52 囚われ人 (レスター)
レスター視点です。
フリークス氏が警邏に捕まったと聞き、私とデイジーは王都南西部にある警邏隊の屯所へと向かった。
フリークス氏についていた騎士の話では、フラネル子爵との間で何かしらの問題があり、それが原因で捕まったとの事だ。
(……事実を確認しなければわからないが……フリークス氏が人を傷つけるとは思えない……)
平民が貴族に対して傷害の罪を犯した場合、現場の判断で罰則を与える事ができる。相手が貴族である為に、罪の軽重を精査する事が平民には難しいからだ。
(だが状況を鑑みれば、証人は誰もいない。当事者であるフラネル子爵の証言だけだ……)
それでも早急に対応をしなければ、強引にフリークス氏は罰せられるだろう。彼のこの国での確固たる立場を、早急に作らなければ──
フリークス氏の状況を聞いたデイジーは、蒼白な面持ちで今にも倒れてしまいそうだった。それでも気丈にここまでついてきたのだ。
今は護衛の騎士に任せて、馬車で待ってもらっている。下手にフリークス氏との関係を知られたら、共に罪に問われる可能性があるからだ。
私は護衛の騎士を一人連れて、人だかりを掻き分け屯所の出入り口へとやって来た。
「私はエスクロス侯爵だ。──こちらにエルロンド・フリークス氏がいると聞いたが、彼と面会をしたい。通してくれ」
「侯爵様!?……えぇと、暫くお待ちください!」
私はここぞとばかりに尊大な態度で、自分の立場を警邏の兵士に伝えた。案の定、私が侯爵という事で、入り口を警備していた兵士は、慌てて屯所の中にいる上司を呼んできた。
兵士に言われてやって来た小太りの上司の男は、私を上から下まで舐めるように見回すと、訝し気に訊ねてきた。
「侯爵様のような方が、あのような罪人にどんな御用があるのでしょうか?」
「フリークス氏は、私の仕事の関係でとても重要な人物だ。それに彼は国王陛下の賓客であるぞ。このような場所に捕らえられたと聞いたなら、陛下がどう思われるだろうか」
「っ……!ですが、彼は貴族を傷つけた罪人です。しかも異国の商人というではないですか。国内で罪を犯した異国の者を、そう簡単に解放するわけにはいきません」
小太りのその男は、頑として譲らなかった。だが私もそれで引き下がるような男ではない。
「もしフリークス氏が無実の罪で罰せられるような事があれば、国際問題になりかねないとしてもか?」
私の言葉に、警邏隊の隊長がびくりと肩を揺らす。この件が引き金となって国際問題に発展してしまったとしたら、一警邏隊の隊長には手に余るだろう。
「フリークス氏は、我が国にとって非常に重要な人物であると伝えたはずだが?もし、碌に調査もせずに彼が云われなき暴力を振るわれるような事があれば──この警邏隊の全員が職を失いかねないな」
「それはっ……!すみません、侯爵!こちらへどうぞ……!」
警邏隊の隊長は顔を青くすると、すぐに態度を急変させて私を中へ案内した。
薄暗い屯所の中へ入ると、奥の方に罪人を勾留する為の牢屋があった。僅かな蝋燭の灯りだけが足元を照らすが、牢屋の中までは見えない。冷たい石畳の床を歩いて行くと、暗闇の奥の方に人の気配がした。
「フリークス殿!」
「……エスクロス卿?」
暗闇の中から聞こえてくる声に、私はすぐさま彼の下に駆け寄った。堅牢な鉄格子越しに、フリークス氏の姿が見える。いつもは綺麗に整えられている髪が乱れ、その額には血が付いていた。
「何があったのですか?!怪我を……!」
「……申し訳ない……面倒をかけてしまって。私は大丈夫……だがまさかこんな事になるとは……」
フリークス氏は酷く憔悴しているようだ。疲れの見える顔と声で、申し訳なさそうに呟く。
「一体どうしてこんな事に?どうか話してください」
「あぁ……あの男にすっかりしてやられたよ……」
そしてフリークス氏は語り始めた。
「……どうやらフラネル子爵は、私の事を覚えていたようだ」
「覚えていたというと……二十数年前にデイジーを助け出した時の──?」
「あぁ、そうだ……それで声を掛けてきて……子爵は私が約束を破ったと、その責を求めて来て……」
そこまで話して、フリークス氏の顔には苦悶の表情が広がった。
「……だが私もあの男には、言ってやらねばならない事があったから──それで二人だけで話をしようと馬車に乗ったのだが……」
