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あなたとの愛をもう一度 ~不惑女の恋物語~  作者: 雨音AKIRA
9章 失われた過去

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55 忍び寄る危機

 エルが捕まったと聞いた翌日、私は侍女のメルフィを伴い王宮へと向かった。王宮で事情聴取という形で軟禁されているエルに会う為だ。


 逸る気持ちを抑えながら、王宮の中にある広い廊下を使用人の案内で進んでいく。暫くすると客間と思しき部屋の前にやって来た。牢屋のような酷い場所でなくて安堵の息を吐くが、その頑丈な扉の前には屈強な騎士が表情を険しくして護衛をしていた。


 私はすぐに来訪の意図を告げ、エルに会いたいとその騎士にお願いした。しかし──



「会えない?どうしてですか?!」


「……すみません。今はまだ取り調べ中ですので、被疑者と会わせるわけにはいかないのです」


「……でも彼は犯人ではないわ!エルがそんなことするはずがないもの!」


「申し訳ありません……」



 王宮の廊下に騎士の冷たい返答が響く。エルがいる部屋は王宮の中でもかなり奥まった場所にある客間の一室。表向きはリュクソン陛下の賓客ということで高位の貴族たちと同じ対応だからと、その騎士は説明する。


 けれどいくら待遇が良かったとしても、罪を犯していないのに軟禁という形で犯罪者のように扱われていることに納得がいかなかった。


 私は悔しさに唇を噛み締め俯くと、メルフィがそっと気遣うように肩に手を置いた。



「……デイジー様、これでは埒があきません。一旦エスクロス侯爵が来るのを待ちましょう」



 私と騎士のやり取りを見かねたのだろう。彼女の提案は最もなものだった。


 しかし今はレスターは共にはいない。彼は私が目覚めた時には既に離宮にはおらず、使用人たちの話では一人であちこちを駆けずりまわってくれているそうだ。


 そんなレスターからは柊宮に留まっているように言伝されていたが、私は我慢できなくて王宮へとやって来たのだ。しかし結局は自分一人では何もできないということを痛感させられた。



「えぇ……私だけの力ではどうにもならないみたいね」



 所詮は貴族でもない平民の女。この国での生まれや地位など、とうの昔に捨てている。今更その地位など惜しくはないけれど、どうにもならない状況にほぞを噛む思いだ。


 渋い顔をしていると私たちのやり取りを申し訳なさそうに聞いていた騎士が、あることを提案してきた。



「申し訳ありません……ですがこのまま待つのでしたら、王宮に部屋を用意して留まることもできると思いますよ」


「え?!いいのですか?」


「えぇ、隊長からもその辺は融通するように言われてますので……」


 目の前の彼は近衛隊の騎士だが、その上司である隊長は、レスターの従妹ミネルヴァの夫のライオネルである。彼が融通をきかせてくれているのだろう。



「……ありがとうございます。そうさせていただけますか?」


「はい!暫くお待ちください……」



 その提案をありがたく受け入れると、彼は近くにいた使用人に何事かを告げた。暫くすれば休憩用の部屋が用意されるのだろう。そこに滞在できれば何か進捗があった時にすぐに駆け付けることができる。


 おかげでそれまでの緊張がいくらか解けたような気がして、私はほっと息を吐いた。


 ふと視線を横にやると、メルフィが何かそわそわとしているのに気が付いた。騎士に言われて部屋の準備に向かった使用人の後ろ姿を熱心に見守っている。


 私は彼女が考えていることに思い至り微笑んだ。



「気になるなら貴女も手伝いにいってはどう?いきなり押しかけてしまったから、ちゃんと対応してもらえるのか心配なのでしょう?」



 私がそう笑顔を向けると、メルフィは驚いたように目をぱちくりさせている。



「デイジー様は私が行っても大丈夫ですか?──確かに私が直接指示を出せば、デイジー様が過ごしやすくできると思いますが……デイジー様がお一人なってしまわれるし……」


「大丈夫よ。いきなり押しかけて申し訳ないし、貴女が行って準備してくれた方が私も安心だから。彼女達を手伝ってあげて」



 私はメルフィが気兼ねなく手伝いに行けるように、そう言った。メルフィは元々王宮で働いていた侍女だ。いきなり押しかけて滞在の準備をしなければならない仲間たちの事が気に掛かったのだろう。私としてもメルフィが部屋の準備をしてくれるなら、勝手もわかっている分安心だ。


 メルフィはすぐに戻ると言って、王宮の使用人の後を追っていった。私はその後ろ姿が見えなくなるまで見届けてから、部屋を護衛している騎士に声を掛けた。なんとなくこのままここにいるのは憚られたので、少し散歩でもしてこようと思ったのだ。



