62 整えられた舞台
王宮へと戻り侍女達に乱れた身なりを整えられた私は、そのままライオネルに連れていかれ謁見の間へとやって来た。既にそこにはレスターとフラネル子爵がいて、二人の側には近衛騎士が険しい表情で立っている。まるで罪人のような厳しい扱いに、私は胃の奥が縮こまる思いがしていた。
私の方は彼らとは離れた場所へと促され、近衛騎士数人が傍らに立ち護衛されている。戸惑いながらレスターへ目を向けると、彼もこちらを見ていたようで視線がかち合った。今の状況に不安を抱いている私とは対照的に、彼は泰然としていてどこか余裕があるように見えた。
何故だろうと思っていると、侍従の声が高らかに響いて陛下が広間へと入場した。恭しく頭を垂れて陛下の御言葉を待つ。ややあって低くゆっくりとした声が私達に掛けられた。
「皆顏をあげるがよい。許す」
その言葉に場の緊張が僅かにだが緩む。けれど陛下の表情はいつもの気さくな感じではなく、為政者としてのとても厳しいものだった。
「……王城の庭園で騒ぎがあったと聞いた。詳しい話を聴こう」
私はその言葉に内心驚いていた。王宮で騒ぎを起こしたのは確かだが、それを直接陛下自身が問いただすとは思っていなかったのだ。しかも謁見の間でという公式の形でである。
ここには近衛騎士だけではなく書記官も控えており、会話の内容の全てを記録していく。話された内容は全て公式の記録として残されるのだ。なまじ下手なことは言えない。
突如訪れた緊迫する状況に、ゴクリとつばを飲み込む。そんな私をよそに、横に立っていた近衛騎士のライオネルが前へと一歩踏み出て口を開いた。
「柊宮から王宮へといらっしゃっていたデイジー・フリークス様の侍女より主人の捜索を頼まれ、近衛騎士数名とその行方を捜しておりました。庭園を捜索していた折、研究用の温室で物音を確認した為その内部に入ったところ、こちらの二名が互いを掴み合ってもめておりました。また同じ場所で、デイジー様を発見。酷く憔悴したご様子でしたので近衛騎士隊で保護し、争っていた男性両名は拘束という形を取り、この場に連れてきております」
「ふむ、わかった」
スラスラと状況を述べるライオネルに、陛下が頷く。彼らは私とレスター、そしてフラネル子爵の間にある事情について、詳細を問わなくとも知っているはずだ。
にも拘わらず敢えてこのような形式ばった体を取り、公式での説明を求めている。それに陛下を守るはずの近衛騎士隊が、平民である私を保護して貴族の二人を拘束するというのは通常であれば考えられないようなことだ。
このような特殊な状況に、私だけでなくフラネル子爵も困惑しているのだろう。粛々と進められていく話に、慌てて嘴を挟んだ。
「へ、陛下!恐れながら申し上げてもよろしいでしょうか?」
「……よい。発言を許そう」
「私があの場所におりましたのは、デイジーと……私の娘と話す為だったのです。それをこの男がいきなり掴みかかってきて……!」
フラネル子爵は、浅ましくも私を娘と呼びレスターを悪者にしようと言い募る。その自分勝手な態度に、怒りの感情が沸いてくるのを抑えられない。
しかし陛下は感情を一つも表に出さぬまま、淡々と言葉を紡いだ。
「娘か……確かにお前には娘がいたが、それは一人だけだったと記憶しているが?」
「い、いえっ!彼女は……昔国外へ嫁がせた娘でして……」
深く突っ込まれ、しどろもどろになるセフィーロ・フラネル。それもそうだろう。一貴族の家庭の事情など、普通は国の主が一々気にしているはずもない。ましてや今回の件については陛下の耳に直接届くとは思ってもいなかっただろうから。
「……そうか」
陛下が、納得したかのように頷くと、フラネル子爵はあからさまにほっと息を吐く。しかし──
「では、デイジーの方へも聴こう。お前は何故あの場所にいたのだ?」
「!!」
陛下が真っ直ぐにこちらを見据える。その瞳の力強さは、他者を圧倒し有無を言わさず相手を動かせるような威厳に満ちている。
フラネル子爵が明らかに動揺を見せた。咄嗟に立ち上がろうとしたのか僅かに腰が浮くが、すぐに横にいた兵士に肩を抑えられた。
私はその様子を横目で伺いながら、今一度深い礼をしてゆっくりと口を開いた。
「王宮へはエルロンドへの面会を求めてやって参りました。許可が下りるまで待たせていただくことになり、時間を潰す為に庭園へと出たのですが……」
そこで言葉を少し切って、視線を横へ向ける。
かつて父と呼んだ男が、悍ましい形相でこちらを睨んでいた。けれどそれにはもう恐怖など感じない。私は再び陛下へと視線を戻すと、しっかりと声を張ってありのままの事実を述べた。
「こちらのフラネル子爵に声を掛けられ襲われそうになった為、逃げた次第でございます」
「嘘だ!!襲ってなどいない!」
「おい!黙れ!」
私の言葉に被せるように子爵が叫ぶ。怒って暴れ出す彼を取り押さえようと、近衛騎士の怒声が響いた。
「嘘ではありません、陛下。庭園で声を掛けられた時、酷い言葉で罵られ、怯えて逃げ出したのです。すると彼は執拗に追いかけてきました。かつての借りを返せとそう言って……。確かに子爵には娘として育てられた恩もございますが、同時に酷い暴力を受けたこともございます。私はまた殴られるのではないかと思い逃げたのです。そして事実、私を見つけた彼は拳を振り上げ向かってきました」
