44 ジェームズの来訪
サビーナ達が柊宮にやって来た日、私は彼等と穏やかで楽しい時間を過ごした。
サビーナの夫のアングラは、とても気さくな人で、義理の姉である私のことも気遣ってくれた。彼等の息子のルカも私が伯母であると知ると、とても嬉しそうにしていた。
そんな彼等と出会えて、私は祖国に戻ってきて良かったと思えた。そうして穏やかな時を過ごし、サビーナ達は帰っていった。
レスターは仕事があるので、アングラとの会合を終えてすぐに、一人で王宮へと出かけていった。エルも今日は朝から出ていて、まだ戻ってきていない。
私は一人になって、自室で本を読むことにした。
やがて陽が傾き始めた頃、侍女のメルフィが、エルの手紙を渡してきた。王宮から使いに持たせて寄越してきたようだ。
「デイジー様、王宮から使いが。こちら旦那様からの手紙です」
「ありがとう」
渡された白い封筒を開けると、エルの流麗な字で帰宅が遅くなる旨が書かれていた。
「……夕飯は王宮で取るそうよ。エスクロス侯爵も一緒みたい。夕飯は私一人のようね」
「左様ですか。お部屋でお召し上がりになりますか?」
メルフィが私が言わんとすることを先にくみ取って、そう提案してくれた。
「そうするわ。私だけだから簡単なものでいいと、厨房に連絡してもらえるかしら?そこまでたくさんは食べられないし……」
「畏まりました」
そう言ってメルフィが出て行って暫くすると、今度は別の使用人が部屋にやって来た。
「奥様、エスクロス侯爵にお客様がお見えですが……いかがいたしますか?」
「侯爵に?」
「はい、ジェームズ様とおっしゃる方ですが……」
「──!すぐに行くわ」
ジェームズ──レスターの息子が会いに来ているというので、私はすぐさま玄関へと向かった。
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「いきなり訪ねて来て申し訳ありません。あの……父がこちらにいると伺ったのですが」
「ジェームズ様……今は侯爵はこちらにはおりませんの。王宮へ行かれていて、晩餐も陛下と共にされるそうですわ」
「そうですか──」
柊宮の広い玄関に、先日会ったジェームズ・エスクロスがやってきていた。レスターよりも濃い灰色の瞳が、困惑の表情を見せている。
レスターに用事があるのだろうが、この時間から王宮を訪ねるのも難しいだろう。そこで私は彼に提案をした。
「あの……お急ぎでないなら、こちらでお待ちになりますか?王宮へ行ってもすぐに会えるかわかりませんし、何ならこちらで夕食を取って待っていた方が、入れ違いにならないかと……」
「──え?いいんですか?それは助かります。是非――」
「ではこちらへ──」
私はジェームズを客間へと案内すると、使用人に彼の分の夕食も用意するように伝えた。
「……こちらには初めて来ますが──流石に王族の方が持っていらっしゃる宮ですね。とても洗練されている」
ジェームズは周囲を物珍しそうにキョロキョロ見回すと、装飾品や美術品の一つ一つを堪能しているようだった。
「……えぇ、そうですわね。私もこんな豪華な所に滞在するとは思っていなかったので、少々気が引けてしまいますわ」
「そうなんですか?……あぁ、そう言えば商人として各国を回っていらっしゃってたんでしたっけ……」
私の言葉に、ジェームズが少し考えたような顔つきになる。
彼は私のことをどこまで聞いているのだろう。レスターと婚約破棄をした経緯や、エルと共にこの国を離れたこと。普通で考えれば、こんな女が父親と一緒にいるのを良く思わないはずだ。
私はそんなことを考えながら、侍女が持ってきたお茶を勧めた。
「まだ夕食までは時間がございますので、お茶をどうぞ」
「あぁ、どうもありがとうございます」
ジェームズは、レスターの若い頃とそっくりの艶やかな美声でお礼を言うと、お茶に口をつけた。その美しい所作さえも、レスターを思い起こさせる。
