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あなたとの愛をもう一度 ~不惑女の恋物語~  作者: 雨音AKIRA
7章 愛を取り戻す時

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46 月が見守る運命 (レスター)

レスター視点です。

 ジェームズとは王宮で別れ、私はそのまま柊宮へと戻って来た。デイジーのことが気がかりだったのですぐに会うつもりだったが、そんな私を出迎えたのは、使用人からのとんでもない言葉だった。



「こんな時間に出かけただって?!」


「はい──なんでも行きたい場所があるからと……お止めしたのですが、ご自分で馬を駆るからと……」



 辺りも暗くなったというのに、デイジーは一人で出かけたというのだ。馬車も使わず、供も連れずに──



「どこへ行くとか言っていたのか?!」


「いえ……ですが、どうしても行きたい場所があるからと……」


「っ──」



 私は、それ以上話を聞かずに屋敷を飛び出した。この場に留まって、彼女が戻ってくるのをただじっと待っているなど、とても耐えられない。


 既に陽は完全に落ちている。早く見つけなければと、焦りだけが加速する。


 こんな時間に女性が一人きりでいては、何が起こるか分からない。それどころか、デイジーは自らを傷つけようとしているのかもしれなかった。


 思わず考えてしまったその可能性に、ゾッとしながら厩舎へ急いだ。悠長に馬車などを使ってはいられない。


 馬に跨ると、すぐにデイジーを追うべく駆け出した。だが彼女がどこにいるのかは分からない。それでも追いかけずにはいられなかった。



(デイジー……!)



 今、私の心にあるのは、かつてデイジーを失ったあの日のこと──


 あの時、私がすぐにでも自分の過ちに気が付き彼女の下に駆け付けてさえいれば、彼女を失うことにはならなかったかもしれない。


 全てが手遅れになった後でいくら馬を走らせたとしても、デイジーはもういなかったのだから──



「無事で……いてくれ……!」



 私は悲痛な想いで王都中を駆けた。しかしデイジーの姿はどこにもなかった。



「一体どこに……」 



 私は焦りを感じながらも、必死に考えを巡らせた。何故彼女は突然飛び出していったのか。


 ジェームズの言葉を思い出す。



──……デイジーさんに聞いたんだ……父さんのことをどう思っているのかって……──



 彼女はその言葉をどう思っただろうか?


 ジェームズは、デイジーの心にはまだ私への想いがあるのではと言っていた。もしかしたら彼女は、今も私への想いを抱いてくれているのかもしれない。


 だがそれが彼女にとって辛いものだとしたら?


 ジェームズの言葉によって、彼女が追い詰められていたとしたら?



「デイジー……っ!」



 私は自分の中に生まれた恐ろしい考えを振り払うように、必死に馬を走らせた。


 デイジーの中にある憂いを、全て取り除くことができればいいのに。それをできない自分自身が、もどかしくて悔しくて──


 もし叶うなら、もう一度デイジーをこの腕の中で守ってあげたい。


 彼女の想いを──その小さな欠片の一つ一つを掬い取ってあげることができれば──



 月が中天に懸かろうとしていた。煌々と白い光が、糸杉の影を濃く落としている。



「……そう言えば……」



 私はあることを思いつき、馬首を返した。


 街道を南へと走らせる。ぐんぐんと流れる景色に目もくれず、真っ直ぐにあの場所へと向かった。


 王都の端──そこはフラネル子爵の土地だ。


 街道から少し中に入った場所に、屋敷がある。そしてその奥には開けた草地と小さな森が、今もなお広がっていた。この自然豊かな場所はフラネル家の土地だが、周囲を完全に柵で囲われているわけではないので、密かに入ることは可能だ。


 道を屋敷よりもずっと先へと進み、森の近くで馬から降りて、私はその場所へと向かった。


 月明りが背の高い草の葉を、艶やかに照らしていた。人の手が入らなくなって久しいのだろう。かつて彼女が大切にしていた場所とは、到底違う所のように思えた。


 草を掻き分けて進むと、やがて群青色の風景の中に、白く咲いた一輪の花のような人影が見えた。



「デイジー……」



 私の声にピクリと彼女が肩を揺らす。しかし振り向かず、じっと目の前のものを見つめていた。


 私は寄り添うように、そっとデイジーに近づく。薄い青色のドレスを身に纏った彼女は、まるで月の妖精のように美しい。けれどどこか寂し気で、触れればあっという間に消えてしまう儚い幻のようだった。


