56 逃げ惑う花 (前半レスター視点、後半デイジー視点)
前半レスター視点、後半はデイジー視点となります。
エルロンド・フリークス氏が衛兵に捕まり、その後騎士団の預かりとなってから、私は侯爵としての持てる権限を最大限に使って各所へと働きかけた。
そして最も重要な事案を済ませて王宮へとやってくると、デイジーの侍女であるメルフィが慌てた様子で走って来た。その尋常ではない様子に何事かが起きたと察知する。
「侯爵様!デイジー様が!」
「どうしたんだ?!何があった?」
「……それが、私が少し離れた時に、デイジー様は庭園の方へ行かれたようなのですが、どこにも見当たらないのです!」
「何だって?!」
今にも泣き出しそうなメルフィを宥めて詳しく聞くと、暫く王宮へ滞在することになるかもしれないからと、デイジーはメルフィに城の手伝いを命じたようだ。それで一人になったデイジーは、時間を潰すために庭園へと向かったらしい。
「言伝を受けた騎士様に聞いたら、デイジー様が庭園へ行かれてから結構な時間が経っているのだということで……今人を集めて探してもらっているのですが、まだ見当たらないのです……」
「っ──!私も行こう!」
私は彼女の言葉を最後まで説明を聞くことなく既に走り出していた。何か嫌な予感がする。
フリークス氏が捕らえられた一件で、私はなるべく有利に事を進める為に一人行動していたのだが……今思うとデイジーが一体どんな気持ちで待っていたのか──もっと彼女を思いやるべきだった。
(それにセフィーロ・フラネルの件がある……)
私は今回の騒動に深く関わっているフラネル子爵のことを思い浮かべた。
狡猾で利己的で冷酷な人物。父娘として過ごしていたはずのデイジーにさえ、非道な態度をしていた子爵。
フリークス氏とデイジーの関係を知られた今となっては、子爵にとってデイジーの存在は煩わしいを通り越して、憎悪の対象であるかもしれない。
「くそっ!!」
(今度こそ彼女を守ると決めたのに──!)
肝心な時に自分が彼女の側に居られないというもどかしさと悔しさで、頭がどうにかなりそうだ。
王宮の廊下を走り抜け外へと飛び出す。周囲の人間に目もくれず庭園の方へ向かった。
外へ出ると、そこにはデイジーを探しているのであろう騎士達や使用人達がいた。彼らは表の広い庭園を探しているようだ。
だが私は裏の方の、あまり人気の無い庭園へと向かった。デイジーならそうすると思ったからだ。
「デイジー!デイジーどこだ?!」
入り組んだ庭園の中を進みながら私はデイジーの名を呼んだ。
……しかしそれに応える声はない。
私は自分の中に焦りが生まれてくるのを感じた。もしまた彼女を失うようなことになったとしたら──私は自分を許せないだろう。
自身の愚かさの為に愛する人の手を放してしまった若かりし頃の自分。それを悔やんで彼女を探す為に国を飛び出した。そして今、ようやく彼女と再会できて再びその笑顔を取り戻そうとしているのに──
*********
(この男に捕まってはいけない──っ!)
震えて止まりそうになる足を何とか動かして、泣き出しそうになる幼心を叱咤して、私は必死に逃げていた。
「どこに逃げようと言うんだ?お前にはたっぷりとあの頃の借りを返してもらわなければいけない。くだらない茶番を仕組んで、一体何をするつもりだったのかもな」
後ろであの男が悍ましく笑うのが聞こえてくる。必死に逃げる私を面白がるように、わざと弄んでいるようだ。
この男──セフィーロ・フラネルは私達を恨んでいるのだ。私と母ディアナ、そしてエルにまつわる全てを。けれどそれは私たちのせいではない。
全ての元凶はセフィーロ・フラネルだ。
私は人気の無い庭園の中を走った。高い生垣が互いの姿を見えなくする。迷路のように入り組んだそれは、誰かに助けを求めようにも自分のいる場所すらわからなくしてしまった。
だが声を上げれば確実にあの男に追い詰められるのが目に見えていた。
「フラネル家の令嬢として育ててやった恩も忘れて、のうのうとこの国に戻ってくるとは、とんでもない娘だな。厚顔無恥な所はあの女やあの男そっくりだ」
「っ──」
(違う!そんなことはない!あなたにそんな事を言われたくない!)
私は唇を噛み締め、言われなき侮辱に耐え続けた。声を上げれば、相手の思う壺。反論を飲み込み、屈辱に耐えながら逃げ続ける。しかし既にかなりの時間を走り続けている為、私の体力は尽き掛けていた。
息を切らして進む先に、やがて大きな建物の影が見えた。庭園の奥に佇むのは、ガラス張りの大きな温室──私は迷わずその中へと逃げ込んだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
温室の中へと入ると、途端に膝から崩れ落ちる。既に体力のほとんどを消耗しており、息をするのでやっとだった。
その場にしゃがみこんで見上げると、ガラス張りの天井は高く種々様々な植物が生い茂っていた。
私は何とか立ち上がると温室の奥へと進んだ。いずれこの場所にもあの男はやってくるだろう。少しでも奥へ、見つからない場所へと行かなければいけない。
温室の中はとても広く、いくつかの棟が連なる造りになっている。また大小さまざまな植物が鬱蒼と茂っているので、その陰に身を顰めることができるだろう。
私は疲れて悲鳴を上げる足を何とか動かして温室の中を進んだ。途中で入り口を振り返ったりしたが、まだあの男は追いついてきていない。迷路のような庭園をあちらこちらと曲がって来たから、まだ外で探し回っているのだろう。
私は手前の棟から更に奥へ続く棟へと足を踏み入れ、鬱蒼と茂る植物の狭い隙間を通り抜けた。入るのには難しい狭い場所へと入り込む。ドレスが汚れるのも厭わずに、大きな植物の根元にしゃがみこんで、その陰に身を潜めた。
緊張と疲れとで、鼓動が激しさを増していく。ドクドクと激しい音が耳元を通り過ぎ、それが漏れ聞こえてしまわないかと、不安だけが大きくなっていく。
そんな中脳裏をよぎるのは、母の思い出だ。
幼い頃に亡くなった母のディアナ。母は幼い私の目から見ても、とても不幸な人だった。冷酷で暴力的なセフィーロ・フラネルに支配される日々。愛人がやってきてからは日陰の存在として屋敷の隅に追いやられ、孤独に死んでいった。
それでも母は最期の時まで、会いたい、愛していると愛の言葉を呟いていた。
私はずっと不思議だった。何故母はあの男を愛するのかと。
──けれど真実は全く違っていた。
母が本当に愛していたのはエルロンド・フリークス
──エルのことだった。