「まだ時間がかかるでしょうから、少し庭園を見てきてもいいでしょうか?」


「えぇ、それは構いませんが……誰かつけましょうか?」



 騎士が心配そうな顔でそう言ってきた。私は彼らの手を煩わせるのが申し訳なくて、首を横に振る。



「大丈夫です。そんなに離れてないし、時間もほんの少しですわ。もし私の侍女と入れ違いになったら言伝をお願いできますか?」


「わかりました」



 不安げな顔をしながらも騎士は頷き、再び自分の仕事へと戻った。


 私は一つため息を吐くと、庭園へと向かい歩き出す。王宮の長い廊下に、靴音が高く響いた。せわしなく行きかう人々を横目に、私が考えるのはエルのことだ。


 先ほどエルのいる部屋の前で騒がしくしたから、私がここに来たことがわかったかもしれない。また彼に心配をかけているかもしれないと思うと、やりきれない気持ちが心の中に広がった。



(私が慌ててもどうにもならないわ。気持ちを落ち着けなきゃ……)



 不安な気持ちを落ち着けようとすればするほど、次第に歩調が速まっていく。そうして王宮の建物から出れば、目の前には広大な庭園が広がっていた。


 色とりどりに咲く花が目を楽しませてくれる。とても美しく整えられた庭園だが、ここは王宮の表側ではなく裏側の奥まったところにあるので、あまり人気ひとけはない。けれど今は一人になりたかったので丁度いい。


 足を止め美しい花を眺めていると、ざわついていた心が癒されていくのを感じる。



「綺麗──」



 思わず感嘆の吐息を漏らす。しかしその穏やかな時は長くは続かなかった。突然後ろから思いもよらぬ人物の声がしたのだ。



「まさかお前まで戻ってきているとはな、デイジー」


「っ──」



 ぞっとするほど冷酷で悍ましい声。


 二十数年の月日が経ったとしても忘れることは出来ない。振り返らなくても相手が誰だかわかる。そしてその人物に対する恐怖も怒りも、嫌と言うほどに覚えていた。


 それでも足がすくみそうになるのを堪え、意を決して振り返った。



「……何の用ですか?──フラネル子爵」



 そこにいたのはセフィーロ・フラネル。……私の父親として生まれた時から私たち母子を支配してきた男だった。


 フラネルは私を上から下まで舐めるように見回すと、ふんと鼻で嘲笑う。あの頃よりも随分と歳を取っているが、その冷酷な眼差しは相変わらずだ。



「相変わらず生意気だな。あの女にそっくりだ」



 子爵の言いように、私は眉を顰める。あの女というのは母ディアナのことだろう。私は燻っていた怒りに火が付くのを感じた。



「──そんなこと貴方に言われたくありません。貴方のせいで母は、不幸な人生を歩む羽目になったのですから……」



 私は自分の拳が怒りで震えるのを感じながら、子爵を睨みつける。自分がこの男にされた悍ましい暴力への恐怖は未だ心の中にある。けれどそれに怯えてこの男の罪を追及できないような情けない人間にはなりたくなかった。


 しかし子爵は私の言葉に何の罪悪感も抱いていないようで、さも馬鹿にするように口を歪めると見下すような視線をこちらへと向ける。



「私のせいだと?あの女が私を騙していたというのにか?はっ──!浅ましいのは母親と同じだな。それともあの男に似たのか──」



 地を這うような声で凄みながら一歩こちらへと近づく。じりっ──と地面から嫌な音がした。


 子爵は獲物を狙う肉食獣のように今にも舌なめずりしそうな表情でこちらを睨みつけると、くつくつと笑いながら言った。 



「すっかり騙されたよ──まさかお前を妻にと望んだあの商人がお前の父親だとはな……」


「っ──!」



 子爵の言葉に身体が強張っていく。やはりこの男にバレたのだ。エルが私をあの屋敷から連れ出した本当の理由が──


 悍ましい笑みを浮かべ近づいてくる子爵に私は後ずさりをした。身に迫る危機を感じる。



「デイジー」


「──いやっ!」



 私へ向かって伸ばされる子爵の手。それから逃れるようにして私は一目散に走り出した。


 するとすぐに相手も走り出すのがわかる。後ろから迫ってくる足音に、私はとてつもない恐怖を感じた。


 親子としてそれまで越えられることのなかった最後の一線。それが今まさに越えられようとしていた。


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[一言] 逃げるんだよォ!
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