フリークス氏が手を額にやって、大きくため息を吐いた。その手には手錠がかけられ、指先は血と埃とで赤黒く汚れてしまっていた。
「彼は私の話が気に入らなかったのだろう……突然馬車の中で暴れ出すと、私を突き飛ばした」
「何て事を……!」
フリークス氏の額を見れば、その話が事実であるのがわかる。額にはぶつけて皮膚が裂けたような傷があった。碌に治療もされていないのだろう。額から頬にかけて流れた血が、そのまま乾いている。
それでもフリークス氏は、気丈に振舞っていた。凛とした眼差しはそのままに、意志の強さはまだ失われはいない。
「……あの男は、このまま私の存在を無かったことにしたいのかもしれない」
「だが貴方は国王陛下の賓客です。そんな事は無理だと、あちらも承知しているでしょうに……」
「あぁ、それでもあの男にとって、私という存在は不都合なんだよ──」
そう言うフリークス氏の瞳は仄暗く、深い闇をその奥に湛えているように感じた。
「一体何故──」
更に詳しい話を聞こうとすると、牢屋の入り口の方からカツカツと誰かがやってくる足音が聞こえてきた。それに気が付いたフリークス氏が、鉄格子に身を寄せて私に囁く。
「侯爵!私の懐にあるものを取り出してください……!急いで!」
そう言って手錠で繋がれた手を上にあげて、胸元をこちらへ晒す。その必死な様子に、私は彼の懐へと手を伸ばし、目的の物を掴んだ。
「早く……!それを持って行ってください……そこにデイジーに関わる秘密が……!」
「──!わかりました」
私はすぐさまそれを自分の懐へと隠すと、背後からやって来た人物へと向き直った。
「──こんな所でどうしたのですか?──エスクロス侯爵」
「……フラネル子爵」
やって来たのは、フラネル子爵だった。
子爵は冷酷な微笑を湛えながら、私のすぐ側へとやってくる。まるで自分こそが、この場を支配しているかというように。
「フリークス氏を、このような場所に留めておくことはできません。彼は国王陛下の賓客だ。陛下の耳に入れば、いずれ問題となるでしょう」
「……ですが彼は罪人ですよ?異国の、それも平民の身分で貴族である私を傷つけたのだ。ただで済まされるはずがない」
私の言葉に耳を貸す様子の無いフラネル子爵。自信たっぷりの様子を見るに、このままフリークス氏をどうにかするつもりなのかもしれない。
かつて子爵がデイジーに対してした非道な行いの事が想い起こされ、私は唇を噛み締めた。
(この男は、自分の利益の為なら他人をどう扱おうとも構わない人間だ。こちらの正義や常識が通じる相手ではない──)
私はこのままフリークス氏を置いて離れる危険性を感じ、何としてもこの状況を打破しなければならないと思った。
「まずは何があったのか、きちんと精査しなければならないでしょう。彼は、我が国にとって非常に重要人物だ。間違いがあってはならない。それにこれは国際問題になりかねない事案を孕んでいる。そこを理解しておいてもらわねばならない」
「国際問題……?それは侯爵、貴方様の管轄ですかな?ましてやこの件は、貴族である私と、平民であるこの者とで起きた出来事。その間に首を突っ込めるのは、王都の警備を担当している者でしょう。貴方様には関係のない事です」
あくまでもこの場から私という邪魔な存在を追い出したいのだろう。フラネル子爵は余裕の態度を崩さずに、まるで屯所の警邏を掌握しているような構えだ。
彼の奥には先ほどの警邏の隊長が、顔を青くして私たちの様子を見守っている。もしかしたら彼は子爵に金を掴まされているのかもしれない。
私は埒の明かぬ状況に、焦りと苛立ちを感じていたが、このままおめおめと引き下がるわけにはいかなかった。私がこの場を離れれば、彼等がフリークス氏をどうするかは分からないからだ。今の私ができる事と言えば、時間を稼ぐこと──それだけだ。
「王宮へは既に知らせがいっている。詳しい事情を聴く為に、王宮の騎士が来るだろう。私は国家の賓客であるフリークス氏の事を陛下から任されているから、それまで待たせてもらおう」
「っ──」
そう言って私がこの場から動く気が無いと示せば、子爵や屯所の隊長もそれ以上は何も言えなかった。この場では侯爵である私が最も身分が高い。彼等には私の行動を制限できるだけの力はないのだ。
そうして暫くその場で対峙していると、入り口から一人の兵士が走ってきた。それは王宮の騎士の来訪を告げるものだった。