私はそれを見つめているのが辛くなり、そっと視線を外して席についた。
しかし黙っているわけにもいかず、何か話題をと思考を巡らせるけど、正直彼と何を話していいのかわからない。暫くすると、ジェームズの方から口を開いた。
「そう言えば、ご主人は今はいらっしゃらないのですか?」
「え?……えぇ、彼も王宮へ仕事に行っておりまして……」
唐突にエルのことを聞かれて、私は戸惑った。
(ジェームズにとっては、元婚約者の所に、自分の父親が滞在していることになるのよね……きっと複雑な気持ちのはずだわ)
私は苦い思いが広がるのを感じながら、エルとレスターのことをどう説明しようか迷った。そんな私の想いとは裏腹に、ジェームズは次々と質問をしてくる。
「そうなんですね。今やっている仕事で、父と関わりがあると聞いてますが……異国の商人の方がまたどうしてこの国へ?」
「国王陛下からの要請と伺っております。彼が──エルロンドが、陛下と古い知り合いだそうで……」
「へぇ、そうなんですか。陛下とお知り合いだなんてすごいですね」
「私もあまり詳しくは知らないのですけれど……それで陛下のお仕事を手伝う為に、この国へ来たんです」
陛下とエルが古い知り合いだということは、私も最近知ったばかりで、そこまで詳しいことはわからない。何十年も前の若い頃に知り合ったのだと聞いたくらいだ。
実際この国へやって来たのには、フィネストの国王の要請があったことも一因だ。そしてそれを足掛かりに、今回の私たちの依頼を叶えてもらう流れになったのだ。それが無ければこの国へ戻ることは叶わなかっただろう。
ジェームズは、なるほどと頷きを一つすると、真っ直ぐにこちらを見つめて聞いてきた。
「あの……不躾で申し訳ないのですが、貴女と父のことを聞いてもいいですか?」
「え?」
「……貴女と父が、若い頃に婚約していたのだと聞きました。そしてそれがうまくいかなかったことも」
やはり彼が聞きたかったことはそれだった。エルという存在がいるのに、私とレスターが今後どのような関係を持つのか。息子であるジェームズが気にするのも仕方ないだろう。
「……確かにそんなこともありましたわ。でももう過去のことです。……何をお聞きになりたいのですか?」
私はあえて全て終わったことだと告げた上で、ジェームズに何が聞きたいのかと訪ねた。彼が訝しむようなことは何一つないのだと、先に釘を刺したのだ。
事実、私とレスターの間には、やましいことなど一つも無い。想いの欠片を心の内に秘めているだけで、それを行動に移すつもりなどないのだから。
「……その……父のことをどう思っておいででしょうか?」
弦楽器のような美しい声が、私の心を揺さぶる言葉を奏でる。
ドキリとして視線を彷徨わせれば、濃い灰色の瞳が私を射抜いていた。
まるで若い頃のレスターに似た艶やかな美声。そして真っ直ぐで精悍な顔立ち。そんな青年が、隠された秘密の全てを見抜くように真っ直ぐにこちらを見つめている。
「……どう……とは……?」
私は自分の声が震えるのを感じながら、彼を見つめ返した。自分の中の嘘が見破られないように。レスターへの想いが見つからないように。
ジェームズは私の秘密に気が付いているのか、少し考えてから口を開いた。
「……私は幼いながらに見て来たんです。父が貴女とのことを長年後悔しているのを──それこそ自分の人生を費やすほどに──」
「え──?」
「……貴女と再会できて、父は本当に喜んでいました。一見そうは見えないでしょうけど……あの不器用な父にとって、貴女の存在は、人生を賭けるべきものだったんです」
「っ──」
ジェームズの言葉に驚きに目を瞠ると、濃い灰色の眼差しが僅か歪むのが見えた。
その奥にある感情は、一体何なのだろうか。
(それじゃ──まるで……レスターがずっと……あの時のことを後悔して生きてきたみたいじゃない……)