「そうか。それは怖かったであろう」
「陛下!!」
初めてここでリュクソン陛下が、私に対して同情のような表情を見せた。それまでの威圧的な感情の見えない表情から一転、一気にその考えが読み取れるようになる。その様子にフラネル子爵は焦って叫んだ。
「その女の言うことは間違っています!彼女は私を恨んで嘘の証言をしているのです!」
「嘘……?」
「はい!かつて商人の妻となり国外へ出されたことが不満だったのでしょう。今は平民の身分に落ちていてそれで私を恨んでいる。確かに私は彼女に声を掛け追いかけましたが、それはかつての娘を想う親心で──」
「違います!」
子爵の言葉に、私は反論の声を上げた。
「かつて子爵家から出されたことに対しての不満はありません。むしろその後、エルロンドに出会えたことは私にとって例えようのない幸いでした。子爵家で育った時のことを懐かしく思いはすれど、戻りたいとは思わない……!」
「育ててやった恩を忘れて何を言う!」
「二人とも落ち着け」
私たちが言い合いになってきたところで、陛下の止めが入った。そして同時に釘をさすことも忘れない。
「……互いの言い分は記録に残してある。後で事実と齟齬があった場合、自分の立場がどうなるかよく考えておくことだ」
「っ──」
子爵は、ようやくここが謁見の間であり、書記官も同席していることを思い出したようだ。息を飲み、顏を酷く青ざめさせた。
「次にエスクロス侯爵。お前があの場にいた説明をしてもらおう」
「はい──」
陛下は次にレスターに説明を求めた。レスターは落ち着いた様子で、淡々とそれまでの出来事を語る。
「昨晩から私は、エルロンド・フリークス氏の冤罪を証明する為に、奔走しておりました」
「その話は今は関係がないだろう!」
「こら!黙れ!」
レスターが話を始めると、子爵が声を抑えつつも反論を叫ぶ。だが傍らの騎士がすぐに体重をかけるようにして彼を押さえた。先ほど陛下にも直接注意されたからか、騎士の対応も厳しさを増している。
「ふむ……エルロンドの件と言えば、子爵との間でいざこざがあったというやつだな」
「はい。昨晩、二人の間で争いがあり、フリークス氏がフラネル子爵を傷つけたといわれる一件です。ですがこれはフラネル子爵側の一方的な解釈であり、争いの要因はむしろ子爵の方にあるのではないかと私は考えました」
「何を言う!黙れっ──グ……」
激高した子爵を、今度こそ黙らせようと騎士が完全に取り押さえた。屈強な騎士によって身動きは封じられ、呼吸をすることのみ許されているような状態だ。
そんな子爵を、レスターは冷たい視線で一瞥し更に説明を続けていく。
「ご存じの通りフリークス氏は、今抱えている国家的計画の中心人物であり要人です。フラネル子爵とは浅からぬ因縁がありますが、それを精査すること無く只の一平民と貴族の間のいざこざとして一方的に罰することは、まかり間違えば国際問題になりかねない危険性を孕んでおります」
「確かにな……私が国を跨いで要請して、ようやっとこの国へ来てもらったのだ。エルロンドについては、ただの平民というだけではなく、アムカイラ共和国やその他各国の要人が彼の後ろ盾になっている」
「っ──」
陛下の言葉に、その場にいる何人かの者が息を飲んだ。勿論取り押さえられているフラネル子爵もだ。
リュクソン陛下の客として柊宮に滞在していることは知られているが、あくまでもただの平民であって、その後ろに各国の要人が控えているなどわかるはずもない。そしてそれはここぞという時の切り札だ。
エルがずっと隠してきたもの。陛下も全ての事情を知った上で、協力してくれているのだと言っていた。だから陛下がここでエルの素性を語るということは、ついに全てを明かす時が来たということなのだろう。
胸の奥が熱くなるのを感じながら、レスターを見つめた。冬空色の瞳と視線が合わさる。
(ありがとう……レスター)
小さく頷きを返す彼に、私は口だけを動かしてお礼の言葉を紡いだ。彼がこの舞台を整えてくれたのだとわかったから──
「フリークス氏が、余人を交えず馬車の中で子爵と言い争ったとされるのは、とある事情によるものです。それは陛下もご存じのはず」
「……あぁ」
「そしてその事情は、彼女──デイジーにも深く関わっています。そしてその身に危険が及ぶ可能性が高い。だから私は彼女を探しました。そしてあの場所で見つけた──」
レスターは一際厳しい表情をして、陛下ではなくフラネル子爵の方を向いた。取り押さえられ床にしゃがんだ形になっている子爵を背の高い彼が上から見下ろす。
その美しい冬空色の瞳が、凍えるような冷気を纏った。
「デイジーは、フラネル子爵──貴方の娘ではない。彼女はアムカイラ王国の王族の血を引く姫君だ」
お読みいただきありがとうございました。
次話はレスター視点で、ほんの少しだけ時が遡ります。フラネルを追い詰めるまでに、レスターが何をしていたのか。そして彼はどのようにしてデイジーの秘密を知ったのか。その辺が明かされますのでどうぞお楽しみに。