 私はデイジーがどこかへ行ってしまうような気がして、もう一度彼女の名を呼ぶ。



「デイジー……心配したよ」


「…………」



 彼女へと向けた言葉は、白い月の光と共に落ちていき、拾われることはなかった。ただ風だけが、草の音をさやさやと返すのみだった。


 目の前には、朽ちかけた墓石がある。それはデイジーの母親の墓だ。


 以前は美しい花で囲まれていたが、今は汚れて草が伸び放題で、すっかり埋もれてしまっている。人々の記憶から忘れ去られたそこは、朽ちた石と荒れた草原があるのみだ。


 じっとその墓石を見つめ立ち尽くすデイジーに、その悲痛な心を想う。



「デイジー……」



 彼女の心が、何を想っているのかはわからない。けれど今この時が、彼女にとって大切な時間であることはわかる。


 故国を去らねばならなかった彼女の心残り──それは母との別れだったのだろう。



「……ごめんなさい……」



 消え入りそうな声で、彼女は謝罪した。きっとそれは、彼女の母親へと向けられたものだ。小さくデイジーの肩が震える。


 私はその華奢な肩を抱き寄せると、そっと腕の中に彼女を閉じ込めた。



「レスター……っ」



 堪え切れなくなったように、悲痛な声を上げながら顔をうずめるデイジー。涙が私の胸を濡らす。ハラハラと、熱く美しい雫が、月の光に照らされながら落ちていった。


 静寂を守る黒い森に、彼女の小さな嗚咽が消えていく。


 誰にも邪魔をさせない、私達だけの秘密の時。


 私達の罪を洗い流そうとするように、彼女は静かに泣き続けた。


 やがてデイジーは赤くなった目をこすりながら、顔を上げると、ぽつりぽつりと話始めた。



「……お母さまを置いて、私は逃げ出したの……お母さまはずっとここで寂しかったはずなのに……」


「デイジー……君のせいじゃない……君のせいじゃないんだ……」



 デイジーは母親のことで、酷く自分を責めているのだ。彼女がここをどれだけ大切にしていたかを思えば、仕方のないことかもしれない。


 彼女はいつも、母親が好きだったという花の手入れをして、毎日のようにこの場所を訪れていた。そんな場所が、今では見るも無残に朽ち果てているのだから。



「本当は……ここに来るのが怖かった……私のせいで、お母さまは不幸だったから……それなのに私だけが……」



 今にも崩れ落ちそうなデイジーの体を、きつく抱きしめる。


 この腕から、この胸から、私の彼女への愛が届くように。


 それが彼女の心の支えとなるように。


 ほんの僅かでも、彼女にとって幸せの一欠けらとなるように──



「君には幸せになる権利がある。それを君の母上だって望んでいるはずだ」


「でも……」


「君が一番知っているはずだろう?君の母上は、世界で一番優しい女性だって……そう言っていたじゃないか」


「っ……」



 私の言葉に、腕の中で彼女が小さく震えた。そしてゆっくりと氷が解けていくように、強張っていた体が、穏やかさを取り戻していく。



「……君が戻ってきてくれて、喜んでいるはずだ。こうして会いに来てくれたんだから……ほら、その笑顔が君には見えるんだろう?」


「……えぇ……そうね……そうだわ」



 デイジーの顔に再び微笑が戻る。目には涙が見えるけど、その眼差しには先ほどまでの悲痛な嘆きはない。



「……デイジー、私も君の幸せを心から願っている。君が涙するなら、その憂いを取り除きたい──君に苦難が降りかかるなら、それから守ってやりたい──」


「レスター……」


「……今更もう遅いのかもしれない。……けれど、君を失って……私は自分がどれだけ愚かだったのか思い知った。私にとって、君という存在は全てだった。君がいなければ、私の人生は色を失ってしまうんだ」



 月明りが私達を照らす。


 その白い光の前では、全てがさらけ出されていた。


 過去に私が犯した罪も、彼女の憂いも。そして──



「君をずっと想っていた。君を失ってからもずっと……」


「そんな……だって貴方は……っ」


「デイジー……君だけだ。私が愛した女性は──今も愛して、死ぬまで私の心の中にいるのは……君だけなんだ」


「っ──」



 驚きに言葉を失うデイジーの目を真っ直ぐに見つめる。美しい碧玉の瞳は、私が恋したままの美しくて優しい光を灯していた。



「愛している……今も、昔も……これからもずっと……」


「レスター……私……」



 戸惑いに瞳を揺らすデイジー。私は腕に力を込め彼女を抱きしめる。

 

 もう彼女を失いたくはない。


 彼女のいない人生は、私にとって果てしなく続く絶望の日々だった。


 だが例え彼女に好かれていなくても、私は彼女をずっと思い続けるだろう。それが私の運命だと知っているから。



「……でも……」



 小さく紡がれる否定の言葉。悲しみが胸に広がっていく。それでも愛する人の生死さえ分からない絶望の日々に比べたら、そんなのは何でもない。


 デイジーがそこにいてくれさえすれば。


 彼女が幸せの中に笑っていてくれれば。


 私の想いはただそれだけだった。


 私は小さく笑うと、彼女の髪に一つ口づけを落とした。そして彼女を抱いていた腕を解く。



「……私が願うのはただ一つ。……デイジー、君の幸せだけだ。君がただ笑っていてくれたなら……私は君に愛されなくても構わない……だから」


「っ……違う、違うのよ……!レスター!」



 私の言葉に、デイジーが必死に首を振った。


 亜麻色の髪が月の光を映してキラキラと輝く。薔薇色に頬を染めたデイジーの、銀の雫を溜めた翠玉の瞳が、こちらを見つめていた。



「違うの……私は……ずっと……レスターのことを……愛して」



 溢れ出た涙の奥に最後の言葉が消えていく。


 私は自分の中の想いを抑えることができずに、再び彼女を抱き寄せた。


 彼女の熱を確かめる為に。


 その想いの全てを掬い取る為に。



「デイジー……あぁ……神様……感謝します。デイジー……愛してる……!」


「レスター……私も……貴方をずっと……」



 彼女の想いを知って、私は生きる喜びを感じた。


 途端に世界が色づいていく。


 月明りの下──再び巡り合うことのできた私達の恋心。


 運命が、失っていた愛を取り戻した──


お読みいただきありがとうございました。

ようやく一途な二人の想いが通じました。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 『私達だけの秘密の時』 たまらん言葉ですね! 好き! そしてついに! ヘタレのレスターが! ヘタレスターが! 男を見せましたね! もうヘタレスターと呼べない! やったぜ! めでたい!
[一言] ( ´・ω・)⊃ご祝儀
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