自分の中にある決意が揺らぐのを感じる。レスターへこれ以上想いを傾けずにいようという決意が。
いや──その想いは既にずっと前から変わらなかった。ただそれを表に出さないようにしていただけだ。
彼への想いは、ずっと私の中にあったのだから。
「……エスクロス侯爵には申し訳ないことをしました。私のせいで大変な迷惑を掛けてしまって……」
私は自分の想いに蓋をするように、あえて当たり障りのない言葉を選んだ。しかしジェームズは、私の真意を探るようにじっとこちらを見つめたままだ。その濃い灰色の瞳は、かつてのレスターのように怜悧な光を湛えている。
「……本当にそれだけ……なのですか?……貴女の中に、もう父への想いは一つもないのでしょうか……?」
レスターに似た表情が、苦し気に歪む。まるでレスター自身が、私の言葉に傷ついているかのように。
「それは……」
私はそれ以上言葉を紡げなかった。
レスターへの想いがもうないのだと──そう言い切ることができなかった。
(……どうして……どうして言えないの……)
言ってしまうことが怖い。
本当は自分の中の想いに、嘘を吐き続けるのが辛かった。
失ってしまった若い頃の恋。もうその形は以前とは同じではない。
けれど決してなくなりはしなかった。それは私の中でずっと息づいていたのだ。
ずっとその事実に蓋をして生きてきた。エルの隣で何でもないことのように笑っていた。
けれど本当は──
「っ──……」
「っ……デイジーさん!」
ジェームズが慌てたように席を立ち、私に駆け寄った。
「……すみません……こんな話を私がするべきではなかった……」
そう言ってジェームズはハンカチを私に差し出した。そしてそれを気遣うように優しく頬にあてる。
「あ──」
知らぬ内に涙を流していたようだ。途端に私は自分の行動が恥ずかしくなり、顔を背けて涙を拭った。
「申し訳ありません。ちょっと驚いてしまって……みっともない所をお見せしてしまいました……」
私はジェームズに向き直ると、頭を下げた。レスターに関することでは、自分の感情の制御がうまくいかない。ましてや彼に似たジェームズが相手だ。
「……本当にすみませんでした。あの……ここまで来ておいて申し訳ないですが、やはり今からでも王宮に父を訪ねてきます」
ジェームズは気まずそうに謝罪しながらそう言った。私も先ほどのやり取りでいたたまれない気持ちになっていたので、それを了承した。
「そうですか……こちらこそ何もお構いできなくて」
「いえ……食事の用意までしていただいたのに、本当に申し訳ないです」
席を立ったジェームズを玄関まで見送る。背の高いすらりとしたその後ろ姿は、レスターによく似ている。再び切なさが込み上げてきて、私は視線を下げた。
館の入り口まで来て、ジェームズが振り返った。気遣うような優しい眼差しが、すぐに笑顔で彩られる。
「お茶をありがとうございました。美味しかったです」
「いえ、こちらこそお話できて良かったです。またどうぞいらしてください」
「ありがとうございます。では──」
そうしてジェームズは去っていった。
私は彼の乗った馬車が宵闇の奥に消えていくまで、眺めていた。そしてふと若い頃のことを思い出す。
レスターと会えることが嬉しくて、そして別れることが悲しかった。いつまでも彼の乗った馬車が見えなくなるまで、じっと見つめていたのだ。
甘くて──ほろ苦い思い出。
今また彼の息子に対して同じようにしていることが、酷く滑稽に思えた。それでも自分の中の感情を、これ以上偽ることはできないと思った。
ジェームズの言葉によって、はっきりと思い知らされたのだ。
自分の中のレスターへの想いが、今も強く息づいているということを。
それを忘れ去ることなど決してできないのだと──
お読みいただきありがとうございました。
ジェームズ君のおかげで一歩前進。デイジーが必死に自分の感情を抑え込もうとするのを、ジェームズの存在が揺さぶる。そんな役どころです。




