59 差し伸べられた手
フラネル子爵に追われ温室へと逃げ込んだ私は、暫くの間うずくまって乱れた息を整え過去に想いを馳せていた。
私が本当の両親の真実を知ってから、今日初めてあの男と対峙したのだ。得られるはずだった両親の未来──その幸せを思うと、どうしてもやりきれない気持ちになる。
だから恐怖で逃げ出してはきたものの、激しい怒りが込み上げてきてこのままではいけないと思った。しかしあの男から受けた暴力を思うと、どうしても身体がすくんでしまう。
それにこれ以上は走れそうにない。体力はもはや限界に来ていた。
(そう言えば、あれからどれくらい時が経ったのかしら……)
庭園へ出ると護衛に告げて外へ出てからだいぶ時間が経っている。もしかしたらメルフィが心配して探してくれているかもしれない。それで誰かが来てくれれば、あの男も私に対して無茶なことはしないだろう。
このまま静かに時が過ぎてくれれば──そう思っていると──
──ジャリ……ジャリ……──
(っ──!)
じわじわと近づいてくる足音──
(どうしよう……!きっとあの男だわ……)
再び訪れた恐怖と共に、鼓動がどんどん早くなる。
温室の通路に敷き詰められた砂利を踏みしめる音が、張り詰めた空気の中にやけに大きく響いていた。その音がまるでこちらの様子を窺っているように感じるは気のせいではないだろう。周囲を窺いながら私のことを探しているのだ。
もし見つかってしまえば、それでお終いだ。けれど無情にもその足音はどんどん大きくなってくる。
──ジャリ……──
震える手を握り絞め、ぎゅっと目をつぶる。息を殺して必死に見つからないようにと祈るけど──
「…………」
──すぐ近くで足音が止まった。
張り詰めた空気の中、僅かに空気が揺れるのを感じる。足音の主が、立ち止まってじっとこちらを見ているような気がした。
(もうダメだわ……!神様!)
──ガサ……ザッ……──
すぐ近くで植物を掻き分ける音がして、それはどんどん近づいてきた。そして──
──グイッ──
「!!!」
突然肩を掴まれて心臓が止まりそうになる。けれど──
「デイジー……探したよ……無事でよかった」
「っあぁ!レスター……!」
そこにいたのはレスターだった。
私は肩に置かれたレスターの手に縋り、安堵の息を漏らす。すると彼もほっとしたような様子で、笑顔を向けてくれた。
「立てるかい?」
「えぇ……そうしたいけれど、足に力が入らなくて……」
「そのまま私に掴まっててくれ」
レスターは私の腕を取り立たせてくれた。けれど疲労と恐怖とで足が震えてうまく身体を支えられない。するとレスターは包み込むように私を抱きかかえた。
「足元に気を付けて……」
「えぇ……ありがとう」
レスターに支えられなんとか立ち上がる。しかし今度はレスターの腕の中にいると安心したせいで、足に力が入らなくなってしまった。膝から再び崩れ落ちそうになる。
「おっと、危ない」
「ご、ごめんなさい」
再び彼に寄り掛かるようにして立てば、頭上で小さな笑い声が聞こえた。それが恥ずかしくて俯いてしまうけど、おかげで先ほどまで感じていた恐怖は既に消えていた。
そのままレスターに導かれて温室の通路へと出る。開けた場所で今の自分の様子を見てみれば、ドレスはすっかり土で汚れ皺が寄ってしまっていた。そんな私の様子に、レスターは痛まし気な表情をして訊ねる。
「どうしてこんな場所へ?」
「それが……」
その時──
「デイジー、見つけたぞ」
「!!」
通路の先にあの男が立っていた。




