にいてはデイジーらしさが無くなってしまいそうだ」
挑発的な言い方に、私の手を握るレスターの力が強くなる。眉間に皺を寄せて不快そうにする様子に、私は胸が痛んだ。
「そんなこと言わないで、タジール。レスターは侯爵なのよ?それに国でとても重要な仕事を任されているわ。その妻になる私がちゃんとしてなきゃ、彼が笑われてしまうもの」
「でもそれで、デイジーが自分のしたいことをできなくなるのは、俺は納得がいかないな。エルロンドさんがフィネストへ行くって決めた時は、仕方ないと思ったけど、今はやっぱり反対しておけばよかったと後悔しているよ」
「え──?」
それまで穏やかな笑みを湛えていたタジールに、真剣な眼差しで射抜かれる。そしてとんでもないことを口にされた。
「俺は君の夫候補だったからね──デイジー」




